目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

教祖と対峙⑥

「弥生さんって教祖の知り合いだったんですね。さっきまで教祖と話をしていたのですが、教祖が元会社員だったと聞いて驚きましたよ」

 会社員から教祖という流れが、どうも結びつかない。

「彼と私は元同僚なんです。あの人って頭が良いから、普通の人なら気づかないことに、直ぐに気づいてしまうんです。よく同僚たちを見て、『あいつらのことが理解できない』と言っては悩んでいました。彼なりに理解しようと努めてもいたのですが、あの人、同僚たちを観察しているうちに、あることに気づいてしまって……」

 そこまで話して、弥生は一呼吸置いた。

「ああ、こいつら何も考えてないだけだって。それに気づいた時、あの人、愕然としてた……」

 教祖が辿り着いた答えは僕と同じだ。同僚たちを見て、どうしてこの人たちは無意味なことばかりしているのかと、いつも疑問に感じていた。『上からの命令は絶対だ』『個性は必要ではない』『集団に倣うべきだ』これらの不可解な思想を全員が共有し、来る日も来る日も同じことを繰り返す……。結局、理由なんてなかったのだ。

「楓月さんも彼に一度会ったのなら分かるかもしれませんが、あの人ってプライドが高そうに見えませんでしたか。しかも要領も悪い。だから真面目に働くことに嫌気が指したのだと思います。一年先に入社したとか、年齢が少し上だとか、何かの資格を持っているとか、学歴とか……。そのようなつまらない理由で上下関係が決まってしまいますからね。彼のような人間が会社の中で生きて行くのは難しいと思います」

 地位を脅かす優れた人間は、早期に叩き潰される。上司に好かれる人物を演じない限り、評価されることはない。まともな人材は組織から追われ、能力の欠片もない人間ばかりが会社に残り続けることになる。狡猾な生き方だとは思う。それで、あの人は教祖になろうと思ったわけか。搾取される側から、搾取する側に回ろうと……。洞察力に長けているのなら、教祖になるのは簡単だったろう。

「さっきの荒木って人もそうだよね。能力があるようには見えないし。たぶん今までも暴力的な手段を使って、のし上がって来たのだと思う。こんなことなら、あいつをグーで殴っておけば良かった」

 由香里が拳を握りしめて言った。

 本当に自分に自信があるのなら堂々としていれば済む話だ。だけど、それができない人たちがいる。そうでもしないと生きていけないのだ。

「幹部のベリーは少し変わっていて、自分のことを本物の能力者だと思い込んでいます。彼からは軽く扱われていますが。『スピリチュアルなんて非科学的なものを妄信している奴は教養が足りない』って言っていました。教祖をやっているくせにね。あの人、教会を彩ってくれる飾りとしてベリーたちを利用しているだけなんです。だけどベリーもナッツも信者たちも、誰も気づきません」

 みんな優れた人間に成りたがり、優れた人間を演じている。人を騙し、利用することしか考えていない。一体、どうなっているのか。

「私、絵蓮を連れ戻す為に本部に来たけど、あの様子では、ちょっと無理かな。もう完全に教会の一員って感じがする」

「私も無理だと思います。まず教会が絵蓮さんを手放さないはずです。今、絵蓮さんに辞められるのは教会に取っては痛手になりますから。貴重な広報担当ですからね」

「絵蓮って広報もやってるの? 勧誘だけかと思ってた」

「勧誘もしていますが、外部に向けた記事も書いてます。記事を読んだ人たちが錯誤するような書き方をして、言葉巧みに世間の人たちを欺いているんです」

 由香里が溜息をついた。もう溜息しか出ないといった感じだ。

「教会が世間で悪く言われていたら、その声を掻き消す記事を書きます。例えば、『世間では~と言われていますが、実際はどうなのでしょう。私は友人たちに疑い深い性格だと言われています。それでは一つ一つ検証していきましょう』といった感じで検証記事を書いていきます。そして最後に『検証した結果、世間で言われているようなことは何も起きていませんでした。噂と言うのは怖いですね。危うく私も騙されるところでした。この教会は安心して通うことができる素晴らしい場所です。私も時間を見つけ次第、足を運びたいと思います』といった具合で締め括ります。世間の人たちの疑惑を全否定して、最後に教会を肯定する書き方ですね」

 絵蓮の本領発揮といったところか。あの人なら得意だろう。

「絵蓮さんは難しいと思いますが、香流甘さんなら、まだ何とかなると思いますよ」

 弥生が言った。

「香流甘さんがですか? 荒木の計画に積極的に協力するような人ですよ」

 僕も咲良も香流甘に騙されてここに連れて来られたのだ。

「何となくですけど、香流甘さんって教会の思想に取り込まれた感じがしないんですよね。そのうち教会の体質に嫌気が指して離れるんじゃないかな」

 そうは思えないが。だけどここで働いてきた弥生さんが言うのなら、そうなのかもしれない。僕よりは多くの信者を見ている。

「あー早く帰りたい」

 由香里が言った。それは、この場にいる全員が思っていることだ。だけど、あの荒木がすんなりと帰してくれるとは思えない。隙を見て逃げ出さなくては。

 背後でドアが開く音が聞こえ、その場にいた全員が口を閉ざした。乱暴なドアの開け方から、直ぐに荒木だと分かったからだ。

「何だ。もう完成しているじゃないか。おいトカゲ。教祖を呼んで来い」

 トカゲと呼ばれた男は顔色一つ変えずに荒木の命令に従った。

 教祖が姿を現した時、僕らは教祖の後ろにいる女の子に注視した。夜食会には香流甘も参加するようだ。全員が揃い、それぞれが白色のダイニングテーブルを囲むように座った。教祖の右側に荒木、左側には香流甘が座り、三人に向かい合う形で、僕と咲良、由香里、そして弥生が座った。計七人での夜食会だ。

「夜食会のメニューは、鶏肉のカシューナッツ炒めと、はちみつ塩麴のポーク炒め、卵スープ、野菜サラダとトマトの紫蘇和えです」

 人参、パプリカ、レタスなどが添えられ、テーブルの上が色鮮やかに彩られている。

 夜食会は他愛もない会話を挟みつつ淡々と進んでいった。絵画の話題に触れてくる者はいない。荒木も教祖の手前、大人しくしている。

「一つ気になっていることがあるのですが」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?