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第4話

 目を覚ました北野は思うところがあったらしく、日南梓から視線をそらして小さくつぶやいた。

「二回もやっちゃったら、もう隠しておけないよね……」

 起き上がり、木の幹へ背中をもたれて息をつく。

 日南と西園寺は黙って彼女が話し始めるのを待っていた。

「あのね……スパイの捜査、進んでるって。警察の方ではもう、だいたい絞り込めてるみたい。だから、そろそろ潮時かもしれないって」

 たずねたい気持ちをこらえて日南は相槌を打つ。

「そうか」

「バレる前に終幕管理局を辞めた方がいいって提案してるけど、まだ答えはもらえてないみたい。でもね、後を継いでくれそうな人がいるんだって。二代目のスパイになってくれるかも。そうしたら、わたしたちはまだ活動を続けられる」

 北野の話し方はこれまでと違い、自信の感じられない口調だった。

「けど、もうしばらく様子見。ここでわたしたちにできるのは、ひたすら落ち着ける場所を探すだけ」

 しかし日南たちの空気を感じているのだろう、北野は立ち上がろうとしなかった。

 日南は西園寺に軽く目配せをしてから口を開いた。

「今の情報、どうやって手に入れた?」

「……夢でね、教えてもらったの」

「眠っている間にってことか? お前は現実世界の人間なのに?」

 日南の真剣な目を見返して北野は言う。

「騙すつもりはなかったの。でも、わたしは厳密に言うと現実世界の人間じゃない。そういう設定の、虚構の存在なの」

「やっぱりな」

 と、日南が息をつくと彼女はきょとんとした。

「気づいてた?」

「ああ、そうなんじゃないかって西園寺と話してたんだ」

 西園寺もため息をつき、言う。

「ちょっとショックだな。でも、それでどうやって現実世界の情報を?」

 北野は座り直してから答えを返す。

「さっきも言ったように、夢の中でリンクするの。現実世界で起こっていることや、今後どういう風に行動したらいいかを相談して決めるんだ」

「誰と?」

 すかさず日南が詮索すれば、北野はわずかに視線を泳がせる。

「……弟」

「弟? 現実世界の北野響じゃないのか?」

 怪訝けげんに眉を寄せる日南へ、彼女は首を横へ振った。

「ごめんなさい。本当に騙すつもりはなかったの。わたしは……現実世界での北野響は、もう死んでるの」


 金曜日になると、一坂はまた仕事を休んだ。

「昨日は元気そうだったのに……」

 心配になる日南隆二へ長尾課長がたずねる。

「仕事の後、りっちゃんと一緒にいたのかい?」

「ええ、一緒に映画を観に行ったんです。昔流行ったアニメで、二人とも好きだってことが分かったので」

「へぇ、映画デートか。仲良くやっているようだねぇ」

 にやにやと笑う長尾を見て、日南ははっとした。まだ付き合っていることを課長には話していなかった。

「あ、いや、その……」

「ごまかさなくていいよ。二人ともお似合いだもの」

「そ、そうでしょうか」

 お似合いだと言われると嬉しくて、日南は頬をじんわりと熱くしてしまう。

 すると長尾は話を戻した。

「けど、それならなおさら心配だよねぇ。りっちゃんが短期間に何度も休むなんて初めてだし」

「……そうなんですか」

 記録課の主任を務める彼女のことだ。きっとこれまで目立った欠勤もなく、真面目に仕事をしてきたのだろう。

 長尾はデスクに頬杖をつき、彼女の席を見つめながら言った。

「まずかったのかもしれないなぁ」

「何がですか?」

 日南が怪訝な顔で聞き返すと、長尾はちらりと視線を寄越しながら短く答える。

「物語を消したことだよ」

「えっ」

 思わぬ答えにびっくりして肩を揺らした。

 長尾は日南を粘着質なまなざしで見つめた。まるで心の奥まで観察されているようで、日南は居心地が悪くなる。

「隆二くん、君は律子ちゃんを助けたいと思うかい?」

 唐突な質問に戸惑いつつも日南は返す。

「……は、はい」

「そのためなら秘密も守れる?」

 日南は背筋を伸ばしてはっきりと返した。

「はい、守ります」

 二人きりの記録課に静寂が訪れる。長尾は無言で手招きをした。

 席を立ち、日南は彼の前まで移動する。

「記憶にはね、核があるんだ」

 と、真剣な顔をして長尾がややひそめた声で言う。

「消去されてもそれだけは残っている。核は情報をぎゅっと圧縮したようなもので、量子だ。しかし核さえ取り戻せれば、記憶を復元することも可能だとされている」

「記憶の核……」

「律子ちゃんの物語の核も、きっとどこかにあるはずだ。それを見つけて復元できれば、彼女は元気になるかもしれない」

 しかし、日南には腑に落ちなかった。

「本当に物語を失ったことが原因だと?」

「ああ、僕はそう思うね」

「前例か何か、あるんですか?」

 長尾はふと微笑むように両目を細めた。

「あるよ。ただし、科学的な裏付けがあるような話じゃない。それでも、失くしたものを取り返すことで、安定することは確実だろうと考えている」

 しかし、物語の消去は彼女自身が望んだことだ。それをなかったことにするのもどうだろうかと日南は思う。もしかすると、苦しい思いも同時に復元されてしまうのではないか。

 迷った末に日南は言った。

「参考のために聞きますけど、その記憶の核を取り戻す方法っていうのは、あるんですか?」

 長尾はにっこりと笑ってうなずいた。

「ああ、アカシックレコードを破裂させるんだ」

 日南は驚くと同時に気持ちがしらけてしまった。

「ここ、終幕管理局ですよね?」

「そうだよ」

「どうしてそんな、不吉なことを言うんですか?」

 元々長尾のことはよく分からない人だと思っていたが、ますます分からなくなってしまった。課長という立場にそぐわない言動をするのは知っていたものの、さすがに今回の発言は看過できない。

 すると長尾は怖気づいたのか、「何でだろうねぇ」とはぐらかそうとした。

 日南は目付きを鋭くして問い詰める。

「答えてください。秘密を守れるかどうか、というのと関係してるんじゃないですか?」

 真剣な日南を見て、長尾は白状する気になったようだ。深々とため息をついてから言った。

「娘が世話になったんだよ、『幕開け人』の彼らにね」

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