それにしても里美はどこに行ってしまったのか。走っている途中で方向を変えたとしか思えない。行くとしたら下だろう。この急斜面を這い上がって行くとは思えない。信者に掴まってなければ良いが。
「修二さん、駐車場に向かったのでは」
駐車場なら安全だ。近くには交番がある。そこなら信者もおいそれとは手を出せないはずだ。
駐車場を確認してきた修二が戻ってきた。
「ダメだ。車のところにもいねえ。電話も繋がらねえよ」
僕らは近くにいる人たちに聞いて回ることにした。目撃者を探すしかない。
「楓月、分かったぞ。里美のやつ、車に乗り込んだらしい」
「車って誰のですか」
「いや、それが良く分からないんだ。だけど車に乗り込んだのは、里美で間違いねえ。ピンク色のシュシュを付けている女の子なんて、そうはいないからな」
「里美さんが自ら車に乗り込んだのですか?」
「そうみたいだ」
「だったら知り合いの車なのでは?」
今日の神事には由香里も来ている。由香里の車に乗り込んだのではないか。由香里と里美は本部で一度会っている。
確認の為に由香里に電話を掛けた。しかし由香里は「知らない」と言った。僕らが追手から逃げていた頃、由香里は市香の舞いを見ている最中であり、今は市香と一緒にいるとのことだった。由香里と里美は会っていない。
「こっちもダメだ。誰も里美のことを知らねえ。俺が後ろを気にしながら走っていれば、こんなことには……」
「修二さん、里美さんが乗り込んだ車の車種は?」
「黒のバンだってさ」
「えっ? それなら教会の車かもしれませんよ」
角島で追跡した時、前方を走っていた車は黒のバンだった。しかし、どうして里美が狙われなければならないのか。
咲良は大丈夫だろうか。心配になって携帯に手をかけた。コール音が鳴り響く。
「咲良さんも電話に出ません」
まだ働いているのかもしれない。そう思って市香の店に電話を掛けた。しかし店にも咲良はいなかった。心音が「すでに店を出た」と言っている。まさか咲良も連れ去られたとでもいうのだろうか。
僕らは交番へ行き、事情を説明した。しかし警察は取り合ってはくれなかった。『女の子が車に乗り込んで行った』という目撃情報だけでは動くのが難しいのだろう。無理矢理に連れて行かれたわけではない。
修二が気を落としている。ここは僕が率先して動かなければ。
「修二さん、今日、あの公園で練習している仲間はいませんか。その人たちに黒のバンのことを伝えて下さい。教会が関与するなら、本部に連れて行かれた可能性が高いです」
修二が仲間に電話をかけた。
「里美が拉致られたかもしれねえ。本部に黒のバンが行くと思うから、よく見といてくれないか。その中に里美がいるはずだ。あと咲良って人も乗っていると思う。その人とも連絡が取れなくなった」
辺りは、すっかり暗くなっている。僕らはそれぞれの車で本部へ向かった。
坂道を上っている途中、黒のバンとすれ違った。修二の姿も見える。黒のバンを走って追いかけていたようだ。
「修二さん、さっきの車です」
「ああ、追いかけて捕まえようと思ったけど、逃げ足が速くてダメだった。だけど無理して捕まえる必要はねえ。車から女が二人出てきたのを仲間たちが確認してる。たぶん里美たちだ。助けに行くぞ」
修二が本部に向かって走って行った。黒のバンを運転していたのは荒木だろう。あいつは修二の仲間たちから監視されていたことに気づいていない。油断している今がチャンスだ。
車を停めて、丘の上に聳え立つ本部を見上げた。あの建物の内部に、権力者の思想を無条件に受け入れる信者たちが蠢いている。また、あの信者たちを見なければならないのか。
丘を駆け上がると、修二が一人で玄関の扉を開けようと奮闘しているのが見えた。
「修二さん、他の仲間たちは?」
「公園に二人いるけど、どっちも女だからな。何かあったら悪いだろ。もしもの時の為に公園で待機してもらってる」
あの日のように全員が本部に入ってしまえば、いざという時に逃げることが難しくなる。それが賢明だ。
ふと玄関脇に車が一台停まっているのに気づいた。
この車は……。
記憶を探っていた時、奥の方から甲高い声が聞こえた。助けを求めている声ではない。罵声を浴びせている声だ。
「里美だ」
修二の顔が綻んだ。声の様子から里美に疲弊した様子はみられない。少なくとも深刻な状況ではなさそうだ。僕らは声が聞こえた方角に向けて走り出した。
本部の裏側に回ると古びた建物があった。倉庫だろうか。人目に付かない場所にあるからか、露骨に手を抜いた造りをしている。
「信者が見張ってますね」
トカゲのような細身の身体をした信者が二人、倉庫の入り口の前に立っている。腕っぷしに自信があるようには見えない。やはり世間体を考えて屈強な人物を配置していないのだ。
修二が倉庫に近づいて行った。
「大丈夫か! 里美」
「修二? 早くここから出して。この人たち頭がおかしいの」
修二は信者に詰め寄った。
「お前ら何をしているのか、分かっているんだろうな」
信者たちは特に慌てる素振りを見せない。こちらをちらっと見ただけで動きを止めた。どうして、この人は怒っているのだろうとでも言いたげだ。
「聞いてんのかよ」
修二が更に詰め寄った。
「ちょっ、ちょっと待ってください。僕たちは何もしてませんよ。ただここに立っているだけなんですから」
修二は初めて会うタイプの人間なのか、まるで理解できないといった表情を浮かべている。信者たちは、「ここに立っていろ」と言われたから立っているだけだ。自分の意志を持って、行動を取っているわけではない。
修二が言い返しても、要領を得ない答えしか返ってこない。修二と信者たちの嚙み合わない会話が続く中、そっと小窓に近づいて倉庫の中を覗いた。中央に一人、椅子に座っている女性が見える。薄暗くて、よく見えないが、あれは里美ではないか。その隣に立っている女性が咲良だろう。里美の両腕が膝の上ではなく後方に向けられている。
「里美さんが椅子に縛られています」
「それは他の人がやったことですよ。私たちは知りません。文句があるなら、その人に言って下さい」
その言葉を聞いて、修二が激昂した。意志を持たない人間を相手にしても、時間の無駄だというのに。しかし、これでやっと警察が動いてくれる。監禁されている事実を突き止めたのだ。