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第七十七話 白状


 各地の次元ポケットを破壊する。

 このミッションは確実に遂行してきた。

 あれから私たちもいくつかの次元ポケットを破壊してまわったが、モザンクルスのような規格外の怪物は存在せず、ただただ呪花が設置されているだけのものがほとんどだった。

 鵺もすべての次元ポケットに強力な仕掛けを施すのは不可能だったに違いない。

 そんな中、ツーマンセルで次元ポケットを破壊してまわるという取り決めを変えようという話が出てきた。

 理由としてはあれだけ次元ポケットを破壊しているのにもかかわらず、いっこうに大気中の呪力濃度が下がらなかったからだ。


「私は解析に入ります」


 先日の当主会談の際の雨音さんの一言でツーマンセル制が崩れたのだ。

 それにやはりというべきかそうでなくちゃ困るのだが、次元ポケットはもうほとんど発見されなくなってきている。

 異常な呪力濃度を検知する以前にまでその数は減少しているのだ。

 だからこそ呪力濃度が下がっていないことが問題なのだが……。


「それで、なんで私が明美の仕事を手伝わなくちゃいけないのよ」


 私はいま、西郷家に来ていた。

 薬師寺家からはそれなりに遠く、車で二時間はかかる。

 今回は明美の招待なので西郷家の付き人が送迎してくれた。


「久しぶりに葵と話したいなって思って。最近はこうでもしないと会ってくれないでしょ?」


 明美に痛いところをつかれる。

 妖狐の記憶が失われてからもう一ヶ月が経過しているが、私はあれ以降あまり人と会わないようにしている。

 こうして仕事などでどうしてもの時だけは会うが、プライベートではほとんど絶縁状態だ。

 まあ、もともと友達もいないんだけどね。


「ごめん。あんまり気乗りしなくて……」


 妖狐の記憶のことはまだ誰にも話していない。

 影薪と私と妖狐だけの秘密。


「そっか……。何があったかは知らないけど、たまには一緒にお仕事しましょうってこと!」


 明美は声色明るく私を客室に案内する。

 西郷家は薬師寺家と同じく、やはり退魔の名家であるからか人里からはやや離れている。

 戦いが起きてもある程度周囲に被害が及ばないようにという配慮なのだ。


「今回はどんな仕事なのよ」


 私は客室のソファーに座って明美にたずねる。

 薬師寺家と違って洋風な家の造りをしているせいか、同じ一軒家とはいえ、こっちのほうが遥かにお洒落な気がする。

 薬師寺家も趣きがあって、武家屋敷ファンというニッチなオタクには人気が出そうではあるが……。


「なんてことはない仕事よ。単純に県庁に呼び出されたの」

「県庁に? ああ、定例の挨拶会?」

「そうそう。あたしってそういうの苦手じゃん? だから葵に来てもらったの」


 何か一人ではどうしようもない案件なのかと思ったのだが、どうやらそういうのではないらしい。

 県庁への挨拶会は年に一度は行われている行事だ。

 すべての県庁に挨拶に行くわけではなく、自分の住所がある県だけでいいのは幸いだ。

 そうじゃないと四十七の県庁すべてに行かなくてはいけなくなってしまう。


「そんなので呼ばないでよ……。てっきり凄まじくめんどくさい事件が発生したのかと身構えちゃったじゃない」

「あのね葵。あたしにとってはこういう行事は難解な事件より手強いのよ?」


 明美が堂々と情けないことを言い出した。

 まあ明美の性格を考えれば分からないことではないけれど、もう当主になったのだからこういう行事にも慣れて欲しい。


「それに感覚がマヒしてるよ? 妖刻でもないのに強力な妖魔なんているわけないじゃん」


 明美に言われてそうだったと思い出す。

 次元ポケットやら鵺の仕掛けたモザンクルスのせいで、原則を忘れかけていた。

 妖界からこちら側に来る際、ほとんどの呪力は失われる。

 だから妖魔がいたとしてもそこまでの脅威たりえない。

 原則はそうなのだが、あまりにも最近イレギュラーが多すぎてマヒしていた。


「そうね、そうだった。もう向かう?」

「うん。でもその前に、葵に何があったか話してくれない?」

「え?」

「あたしが気づかないとでも思った? 呪力が乱れているよ?」


 明美に指摘されて気づいた。

 自分の呪力は確かに揺らいでいた。

 実戦にはそこまで影響しない程度の小さな揺らぎ。

 呪力操作は精神状態にも影響される。

 もう一ヶ月も経つというのに、私はいまだに妖狐の記憶のことを引きずっていたらしい。


 明美になら話しても良いか?

 そんな気持ちになる。

 思えば同世代の同性で事情が分かりそうなのは彼女だけだ。

 話してしまった方が良いのかもしれない。

 自分の中に抱え続けているから苦しいのだ。


「実は……」


 私は全てを明美に話した。

 妖狐とのこれまでの関係性、妖狐の呪法から感じた違和感、そして彼の記憶喪失について。


「どうなんだろう。まだ完全に忘れられていないだけ良かったと思うべきなんだろうけど、当事者としては簡単には割り切れないよね」


 明美の第一声は想像通りだった。

 彼女の性格からいって、こういう答えが来ることは予想していた。

 まだマシなほう。

 一種の記憶喪失ではあるけれど、世間一般でいう記憶喪失とは少し違う。

 妖狐は私のことを認識できているが実感がない、つまり感情が動かない状態。

 こういうのをなんていうのだろう?


「一ヶ月経ったけどまだ記憶は戻っていないのよね?」

「う、うん。だから頭では分かっているんだけど、気持ちの整理がつかなくて」


 私は正直に白状した。

 別に私という存在を認識していないわけじゃない。

 過去の思い出も記録という形で彼の脳内に残っている。

 そこに感情が乗っていないだけ。

 だけど好きだったからこそ、私にとって妖狐という存在があまりに大きすぎるからこそ、簡単には割り切れないでいる。


「もう諦めたら?」

「何を言って……」


 唐突に突きつけられた一言に思考が停止した。

 諦めろって?

 妖狐のことを諦めろって言いたいの?


「勘違いしているみたいだけど、妖狐そのものを諦めろって言っているわけじゃないよ? その失われた感情? 記憶? よくわからないけれど、あの合理的な葵が一ヶ月も引きずるのってまだ期待しているからでしょ? 不意に記憶が戻ったりしないかなって、心のどこかでそんな甘い期待を抱いているから前を向けないんじゃない?」


 明美の説明はスッと私の胸に入ってきた。

 なんとなく分かっていたことを指摘された感じ。

 妖狐はもちろん、あの影薪でさえ私にこんなことは言わなかった。

 だけど明美は私に言えるのだ。

 はっきりと、しっかりと。

 同じ当主という立場、同年代の同性という立場。

 いろんなことをひっくるめて、私にはっきりと意見を言ってくれるのは明美しかいない。


「……そうだよね。割り切って前を向かなくちゃいけないのは分かっているんだけどね」


 やや曖昧な言い方になってしまったけれど、私の中では大きな変化があったのだ。


「明美、貴女ってこんなにちゃんとしてたのね」

「どういう意味よ!」


 私の正直な感想に、明美が憤慨した。

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