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教祖と対峙④

 教祖がこちらに向かって来る。スーツ姿の男は会釈をして教祖を迎えた。

「料理は直ぐにでき上がります」

「ああ。それは良いんだ。あの楓月という男だが、どうも嘘を付いてはいないようだ。絵のことは何も知らない。今後のことだが、お前なら、どうする?」

 誰も信用しないはずの男が俺にアドバイスを求めてくるとは……。何か裏があるのではないか。ここは無難に答えておこう。

「何も知らないのでしたら、帰してしまっても構わないのではないかと」

 あいつの自宅なら把握してある。あの日、足を引き摺りながら歩くあいつを後ろから付けて行ったのだ。

「どうしたんだ? お前らしくもない。もっと暴力的な提案でもしてくるのかと思ったが。まあいい。料理を振る舞って、早く帰ってもらおう。監禁されたと騒がられたら面倒だからな。準備ができたら呼びに来てくれ」

 部屋から出て行く教祖を見て、心の中で嘲笑した。やはりあいつはダメだ。甘すぎる。

 教祖が部屋から出て行ったのを確認した後、楓月がいる方向に身体を向けた。人の気も知らないで、能天気に女たちと談笑に耽ってやがる。


「咲良さん、どうしてここにいるのですか」

 車から降りて僕を探しに来たのだろうか。危険を顧みずに。

「楓月さんが本部に行った後のことですが、香流甘さんが駆け寄って来たんです。楓月さんが倒れたから来て欲しいって」

「香流甘さんが?」

 どうしてそんな嘘を……。もう教会に取り込まれているのか。

 咲良の傍らで由香里が野菜と格闘している。刻む手の動きが驚くほどぎこちない。

「私に聞きたいことがあるのは分かるけど、今はちょっと無理。手が離せない」

 何でも卒なくこなすイメージしかなかったが、由香里さんにも苦手なものがあったのか。

「由香里さんは妹の絵蓮さんを連れ戻しに来たんです」

 咲良が由香里の代わりに答え、そして視線で誘導した。部屋の片隅でスーツ姿の男と絵蓮が会話を交わしている。あまり仲が良くないのか、どことなく緊張を孕んでいる。

「やっと終わった。人参を一本刻むのにこれだけ時間が掛かるとは」

 由香里は大仕事をやってのけたかのように、一息ついた。

「絵蓮さんが手伝わないのはステージとやらが上だからですかね」

 どうせ料理なんて下っ端がやれば良いとでも思っているのだろう。

「えっと、いや分かんない。どうしてだろ」

 そう言って由香里は隣をちらっと見た。知らない人だ。信者だろうか。

 その女性が口を開いた。

「絵蓮さんは私のことが嫌いなんですよ。だから料理をするのを拒んだのだと思います。もっとも私も絵蓮さんのことは好きではありませんけど。計算高いところがどうも苦手で……。あの人のことだから、きっと料理だって戦略の一つとして身に付けたスキルだと思いますよ。男に取り入って成り上がる為の」

「妹の絵蓮が色々と迷惑を掛けているようで申し訳ないです」

「えっ、絵蓮さんのお姉さんだったのですか。謝ってもらう為に言ったわけではないので気にしないで下さい。今日は手伝って下さって、ありがとうございます。私は弥生と言います」

「料理担当の方ですよね。私も少しは料理には慣れたつもりだったのですけど、弥生さんにはとても敵わないです」

 咲良が言った。

「いえいえ、私なんてまだまだです。いつも一緒に料理を作っているおばさんなんて、もっと上手ですし」

「おばさんもいるんだ? 若い人だけかと思ってた」

 野菜を盛りつけながら、由香里が言った。

「信者として入信したと言うよりは、料理の腕を買われただけだと思います。とは言っても、最近は教会の教えに影響を受けているようですが。色々手伝っていますからね。ところで皆さん、大丈夫でしたか? おかしな映像を見せられませんでしたか?」

「僕は殆ど見てないです。気味が悪かったので」

「私は絵蓮の姉だからだと思うけど、部屋にいても映像は流れてこなかった」

「あの映像を見せて、その人が教会にとって利用価値がある人間かどうかを選別しているんです」

 弥生が言った。食い付くように見る人間なら適正ありと判断するのだろう。

「私は何となくですけど、信者たちの気持ちが分かるような気がします。頑張っても結果が得られなかった時って、そういったものに縋りたくなりますから」

 手元を動かしながら咲良が答えた。

「あんなものに縋っても、何も得られないですよ。一度、教祖に無理言って映像を見せてもらったことがあるのですが、最後まで見ていられなかったです。喋っている内容も変だし、成功した人だけを集めたインタビュー映像なんて露骨に作為的でしたからね」

 それを見抜けない人が入信するのだ。

 弥生が背筋を伸ばした。

「ちょっと真似しても良いですか。『脳の90%以上が何に使われているか分からないと言われています。それは物理学に於いても同様です。宇宙で起きている大部分の事を、人類は未だに解明することができていない。なのに分かった振りをしている。この愚かさを皆さんに分かって頂きたい。真実は私たちの心の中にあります。さあ我々と共に真実に辿り着こうではありませんか』 どう? こんな感じだったでしょ」

 弥生の口調は、映像で見た自称医学博士を思わせる。

「いつも誰かがマイクパフォーマンスを繰り広げているので、嫌でも耳に飛び込んでくるんですよ。いつの間にか覚えてしまいました。無茶苦茶なことを言っているのですが、みんな信じてしまいますね」

「弥生さんって信者ではないのですか。大丈夫ですか、そんなことを言って」

 他人事ながら心配になる。批判なんてしたら処罰されるのではないか。

「一応、教会に所属しているので、表向きには信者ってことになっています。ですが、私は教会の教えには一度も賛同したことはありません。以前、幹部から教会の感想を聞かれた時なんて、素直に『気持ちが悪いです』と答えてしまって……。それ以来、幹部たちからは無視されて、様々な嫌がらせを受けるようになりました。もっとも、その人たちに好かれたいとは全く思っていませんけど」

「その嫌がらせをしてきた人というのは、やっぱり絵蓮も含まれますよね?」

 由香里が聞いた。

「絵蓮さんだけではありませんが……まあ、そうですね。教会の思想に賛同しない人は、基本的にゴミ同然の扱いを受けます。馬鹿にした目を向けて来るくらいなら別に構わないのですが、陰湿な手を使って来るので中々厄介です」

被害を受けたくなければ、服従するか、離れるしかない。どこも同じだ。

「由香里さんは、絵蓮さんから私のことを色々聞かされていませんか? あの人って私の悪評をあちこちで喋って廻るので、益々、教会での立場が悪くなってしまって……。すべて根も葉もない噂ですけど、やはりここに居る人たちは信じてしまいます。きっと絵蓮さんは教会の思想に染まらない私を見て苛ついているのでしょうね。信者の前で『思想が歪んでいる』と人格否定をしてきたこともありますし」

 信者たちに恐怖心を植え付ける手法だ。従わなかったら同じ目に遭わされるのだと分かれば、多くの人は逆らうことを止めてしまう。誰も不平一つ言わなくなるのだ。

「申し訳ない気持ちで一杯です」

 由香里が項垂れた時、視界の端でスーツ姿の男が動くのが見えた。絵蓮との会話が終わったようだ。男は出口に向かわずに、こちらに向かって来た。

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