千葉は通話開始早々に謝った。
「急にすみません、こっちの方が早いかと思ったので」
「いえ、大丈夫です」
と、一坂が返し、日南隆二はうながす。
「それよりも、いったいどういうことなの?」
千葉の目線が通話画面から外れた。どうやら
「あれから何度か気にして見ていたんですが、先ほど確認したらロックが解除されていたんです。一坂さん、何か心当たりはありませんか?」
「……いえ。特には、思いつかないです。そもそも、ロックされていることにすら、心当たりがないくらいなので」
一坂の返答を聞き、千葉は冷静に返す。
「となると、単純に喜んでいいことではないかもしれません」
深刻さを匂わせる千葉に、日南もつい真剣な表情になる。どうにも胸騒ぎがして、何が起きているのか知りたくなる。
「これから急いで解読を進めますが、蛹ヶ丘魔法学校について教えてもらえますか? NPCがいたんですよね」
「ええ、そうです。五人、作りました」
千葉の表情がわずかに動いたのを、日南は見逃さなかった。
「その他にあなたのキャラは?」
「えっと、三人参加させました。でも、こっちは設定だけで、企画の中ではほとんど動かしていません」
「そうですか」
しばらくキーボードをたたいていた千葉が、手を止めて言う。
「八人、確認できました。ですが、今は四人に減っているようです」
一坂が悲鳴のような声を上げ、日南も驚いてたずねてしまう。
「何で? 虚構記憶は勝手に減るわけがないだろう?」
「ええ、そうなんですが……減った四人に関して、死亡という設定が付与されています」
「……私は、殺してなんて」
震える声で一坂がつぶやき、千葉は再び視線を横へとずらす。
「分かっています。この虚構記憶は何らかの異常を抱えています。くわしく調査する必要があるでしょう」
「現時点で他に分かっていることは?」
と、日南はやや前のめりに問う。
「えーと……いえ、まだくわしいことは何とも」
千葉が言葉を濁すように言い、そのまま続けた。
「今日中に可能な限り解読して、明日、上とかけ合ってみます。許可が下り次第、中へ入って直接調べてみます」
「千葉さんが、ですか?」
驚く一坂へ千葉は一瞬、視線をやった。
「ええ、僕ももう関係者ですから。『幕引き人』としても、何が起きているのか確かめたいんです」
一坂は不安そうな顔をしていたが、やがて「分かりました」とうなずいた。
「あとはそちらに任せます」
虚構世界に関しては彼らこそが専門家である。この件は千葉たちに任せる方がいいと日南も思った。
「ありがとうございます。それでは、また」
「はい、報告ありがとうございました」
「無理しないでね、千葉くん」
それぞれに言葉をかけて、通話は終了した。
デバイスをスリープさせてから日南はため息をつく。まさかこんな事態に発展するとは思わなかった。
翌日、出勤してすぐに千葉は虚構世界管理部を訪れた。
「おはようございます」
はきはきとした声で挨拶をし、近くにいた職員へ近寄る。
「業務課六組の千葉です。朝早くからで申し訳ないのですが、ご相談がありまして」
「相談?」
三十歳前後と思しき女性職員が怪訝そうにする。
千葉はデバイスを操作し、昨夜の解読結果を表示させた。
「89.6、53.4、2024.3の、タイトルを『蛹ヶ丘魔法学校』と言うのですが」
それだけの情報で女性職員はピンときたらしい。パソコンを操作し、位置を打ち込んでそれを表示させた。
「私たちも気にかけていた虚構ですね。これが……あら?」
彼女も気づいたようだ。千葉は言った。
「以前までロックがかかっていたのに、昨日の夜になって解除されたんです」
「そんな、いきなりどうして……」
目を丸くする職員へ千葉は冷静に言う。
「解読したところ、本来いるはずの虚構の住人が半分に減っていました」
「墓場じゃあるまいし、勝手に減るなんてありえません」
即座に返す女性職員に動じることなく千葉は続けた。
「ですから、相談に来たんです。さらに見たところ、どうやら中で殺人事件が起きているようでして」
「えっ」
好奇心を刺激されたのか、他の職員たちが次々に寄ってきて、左右から千葉のデバイスをのぞき込む。
「住人が勝手に動き出したってことか?」
「まさか、墓場で『幕開け人』が生まれた余波か?」
「いずれにしても異常事態ですよ、これ」
ざわつく職員たちだったが、ふいに重苦しい声がして一様にはっとした。
「朝から何の騒ぎだ?」
「おはようございます、部長」
口々に職員が返し、千葉は脳裏で虚構世界管理部の部長の名前を思い出す。
「朝から失礼しています、川辺部長。僕は業務課六組の千葉と申します」
丁寧に頭を下げる千葉を見て、川辺は神妙にたずねる。
「噂には聞いているよ。それで、いったい何の用だ?」
千葉が答えようとすると、すぐに女性職員が口を挟んだ。
「彼が見つけて教えてくれたんですが、虚構の住人が勝手に動き出しているんです!」
「まさか」
疑うように眉を寄せる川辺へ、千葉はデバイスの画面を向けた。
「こちらが解読結果です。住人が半分に減っており、中で殺人事件が起きているようなんです」
川辺が驚きのあまり言葉を失い、千葉はタイミングを逃すまいとして強い口調で言う。
「この件、僕たち六組C班に調査させてもらえませんか?」
昼休み、食堂で千葉から計画を知らされた一坂は伏し目がちになった。
「そう、ですか。でも、大丈夫です。消してください」
千葉は真剣なまなざしで彼女へ問う。
「後悔しませんか? 今ならまだ、ただ調べるだけにすることもできます。前例のない異常事態ですから、残しておくことも可能です」
日南隆二は内心でハラハラしながら様子を見守っていた。
一坂がふうと息をつき、おもむろに視線を上げて千葉を見つめる。
「もういいんです。過去のことですから、もうどうだっていいんです」
千葉が戸惑ったように日南を見る。一坂の言葉は自分自身に言い聞かせているようで、心の奥にひそむ未練を隠しきれていなかった。
「だけど、大事なものだったんでしょう?」
と、日南がたずねると、一坂は首を左右へ振った。
「昔のことです。私はもう、思い出したくないし解放されたい。だから、消してください。お願いします」
千葉へ向けて彼女が頭を下げると「幕引き人」は戸惑いを残しつつもうなずいた。
「分かりました。調査が済み次第、消去させていただきます」
これでいいのだろうかと日南は思う。しかし、一坂がこのことでもう苦しまずに済むのなら、その方がいいとも思う。
はっきりとした答えが出せずに矛盾する日南は、ただ一坂の横顔を黙って見つめるだけだった。