イニャスは淡々と、しかしどこか怒りを抑えるような声で言う。
「性転換する薬という、世界観にそぐわないものを持ち込んできた人がいたんです」
田村が小さな声で「くだらねぇ」とつぶやいた。話は聞いているようだが、態度からして飽きているらしいことがうかがえる。
イニャスは視線をやることもなく続けた。
「作者は優しいから受け入れてしまいましたが、僕はずっと不満でした。それは違うんじゃないかと、ずっと思っていました」
イニャスの覚えた違和感はよくない方向へ育ってしまった。
「そしてその結果、この世界は閉じられてしまったんです」
こらえきれずにため息をつき、イニャスは日南たちへ背中を向ける。
「この世界から次々に人がいなくなったのは、現実世界の参加者が見て見ぬ振りをしたからです。
日南梓はたまらず小さく息をつき、テーブルの一点をにらむ。作家としてだけではなく、虚構の存在としての気持ちも分かるだけに、複雑な感情だ。
「楽しかった日々は一変して、二度と戻ることはありませんでした。僕はもっとここで学びたかったのだけれど、作者はもう僕たちの日々を想像してくれませんでした」
物語が停止した瞬間だった。あとはひたすら最後の日を繰り返す。代わり映えのしない毎日を、自覚のないまま延々と繰り返す。
「ある時、僕は作者の心の声を聞きました。ほとんど憎んでいると言ってもいいくらいに、作者はこの世界を強く消したがっていました」
愛と憎しみは表裏一体だ。イニャスがそう受け取ったのも無理はない。
「だから、僕が消してあげることにしたんです」
彼が再び日南たちへ顔を向ける。
「作者があれほど願っているのに消去されないのなら、内側から壊すしかない。最初に生まれた僕だからこそ、この世界の最後を見届けるべきだとも思いました。だから、苦しかったけどみんなを殺したんです」
「それなら、俺たちが来る前に死んだ七人は?」
西園寺の問いかけにイニャスは首を横へ振る。
「かろうじて残っていた参加者たちです。でも、消すのは簡単でした。彼らは
生きながらにして死んでいたような存在だったのかもしれないと、日南は苦く思う。
現実世界ではきっと、とうに忘れ去られていた。今となっては、企画の作者に寄り添う人物がいなかったことの証左だ。物語の書き手として、こんなに悲しいことがあるだろうか。
「それらを先に片付けてから、作者のキャラクターに手をかけたと、そういうことか?」
千葉がたずねると、イニャスはうなずいた。
「ええ、そうです。僕の大事な友人たちを殺すのは、本当に辛かった。だけど、作者が望んでいることなんだから、誰かがやらなければいけません。そういった意味では、僕は少しも後悔なんてしてないんですよ」
「じゃあ、エクレアの顔をつぶしたのは何でだ?」
日南が質問をぶつけると、イニャスは遠い目をした。
「彼女もまた、わずかながら作者の声を聞いていました。でも誰かを殺すのは嫌だから自分で死ぬと、毒を飲んだんです」
「自殺だったのか」
「ですが、僕としてはどうしても他殺にしたかった。それで彼女が毒を飲んだことが分からなくなるよう、顔をつぶすしかなかったんです」
何とも言えないため息が館内を満たす。
「燈実さんの顔をつぶしたのは、一度だけでは怪しまれると思ったからです。もう一人くらい、同じ方法で殺しておかないと、あの時だけ特別だったと気づかれる恐れがありました」
少年にしてはよく回る頭だ。
「でも、やっぱり顔をつぶすのは痛々しくて見ていられません。後頭部に魔法をぶつけて殺害する方が、僕には合っていました」
どうして後頭部を狙ったのか、日南は一瞬にして理解した。
「友人だったんだもんな。お前は殺す時に顔を見たくなかったんだ」
「ええ、そうです。僕はやっぱり、気の弱い
犯人の告白がついに終わった。
千葉がこれまでの話を簡潔にまとめる。
「つまり、作者が自分でも自覚できないような深層心理に、虚構の住人が触れたことで、内部からの破壊が行われていた。
残る謎は二つ。どうして『幕開け人』がこの世界へ入って来られたのか。そして、何故突然にロックが解除されたのか」
千葉の問いかけにイニャスは淡々と言った。
「梓さんたちが入って来られたのは、興味があったからですよ。作者は『
千葉が神妙にうなずく。
「興味があったから、か。なるほど、記録課にいるのだから、その可能性は否定できないな」
「もう一つの疑問は簡単です。単純に壊れかけていたからですよ」
殺人事件により内部崩壊が進み、残った登場人物が減ったことで、自然とロックが解除された。
イニャスの答えに日南は腑に落ち、千葉も首を縦に振った。
「そういうことか。これで調べたかったことは全部分かった」
「っつーことは、オレたちが消すまでもなく、作者自らがこの虚構を消そうとしてたってわけだ」
田村が結論を口に出し、がたっと席を立つ。やはりとっくのとうに飽きていた様子だ。
「さて、もうこれでいいよな?」
片手を後ろへ回した田村は、再び大きな鎌を取り出した。
「ぶっ壊すぜ?」
日南たちは慌てて席を立ち、それぞれに武器を取る。しかし、意外な声が殺気立つ彼らを制止した。
「待ちなさい、田村くん」
「えっ」
びっくりした顔で田村が振り返ったのは土屋だ。彼女は真剣な顔をして言った。
「千葉くんも、少しだけでいいから時間をくれる?」
「ええ、かまいませんが」
怪訝そうに千葉が返し、土屋はまっすぐに北野を見つめた。
「あなた、北野響じゃないわよね」
北野は驚いた顔をして、びくっと肩を震わせた。
「え? わ、わたしは、北野響だけど……」
間髪を入れずに土屋が問う。
「それなら私のこと、覚えてるはずでしょう?」