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第2話

 三兄弟は足蹴りを紙一重でかわすと、門番を敵と認定したのか、「シャー、シャー」と低い声で威嚇し始めた。それに追従するかのように、他の猫たちも声を荒げ、大男に向かって牙を剥く。


「てめえら。調子に乗るなよ!」


 門番の大男が大声で叫び、暴れ出した。俊敏さでは猫に分があるが、いかんせん体格が違いすぎる。数匹かが丸太のような太い足で蹴り飛ばされ、また門番が乱雑に振り回す棒によっても次々と猫が殴り飛ばされていく。


 その大男が吾輩の前に立ちはだかった。そして下卑た笑みを浮かべ、棒を振りかぶる。


「おい、何をボサッとしてやがる!」


 その時、間一髪で黒猫が吾輩を突き飛ばし、大男の打撃は空を切った。まさに九死に一生を得た気分だ。


 標的を見失った大男は、形振り構わず目についた猫たちに襲いかかった。そして逃げ遅れたのか、怯えて震えているシャムらしき子猫を見つけると、その太い腕を伸ばし子猫の頭を鷲掴みにして持ち上げた。


「お前ら、こいつがどうなってもいいのか」


 大男が猫たちを大声で脅した。


 だが相手は猫だ。そんな脅しなど効くはずもない。猫たちは、人間の言葉は解さなくとも、掴まっている子猫を助けようと大男に襲いかかり、威嚇を続けた。


「ちっ、ならお望み通りこいつを叩き潰してやる」


 大男が子猫を高く持ち上げる。このまま地面に叩きつけられては、とても生きてはいられないだろう。


「ヒイ、フウ、ミイ!人間の足を思い切り噛め」


 三匹がすかさず飛びかかり、ヒイとミイは左足のふくらはぎと足首を、フウが右足の脛をほぼ同時に噛みついた。子供と言えど牙は鋭く、噛む力も決して弱くない。


 ギャー、と言う悲鳴が小屋の中に響く。その痛さのあまり、大男が掴んでいた子猫を手放した。


 吾輩は必死で駆けた。子猫が地面に激突する前に助けねばならない。


 慣れないながらも走り、落下地点に到達する。なんとか間に合ったようだ。後は吾輩の身体をクッションにすれば大怪我まではするまい。これぞ【仁君スティン】の真骨頂である。


 ストン。


 いやいや吾輩はスティンだ。


 ん?ストン?


 見れば先の子猫が空中で体勢を変え、見事に着地している。吾輩はあっけにとられたが、『そうか、猫だもんな』とすぐに納得した。 


「危ねえぞ!」


 黒猫がこちらを向いて鋭く叫んだ。『そうだ、大男は?』そう振り向いた瞬間、強烈な衝撃に襲われ、吾輩は壁に叩きつけられた。


 受け身も取れず、まともに激突したのだ。前後走る痛みで立つどころか息もできない。


「てめえか。気づけばいつも真ん前にいやがる。まずはてめえから始末してやる」


 大男は吾輩を完全に標的として殺気を漲らせる。吾輩は動くことも叶わない。まさに、絶体絶命のピンチだ。


「おじちゃん!」


 ヒイ、フウ、ミイが吾輩の前に立ち、大男を威嚇する。黒猫も駆けつけ吾輩の身を守るかのように身を挺している。


「邪魔だ!どけ!」


 大男が追い払うように三兄弟に向かって蹴り続ける。三兄弟は身を翻しながら、大男を引っ掻いたり噛みついたりしていた。


 その三兄弟に刺激されたのか他の猫たちも大男を囲み、ますます強く威嚇し、時には爪や牙を剥き出しては大男に立ち向かう。


「もう容赦しねえぞ!」


 大男は猫たちを蹴散らし、乱暴に扉を開けて、一旦外へ出ると、すぐ剣を片手に戻ってきた。


 数匹の猫たちがその大男に飛びかかる。だが大男は剣を無造作に振るい、数匹の猫を斬り伏せた。


 真っ二つになり、力なく地に落ち、息絶える猫たち。その光景に他の猫たちも蜘蛛の子を散らすように距離を取る。


「最初からこうすりゃ良かったな」


 三兄弟や黒猫は逃げずに吾輩を守っている。彼らを舐めるように睨みつけながら、大男が近づいてくる。


「あれには勝てない。お前達逃げろ」


 剣を振り回す大男。少しでも触れられれば即座に命を落とす。三兄弟も黒猫もそれを理解しているのか、大男に道を譲らざるを得ない。 


「もう逃さんぞ。死ね!」


 大男が剣を振りかぶる。如何に【剣聖スティン】といえど素手、いや、猫の姿では抗いようがない。吾輩は潔く目を閉じ、最期の時を待つ。


「ギャー!」


 ん?吾輩はこんな下品な断末魔など上げないぞ。


 吾輩が目を開く。すると、先程助けた子猫が勇敢にも大男の首元に噛みついていた。


 歯は深く刺さっているようで、子猫は噛みついたままぶら下がっている。


 大男はその子猫の首筋を掴むと強引に引き離した。大男の首元から鮮血が滴り落ちる。






「このまま握り潰してやる!」


 大男は猫を握る手に力を込めた。絞め上げられていく子猫の鳴き声が徐々に小さく、か細くなり、やがて途絶えかけた。


「やめろ……」


「何を鳴いてやがる。次はお前だ。五体全部引き裂いてやる」


「やめろ」


 子猫をいたぶる大男への怒りが増幅され、全身を襲う鈍痛が吾輩の意識を遠ざけていく。


「……スティンの名において命ずる。あまねく炎の精霊よ、龍となりて、あの男を焼き尽くせ」


 吾輩は無意識に「シャー」と声を上げた、すると同時に炎の龍が吾輩の口内から現れ、大男に向かって複数の火の球を噴き出した。


「なんだこりゃ!」


 炎の玉は大男に触れると一気に燃え上がった。


「ギャー、あちぃ、死ぬ、死ぬ!」


 大男は火を消そうと、地面を転げ回る。だが魔法の火はそうそう簡単には消えない。そして転げ回るうちに周囲にもどんどん火を移し、遂には小屋にまで飛び火した。


 古い木造の小屋である。火はあっという間に柱を伝い、天井全体に燃え広がる。


 大男はなんとも表現し難い奇声を上げながら、なんとかドアを開け、そのままどこかへと走り去っていった。


「ドアが開いたぞ!みんな出ろ」


 黒猫が皆を誘導し、外へと避難させる。


「すごいな、お前。大丈夫か?さあ外へ行こう」


 黒猫と三兄弟が吾輩を連れ出そうとするが、吾輩の身体はピクリとも動かない。ものすごい疲労感に苛まれ意識も朦朧としている。


 そうこうしている間にも小屋はどんどん焼け落ちていく。


「おい!このままじゃ焼け死ぬぞ!」


 黒猫や三兄弟が吾輩を咥えて引っ張るが全く動かない。


「もう無理だ。逃げるぞ」


 これ以上は自分たちも逃げ遅れる。黒猫はそう判断し、何度も吾輩を引っ張っていた三兄弟を外に引き摺り出した。


 天井の一部が崩れ落ち、遂には小屋の入口も燃え出す。黒煙が立ち込め、周囲の温度が急激に上がる。


「ふん、自分の魔法に巻き込まれて死ぬなど【賢者スティン】らしくもない」


 だが前途ある若猫たちを助けることができたのだから、この命と引き換えでも惜しくはない。


 吾輩は薄れゆく意識の中、満足げに目を閉じた。 

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