北野がこくりとうなずき、日南梓は彼女の肩へ腕を回して抱き寄せた。北野は抵抗しなかった。
どうして彼女が「幕開け人」になったのか、ようやく分かった。ただ物語を愛するというだけでなく、大事な存在を物語ごと失ったことが理由だった。
言い換えれば
日南は胸にわき上がる苦々しさに向き合うと、あらためて決意した。
「やっぱりやつらの好きにはさせねぇ。早くここから出て、ねじ伏せてやらないと気が済まない」
北野は無言だったが、そっと首を日南の肩へもたげてきた。それだけで思いが同じであることが伝わった。
カフェへ戻るとソヨが元気な声で言った。
「響ちゃん、この中にあるもの、好きなだけ持って行っちゃっていいよ!」
「え?」
きょとんとする北野へソヨはにこりと、少しだけ気まずそうに笑う。
「あの、実はさっき泣いてるところ、見ちゃったんだ」
「あ、ごめん。もしかして心配かけちゃったよね?」
北野が眉尻を下げると、ソヨは慌てて首を左右へ振る。
「ううん、大丈夫! 気にしないでー!」
カフェに残っているのはソヨとリエトだけだった。西園寺はいつの間にかどこかへ行ってしまったらしく、フィオーレとエクレアの姿もない。
「でもあたし、馬鹿だからさ。うまい励まし方とか、慰め方とか分からないんだ。だからね、宝石あげることにしたの」
そう言ってソヨがカウンターテーブルの上に広げた色とりどりの宝石を手で示す。
「遠慮しないで、気に入ったものがあれば持っていっていいよー!」
独特なやり方だなと日南は思いつつ、隅のテーブル席で紅茶を飲んでいるリエトの方へ寄った。
「やめとけ言うたんやけどな、あいつ、一度言い出したら聞かないねん」
と、リエトが苦笑し、日南は向かいの席に腰を下ろしながら返す。
「でも、いい気分転換にはなるだろ」
北野はソヨの説明を受けながら、宝石を一つずつ見ていた。先ほどよりも表情が明るくなったようだ。ヘーゼル色の瞳が好奇心で輝いていた。
「それにしても、何であいつはあんなに宝石ばっかり持ってるんだ?」
と、日南は視線をソヨへ移した。
「あいつ、宝石商の娘なんよ」
リエトが返し、日南は納得した。道理で宝石をたくさん持っているわけだ。やたらとうるさい鞄の中身も、おそらくは宝石の類だろう。
「そんで学校でも商売しとったんやけど、それは前までの話やな」
「まだ人がいた頃のことか?」
「そうや」
うなずいてからリエトはティーカップをことんとテーブルへ置く。それから少し遠い目をして語り始めた。
「ソヨは隙あらば商売を始めるもんやから、先生たちによう怒られとってな。でもあいつ、全然学習せえへんの。何回怒られても飽きずに商売するさかい、よくも悪くも有名人でな、あいつの周りはいつもにぎやかやった」
誰に対しても分けへだてなく接するソヨを見ていれば、きっと友人も多かったであろうことが想像できる。
懐かしむ様子でリエトは続けた。
「ほんまにあの頃は楽しかったなぁ。まとわりつかれんのは嫌やけど、あいつも苦労してるさかい」
「苦労って、どんな?」
「まだ五歳か六歳の頃、こっちに来たんやて。でも戻れへんやろ? そいで商家に養女として引き取られたんや」
「ソヨは現地の人間じゃないのか」
「ああ。前は日本にいたって、一度だけ聞いたことあるよ」
驚きの事実に日南は目を丸くした。
「まさか。それじゃあ、彼女も日本人なのか?」
「そうらしいなぁ」
言われてみればソヨの肌は黄色みが強い。西洋の白人といった雰囲気のリエトたちとは明らかに違う。
「せやから、どっか寂しいところあるんやろ。リエト兄ちゃん言われてまとわりつかれても、拒みきれないんや。先に言うとくけど、お人好しなんは自覚しとる」
リエトが自嘲するように笑い、日南はにやりと返した。
「けど、お人好しがいなかったら、オレたちは今も森で迷子になっていたかもしれない」
目を丸くしたリエトだが、すぐに明るい調子を取り戻した。
「せやな。ソヨに任せとくとどうなるか分からへん。俺がいてよかったな」
「ああ、本当によかった」
そう言って日南は少しの間、リエトと顔を見合わせてくすくすと笑った。
北野が選んだのは、花の形をした
「お前は戻らなくて平気なのか?」
「え、戻るって?」
振り返った北野へ日南は何気なく問う。
「現実世界だよ。お前にも家族とか、いるだろ?」
北野は今思い出したような顔をして、周囲を見回す。
「うーん……でも、ここがどこなのか、分からないんだよね」
「どういう意味だ?」
「入ってくるには、まず場所を把握してなきゃダメなの。アカシックレコードに記録されてる情報には位置があって、そこにピンポイントで侵入するから」
「そうだったのか。で、ここの位置が分からないと」
「うん。物語の墓場から離れてはいないはずだけど、現実世界の方でわたしの位置が特定されてるかどうか分からない。それに、ここは外に出られないっていう話でしょ?」
北野が日南の横へ立ち、見上げてきた。
「どうしてわたしたちが入れたかは分からないけど、ここから現実世界に戻れるか分からない。戻れたとしても、また入れるかは分からない。もし入れなかったら、日南さんたちと離れ離れになっちゃう」
「……そうか」
北野と離れるのは日南にとっても困った事態だ。
「だから、そんなリスクをとるよりは、ここにいた方がいいと思うんだ」
「うん、オレもそう思う。でも、一つだけ聞かせてくれ」
日南はまっすぐに彼女を見下ろしてたずねた。
「家族に会いたいとは思わないのか?」
脳裏にはソヨの過去がよぎっていた。幼い頃に一人きりで異世界へ来て、その後戻ることも出来ず養女になったソヨ。きっと今でも本当の両親に会いたいと思っているに違いない。
北野にもまた、そうした気持ちが少なからずあるはずだ。
彼女は困ったように笑うと、逃げるように数メートルほど走ってから立ち止まった。
「会いたいと思っても会えないんだ、残念ながら」
はっとして罪悪感に
「すまない、嫌な質問しちまったな」
「ううん、気にしないで。わたしは一人ってわけじゃないから」
どういう意味かと日南が問う前に彼女は言った。
「わたしには弟がいるから、大丈夫」
そして北野は日南を振り返った。すっかりいつもの彼女に戻って言う。
「早く西園寺さんの部屋に行こう。リエトくんの作ってくれたお昼ご飯、冷めちゃうよ」
「ああ、そうだった」
日南は足を早めて彼女の隣へ並んだ。長いこと一緒にいるような気がしていたが、まだまだ彼女についてよく知らないことを実感した。