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第八十六話 明美の殺意


 話し合いは終わり、各自が準備に入る。

 急ピッチで済ませたのは、各地への連絡と現地の警備部隊とのやり取りだった。

 今回の妖刻は国民にも広く知られている。

 五日前に総理大臣が緊急記者会見を開き、妖魔という存在を公に国が認めたのだ。

 そして過去三〇〇年間以上にわたる、妖魔と四大名家の戦いについても特番が流れ、ここ最近のニュースは”妖刻”という知られざる歴史について持ちきりとなった。


「まあすぐに信じられない人も多いでしょうけどね」


 いまは午後九時。

 あと数時間で戦いとなる。

 私は各地に指示を済ませた後、体を休めて戦いの準備に入る。

 準備と言っても着替えと心持ちくらいのもの。


「ここ最近はいろんな人がいろんなことを言っていたよね」


 影薪はテレビの前で横になって情報バラエティーを眺めていた。

 ついさっきまで仮眠をとっていた私が言えることじゃないのかもしれないけれど、本当に図太い神経をしている。


「元々妖魔という存在は曖昧だったからね。聞いたことはあるし、いるということにもなっているけど大半は妖魔なんて見たことがないんだもの。それが公に総理が存在を肯定し、さらには妖刻なんていう、妖魔と人間による代理戦争のようなものが行われていたなんて言われても、簡単にはのみこめないよね」


 普通のことだと思う。

 もしも私が一般人の立場なら、妖魔という存在は信じられても妖刻なんてものは信じられない。

 考えられないといった感覚が近いのかもしれない。

 若い子からしてみれば、戦争だって遠い過去か遠い国の話で、大規模な戦闘が国内で行われていることに理解が追いつかないのだろう。


「信じたくないっていうのもあるんじゃない? 一応表面上は平和じゃん? この国」


 影薪は笑いながら大福を一口で口に含む。

 その頬はハムスターを彷彿とさせる。

 いつからこの子は小動物に?


「だからこそ妖刻直前のいま現在は、世間的には一種のお祭り騒ぎというか、決戦前夜というか、そんななんともいえない異様な雰囲気よね」


 全国民にとって初めての経験なのだ。

 若かろうが年配の方だろうが、等しく初めての経験。

 一部の治安維持関係者や政府関係者は知っていたが、それ以外の人たちにとって妖刻というある種のイベントは初めての経験。

 街頭インタビューでは、一部は私たちに対して怪しい存在だという意見もあったが、大半は応援メッセージだったのは嬉しかった。


 使命感や義務感で戦おうとも、やっぱり私たちも人間。

 守るべき対象から感謝の念を受け取ると、嬉しくも感じるし気力につながる。

 今回の妖刻は国レベルの大事に発展してしまった。

 あとは勝つしかないのだ。

 勝って妖刻を終わらせ、妖刻という存在が認知された世界を生きてみたい。

 私の気持ちは影薪と同じように未来に向いていた。

 そんな未来の中で、私は妖狐とともに生きていきたい。


「負けるわけにはいかないね」

「当たり前だ」


 ふいに声がして振り返ると妖狐が立っていた。

 当たり前だという声には、そうでなくては困るという意思も感じられた。


「俺は葵が大事だからこちら側についたんだ。そう簡単にくたばってくれるなよ?」


 妖狐は久しぶりの戦いに気が昂っているのか、時折好戦的な笑みを湛えていた。


「危なくなったら助けてくれるんでしょ?」

「当然だ。何があっても葵だけは守る」


 ちょっとふざけた調子で聞いてみたら、真顔で返されてしまった。

 恥ずかしいったらない。

 本当に妖狐は人間の社会について学んでいるのにもかかわらず、こうして歯の浮くようなセリフをポンポン吐き出してくる。

 そのたびに心臓が高鳴る側の気持ちを考えて欲しいものだ。


「あたしは守ってくれないわけ?」

「そんなわけないだろ。お前も葵みたいなもんだろう?」


 影薪がわざとらしく絡むも、私と同じ存在として扱ってもらえるらしい。

 良かったね、影薪。


「葵、ちょっといい?」


 部屋のドアがノックされ、明美が顔を出した。

 私は彼女に誘われるまま部屋を出て庭に向かう。

 これから戦うことになる戦場。

 上空は異様なほどの呪力濃度によって淀んで見え、月の光すらあまり届かない本当の漆黒のようだ。


「どうしたの? 怖くなってきたとか?」


 私はわざと冗談めかして聞いてみる。

 なんというか、こういうタイミングって冗談でも言って気を紛らわしたくなるのだ。


「ううん。ちょっと気持ちを込めたくてさ」


 そう語る明美からは普段の軽さが無くなっていた。

 彼女が経っている場所は、前回の妖刻で和美さんが殺された場所だった。

 夕闇に佇む明美の全身から呪力が溢れているのを感じた。

 本当はもっと制御しなくちゃいけないのだが、いまはそんな話はなしだ。

 あまりにも野暮。

 いま彼女は復讐という目的を自身の体に叩き込んでいるのだ。


「私は見届け人ってわけね」

「ごめんね。他の人よりも葵に見て欲しくて」


 ここで一条じゃなくて良いのか茶化そうとも思ったが、そんな雰囲気ではなかった。

 明美が当主として開花した大きな原因は、間違いなく彼女の母親である和美さんの戦死だ。

 そして和美さんを葬った妖魔、アメミトは必ず今回の妖刻にも出てくるだろう。

 しかもアメミトは明美の父親の命も奪っている。

 明美からしてみれば両親の仇。

 絶対に殺したい相手。


「あの妖魔、アメミトは必ず私の手で殺す。だからアイツが出てきたら、私に殺らせてほしいの」


 明美から殺す相手を譲ってほしいだなんて言われる日が来るとは思ってもみなかった。

 それだけの憎悪が、ここ数か月間で培われていたのだ。

 彼女が慣れない激務に耐えながらも、懸命に力をつけてきたのはすべてこの時のため。

 殺したい相手がいる。

 戦いにおいては、それはもしかすると幸運なことなのかもしれない。


「もちろんよ。それにあっちもどうせ明美を狙ってくるよ。ねちっこい性格してた気がするし」


 貴族位の妖魔は総じて知能が高い。

 基本的には妖魔の知能の高さは力に比例する。

 そして知能の高さは個性や癖を生み出す。

 前回の妖刻の感想で言えば、貴族位の妖魔たちは人間らしい感情をしっかりと持っていた。

 並々ならぬこだわりや個性も。

 アメミトはもちろんその筆頭だ。

 今回の妖刻、アメミトは必ず明美を狙うはずなのだ。

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