時刻は午前一時。
妖刻は目と鼻の先だ。
事前の話し合いの通り、いまここには私と影薪に妖狐、そこに四大名家の現当主たちである明美、一条、雨音さんだけが立っている。
場所は前回の妖刻の時と同じ場所。
薬師寺家の敷地内で敵を待つ。
四月も中旬になると寒さは弱まり、戦いやすい気候だ。
雲もなく、月明かりが私たちを見守っている。
「みなさん準備は良いですか?」
私の言葉に全員が頷いた。
全国に散らばった部下たちもなんとか持ち場に間に合ったらしい。
全国に部下を配置したのは保険でしかない。
敵の大半はここに出現するはずだ。
「あとはどれだけの数を向こうが用意しているかだな」
一条が不敵に笑う。
前の妖刻では復讐心が彼の原動力だった。
だがその復讐は終わっている。
いまの彼を動かす気持ちはなんだろうか?
「葵、俺が復讐だけの男だと思ったら大間違いだぜ?」
表情に出ていたのか、一条は私の疑問に答える。
「いまは復讐よりも大事なものがある。俺はこの戦いの先を胸に勝ち抜くつもりだ」
偶然だろうか?
影薪が言っていたことと似ている。
義務感だけでは戦えないというのは、影薪だけの気持ちではなかったらしい。
「戦いの先に一条の隣に立っているのは誰なんだか」
私はわざと茶化す。
視界の端でしっかり反応する明美が愉快で仕方ない。
「ちょっと葵! こんな時にふざけないでよ!」
「ふざけるぐらいの余裕がないと力を発揮できないって」
私は明美からのクレームを華麗に回避し、視線を雨音さんに向けた。
普段仏頂面な彼女が、めずらしく笑みを浮かべていたのだ。
「ああ、失敬。なんかこういうのっていいなって思いまして」
「雨音さん……」
「正直言って、私は勝手に疎外感を感じていました。私以外の当主が望む望まないに関わらず世代交代をしてしまい、私よりもずっと年下で才能あふれる当主たち。私は私の役割があると、独自な考え方や行動をしてきました。だけど、いざこうして肩を並べると、これはこれでいいものだと思うのです。まさに妖刻というタイミングで何を言っているんだと思われるかもしれませんが、ここまでの数か月間、楽しかったというのは少し違うかもですが、充実していました。ありがとうございます」
雨音さんがここまで心情を口にしたのは初めてかもしれない。
それぐらい彼女にとってのここ数か月は密度の濃い時間を過ごしたのだ。
「それは私たちのセリフですよ? 経験のない私たちを先導してくれていたのはいつだって雨音さんでした」
思い返せばいつもそうだった。
話し合いのたび、方針を決定づけたのはいつだって雨音さんの冷静な意見と分析だった。
それがなければ今頃どうなっていただろう?
今頃無策で妖刻に突入していたのではないだろうか?
それこそ鵺の思惑のままに……。
「やめだやめだ!」
急に一条が声を張る。
驚いた私たちは一条に注目する。
「湿っぽい空気を出すのはやめだ。まるで死ぬみたいに聞こえるぞ? いいか? 俺たちはこの夜を生き延びて、人間の世界を守り切り明日の朝日を拝むんだ!」
一条が胸を張って宣言する。
敵には聞こえない勝利宣言。
だけど私は一条に賛成。
これぐらいの気持ちがなくちゃ勝てないもの!
「一条の言う通りね。一緒に朝日を拝みましょう!」
私が一条に同意すると、明美が手元のスイッチを押す。
すると周囲が光に包まれた。
恐ろしいほどの光量が、まるで日中のような明るさを演出していた。
「おいおい、ずいぶんと準備したな」
「もちろんよ。これぐらいはしておかないとね」
どうやら明美は私が眠っている間にこれだけの数のライトを用意していたらしい。
全方位のありとあらゆる場所に工事現場用のライトが設置されている。
木の上や根っこの影、さらには超巨大なライトが薬師寺邸から私たちを背後から照らす。
これだけのライトを用意してもなお、明美に一切の油断はない。
前の妖刻も、これほどの数ではないがそれなりに用意していたライトをすべて破壊されているのだ。
しかしこれだけ明るいと私たちにとってもプラスに働く。
夜闇で戦うよりは、明るいほうが確実に戦いやすい。
「真昼間みたいだな」
一条がポカンとして呟いた。
ライトは用意するとは聞いていたが、まさかここまでの数だとは思わなかった。
妖狐も影薪までもが目を丸くしている。
その反応も当然だと思う。
私たちが立っている場所だけを照らすならさほどでもないが、明美はこの戦場となるであろう敷地内全てをライトで照らしているのだ。
おそらくライトの数は一〇〇〇台近くはあるに違いない。
そうでないと、広大な薬師寺家の土地を照らすことなど叶わないからだ。
「皆さん、驚くのはほどほどに。そろそろ始まりそうですよ」
雨音さんの冷静な声が響く。
言われてみればはるか上空に、黒い亀裂が入り始めていた。
予想よりも三〇分ほど早いが、ゲートが出現した。
黒いヒビは徐々に広がっていき、まるで空にキャンバスがあるかのように平面に広がっていく。
「来るぞ」
妖狐の冷たい声が聞こえた。
その瞬間、ゲートが突然大きく開かれたかと思うと、中から無数の妖魔たちが滝のように地面に向かって落ちていく。
黒い濁流となって地面に流れ落ちているのがすべて妖魔だと思うとゾッとする。
当然ながら敵の数なんて数えきれない。
私は目を瞑り気配を辿る。
するとここ以外にもいくつかゲートが開いた気配がした。
「散らばって正解ね」
私は目を開く。
他の者たちも呪力の気配を辿ったのか、同じ感想のようだ。
他の場所に発生したゲートはここまで大きくはない。
通常の妖魔が限界だろう。
良かった、本当に強力な妖魔はこちらで対処できる。
「しかし多いな。前回よりも多くないか?」
一条が拳を握りしめる。
言われてみればそんな気もする。
なにせ数が多すぎて、前回と比べてどうかだなんて分かりっこない。
しかし一つ確実に言えるのは、他の場所にも出現していることを加味すると、鵺は本当に今回の妖刻に全てをかけていたということだ。
「どうする葵、仕掛けは?」
「まだよ。もう少し様子を見たい」
明美がさっそく仕掛けを発動させようと提案するが、私は静観を決めた。
まだ敵の数の全体像すら把握していない。
そんな状況で切り札は打てない。
「そうそう悠長には待てませんよ?」
雨音さんもやや焦った様子で私を急かす。
確かに猶予はない。
黒い影となった敵軍は、濁流のように視界を黒く塗りつぶしていた。
「葵、やってしまえ」
「妖狐……」
「心配するな。奥からもっと大量に現れようとも、俺が全てを受け持とう」
妖狐は私に心配せずに発動しろと、その後はすべて受け持つと宣言した。
私は深呼吸をして決意を固めた。