「略奪? まさか。そんなのしませんよ」
絵蓮は声を上げて笑った。この男と会うのは、これで二度目だ。一度目は絵画とは無関係の何気ない日常会話に終始した。この男に興味はなかったが、楓月の情報を引き出す為に会う必要があった。
「だって幾ら友人と言っても、他人の絵画を奪ってしまったら、犯罪になってしまいますからね。あくまでも鑑定するのが目的です。鑑定し終わったら直ぐに返却するので心配しないで下さい」
にこやかな笑顔を見せつけながらも、冷静に男を観察した。鈍感なのか、それとも人が良いのか、私のことを微塵も警戒していない。見え透いた嘘をついているのに見抜くことができずにいる。この男は今まで何をして生きてきたのか。
「何度も説明している通り、楓月さんが所有する絵画は大変価値のある物です。高値で売れるのは間違いありません。展覧会を開くなどをすれば、定期的に収入を得ることだって可能です。貴方は売り上げの何割かを受け取る権利が発生します。取り分は大きいはずですよ。何と言っても世に埋もれそうになった優れた作品を世に知らしめた功労者ですからね」
まだ少し、男の目には若干の迷いが見て取れる。
「今まで絵画などの芸術に関心を持ったことはありますか?」
この男が美術館に足を運ぶところなんて想像もできない。
「いや。今までは全く」
「だけど今は芸術に興味を持って下さっているのですよね。素敵だと思います。成功者は芸術に目を向けるものです。食べたい時に食べるといった即物的な人は、まず成功することはありませんから」
男が狼狽している。自分のことを言われていると思ったのだろう。ここは畳み掛けるチャンスだ。
「見込みのある貴方だからこそ、お教えするのですが、この世には大別すると、二種類の人間が存在します。搾取する側の人間と、搾取される側の人間です。どちらが成功するか分かりますよね」
「前の方に決まってる」
この男もそうだ。『搾取する側』と答えずに、わざわざ『前の方』と答えている。『搾取する』という言葉に後ろめたさを感じている証拠だ。他人から利益を奪い取ることに躊躇していては成功を掴むことはできない。
「そうです。搾取される側の人間に成功者は存在しません。成功したければ搾取する側に回るしかありません」
男が心に抱え込む不安材料を一つ一つ潰していかなければならない。
「過去に、したり顔で生きている人間に何度も会ったことはありませんか。無能な人間なのにも関わらず、偉そうにしている人たちです。本当に実力のある人なんて、ほんの一握りくらいなものなんですよ。残りは全て偽物です。実力があるフリをしているだけのね」
男が顔を上げた。ようやく真剣に話を聞くつもりになったか。
「逆に言えば、時間を掛けて本物になる必要もないということです。大事なのはお金です。地位や名誉なんて、お金で買えますからね。もちろん人脈もです。私たちが、きちんとサポートするので安心して下さい」
男の表情が和らいできた。あと一息だ。
「ところで楓月さんのことですが、今、何をしているのか知っていますか」
何の理由があるのか知らないが、この二人は長らく連絡を取り合っていない。
写真を取り出して、そっとテーブルの上に置いた。パラソルの下で私と楓月が距離を縮めて肩を並べている写真だ。楓月の顔は良く見えないようにしてある。痛みで顔が引き攣っていたからだ。にこやかで楽しそうにしている私を見て、この男は楓月の方も楽しんでいると思うはずだ。
「楓月さんは、それはもう充実した生活を送っていましたよ」
男は顔を曇らせた。この男は夢に破れ、目標を見失っている。降って湧いてきた金儲けの話に心が動かされないはずがない。
「これで、やっと先に進むことができますね。停滞した人生を変える絶好のチャンスじゃないですか。あの『人生を変える絵』が世に埋もれてしまうのは、社会にとって大きな損失です。勿体ないですよ。悩める人たちの幸せは貴方に掛かっていると言っても過言ではありません」
「俺は何をすれば良いんだ?」
ようやく男の目に意思が宿った。この男は最初から死んでいたわけではない。僅かに残った情熱を再燃させて利用させてもらおう。
「楓月さんから、絵画の保管場所を聞き出してもらえませんか。それさえ分かれば後の処理は私たちで行います。どうやら楓月さんは絵の価値に気づいていないようなんです。だから私たちが先に鑑定をして、楓月さんに鑑定結果を伝えたいと思っています。きっと、それで分かってもらえるはずですから」
「あいつはそういう事には無頓着だからな」
遠い過去を見つめるように、男は目を細めた。
「分かった。絵画の保管場所くらいなら、何とかなると思う」
「くれぐれも怪しまれないようにして下さい。楓月さんの性格からすると、一度でも警戒したらテコでも動かなくなるはずなので」
男の目を見据えて言った。アホ面下げて嬉しそうに笑っている。
意気揚々と歩き去って行く男を見て、思わず吹き出してしまった。何て馬鹿な男なんだろう。あの男は、男手一つで育てられている。その父親も大した人間ではない。毎日、テレビをダラダラと眺めては無駄な時間を過ごしてきた人間だ。家には知的なものなんて何も無かったはずだ。そのような人間に育てられた人が成功者の仲間入りを果たそうとするなんて無理がある。成功したければ、まずは親を否定すべきだ。
正しい知識を得ることや想像を働かせることの大切さを多くの人は知らない。それなのに成功したいと欲望ばかり膨らませている。
だからこそ、私が成り上がることができるのだけど。