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教祖と対峙③

 セミナーの動画が繰り返し再生されている。頭がおかしくなってしまいそうだ。

 咲良はドアを開けて、廊下に出ようとした。

「きゃっ!」

 ドアの前に女性が二人いる。この人たちは絵蓮さんと一緒にいた黄色と赤色の髪をした二人組だ。ずっと、この場所にいたのだろうか。

「咲良様、どうかなさいましたか。要件があれば何なりとお申し付けください」

 右側の赤髪の女性が物腰柔らかい口調で話しかけてきた。

「お手洗いに行こうかと思ったのですが……。あの、ここで何をしているのですか」

 二人は顔を見合わせ、今度は左側の黄髪の女性が口を開いた。

「咲良様に、お願いがあってお伺い致しました」

「私にできることなんて何もないと思いますけど」

「咲良様は料理がお得意とお聞きしました。そこでお願いがあるのですが、これから行われる夜食会の料理を手伝って頂けませんか? 私どもだけで作るより咲良さんに協力してもらった方が、きっと楓月様たちも安心して食事をすることができると思うのです。ウッドもそのように申しておりました。楓月様の他に由香里様も同席されます」

「ウッドですか……」

「この教会のトップにいらっしゃいます、会長のことです」

 教祖とは言わないのか。そう言えば信者のことを会員と呼んでいる人もいた。この人たちにとって教会での活動は自己啓発であって宗教活動ではないらしい。

「料理を作ったら帰らせてもらえますか」

 意外な言葉だったのか、二人はキョトンとした顔をした。

「もちろんです。ここは咲良様が思っているような危険な場所ではございません。いつでも帰ることは可能です」

 黄髪の女性が恐縮して言った。

「食材ですが、既に用意してあります。料理はこちらの者も協力しますので、咲良様は手伝って頂くだけで結構です」

 そう言った後、女性は私から視線を外して顔を横に向けた。廊下を駆けてくる足音が聞こえる。

「ちょっと失礼。咲良さん、大丈夫?」

 二人の間を強引に分け入って、由香里さんが部屋に入ってきた。

「二人は咲良さんに何か御用?」

「咲良様に料理を作るのを協力してもらいたく、伺っていたところです」

「なんだ。料理の話か」

 そう言って由香里は肩を下ろした。

「絵蓮が言ってたけど、料理担当の人が帰ったみたい。人手が足りないんだって」

「そういうことならば、私で良ければ手伝います」

「咲良様、ありがとうございます。それでは、そのように手配しておきます」

 赤髪の女性が会釈して、その場から立ち去った。

「では夜食会が行われる会場へは私がご案内致します」

 そう言って、黄髪の女性が先導した。

「あの二人って双子ですよね」

 咲良が由香里に囁いた。

「どうだろうね。ここの人たちって特徴がないから全員同じに見えるだけかもよ」

 先を歩いていた黄髪の女性が歩みを止めた。

「この部屋で夜食会が行われます」



―─咲良がいる?

 楓月は教祖が口にした言葉に反応した。

「咲良さんに何をした」

 教祖を睨みつけた。先程まで冷静を保っていた僕の突然の変化に、教祖は面食らった顔を見せた。

「落ち着いて下さい。私たちは危険思想を持ったカルト団体とは違います。法に触れるようなことはしません。そのようなことをしても、我々には何の得もありませんからね」

「よくそのようなことが言えますね。僕を車で轢こうとしたくせに。あの事故を無かったことにしたいのですか」

「事故? はて、何のことでしょう。私は存じませんが」

「とぼけないで下さい。信者に絵蓮という人がいるはずです。事故直後、その人が僕の元に駆け寄って来たんです。しきりに父の絵画について、あれこれと詮索してきましたよ。僕を助けようともせずにね」

「えーっと、それはつまり……。わざと事故を起こして、それを糸口に絵に関する情報を聞き出そうとしたと?」

「そうです」

 教祖は眉を曇らせて、虚空を仰ぎ見た。

「どうやら私が関与しないところで、勝手に動いている者たちがいるようですね。私は指示なんて出した覚えはありませんから」

 知っていてくれた方が、まだ良かった。この組織は統率が取れていない。誰が何をしてくるのか分からない組織ということだ。

「ところで僕に聞きたいことって、何なのでしょうか」

「ああ、そのことでしたら、もう気にしないで下さい。どうも楓月さんは本当に絵のことを知らないようですからね。幼い頃に父親を亡くしているのですから、当然と言えば当然です。私はもう、あの絵には興味がありません。話がしたかったのは、あの絵を描いた人の子どもがどのような人物なのか関心があった。それだけのことです」

 絵に興味がない? 本当だろうか? この男の発言を額面通りに受け止めるわけにはいかない。少し探りを入れてみよう。

「そもそも教会の人たちは、父の絵のどこに価値を見出したのですか」

「絵の良し悪しなんて、大半の人間には分かりません。絵を理解した振りをしている偽物ばかりですからね。大事なのはエピソードです。『人生を変えた』『志半ばで亡くなった』これらの事実に基づいたエピソードがあれば良いのです。それが付加価値を生み出しますからね。エピソードなんてものは誇張したり、湾曲、捏造することも可能ですが、そこに僅かでも真実があれば信憑性が飛躍的に増します。それに無名の画家というのも良い。志半ばで潰えた幻の画家として希少価値を更に上げてくれますから」

 また人を騙そうとする話だ。それしか頭にないのか。この人たちは表層的なものにしか目を向けない。その奥深くに想いが眠っているとも知らずに。

「楓月さん、ここで一つ提案があるのですが……。私どもと一緒にお金儲けをしませんか? 上手くやれば地位や名誉など思いのままに何だって手に入れることができますよ」

 教祖の言葉に全身が熱くなるのを感じた。何をふざけたことを言っているのか。

「冗談ですよ」

 僕の様子を見て、教祖は直ぐに言葉を取り消した。

「やはり貴方は真っすぐな人だ。それが分かっただけでも十分です。さすがにあの絵を描いた人の息子だけのことはある。貴方は父親のことを知らなくても、立派に血を引き継いでいるようですね。あの絵画は、ある特別な視点で感性豊かに描かれたものです。それなりに価値はあると思いますよ。大事になさって下さい」

 そう言って教祖は立ち上がった。

「それでは夜食会の会場に行きましょう。私が部屋まで案内します」

 楓月は廊下を歩きながら辺りを見回した。信者たちは一様に笑顔でいる。搾取される人生を受け入れることができるなら、何も考えないという選択肢も悪くはないのかもしれない。

「楓月さん。私は貴方のような人は嫌いではありません。貴方は賢く、真っすぐだ。さぞかし辛い思いをして生きて来たことでしょう。世間は汚い人間で溢れていますからね。今の世を生きづらいと感じているのではありませんか。貴方のことを世間の人たちは、常識から外れた愚かな人間と見下して、奇異な目を向けていると思います。ですが正常なのは貴方の方です。多くの人は真実を見抜く目を持ち合わせてはいません。騙される為に生きていると言っても良いくらいです。そのまま染まらずに自分の道を信じて歩んで下さい。私は貴方が今後どのように生きて行くのか楽しみでなりません」

 教祖はドアを開けて中に入った。そして部屋を見回して、ある人物を見据えた。

「先ほど私は絵画には興味はない。と言いました。しかし、あの男はどうでしょうか。最近、私の身の回りで妙な噂が絶えないのです。教会から離れて独立しようと企んでいる者がいると。もっとも私としては猿同然のあの生き物には出て行ってもらった方が助かるのですが」

 そう言い残して、教祖はスーツ姿の男に向かって歩を進めた。

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