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Tier81 死因

 口元を押さえたことで言葉が途切れた早乙女さんだったが、意を決して佐伽羅さがらさんの死因について話出す。


「正直、何と申し上げれば良いのかわかりませんが、簡単に言えば窒息死です。ただ、その方法というのが常軌をいっしていまして……率直な表現としては、佐伽羅さん自身が自らの首を絞めて亡くなっていたんです」


 驚き、仰天、驚嘆きょうたん驚愕きょうがく、衝撃、どれを取っても僕の心境を表すには一歩及ばない。

 この感覚を適切に表現する言葉は、たぶんこの世界にはまだ生まれていないんだと思う。

 まさしく、言葉では言い表せない。

 そんな感情だ。


「……あり得るのか? そんなことが……?」


 そう言ったマノ君の表情は無表情に近いものだった。

 きっと、マノ君も僕と同じように自分の中にある感情を処理しきれていないんだろう。


「こういった事例は過去に例がないので、何とも言えません。私もこれは何かの間違いではないかと疑ってしまう気持ちがないと言えば嘘になります」


「佐伽羅の遺体はどんな状況だったんですか? 司法解剖にはまわしてるんですよね?」


「えぇ、まわしています。詳しい結果はまだわかりませんが、初見報告によれば、目には結膜充血があり、その他の点としては頭を尋常でない強さでかきむしったことで抜け落ちた髪の毛の束が複数見られたようです」


「異常だな。その方面を専門としてる奴らは何て言ってるんです?」


 食い入るように質問するマノ君に押され気味の早乙女さんが答えていく。


「特殊な精神状態や薬物の影響下であれば素手による自己絞殺は不可能とは言い切れないそうです。今回の事例とは異なりますが、これらの影響で異常行動を起こした事例はいくつか報告がありました」


 早乙女さんが肩に掛けていた黒革のビジネスバッグから薄型のタブレット端末を取り出すと、数件の事例を報告した資料ファイルが画面に映し出される。


「事例には覚醒剤の使用によりパラノイド状態や異常行動が引き起こされ、妄想や奇異な行動にとりつかれることが報告されています。また、抗精神病薬の使用による悪性症候群と呼ばれる重篤な副作用の発生も見受けられます。この悪性症候群では、高熱、筋固縮、意識障害などが特徴であり、筋肉の異常な緊張により身体の制御が困難になるようです。その他にも、『4-AcO-MIPT』という幻覚剤の使用による事例もあります。これは通称『ラビリンス』と呼ばれており、2007年の症例報告ではラビリンスを過剰摂取した男性が、知覚変容、幻視、意識障害、脱抑制を呈し、その結果として高所からの飛び降りに至ったとされています。このラビリンスは幻覚や意識の変容を引き起こし、自己制御を失わせる可能性があるとのことです」


 早乙女さんは膨大な文字量で示されているいくつかの事例の概要をざっと説明してくれた。

 特殊な薬物等の影響下であれば、異常に強い筋力発揮や痛みを感じにくくなる状況で自己制御が困難となり、危険な行動に至るということらしい。


「薬物の副作用による異常行動の末、自殺したと……完璧な監禁状態にあった佐伽羅が薬物を手に入れられるわけがありませんから、あるとしたら佐伽羅を自殺に見せかけて殺そうとした工作員によるものでしょうね。だとしても、わざわざそんな異様な死に方させますかね? 自殺に見せかけて殺す人間のすることじゃない。そもそも、薬物反応は出たんですか?」


「いえ、まだ結果が出ていないのでわかりません。ですが、少なくとも注射痕などは見受けられなかったそうです。現状を鑑みるに、薬物の可能性は低いかと。対象に強引な方法で異常行動を引き起こすほどの過剰摂取をさせるには吸引や経口摂取ではなく、注射器での投与が最も効果的ですから」


『プルルルル』


 と、そこで電話を知らせる電子音が鳴った。

 音がする方から見るに、それは早乙女さんから鳴っているみたいだ。


「申し訳ありません。少し失礼します」


 僕達に断りを入れてから早乙女さんはスマホを取り出して電話に出る。


「早乙女です。はい……えぇ……はい、わかりました。ご連絡ありがとうございます。はい……では、失礼致します」


 何度か相槌を入れつつ、短いやり取りを済ませると早乙女さんは電話を切った。


「ちょうど、司法解剖の詳しい結果が出ました」


 早乙女さんの元に結果を知らせる連絡が届いたらしい。

 薬物反応の結果も気になっていたところだったのでナイスタイミングだ。


「お、そうですか。で、薬物反応の方は?」


「出なかったようです」


「出ませんでしたか……だとすると、非情に特殊な精神状態であったと考えるべきか? いや、それはあり得ない。俺達が面会した時の佐伽羅の精神状態は正常だったはずだ。その後の数時間で、自分で自分の首を絞め殺すほどイカれるとは到底思えない。神がどうのこうのと馬鹿げた話はしていたがな……」


 これは佐伽羅さんの精神状態とは無関係だろうとマノ君は切り捨てる。


「薬物反応は出ませんでしたが、脳に異常が発見されました。脳みそが異様なほどに肥大化していたようです。原因は今のところわかっていません」


「脳の肥大化? 仮に佐伽羅がマイグレーションをされていたとしてもマイグレーションにそんな作用はありませんよ」


「そうですよね。現段階では、これが佐伽羅さんの死に直接関係しているかどうかは判断できません。はっきりと申し上げられるのは、薬物による異常行動の末の自殺という可能性が無くなったということです」


「そうなると――」


 マノ君が答える前に、僕は思わずある可能性を口にする。


「マイグレーターのマイグレーションによる自殺?」


「ま、そうなるな」


「マイグレーターの身体能力なら自分で自分の首を絞めて自殺することも可能だっていうこと?」


 マイグレーターは脳から神経などに情報を伝達する能力が一般の人よりも秀でているため、身体能力が非常に高くなっているらしい。

 それなら、そんな芸当ができてもおかしくはないかもしれない。


「マイグレーターでもそれは不可能だと考えます。いかがでしょうか、マノさん」


「正解です、早乙女さん。いくらマイグレーターが一般人よりも身体能力が抜きに出ているとは言え、身体的構造は一般人もマイグレーターも変わらない。所詮しょせん、同じ人間だってことだ」


 いくらマイグレーターでも人間離れしたことは出来ないということらしい。

 マイグレーションという入れ替わり現象を除けば、基本的には僕達とあまり変わらないのかな。


「最終的には素面しらふの佐伽羅が自らの意思で自分の首を絞め殺したという結論にたどり着くわけか……だから、早乙女さんは佐伽羅が本当に自殺した可能性を疑っていたわけですね?」


 一連の可能性を検討したことで合点がいったのか、マノ君は顎に片手を当てる仕草を見せる。


「えぇ、そうです」


 早乙女さんがその通りだと頷く。


「え? でも、まともな状態の佐伽羅さんが自分の首を絞めて自殺するなんて、それこそ不可能じゃない?」


「おっしゃる通りです、伊瀬さん。首を絞めると脳への血流が制限され、数十秒程度で意識を失ってしまうため、力が抜けて自然に手が離れてしまい窒息死には至りません。そのため、通常はロープなどの道具を使って自殺をするケースが一般的です」


「やっぱり、そうなりますよね」


「少し話の内容を整理するか。佐伽羅が死んだ状況から考えると一番可能性が高いのは薬物を使用した工作員による自殺に見せかけた殺害だ。だが、これは佐伽羅に注射痕が無かったことや薬物反応が出なかったことで、その可能性が無いことが決定的になった。薬物反応にも引っかからずに異常な自殺をさせる新種薬物を使っていた場合は別だがな。まぁ、これは可能性としては考えなくていいだろう。そこまで考えていたらキリがない。そして、精神疾患の可能性もマイグレーションによる自殺の可能性も極めて低い」


「じゃあ、佐伽羅さんはどうやって自分で自分の首を絞めて自殺したの?」


 薬物でもない。

 精神疾患でもない。

 マイグレーターによるものでもない。

 一体、どうやって?

 何をどうすれば佐伽羅さんはそんな常軌を逸した死に方ができたのだろうか。

 僕の脳みそは理解することを拒むかのようにフリーズする。


「さぁな。ちっとも、わからん。お手上げだ」


 すがすがしいほどにマノ君は思考を放棄する。


「早乙女さんもですか?」


 僕が目を向けると、早乙女さんは力なく左右に首を振る。

 つまり、誰も佐伽羅さんの死の真相を理解することは出来なかった。


「神の御業みわざってことか? ……まさかな」


 俺も佐伽羅に毒されたかと、自分でも無意識に呟いていたことに気付いたマノ君が失笑した。

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