神にも届く業火。
オシリスはたしかにそう言った。
青白く輝くその炎は私の視界を奪い、影の巨神兵の姿を隠してしまった。
炎は天まで焦がし、周囲の木々にも熱が伝播し次々と火の手が上がる。
今までの私の式神では耐えられなかったであろう炎。
しかし私には確信があった。
影の巨神兵は私が呼び出せる中で最大の式神。
そう簡単にやられるわけがない。
「払いのけろ! 敵は目の前よ!」
私の言葉が巨神兵に届いた瞬間、巨神兵は青白い炎をものともせずに前進を始めた。
炎が効いていないわけではない。
しっかりと巨神兵の表面を焼き続けているが、致命傷には至らない。
「馬鹿な! 神をも焼き殺す炎だぞ? 冥界の炎だぞ? それをものともしないだと?」
オシリスは困惑した様子で自分に向かって歩き続ける巨神兵を見上げた。
絶望、そんな言葉がオシリスの赤い瞳の奥に感じた。
オシリスは紛れもなく冥界の王。
だからこそ冥界の炎を信じていたし、信頼していたのだ。
しかしその炎は影の巨神兵には届かない。
「冥界の炎はあくまで冥界の炎。ここは地上よ?」
根拠はない。
理由も定かではない。
でもそんな気がした。
冥界の炎と自分自身で定義してしまっているのなら、それが地上で最大限の効果を発揮しているとは言い切れない。
「場所のせいだと?」
「おそらく。ここは私の土地で私のテリトリー。おまけに対妖刻用の呪法を仕込んだ場所。私に優位に働いたとしてもなんら不思議はない」
そもそもがこちらのホームなのだ。
ここは人間界であり、地上。冥界とは条件が異なる場所。
「クソ! 止められぬ! こんな名も知らぬ神もどきにやられるなんぞ許されん!」
オシリスはさらに呪力を冥界の炎に注ぎ込む。
狂気じみた光景だった。
どこからどうみても冥界の炎では巨神兵はやれない。
しかしそれでも冥界の主としての矜持なのか、オシリスは冥界の炎にこだわった。
「名も知らない神もどき? 確かにそうよ。影の巨神兵はあくまで”影”の巨神兵。本物じゃない。でもそれは貴方も同じでしょう?」
「我とそれを同一に扱う気か!」
オシリスが憤慨する。
自分のことを相当に高く見積もっている証拠。
だけど私は知っている。
こいつは所詮アメミトたちの親玉のような存在。
考え方や価値観はあいつらと大して変わらない。
そんなのがどうして神を名乗れる?
ましてやどうして憤慨できる?
「同じ? それこそ冗談じゃないわ。私の影の巨神兵はお前とは違う。私たちを助けるために式神としてこの場に来てくれた存在。お前のような偽物の神と一緒にしないで」
当然ながら影の巨神兵は神そのものではない。
しかし呼び出した私でさえ、この存在がなんなのかはわかっていない。
もしかしたら本当にどこぞの神の可能性だってある。
「それにお前はみずからをオシリスの化身と言ったわよね? 化身よ? 神でもなんでもない妖魔。同じな訳がない」
私とオシリスの言い合いの最中も、影の巨神兵の歩みは止まらない。
火力を増した冥界の炎を身にまといながらオシリスの真ん前にまでやってきた。
「こんなはずない! こんな結末は望んでいない! 我は冥界にて死者を裁く側。決して冥界に並ぶ側じゃない!」
オシリスは壊れたように喚き散らす。
そこにはさっきまでの威厳は一切感じられなかった。
「そうだ! 簡単な話じゃないか! 冥界そのものをここに呼び出せばいい! そうすれば冥界の炎は本来の力を取り戻して……」
「させると思う?」
オシリスが唯一見出した突破口。
しかし私がそんな悠長なことを許すわけもない。
確かに冥界そのものをここに呼び出せるのならば私に勝機はないだろう。
冥界とは死者の国。
死者を操れると仮定するならば、オシリスの手駒は無限となる。
絶対に敵わない。
「さすがのお前も冥界そのものを呼び出すのに、それ相応の時間はかかるでしょう? 私がそんな隙を与えると思ってる?」
オシリスの敗因は簡単だった。
単純に慢心と過信だ。
最初からガーディアンに見を守らせている間に、冥界の召喚自体を進めていればよかったのだ。
そうしていれば私に勝てただろう。
でもオシリスはそうしなかった。
理由は慢心と過信しかない。
「おのれ小娘め!」
オシリスは八つ当たりするように私を睨むが、もうそろそろこのやり取りにも飽きてきた。
人の命を弄ぶような者の命なんて、配慮する必要はない。
一撃のもとに粉砕するのみ。
「やりなさい巨神兵!」
私の死の号令が響く。
巨神兵は片足を持ち上げた。
その影がオシリスの真上に移動する。
容赦のない一撃を持ってして、死体すら残す気はない。
オシリスは何も抵抗を見せずにただただ巨神兵の影を見上げていた。
なす術がない者の末路。
呆然と立ち尽くすその表情は死者そのものだった。
「ぎゃあああ!」
断末魔が響くとともに、地面が揺れた。
巨神兵の足の隙間からドロっとした死臭が流れ出る。
あまりにも呆気ない結末に、なぜか私のほうがフリーズしてしまった。
「勝ったの?」
「そうだよ葵、勝ったんだよ!」
影薪はその場に座り込んだ私の両手を取ってブンブンと振り回す。
勝ったのだ。
私は勝った。
冥界の王を名乗る不届き者に勝利した。
「そっか……」
勝ちはした。
しかしその代償に呪力はすっからかんだ。
他に貴族位の妖魔の反応はない。
上空では無限に出現し続けているのではないかと思うぐらいの妖魔の群れ。
それを妖狐がひたすらに肉弾戦で締め上げていた。
「残るはアンタだけね」
私はすっからかんの肉体にムチを打ちながら、遠くから観戦していた鵺を指さした。
「よく生き残ったものだ」
鵺は愉快そうに笑う。
やつからすれば私の状態は手に取るようにわかるのだろう。
私に呪力が残っていないというのも把握しているに違いない。
「そこの巨神兵とやらを倒せば我の勝ちか……思ったより簡単な戦いになりそうだ。もっといろいろと準備をしていたのに」
鵺はそう言いながらこちらに向かって動き出した。