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第8話

 定時後、日南隆二は業務課の千葉と会っていた。近くの飲食店でなごやかに夕食をとりながら、日南は切り出した。

「実はいくつか聞きたいことがあるんだ」

 千葉は普段と変わらぬ穏やかな顔で問う。

「何ですか? 僕に答えられることなら何でも答えますよ」

「ありがとう。えっと……さっき話した一坂さんについてなんだ」

 日南は無性に緊張してしまい、グラスの水を少し飲んでから続ける。

「彼女が言ってたんだけど、その、彼女には消してほしい思い出があるみたいで」

 多少興味を惹かれたのだろう、千葉が目を向けて聞き返す。

「消したい記憶、ですか?」

「うん、そういうこと。そのために終幕管理局に入ったらしくって、でも、まだ消してもらえてないみたいなんだ」

 日南のつたない説明を、千葉は察しのよさですぐに理解した。

「つまり、日南さんが聞きたいのは、どうやって消去の対象を探してるか、ってことですか?」

「うん。消してほしいものを、いつまでも持っているのも辛いだろうし、どうにかならないかと思って」

「なるほど」

 千葉はうなずき、食事を進めながら言った。

「消去対象の選別についてですが、それを決めるのは管理部の人たちです。平たく言えば上層部ですね」

「あ、そうなんだ」

「何かしらの基準があるはずですが、くわしいことは僕も知りません。管理部の人が決めた対象を、下にいる僕たち『幕引き人』に振り分けます。そしてそれをどうやって消去するか、具体的な策を練ってから消去するのが僕たちです」

「それじゃあ、特定の記憶を消すことはできないのか?」

「管理部に相談すれば可能だとは思います。ですが、まずはその記憶の位置を特定しなければなりません」

 日南は一坂に教わった座標について思い出す。それらの数字をまず突き止めなくてはならないのだ。

「検索して探し出すことも可能ではあるんですが、何しろ範囲が広いので、時間がかかると思いますよ」

「一坂さんに聞いて、情報を得ることが出来たとしても?」

「ええ。よほど詳細な情報がない限り、検索結果には似たような記憶が多く出てくるでしょう。具体的にこれだという決め手がないと、特定は難しいです」

「そうか……」

 一坂がどこまで教えてくれるか、日南には分からない。何と言っても、まだ知り合って数日しか経っていないのだ。信頼関係はもとより、お互いにまだ完全に心を開ききっていない。

 千葉は窓の外へ視線をやりつつ言った。

「あと、どういった種類の記憶かも関係してきますね。些細ささいなものだった場合、いくら検索しても出てこないですから」

「物語だったら?」

「それも規模によりますね。たとえば昔、短い話がブームになったことがあったでしょう? 五十文字とか、百四十文字とか。そういったものだと、特定するのは困難です」

 日南はがっかりしたが、ふと一坂の言葉を思い出す。

「そういえば、思い出ごと消してもらいたいって言ってた」

 千葉が驚いたように、わずかに目をみはる。

「物語に関する思い出ごと、ですか?」

「たぶん、そういうことだと思う」

 日南が肯定すると、千葉は考え込む様子を見せた。

「それなら虚構記憶と懐旧記憶、両方を消す必要がありますね。となると、ある程度規模がある可能性も高い……」

「見つけられそうかな?」

 と、日南は半ば懇願するように問いかけた。

 千葉はあらためて彼を見ながら、真摯しんしに返す。

「やってみないと分かりません。ですが、まずは一坂さんの協力が必要になるかと」

 はっとする日南を見て、千葉はやわらかく苦笑した。

「そこまで考えてなかったみたいですね」

「ご、ごめん……。実際にやるかどうかはともかくとして、ただ、できるかどうか知りたかったんだ」

 うなだれる日南だったが、内心では一坂に聞いてみようと考えていた。彼女の気持ちが軽くなるのなら、やってみてもいいはずだ。


 翌朝、部屋の扉を誰かがノックする音で日南梓は目が覚めた。

 眠気をまとわりつかせたまま扉を開ければ、顔面蒼白になった西園寺が叫ぶ。

「事件だ、日南!」

 一瞬にして眠気が吹き飛び、日南は部屋を飛び出した。


 カフェから少し離れたところに人だかりができていた。

「何があった?」

 日南が近くにいた燈実へたずねると、彼は泣き出しそうな顔を向けた。

「そ、それが……」

 説明しにくいのか、彼は横へずれて道をあける。その先にあったのは色とりどりの花が咲く花壇だ。

 一見すると美しい光景の中に、明らかに異質なものが存在していた。花壇の中央付近、花々を無惨に押しつぶすようにして、うつ伏せに倒れる人の姿があった。

「元夢さんが殺された」

 感情を押し殺したような声でリエトが言い、日南はそっと遺体に近づく。茶髪や背丈、服装からしても遺体はたしかに元夢だ。

「後頭部から出血してるな。殴られたのか」

 おそらく凶器は鈍器だろう。髪に血がこびりついていた。

 触って確かめるまでもなかったが、手首に拍動するものはない。体もすっかり冷たくなっていた。

 ふと周辺に目をやった日南は、地面に血痕が残っていることに気づく。しかし凶器と思しきものは見当たらない。犯人が持ち去ったのだろうか。

「背後から襲われたようだが、凶器が何なのか分からねぇな。遺体が冷たくなってることから考えて、死後数時間は確実に経ってる。となると、昨日の夜から今朝、夜明け前までに殺されたと見るべきか」

 と、現時点で判明していることを口にしてから、日南は人々を振り返った。

「これから事情聴取をする。全員、協力してくれるよな?」

 神妙な顔でうなずく者が半分、残りは戸惑いや恐怖などで暗い表情をしていた。

 北野の肩を抱いていた西園寺がはっとして言う。

「それなら、えっと、とりあえずカフェで話そう。みんな、朝ご飯もまだだろう?」

「ああ、ひとまず移動しようや」

 リエトが先に動き出し、他の者たちもついていく。

 日南梓は北野のそばへ歩み寄り、声をかけた。

「大丈夫か?」

 北野は小さく首を横へ振った。

「ごめんなさい……まさか、元夢さんが……」

 北野の声からは悲しみと動揺が見て取れた。

 日南は昨日の様子を思い出し、彼女の心中を察する。元夢の作ってくれた食事は美味しく、彼自身も気さくで優しい人だった。北野が彼と意気投合したのは、彼もまた紅茶が好きだったからだ。

 日南は小さく息をつくと、北野の頭へそっと手をやった。

「無理するな。助手だからって役に立とうとしなくていい」

「……うん」

 新しい友人を次の日に失ってショックを受けないはずがない。日南は「今日は休んでいろ」と返し、カフェへ向かって歩き出した。

 北野は少しの間立ち尽くした後、何も言わずに日南の背を追いかけ始めた。

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