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第九十八話 影の巨神兵


「呪法、月の影法師!」


 呼び出す準備が完成した私は、影薪と共に切り札を呼び出す。

 練り上げた呪力が形となる。


「踏みつぶせ! 蹂躙せよ! 来たれ、影の巨神兵!」


 私と影薪が同時に両手を地面にあてる。

 一瞬の静寂のあと、大型地震のような揺れが発生する。


「なんだ?」


 ずっと動じなかったオシリスが初めて驚きを見せる。

 眷属であるスカラベにもオシリスの動揺が伝染したのか、動きを止めた。

 地震は数秒間で収まった。

 収まったと同時に、私たちの目の前の地面が二つに割れた。


 地割れから出てきたのは真っ黒な手だった。

 手だけでも私と同じくらいの大きさがある。

 割れ目から這い上がってきたそれは、全身真っ黒で表面を何かが蠢いている。

 まるで黒いモザイクのように、巨神兵の情報をシャットアウトしていた。


 大きさはスカラベを大きく上回り、当然ながら周囲の木々なんて比べるまでもないほどに巨大な姿だった。

 人型の巨大な式神。

 そこから放たれる呪力は甚大で、その圧だけでも大抵の者は気を失ってしまうだろう。

 実際、もしこれが敵だったら私には耐えられそうにない。


「これはこれは、ずいぶんとおぞましいものを呼び出したものだ。しかも、まだ本調子ではないな」


 オシリスは一目見ただけでこの式神のおぞましさを理解したようだった。

 流石としか言いようがない。

 本調子ではないどころか、半分封印されていると言っていい。


「葵、大丈夫?」


 私は巨神兵を呼び出しただけでその場にへたり込む。

 呪力をありったけ吸われた感覚だった。

 もう何かを呼び出すことは叶わない。

 正真正銘最終兵器なのだ。


「大丈夫よ。でも悔しいわね。あれだけの呪力を注ぎ込んだのに、黒い封印までは取り除けなかった」


 これは本心だった。

 本当だったら、あの黒い蠢くなにかは存在しないはずだった。

 だが残念ながらそう思い通りにはいかなかったらしい。

 巨神兵の全力は引き出せないけれど、これでもあのスカラベを葬るくらいは簡単にやってくれるはずだ。


「小娘には荷が重かったのだろう? あの黒い何かは封印の名残。あれまで取っ払うつもりだったとは、末恐ろしい娘だ」


 オシリスの言葉に初めて真剣な色が混じった気がした。

 それだけこの巨神兵が危険なのだと理解しているのだろう。


「影の巨神兵は文字通り神の一柱よ。その中でも武力担当の一柱。でも私の実力不足ね……完全に自由にはしてあげられなかったみたい」


 私の呼び出す式神の中でもっとも強大な力を持つ存在。

 妖魔や怪物なんてレベルではない。

 正真正銘の神なのだ。

 神類を呼び出す際には神たちのルールに従わなければならない。

 例えば、人間界に姿を現す際は封印状態でしか出現してはいけないなどだ。


「神のルールに抗ったのか? ずいぶんと無茶をする。下手すれば命ごと吸われかねないというのに」


 オシリスは驚嘆の声を上げる。

 いくらオシリスでもこのレベルの存在を呼び出すことはないようだ。

 本当だったら命を奪われているかもしれないというのは事実だった。

 今回は影薪という存在がいたことと、皆月も供物に捧げたのが大きかった。

 しかしそれでも神のルールまでもは取り除けない。


「抗っただけ、成功はしていないわ。人間界に神類が出現してしまうと、周囲への影響が大きすぎる。だから神類は封印状態でなくては人間界に出現が許されていない。この不文律を犯すのは流石に無理だったみたい」


 でも、これで勝てる。

 私はそう確信していた。

 コイツを呼び出したのは初めてだが、影の巨神兵のうしろ姿を見ているだけで分かってしまう。

 これはそこらの式神とは本当にレベルが違う。

 このままオシリスを粉砕し、鵺まで届いてくれれば……。


「恐れ入った。凄まじい娘だ。お前、こちらの世界に来ないか?」


 思わぬ言葉が飛んできた。

 こちらの世界とは妖界のこと?


「どういう意味よ」

「そのままの意味だ。お前の力は人間離れしておる。それにそれだけの力は人間界では宝の持ち腐れというやつだ。我の下につけば、良い暮らしを保証しよう。その力、磨けば妖界でも相当な地位にまで行けるぞ」


 安い誘いだと思った。

 私を何だと思っているのだろう?

 私は薬師寺家当主であると同時に、一人の多感な年頃の女の子だ。

 求めるものは妖魔たちのそれとは違う。


「悪いけど、それでレディーを誘っているつもり?」


 私はオシリスを一瞥する。

 求めるものは普通の女の子としての幸せだけ。

 こんな力はそれを手にするための手段でしかない。

 そもそも妖魔たちが攻めてこなければ、こんな力も役割も必要なかったのだ。

 私が求めるのは……。


「私が求めるのはみんなとの平和な日々だけ。力や地位なんてものに興味はないわ」


 私ははっきりと言いきった。

 求めるのは幸せな未来と、妖狐と共にある生活。

 欲しいのはただそれだけで、余分な付属品などいらないのだ。


「そうか……残念だ。ではもうお前に用はないな!」


 オシリスが初めて玉座から立ちあがった。

 杖を構え、ガーディアンを一歩前に出させる。

 しかしサイズ感は圧倒的に影の巨神兵の圧勝だった。

 一体どう戦うというのだろう?


「我が自分で戦えないわけではないのだぞ?」


 オシリスがニヤッと笑ったかと思うと、杖の先をガーディアンにあてた。

 するとガーディアンがみるみるうちに杖の中におさまっていった。

 そしてガーディアンに宿っていた呪力がオシリスの全身に行き渡る。

 さらにすぐさまスカラベも同様に吸収してしまった。

 オシリスに呪力が漲っていく。

 包帯の奥の赤い瞳がより一層強く輝いた。


「覚悟しろ小娘!」


 オシリスが宣言すると、オシリスの全身を覆っていた包帯が少しずつ剥がれていった。

 するすると剥けていく包帯たち。

 中から火傷したような皮膚が見えてきた。

 ゾッとするような見た目だった。


「これはかつて地獄の業火に焼かれた勲章だ。貴様とは経験値が違うのだ。覚悟しろ!」


 オシリスが杖を大きく天に掲げた。


「神にも届く炎があることを教えてやる!」


 影の巨神兵の足元に小さな炎が発生した。

 普通の赤い炎ではなく青白い炎。

 あたりを妖しく照らす。


「冥界の炎よ、今宵は最大の獲物を用意した!」


 オシリスが青白い炎に語りかけると、炎はすぐさま巨神兵の周囲を円形に囲った。

 そしてそのまま火柱が上がる。

 炎から距離を取った私まで焼けこげそうなほどの火力。

 神すら焼くと言われる冥界の炎。


 私はそれこそ神に祈るような気持ちで、冥界の炎の中心を見つめるしかなかった。


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