「うーん……」
八世は唸りながらもチラチラと吾輩の顔を見る。
「なんだ?吾輩に預けようという腹か。構わんがこの体だ。責任は持てんぞ」
とは言ってみたが、どうせ八世には通じてはいないだろう。
「しょうがない。遅くなるけど一旦洞窟にもどるか」
八世が大きな溜息をついて振り返った。まあその選択が一番安全だろう。吾輩も一緒に行こうと歩き出した。その時。
「あー!見つけたー!」
と、城の方から一匹の子猫と数人の人間が走ってくるではないか。子猫はものすごい勢いで駆け寄り、吾輩がまるで格好の獲物であるかの如く飛びかかってきた。
「ぬおー!ふぎゃあー!」
子猫ではあるがこのスピードからの、スーパージャンプからの、のしかかりには流石に堪えられない。紳士スティンらしからぬ声を上げて吾輩は押し潰された。
子猫は吾輩に馬乗りになり、手当たり次第に舐め回している。これがまたくすぐったいのだが気持ちが良い。
その時、クンクンと吾輩の鼻に覚えのある匂いが漂った。これはあの小屋で嗅いだあの子猫の匂いだ。
「無事だったか!」
「え、覚えててくれてたの?」
「当たり前だ。あの小屋で吾輩の危機を救ってくれた子猫であろう?」
「危機を救われたのはサーヤの方だよ。ずっと探してたんだよ。お礼が言いたくて」
「サーヤか、良い名だ。お礼など構わんさ」
サーヤは話しながらも吾輩を毛づくろいし、また両手でマッサージするかのように揉んでくれた。
そこへようやく人間たちが息を切らして追いついてくる。
「もう、サーヤったらどうしたの?またいなくなるかと思って心配したじゃない」
高貴そうな出で立ちの女性だ。その後ろには護衛だろうか、厳つい男が三人そびえ立っている。重い鎧あで走ったせいかみな息切れしていた。
「え?ええっ!?まさかエルダイルの王女様!?」
「あら、あなたはこの国の兵士の方かしら。こちらはあなたの子?」
「は、はい」
エルダイルの王女だと?確かに高貴ではあるし雰囲気もある。というか、エルダイルとはどこだ。
「この王女とやらはサーヤの主か?」
「そうよ。エルダイルという国からガイなんとかっていうご用事で大きな船に乗って来たのよ」
「なるほど、隣の大陸から外交でやって来たのか」
「そうそう、それ外交。さすがダーリン、物知りね」
なにやらおかしな言葉が混じっていたが、気のせいということにしておこう。
「あら、うちのサーヤったら随分あなたの子を気に入ってるみたいね」
「お話中すみません、王女様そろそろ」
王女のお付の衛兵が二人に割って入った。
「ああ、すみません。さあ僕たちも行かないと。では失礼します」
八世はそう言うと吾輩の体を持ち上げて、城の方へと歩き出した。後ろの方では名残惜しそうにサーヤが鳴き声を上げていた。
「洞窟に戻るのではないのか?」
「まさか王女様に会うなんて。それにしてもお前、随分あの子に気に入られてたね」
「ふん、愛くるしいスティンならば当然だ」
「あの子が小屋の前で必死に鳴いてたから、中にいたお前を助けることが出来たんだぞ。感謝しないとね。まあもう会えないだろうけど」
「そうだったのか。ならばサーヤにはもう一個借りがあるな。機会があれば返さねばな」
謹厳実直のスティンは受けた恩は必ず返す。とはいえ八世の言うように再び見えるかはわからないが。
「あっ、日誌……」
だから洞窟に戻らないのかと聞いただろう。王女と偶然会ったことで慌てふためいて、日誌のことなど頭から抜け落ちてしまったのだろう。
「しょうがない。お前にこれを預けるから家まで運んでおいてくれ。賢いお前なら大丈夫だろう、信用するぞ」
八世は吾輩の頭をワシャワシャと撫でると、日誌を背に乗せ、それを紐で括りつけた。
ほう、よくわかっているではないか。そうまで言うならその任務、敏腕のスティンが完遂しよう。撫で方は気に入らんがな。
八世は心配そうに何度も振り返りながら城へと向かったが、そう案ずるな。家まで持ち帰る容易い任務だ。
日もまだ暮れておらず、家まではわりかし平坦な道のりである。しかし、背に日誌が乗っているだけで随分と歩きにくい。
ようやく村の近くの小川までたどり着いた。少し水分でも取ろうと川辺りへ近づき気付いた。
そうか、この村はサロスタシアの城下町であった場所か。寂れたものである。
吾輩が覚えているサロスタシアの町は、吾輩や家臣たちの豪奢な屋敷もあり、商売が盛んで人と物に溢れ、笑いの絶えない町であった。
それが今は面影もなく、古い木造や石造の民家が点在し、小さな畑などの緑が鮮やかな長閑な村である。
吾輩は喉の渇きを癒すと、もうひと踏ん張りと腰を上げた。
「あー!また会えたー!」
ん?この声は?
小川の対岸にサーヤが駆け寄る。尻尾はちぎれんばかりにブンブンと振っていた。
「サーヤか。なんでこんなところに?」
サーヤはなりふり構わずに小川に飛び込んだ。それほど深くもないし流れも緩やかであるが、子猫が泳ぐにはしんどいだろう。
「王族の猫にしてはお転婆だな」
吾輩は助けに向かおうと川へ脚を踏み入れた。
が、待て。日誌を背負っている。しかもこれは大事なものである。濡らすわけにはいかない。
「サーヤ、危ないから戻れ。橋を渡れば良かろう」
だが泳ぎに夢中のサーヤは聞く耳持たず。対岸には王女のお付の衛兵もやって来て「サーヤ様!」と声を掛けている。
川に入って助ければ良かろうに、と思うのだが、足が濡れるのが嫌なのだろうか躊躇って入ろうとしない。