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教祖と対峙②

「それでも、まだ詰めが甘いと思ったので、直感に関するグラフを用意させました。人というのは意味が分からなくても、それらしいデータを提示されたら信用してしまうものですから。内容を吟味してまで理解しようとする人は少ない。それに考えたところで正誤の判断なんてつくはずがありません。何故だか分かりますか」

 教祖は自分の側頭部を指で軽く叩いた。

「基本的な知識が頭の中に入っていないからです。自分で考えて判断する為の材料が最初から頭の中に入っていない。だから考えたくても考えようがないのです。その為、自称偉い人の言葉を鵜呑みにするしかなくなる。こちらとしては、ただ臨場感さえ上手く演出しておけば、後は勝手に騙されてくれるわけですから楽なものです」

 こいつは人を欺き、操ることに快楽を感じている。僕には分からない感覚だ。

「あまり驚いてはいないようですね。まるでそのような事は当たり前だと言いたげだ。セミナーには毎回、ゲストとして様々な人に演説をしてもらっています。彼らは自己欺瞞の塊ですよ。『延べ一万人に教えた』『有名人から慕われている』『業界から時代の先駆者だと期待されている』『多くの人を救うことが、私の使命だと感じています』このような嘘偽りに満ちた言葉を平然と吐き捨てます。聞いていて呆れるほどにね」

 そのような人物は過去に何度も見てきた。

「世の中は嘘や誇張で満ち溢れています。健康になれるはずもない健康食品や器具、スポーツウエアなどを巧みな話術、マーケティングで売りつけたりとね。人間は騙されやすい生き物です。自称専門家が専門用語を交えて喋っただけで簡単に騙されます。昔、世間を震撼させたカルト団体は拉致、監禁、薬物の使用、そして暴力行為で人々に恐怖心を植え付けて洗脳しました。しかし現代はそのような大掛かりなことをする必要はありません。そこまで人間は堕ちたのです」 

 教祖の悦に浸りきった表情が消えている。

「私は会社員として働いていた時期があります。楓月さんと同じようにね。会社組織は歪だったでしょう。集団が間違った方向に突き進んで行く姿を何度も見たはずです。反対意見を述べようものなら、何をされるか分かったものではありません。何もされなかったとしても、評価を落とされるのは確実です。地位だって奪われかねない。その会社でしか通用しない馬鹿げた思想を頭の中に刷り込まれ、下らない行動を強制させられても文句一つ言うことが許されない。おかしなことに強制してくるのは上に立つ者たちだけとは限りません。最下層に位置する奴隷が圧力を掛けてくることも多々あります。寧ろこちらの方が多いでしょう。ここに人間の怖さが存在します」

 まるで僕の頭の中を覗いているかのようだ。

「気味が悪いことに、奴隷たちはこう言います。『何故、お前は管理されることを拒むのか』『何も考えずに命令に従っていたら楽になれるのに』『管理されたくないとか、子どもと一緒だ』と。それだけに留まりません。奴隷たちは自らの意思でルールを作っていきます。上に立つ者への忠誠心を見せつけるためです。その結果、やらなくても良い、無駄な仕事が増えていきます。非効率極まりありません。奴隷たちにとって、役に立つとか立たないとか、正しいとか間違っているとかは一切関係がないのです。そのようなことにまで考えが及ばない。こちらが『何故、そのような無意味なことをしているのか』と聞いても、誰一人として答えることはできません。『何故って、それが常識だろ』『今までも、やってきたことだ』『周りの人たちもやっている』馬鹿馬鹿しい話ですが、これが現実なのです」

 教祖に対しての怒りの感情が薄れていく。この男の言っていることは間違ってはいない。

「奴隷たちがルールという制約を作って、足枷を自らの足に嵌めていく。こちらが奴隷たちを哀れに思って、解放しようとすれば感情的にすらなります。『余計なことをするな』『お前は頭がおかしいのか』『お前みたいのは社会人失格だ』とね。奴隷たちは決して、その場所から離れようとはしません。私は彼らを見て悟ったのです。この人たちは管理されることを望んでいるのだと。そして考えることすら放棄したいのだと」

 かつての同僚たちがそうだった。

「貴方も、彼らがどうしようもない馬鹿に見えて仕方がなかったでしょう」

 言葉が出ない。さすがに「そうだ」とは言えない。

「答えにくいようですが、正直に言っても良いのですよ。実際、馬鹿ですからね」

 教祖は立ち上がって冷蔵庫から缶コーヒーを取り出した。

「飲みますか? どうぞリラックスして下さい。私は貴方がたをどうにかしようなんて微塵も思っていませんから」

 僕もこの男と同種の人間なのかもしれない。いずれこの男のようになってしまうのではないか。

「しかし人間というのは非常に面白い生き物です」

 そう言って、教祖は缶コーヒーを飲んだ。

「映像の最後を思い出して下さい。競い合って絵画を購入していたでしょう。何故、あんなにも必死になっていたか分かりますか」

「巧みに誘導していましたよね。絵画を買えば幸せになれると。それまでも幾つも伏線を張っていた」

「その通りです。様々な仕掛けを施していました。セミナーに初めて参加した聴衆の間に、予め信者たちを散りばめておいたのです。拍手をさせたい時、笑って欲しい時に信者が率先して拍手をして笑います。そうすることで聴衆が釣られて同じことをしてくれますからね。お笑い番組のスタッフや観客の笑い声と仕組みは同じです。絵画を購入させたい時には、アナウンスと共に信者たちに絵画コーナーに真っ先に向かわせました。絵画に興味がないはずの聴衆が絵画コーナーに殺到した理由はそれです」

 教壇に立った女性が『お金は使えば使うほど幸せになれる』と再三に亘って説明し、絵画を『今だけ特別価格です』と言って売っていた。しかし使えば使うほど幸せになれるというのなら、値を下げてしまっては矛盾が生じてしまう。子どもでも気づきそうな嘘だ。それなのに聴衆は気づかなかった。

「そんなに人って簡単に騙せるものですか」

 自分でも愚かな質問だと思った。今までも散々見て来たはずだ。

「簡単ですよ。簡単に騙せますね。もちろん全員ではありませんが。楓月さん、同僚たちを思い出して下さい。『会社の為』と言いながら、本来守らなければならないはずの家族や自分を犠牲にしてまで働いていませんでしたか? 心身共に疲弊してまでね。世の中にはおかしい事におかしいと気づくことができない人たちで溢れているのです。考えることを止めた人間に対して、特定の思想を刷り込むなんて造作もないことですよ」

「人を騙して、罪悪感はないのですか」

 これもつまらない質問だ。あるわけがない。

「私たちが行った事と言えば、選民意識を植え付けた事くらいですからね。多少の誘導はしましたが。聴衆たちに『世間の人たちは頭を働かせずに生きている愚かな人たちばかりだ。しかしここに集まった貴方がたは違う。気づく力のある特出した能力の持ち主たちだ』といった具合にね。そして選民意識を植え付けた後は『この場所にいる選ばれた人たちだけが、自分の夢を叶えることができます。さあ共に社会を変えていきましょう』このように誘導すれば、共同体感覚を持たせることができます。質問の答えですが、罪悪感はありません。誰も強制なんてしていませんからね。信者の為にやってあげているだけですから。それに教会内だけに限らず、成功者の大多数が実践していることですよ」

 教祖は疲れているのか、大きく欠伸をした。

「もうこんな時間ですか。どうやら話し過ぎてしまったようですね。楓月さん、これから夜食会があるのですが、参加してもらえませんか。咲良さんもいらっしゃいます」

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