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第3幕 新東京エリア二区

第1話

 オペレーターとの打ち合わせを終え、虚構世界へ入るための装置RASへ向かう途中、千葉航太ちばこうたは班長へ声をかけた。

「あの、土屋さん。一つ聞きたいことがあるんです」

 前を歩いていた土屋美織つちやみおりが振り返って首をかしげる。特徴的な長いポニーテールが揺れた。

「何?」

「昨日のことです。土屋さんは、北野響きたのひびきと知り合いだったんですか?」

 土屋は「ああ」と、何でもないことのように前を向いた。

「前に、一緒の劇団にいたのよ。採算が取れなくて解散しちゃったけどね」

「ああ、そうだったんですね」

 それなら知っていて当然だと、千葉は納得した。互いに知っている相手のはずなのに、あちらは土屋のことを知らなかった。それでああした会話がなされたのだろう。

 土屋が扉を開けて室内へ入っていき、その後に続いて千葉も足を踏み入れる。

 RASは白いリクライニングソファのような形をしており、三台並んでいた。土屋が中央の装置へゆったりと腰かける。

 いつものように右端の装置へ向かった千葉は、腰を下ろす直前に田村楓たむらかえでと目が合った気がした。何か言いたげな表情に思われたが、すぐに田村が腰を下ろしたために姿は視界から消える。

 少し気になったものの、千葉は気持ちを切り替えてRASへ座ると、リラックスして機械に体を預けた。


 森を抜けた途端、蛹ヶさなぎがおか魔法学校で手に入れた武器やアクセサリーは瞬時に消えた。あの世界が消去されたことを実感させられる出来事だった。

 先に広がっていたのは果てしない荒野で、雑草一本生えていない。延々と歩き続けていると、ふいに北野が立ち止まってつぶやいた。

「ここ、物語の跡地なのかも」

 日南梓ひなみあずさは足を止め、今にもくずおれそうな彼女へ手を伸ばす。

「大丈夫か?」

「うん……でも、何だか呼ばれているような気がするの」

 返す声は苦しそうで、日南は彼女のそばへ寄ると肩へ腕を回した。

「呼ばれてるって誰にだよ」

 冗談めかして言う日南だが、北野は何も返さなかった。なんとなく不穏な空気を感じ取り、日南は口を閉じる。

 すると先を行っていた西園寺悠真さいおんじゆうまが、二人へ向けて両手を振った。

「おーい! こっちに何かあるぞー!」

 はっとして日南は北野へ言う。

「もう少し歩けるか?」

「うん、頑張る……」

 彼女がゆっくりと足を前へ出し、日南はその歩調に合わせながら歩き出す。

 ただただ殺風景なばかりの景色に姿を現したのは、一軒の小屋だった。長いこと風雨にさらされたのだろう、かろうじて原形を留めているような状態だ。

 西園寺がきしむ扉を開けて、日南は北野を支えながら中へ入る。

「廃墟だな、これは……」

 苦笑いをしながら日南は言い、北野をゆっくりと近くの壁際へ座らせた。

 小屋の中には天井や柱だったものがあちらこちらに落ち、床もでこぼこで汚れていた。また、割れた窓から入った砂で埃っぽくもある。

「北野ちゃん、少しここで休んでいこう。いいよな、日南」

「ああ、そうするしかないだろう」

 西園寺の提案に日南は同意し、北野を見る。

「まだ呼ばれてる気はするのか?」

「うん……」

 北野は虚ろな目をしてうなずき、日南は困惑する。自分や西園寺は平気なのに、北野だけ調子が悪そうだ。何か明確な原因があるのだろうかと考えたところで、彼女が言った。

「あ……ごめ、ん……わたし、ちょっと行って、くる……」

「は?」

 驚く日南だったが、北野はまぶたを閉じて意識を失ってしまった。

 様子を見ていた西園寺と顔を見合わせ、日南はたずねる。

「どうしたらいいんだ、これ」

 西園寺は心配そうに眉を寄せて「うーん」とうなる。

「気を失っちゃったようだし、目が覚めるまで待つしかないんじゃないか?」

「それもそうか」

 とりあえず彼女を床へ寝かせ、日南はため息をついた。北野がこんな風になるのは初めてだ。

「とりあえず、奥を見てくる」

 西園寺がそう言って小屋の奥へ足を踏み入れた。電気は通っていないようで薄暗く、じきに彼の姿は闇にまぎれた。

 日南は黙ってその場に腰を下ろすと、頭を抱えるようにうなだれた。

「何なんだ、呼ばれてるって。行くってどこにだよ」

 彼女の不可解な台詞が気にかかった。しかし、北野は死んだように眠っている。

 日南がどれだけ頭を使ったところで、原因が分かるとは思えなかった。


 日南隆二ひなみりゅうじは記録課でいつものように仕事をしていた。しかし、正面にいるはずの一坂律子いちさかりつこの姿はない。彼女は体調が悪いということでめずらしく休んでいた。

 仕事は一人でもできるが、やはり彼女がいないと妙な感じがする。特に記録課は三人しかいないため、今は日南と長尾ながお課長の二人きりだ。

「心配だよねぇ、りゅーくん」

 唐突に呼びかけられて、日南はとっさに課長の方を見た。

「え?」

 戸惑いをあらわに返した日南へ、長尾は普段通りのにこにことした笑みを浮かべる。

「りっちゃんのことだよ。さっき聞いたんだけど、彼女の虚構を消したんだって?」

「……ああ、はい」

 急な話題についていけない日南だったが、なんとか平静を取り戻して答える。

「彼女が消したがっていたので、業務課の千葉くんに相談したんです。それで、結果的に消してもらったんですけど」

 長尾は「ふーん」と、どこか意味深長に両目を細めた。

「どういう虚構だったの?」

「え、っと……ファンタジーです。いろいろ事情があって、どう説明したらいいか分からないんですけども」

 と、日南は逃げるようにパソコンへ視線を戻す。

 実際は彼女の物語に関する情報がすでにぼやけて曖昧あいまいになっていた。消去されると記憶は時間とともに薄れていくことを、あらためて実感する。

 長尾はすると、デスクの上で頬杖をついた。

「心配だねぇ」

「一坂さんが、ですか?」

 横目に見た長尾は遠くを見るような目をしていた。

「うん。体調が悪いからっていう話だったけど、りっちゃんも繊細せんさいな子だと思うからねぇ」

 彼の言っている意味が日南にはよく分からなかった。たずねようかとも思ったが、勤務中にあまり無駄話をしているわけにもいかない。

「そうですね」

 と、無難な相槌あいづちを返して、日南は再び仕事へ集中した。

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