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教祖と対峙⑤

「お前ら、まだ料理作っているのかよ。薄のろどもが」

 こいつとは関わり合いたくないという気持ちは全員一致している。誰もが反応を示さずに男の存在を無視した。

「おい」

 誰に向けて喋っているのかと思い、顔を上げて確認した。男の背丈は僕より二十センチは高い。筋肉質の身体付きをしている。

「お前馬鹿だろ。あんな所で偶然会うなんて不自然だと思わなかったのか?」

 随分と高圧的な口調だ。

「あれだけ同じ場所に長く居続けたんだ。信者の誰かが見つけて報告して来るに決まってるだろ。何の目的があるのか知らないが、お前らがあのガキを追っているのは把握してんだよ。誘き寄せる餌にしたら、馬鹿みたいに食いついて来やがってよ。笑わせてくれる。俺を追跡して勝った気にでもなったか? 勘違いをするなよ。俺がお前らを誘き寄せたんだ」

 イラつく僕の様子を見て、男がニヤついた。ここで感情を露わにしたら、こいつは笑い転げるだろう。この手の奴は人を馬鹿にして楽しむところがある。ここは逆に冷静に対応してやろう。

「貴方は何かを必死に探しているみたいですけど、そのお目当ての物は、もう見つけたのですか。聡明な貴方なら、きっと見つけたのでしょうけど」

「てめえ俺を舐めてんのか。見つけてたら、こんな所にお前みたいなのを連れて来るわけねえだろうが!」

 底の浅い奴だ。些細なことでキレている。とても同じ生き物だとは思えない。

「そう言われても、僕は何も知らないので、教えたくても教えることができないんですよ」

「嘘つくんじゃねえぞ、てめえ。父親の形見だぞ。知らねえわけねえだろうが!」

「知らないものは知らないので」

「ちっ。馬鹿にしやがって。俺はあの教祖ほど甘くはねえからな。覚悟しとけよ」

 教祖が居る時と居ない時とでは大違いだ。こいつは自分より立場の弱い人間にしか偉そうな態度が取れない。

「よう。誰かと思ったら、負け犬の弥生じゃねぇかよ。お前、まだ教会にいたのか」

 今度は弥生に絡み始めた。

「荒木さん、貴方には関係のないことです」

 弥生が冷たくあしらった。視線を合わせようともしない。

「報われない恋だよな。あいつはお前のことなんて何とも思ってないみたいだぞ」

 また男がニヤついた。こいつは人を馬鹿にしていないと気が済まないのか。

「この女はな。教祖を追ってここまで来たんだ。それまで勤めていた仕事を辞めてまでな。結局、こいつも他の奴らと同じように、社会で通用しなかった負け犬なんだよ。まあ教会でも通用しなかったがな」

「そういう、あんたはどうだって言うのよ」

「俺か? 俺はお前みたいな下っ端とは違って位が高いからな。言ってみれば尊い仕事をしている勝ち組だ。お前みたいな下民と一緒にするなよ」

「尊い仕事? 信者を騙して資産を奪い取っている貴方が? 一体、何の冗談でしょうか。被害を受けて教会を去って行った人たちが、その後どうなったか知らないはずはないでしょう」

「そんなものには興味もねえな。風俗の仕事でもして借金を返済しているんだろ。一生懸命に脚を開いてな。若しくは飛び降りでもしたかな」

 荒木は心底嬉しそうに、高々に笑った。

「あの人たちの夢や希望、人生そのものを、あなたは壊したのよ。悪いとは思わないの?」

「思うわけねえだろ。あの女どもが勝手に取った行動だ。強制なんてした覚えもねえしな。それにだな。馬鹿というのは搾取される為に生きているんだ。今頃あいつらは自分の役目を全うすることができたと喜んでいるだろうよ。騙される奴が悪いんだ」

 弥生は荒木を睨み付け、そして何かを言いかけたが、直ぐに口を噤んだ。それで良い。この手の奴には何を言っても無駄だ。

 きっと荒木だけではなく信者たちさえも、被害を受けて立ち去った人たちのことを覚えてはいないだろう。まるで最初からそこに存在しなかったかのように、居なくなった後も淡々と日常生活を送ったはずだ。この人たちは、明日は我が身だというのに、自分だけは絶対に被害に遭わないと思っている。かつての同僚たちもそうだった。

 もう料理を作るどころではない。この場にいる全員の手が止まっている。怒りを必死で抑え込んでいるからだ。

 男が咲良の前に立った。咲良にも絡むつもりだ。

「お前いい女だな。俺は大人しい女が好みなんだよ。何をやっても文句言わないからな」

 そう言って男が咲良の頬を撫でた。その瞬間、隣にいた由香里が男の頬を叩いた。

 乾いた音が部屋に響き渡る。

「何しやがんだ。てめえ!」

 ニヤついていた男の表情が一変した。瞼を攣り上げて由香里を睨みつけている。

「荒木さん。問題を起こすのは止めてもらえませんか。教会内では御法度のはずですよ」

 遠くで僕らの様子を伺っていた絵蓮が荒木に声を掛けた。

「ちっ」

 男は舌打ちをすると、そのまま出口に向かって歩き出し、近くにあった椅子を蹴り上げた。図体はデカいが、中身は子どもだ。この男は生きてきた過程のどこかで精神の成長が止まったに違いない。

「絵蓮、ありがとう。助かった」

「警察沙汰になったら、こっちが困るから」

 素っ気なく絵蓮が答えた。

「あの人、何か落として行きましたよ」

 咲良が言った。椅子を蹴り上げた時に反動で落としたようだ。小袋の中にカプセル状の物が幾つか入っている。絵蓮がその物体を拾い上げた。

「これは多分、アレルギー薬ね。あいつ薬を持ち歩いてるのよ。私が渡しておくわ」

 絵蓮が出て行き、部屋にいるのは僕ら四人だけとなった。これでやっと一息つける。

「咲良さん、大丈夫?」

 由香里が咲良を気遣った。

「頬を撫でられただけなので大丈夫です。気持ち悪かったですけど」

「あいつ粘着質だから気を付けて。自分の所有物にするまで執拗に絡んでくるから」

 弥生さんが教会に馴染めないのは当然だ。この教会は盲目的で服従心の強い人間でなければ通用しない。ブラック企業と同じ構図だ。自意識が芽生えた人間が居続けるのは難しい。搾取されていることに何の抵抗も感じない人のみが在籍できる場所なのだ。

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