目的地に近づくに連れて、浴衣姿の人たちが目に付き始めた。楓月は駐車場に車を停めて、舞いが行なわれる場所へ向かった。里美と修二の二人は後で合流することになっている。咲良は市香が抜けた穴を埋める為、朝から店で働いており、今日は来ることができない。
「よお、楓月。久しぶりだな」
逆光で姿が良く見えない。掌で太陽を覆い隠して確認した。手を振っているのだけは、かろうじて分かる。
「俺だよ、俺」
まさかこんなところで会うなんて……。高校を卒業して以来の再会だ。
「海斗も見に来たんだ」
会おうと思えばいつでも会える距離にいた。だけど中々会う気にはなれなかった。それは海斗も同じだろう。僕らは何一つ成し遂げることができなかったのだ。
「俺、ここには毎年、来てんだ」
「人混み嫌いなんじゃなかったっけ?」
「まあ、そうだけどさ……。今日みたいな日は特別だろ」
今から訪れる神社は海と密接な関係がある。漁師の下で育った海斗なら来てもおかしくはない。
「海斗は今、何してんの?」
「親父の下で修業してる。仕事を引き継がなきゃならなくなってさ」
夢は諦めてしまったのか……。
「楓月は?」
「僕は何も。仕事、辞めたしね。お客さんのことより、上司たちを喜ばせて評価を得なきゃならないから、一体、誰の為に働いているのか分からなくなって……」
「そんな奴らに評価されてもな。結局、お互いに現実は甘くなかったってことだな。じゃあ今は遊んで暮らしてるのか」
「遊んでいるというか、充電中だよ。楽しいことなんて何もない」
何かが掴めそうな気はしている。
「そうか? そうは見えないけどな」
「なんで?」
「いや、何となくだよ。人生を謳歌しているように見えるからさ」
海斗は視線を合わせようとしない。以前の海斗とは何かが違う。
「そういや俺の親父が絵を見たいって言ってたな」
海斗が呟くように言った。
「絵って?」
「楓月の父さんの絵だよ。絵に影響受けた人がいるんだろ?」
「絵というか景色だけどね」
海斗の父も知っているのか。
「景色? 絵じゃないのか」
「景色を見て感動した後に絵を描いたんだよ。その絵を見ても何か感じるかもしれないけど」
「そうか、絵でも良いから、俺も見てみたいよ。それを見たら変われそうな気がするしな」
「別に良いけど……」
海斗は、そこまで追い詰められているのか。そのようなものに頼るなんて……。
「海斗は今からどうするの? そろそろ舞いが始まる時間だから行かないと」
「俺は後で行くよ。他の人と待ち合わせしてるからさ」
「そうか、じゃあ、また連絡するね」
「ああ、またな」
海斗は、まだ何か話したそうにしていたが時間が押している。またの機会にしよう。
市香さんの舞いは草木が生い茂る小高い山の中腹で行われる。人混みを掻き分けながら奥へと突き進んでいった。秋に差し掛かる時期とはいえ、まだ気温が高く蒸し暑い。
薄暮の中、篝火の炎が静かに揺らめいている。幽遠な空間に酔いしれていた時、遠方から雅楽の調べが聴こえてきた。笙や篳篥、龍笛の柔らかな音色が身体の奥底に沁み渡ってくる。数人の巫女が現れて舞いが始まると、一人の女性に視線が集まった。まるで、この場所で古の頃から神に祈りを捧げているかのようだ。市香が魅惑的な動きで観客たちを魅了している。
巫女たちの動きに合わせて視線を動かしている時、ふと視線を感じて動きを止めた。こちらを見ている男がいる。その男は輪の向こう側、僕の正面に立っている。
その男は正面を見据えたままでいたかと思うと、今度は顔を上下に動かし始めた。手に持っている僕の顔写真でも見ているのかもしれない。しかし、このような場所にまで信者が追いかけてくるだろうか。絵なんて持って来ているはずがないというのに。
その怪しげな人物が動いた。どうすべきか。今動き出せば、まだ逃げ切れるが……。
市香は優雅に舞いを続けている。ここで争い事を起こせば、市香に迷惑を掛けてしまう。ここは一旦、離れよう。状況を察した市香が心配そうな表情を浮かべた。僕は「大丈夫です」と目で伝えて、階段へ向かった。
階段に辿り着いて直ぐに階下を眺めた。しかし誰一人として僕に注目する者はいない。僕を捉えるのが目的なら、挟み撃ちにするはずだが……。僕の勘違いだったのだろうか。
階段は混雑を極めており、舞いを見ようと上に向かう人たちと正面衝突する形になった。思うように前に進むことができない。
「おーい、追われているのか?」
どこからか修二の声が聞こえる。
「楓月さん、こっちです。こっちに抜け道があります」
今度は里美の声だ。里美が脇道から顔を出している。二人は階段からではなく、人の少ない山道を登ってきたようだ。
抜け道に向かう途中、振り向くと先ほどの男がこちらに向かって来るのが見えた。やはり僕は追われている。
抜け道に入って、僕らは一斉に走り出した。先頭に修二、二番手に里美、そして最後方に僕が並んだ。幸いなことに雑草が覆い茂っており、道は枝分かれしている。僕らがどこを通って行ったのか、後方から追ってくる者には分からないはずだ。
走っているうちに、やがて目の前を走っていた里美の姿が見えなくなった。葉を擦る音や足音からどこを走っているのかは大体、見当がつく。同じ方向に向かって走っているはずだ。息が切れ、限界に達しそうになった頃、ようやく開けた場所に辿り着いた。修二が待ちわびたように立っている。
「あれっ? 楓月。里美は?」
「いや、分からないです。先に着いているものかと」
「ちょっと俺、探してくる」
そう言って、修二が駆けて行った。今戻れば、信者と鉢合わせになる可能性が高い。しかし、ここで一人でいるよりはましだ。急いで修二の後を追った。