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第5話

 その夜、日南隆二は長尾の家へ招かれた。

 三区でも比較的高台にあるマンションで、長尾は妻と二人で暮らしていた。

「あ……」

 奥の和室に仏壇を見つけ、日南は思わず足を止める。

 察した長尾は和室へ入ると電気をつけた。

「おいで」

「はい」

 緊張気味にそちらへと足を進め、日南は長尾の隣へ並んだ。

「娘の智乃ちのだ。二十歳になったばかりだった」

 仏壇に置かれているのは、あどけない顔の少女の写真だ。長尾とはあまり似ておらず、丸顔で優しい目をして微笑んでいる。

 日南は胸が締めつけられる感覚を覚えながら、長尾へ言った。

「お線香をあげさせていただいても、よろしいですか?」

「ああ、もちろん」

 長尾が仏壇の前へ行き、ろうそくに火を灯す。準備を整えたところで振り返り、日南も前へ出た。

 脇へずれた長尾に代わり、日南は仏壇の正面に座り込む。慎重に手を合わせて礼をしてから、線香を取り火に寄せる。

 煙が立つのを確認してから香炉に立てて、再び手を合わせた。両目を閉じてしっかりと祈りを捧げる。――彼女の死を無駄にはしたくないと思った。

 日南が顔を上げたところで居間の方から声がした。

「お食事、できましたよ」

 長尾が「ああ」と立ち上がり、日南も後に続く。

 和室をそのままに食卓へ向かうと、長尾の妻がにこにこと笑いながら言った。

「日南さんでしたっけ? お口に合うといいんですけれど」

 テーブルには鶏の照り焼きにナムルが並んでいた。炊きたての白ご飯と茄子の入った味噌汁もあり、一人暮らしの日南からすれば豪華な献立だ。

 示された椅子を引きながら、日南は笑みを返した。

「実家にいた頃を思い出します」

 向かいに長尾が座り、妻は冷蔵庫から麦茶のポットを取り出し、手際よくグラスに注ぎながら言う。

「どうぞ、遠慮なく食べてくださいね」

「はい。いただきます」

 両手を合わせて感謝の意を表してから、日南は箸を手に取った。照り焼きを一口食べて、少し濃いめの味付けに思わず頬がゆるむ。

「美味しいです」

「それはよかった」

 と、妻が麦茶のポットを冷蔵庫へしまい、戻ってきてから長尾の隣へ座る。

 夫婦も遅れて食事を始め、少ししてから長尾が言う。

「仕事のことだけど、君はたしか、プログラミングができるんだったね」

「ええ、趣味でかじった程度ではありますが……」

「それなら、今の仕事を自動化できないだろうか?」

 唐突な提案に聞こえたが、長尾の真意は分かっている。

「できると思います。少し時間はかかりますが、やってみましょう」

「よかった。それができれば、記録課の仕事はどうにかなりそうだな」

「ええ。今は補助AIもありますし、一人や二人いなくなったところで問題にはならずに済むかと」

 二人の話を妻は黙って聞いていた。表情がわずかに沈んで見えるのは、事情を知っているからだろう。

「りっちゃんもいつ戻ってこられるか、分からないからね」

「そうですね」

 長尾の言葉に日南はうなずきながら、頭の中で計画を立てた。

 記録課の仕事は一言で言えばデータ入力だ。特定の文字列を拾ってテンプレートに記入していくだけなのだから、数日もあれば完成するだろう。問題はその先だ。


 部屋へ帰った日南は、シャワーを浴びてからベッドへ座った。デバイスを操作してメッセージを打ち込む。

「体の具合はどうですか? 俺は今日、長尾課長のお宅で夕飯をごちそうになりました。課長といろいろ話をして、気づいたことがあるんです。俺はやっぱり、小説を書くのが好きでした。物語を紡ぐのがとても楽しかったのにやめてしまったことを、初めて強く後悔しました」

 キーを打つ指先がわずかに震える。日南は息をついて気持ちを整え、続きを打ち始めた。

「きっと一坂さんも同じだと思います。だから俺は決めました。一坂さんの物語を、俺が取り戻してみせます。蛹ヶ丘魔法学校、俺に見せてください」

 送信ボタンを押すとまぶたが熱くなった。うっすらと浮かんだ涙を指で拭うと、一坂から返信が来た。

「何をしようとしているんですか?」

 ただそれだけの一文に、日南は返す。

「後で説明します。今はとにかく休んでください。こっちのことは心配しないで」

 次の返信には少し時間がかかった。

「分かりました。でも、お願いだから危ないことはしないでくださいね」

 彼女の優しい気持ちにそむこうとしている自分を自覚し、日南はため息をつく。しかし、もう決めたことだ。

「大丈夫です。俺を信じて待っていてください」

 メッセージを打ち込み、躊躇ちゅうちょする前に送信した。

 夜の静けさが体に沁みて、日南はデバイスを閉じるとベッドへ倒れ込んだ。これから先に起こる出来事を想像し、怖気づきそうになる自分を心の中で叱咤しったした。


 荒野を歩き続けて何日が経っただろう。唐突に現れた建物を目の前にして、日南梓は力なくつぶやいた。

「プレハブ小屋だ」

「プレハブ小屋だな」

「プレハブ小屋だね」

 西園寺と北野も呆然とした声で続けた。

 風雨で多少汚くなってはいるが、明らかに人の気配を感じさせる。周辺はあいかわらずの荒野なだけに、ひときわ異様で目立って見えた。

 日南はそっと扉へ手を伸ばす。開けようとしてためらい、拳を作ってノックした。

 反応はなかった。今度こそ扉を開けて、おそるおそる中をのぞく。

「あのー、すみませーん」

 小屋の中には綺麗な棚がいくつかあり、書類でも入っていると思しきファイルブックが並んでいた。

「誰かいませんかー?」

 声をかけつつ足を踏み入れる。後から北野と西園寺も入ってきて、三人はきょろきょろと室内を見回す。

「人はいないみたいだね」

「けど、明らかに人がいたっていう痕跡はあるよな」

 と、日南が視線を向けたのはゴミ箱だ。飲み物の入っていたと思われるペットボトルが、つぶされた状態でいくつか捨てられていた。

 すると西園寺が何かを見つけて声を上げた。

「おい、二人とも。ここに何かある」

 床を見ていた西園寺の後ろから、日南と北野は肩越しにのぞき見る。地下倉庫でもあるのだろうか、人一人が通れそうな大きさの扉だった。

 西園寺が振り返り、日南は指示を出す。

「開けてみろ」

「う、うん」

 少し怖気づきながら西園寺は取っ手を引き出して持ち上げた。

 現れたのは階段だ。しかも先の方にうっすらと光が見える。

「人がいそうだな。行ってみよう」

 と、日南は率先そっせんして階段を下り始めた。

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