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秀逸な演説⑤

 一体、絵蓮は私をどこに連れて行くつもりなのか。

「咲良さんって、気が弱そうね。怖がらせるつもりなどないのに。あんな顔してさ」

「こんなところで一人にされたら、誰だって怖くなるに決まってるでしょ」

「そのうち飼いならされて、搾取される道を選んでしまうかもね」

 そう言って絵蓮が不敵な笑みを浮かべた。

絵蓮が扉の前で立ち止まり、カードキーを差し込んだ。開かれた扉の先に階段が見える。

「私と咲良さんを引き離してどうするつもりなの?」

階段を昇っていく絵蓮の背中越しに話しかけた。

「引き離すって、お姉ちゃんに面白いものを見せたいだけよ。その間に咲良さんにはセミナーの動画を見てもらうけど。別に酷い話ではないでしょ。ただ見せるだけなんだから。お姉ちゃんにあの場所に居てもらうと困るのよ。事あるごとに否定的な言葉を投げかけるに決まってるからね。それだと効果が無くなってしまう。あの人には一人で、じっくりと見てもらいたいのよ」

 階段を昇りきって、絵蓮が扉を開けた。一面、ガラス張りの部屋だ。

「ここって監視ルーム?」

 階下に信者たちが集まっているのが見える。

「そこまで大袈裟なものではないけど、まあ、そんな感じかな。どう? 壮観な眺めでしょ?」

 絵蓮が恍惚の笑みを浮かべている。純粋無垢な信者たちは見られていることにも気づかず、談笑に耽っている。

「教会には男性の信者はいないの? 受付のところにはいたけど」

「他に何人かいるけど、信者というよりは雑用係ね。あとは問題が起きた時の火消し要員が何人かいる程度かな」

階下で、ひと際派手な衣装を身に纏った女性がマイクを手に取った。

「そろそろ始まるみたい。よく見て。笑えるから」

 あの人はベリーの隣を歩いていたナッツと呼ばれる人だ。確か、支部長だったか。

「皆さん、楽しんでいますかー。今から身体を動かして、日頃のストレスを発散させましょう。鬱々とした気分で過ごしていたら、成功への道が遠退きますよー」

 部屋のスピーカーから、ナッツの陽気な声と信者たちの会話が聴こえた。

「これって盗聴? マイク以外の音声も拾っているけど……。もし信者の誰かが教会の批判をした場合、その人はどうなるの?」

「場合によっては、輪を乱す危険分子として破門になることもあるかもね。矯正なんかするより、切り捨てた方が断然効率が良いし」

 信者たちは監視や盗聴をされているなんて、頭の片隅にもないだろう。曇り一つない瞳で教会を見ているはずだ。その信じてくれている人たちを物扱いするのか。

 絵蓮は隣で薄ら笑いを浮かべながら信者を見降ろしている。

「今から修行でもするの?」

「今どき、そんなものやるわけないでしょ」

 絵蓮が嘲笑った。

「厳しいことをさせたら、逃げ出すに決まってるからね。あのような人たちは楽をして何もかも手に入れたいと思っているお目出たい人たちなんだからさ。まあ見てて」

 ナッツのマイクパフォーマンスが始まった。

「近年の研究結果から、動物は遊びを通して技術を習得し、認知スキルを発達させていることが分かりました。皆さんもアザラシを弄んでいるシャチをテレビか何かで見たことがあるでしょう。遊ぶことは五感を刺激します。狭い部屋の中で長時間掛けて勉強しても、頭が良くなることは決してありません。そのようなことをしてもストレスが溜まるだけです。脳に負荷を掛けたら、脳は委縮し、まともに機能しなくなります。愚かな人たちが作り上げたルールと言う名の下らない常識の外側に行く為には、遊ぶことが一番なのです。人生は楽しまなければいけません。遊ぶことで脳が活性化され、ストレスは緩和されます。そして笑うことも大切です。笑うことは人生に於いて、絶大な効果を発揮します。癌や難病だって、忽ちに治してしまいますからね。遊びは下らないことであって、子どもじみた行為だと世間の人たちは言います。しかし、それは間違っています。本当は遊んで笑わないといけないのです」

 ナッツがグラスを手に取った。それに信者たちも倣う。

「皆さま、大いに遊んで、そして笑って下さい。それでは!」

 ナッツがグラスを高く持ち上げた。

「お金に感謝の気持ちを込めてー。乾杯!」

「乾杯!」

「皆さん、笑顔で行きましょう。頬の筋肉を上げるだけで幸せになれることは、脳科学の研究で証明されています。脳の報酬系と呼ばれるところにある尾状核という部位が刺激されることで、幸せになれる物質が分泌されるからです。だから皆さん大いに笑いましょう」

 スピーカーから、どこかで聞いたことのある有名な曲のイントロが流れてきた。音楽に合わせて信者たちが身体をくねらせる。

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