目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

絵蓮の画策③

 絵蓮は一人静かに部屋を見渡した。室内は当時のままにしてある。何と言っても待望の店だ。店を閉じる気にはなれない。

 ここから先は単独行動を取らせてもらう。あの盲目的な信者たちを手放すのは勿体ないが、あのような連中はどこにでもいる。また調達すれば良い。

 思えば、思い通りに動いてくれる有り難い駒たちだった。問題が起きたとしても『そのような指示は出した覚えはありません。あの人たちが勝手に勘違いをして行動を取っただけです。そのような受け取られ方をされるとは思いもしませんでした。私の管理が行き届いておらず、申し訳ございませんでした』とでも言えば解決できたのだから楽で良かった。反論してくる人は稀にいたが『名誉棄損で訴える』とでも言えば、大抵の人が黙ってくれた。仮に誰かと裁判沙汰になったとしても、まず負けることはない。被害者どもを叩き潰してさえおけば、誰かに証言台に立たれることも、証拠を提出されることもないからだ。金さえ払えば動いてくれる弁護士なんて幾らでもいる。

 卑怯な手口であろうが勝った方が正義なのだ。これで司法の場で身の潔白が証明され、私たちは加害者ではなく、一転して可哀そうな被害者になることができる。なんて素晴らしい世の中だろうか。

 事故が起きた日のように窓際まで歩いて階下を見下ろした。全てはここから始まったのだ。荒木に話を持ちかけられた時、一度、私は協力するのを拒んだ。呆れたことに当初の計画では、実行犯は私となっていたのだ。事故を起こして転倒させるのも、絵画の情報を聞き出すのも全て私。これだと警察沙汰になった時、言い逃れができない。急遽、作戦を練り直して、実行犯を中年の女性に変更することで解決した。手を汚すのは他人で良い。私は絶対に手を汚さない。

 さて、今回はどの駒を使おうか。理想は命令通りに動く、思考停止した駒だ。何らかの弱みがあって動かざるを得ない駒でも構わない。自我が芽生え、自分の意思を持った人間でなければ誰でも良い。コントロール不能な人間は不要だ。

 まずは情報収集から始めることにしよう。店を出て、数日前に荒木とトカゲの二人と落ち合った場所に向かった。

「またここに来ることになるとは思わなかったです」

 トカゲは口角を無理に上げて、引き攣るような笑みを浮かべた。僕はまだ見捨てられていないとでも言いたげな表情をしている。トカゲが住んでいる場所に行くことはできたが、あのようなジメジメしたところにはできる限り足を運びたくはなかった。

「わざわざ呼び出して、申し訳ありません。一つ聞き忘れたことがあったので。あれだけ荒木さんに感情的になられては、私も冷静ではいられませんでしたから。それにしても荒木さんは暴力的でダメですね」

「僕が悪いんです」

 また始まった。この手のタイプの人間は何が起きても『僕が悪い』としか言わない。たとえ一方的に被害を受けたとしても、必ず同じセリフを吐く。搾取している立場の人間からすれば、これほど都合の良い生き物はいない。

「聞きたい事というのは、絵の行方です。小林さんの推測だと、絵はどこに持ち運ばれたと思いますか」

「どこに行ったかなんて分かりません」

 こいつには、やはり難しいか。想像するという行為は、脳レベルでは高度な処理能力が求められる。相手の言動から様々なことを読み解いていく作業をトカゲのような奴にできるはずがない。日頃から考えることを放棄し、服従する道を選んだ人間には到底不可能なことだ。聞いた私が馬鹿だった。こいつからは起きた事実をそのまま聞き出すしかない。

「楓月と咲良の二人が絵を入手したところを見ましたか?」

 遠隔地に向かうまでは間違いなく絵を所有していなかった。存在自体を知らなかったというのも嘘ではないだろう。となると絵を持って行ったのではなく、そこで入手したと見るのが自然だ。

「車の中に何かを運び入れているのなら見ました」

呆れた奴だ。どうして、そのような重要な情報を伝えないのか。

「それは荒木さんには言ってませんよね」

「言ってないです」

 大方、聞かれなかったから答えなかったのだろう。このような奴は存在する。

「それで良いと思いますよ。恐らくフェイクですから。と言うのも、あの二人は車に発信機が取り付けられ、小林さんの尾行にも気づいた切れ者たちです。小林さんに見られている可能性が高い中、大胆に絵を運び入れるはずがありません。小林さんを騙すつもりだったのでしょう。舐めてますよね。こいつなら騙せると思ったんですよ」

 トカゲの目つきが変わった。怒りを通り越して殺意に近い目をしている。こいつも荒木同様に短絡的なところがある。いつか大きなミスをしでかすのではないか。もう私には関係のない話だが。

「もし、そのようなフェイク情報を荒木さんに伝えていたら、それこそ小林さんは終わっていたでしょうね。賢明な判断だったと思います」

 荒木が遠方まで探し回ってくれたら幸いだ。それにしても楓月という男は思いのほか勘が鋭い。絵画を車に運び入れたのは、追跡者がトカゲだけだったことに気づいたからだ。これでは見知らぬ第三者の人間を近づけても、余計に怪しませるだけではないか。となると、誰が適任か……。

あいつはどうだろう。楓月の身辺調査をした時に浮上した人物だ。あいつは使えるかもしれない。幸いなことに動かざるを得ない状況にある。

「小林さん、呼び出して色々聞いて申し訳ありませんでした。後はこちらで調べます。また何か協力して欲しいことがあったら連絡しますので。それではまた」

 涼しげな風が頬を撫でていく。もうじき夏が終わる。

歩いていると、住宅街を抜けた先に小学校があった。校内は静まり返っている。もし子どもの頃に戻ることができるなら、今度はどのような道を歩んで行くのだろうか。家庭環境が変わらない限り、また同じ道を辿ってしまいそうだが…

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?