「ねぇねぇ、未解決事件って実際どうなの?」
図書室へやって来るなり、ユイが質問を投げかけてきた。
本を選んでいた日南梓は視線をやりつつ聞き返す。
「どうっていうのは?」
「だから、実際に解決されることってあるのかなぁ、ってこと」
日南は「ああ、そういう……」と、質問の意図を理解してつぶやくが、すぐに答えは出せなかった。
「ないわけではないが、解決されないままの事件も多いよな」
「だよねぇ」
と、ユイは言いながらも腑に落ちない顔だ。
日南は本棚へ視線を戻しながらたずねた。
「他にも何かあるのか?」
「うーん……可哀想だなぁって思ってさ」
ユイは日南が見ているのとは反対側の棚へ体を向けた。
「犯人がずっと見つからないって辛いよね。そりゃあ、遺体すら見つからないっていう、最悪中の最悪みたいな状況があるのも分かるんだけど、やっぱり見つかった方がいいに決まってるし」
「真実なんて簡単に捻じ曲げたり、隠蔽したり出来ちまうもんな」
「うん……でも、小説の中では真実は一つでしょう? 現実もそうだったらいいのにって、僕、ずっとずっと考えてたんだ」
どこか遠くを見つめるような彼の物言いに、日南はふと息をつく。
「アカシックレコードって知ってるか?」
「全部の記憶が記録されてるやつ?」
と、ユイが振り向く。
「ああ、そうだ。それは惑星の形をしていて、すべての記憶がそこにある。でも、その記憶すらも人間の手によって消すことができるんだ」
「……アカシックレコードなのに」
「理不尽だよな」
日南は軽く苦笑してから言う。
「でも、それに抗おうとしているやつらもいるんだ。消された記憶を取り戻そうとして、過去の事件の犯人を追っているやつらが」
つかの間、室内が静かになった。そしてユイがくすりと笑う。
「おもしろい話だね。犯人が見つかって、記憶が取り戻せたらいいね」
虚構の住人であるユイにとって、現実世界の情報は信じられるものではなかったようだ。思えば、自分だって最初は受け入れられなかった。
日南は妙に懐かしいような気持ちになって、「そうだな」と笑った。
一坂の体調が少しよくなったと聞き、日南隆二は仕事終わりに彼女の部屋を訪れた。
「すみません、全然片付けてなくって」
申し訳なさそうに言いながら、一坂は日南を中に上げてくれた。
「えっと、どうぞ、適当なところに座ってください」
一坂の部屋はゴミが散乱していた。慌てて彼女が片付けをするが、端には口を閉じたゴミ袋がいくつも積まれている。
「一坂さん、具合はどう? コンビニで少し食べるもの買ってきたんだけど」
と、日南がビニール袋を差し出すと、彼女は抱えたゴミ袋を脇に置いた。振り返り、日南から食べ物を受け取る。
「すみません、ありがとうございます」
と、また申し訳なさそうにうつむく。髪の毛もブラッシングが間に合っていないらしくボサボサで、着ているものもラフな寝間着だ。
多少の困惑を覚えつつ、日南は笑みを返した。
「気にしないでください。俺が好きでやってることだし」
「……そう、ですか。えっと、仕事の方はどうですか?」
一坂は簡易キッチンへ移り、ビニール袋の中身を取り出し始める。ビスケット型の栄養食品やヨーグルトなど、比較的食べやすいものばかりだった。
その様子を見ながら日南は床へ腰を下ろした。
「自動化したので心配いらないですよ」
「え?」
一坂が目を丸くし、日南はにこりと返す。
「長尾課長も辞めてしまったんで、今は俺一人なんです。でも、問題はありません」
「そう、でしたか……まさか、課長が」
と、信じられない様子で一坂はつぶやく。
噂によれば、長尾は警察に逮捕されたらしいが、実際のところを確かめてはいなかった。そのため、まだ一坂に伝えるべきではないだろうと判断して、日南は話題を変える。
「自動化プログラムは俺が作ったんですけど、総務部の相田部長に褒められる程度にはいい出来なんです。なので、正式に取り入れてくれることになりそうで」
「それなら、私はもういりませんね」
「え?」
一坂は食べ物を冷蔵庫へしまいながら言った。
「私、家族のところに帰ろうかと思ってるんです。今日は体が動きますが、またいつベッドから起き上がれなくなるか、分からないので」
日南はショックを受けたが、考えてみれば賢明な判断だ。
「じゃあ、仕事辞めちゃうんですね」
「はい。でも、日南さんとはつながっていたいです」
ぱたんと冷蔵庫の扉を閉めて、一坂はその場にしゃがみこんだ。
慌てて日南がそばへ寄ると、彼女は嗚咽のような声で言う。
「なんで、こんなことになっちゃったんでしょう……?」
真面目で責任感の強い彼女が何を思っているのか、日南は分かるような気がした。彼女へ言い聞かせるように、できるだけはっきりと伝える。
「一坂さんは何も悪くないです。何も責任を感じなくていい」
「でも……っ」
そっと両腕を伸ばして、日南は小さな彼女を抱きしめた。
一坂はすがりつくように彼の背へ腕を回し、かすかな泣き声を狭い部屋に響かせた。
図書室で西園寺が椅子に座って本を読んでいた。
その表紙を見つつ、日南梓は向かいに腰を下ろす。気づいた西園寺が視線を上げ、日南は言った。
「おもしろいよな、『星降り山荘の殺人』」
「うん、まだ途中だけどおもしろいよ。この探偵役、すごくいいキャラしてるし」
と、本にしおりを挟んでテーブルへ置く。
日南はにやりと笑った。最後まで読んだ西園寺がどんな感想を抱くのか、想像して楽しみになる。
しかしネタバレは避けねばならないと考え、話題を変えた。
「吹雪の山荘、っていうとベタだけどな」
「クローズドサークルの定番だよな」
何も知らない西園寺が普通に話に乗ってきて、日南は返す。
「嵐の孤島もだな。アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』とか」
「ああ、あれもおもしろかったなぁ」
「舞台設定としては現実的じゃねぇけど、クローズドサークルはまずそこに目をつぶらないと楽しめねぇ」
「そうだよな。現実主義の日南が館シリーズ読んでるって聞いた時、ちょっとびっくりした」
「それはそれだろ、小説はそもそもフィクションだし」
「いやあ、そうなんだけどさぁ。しかも自分でもミステリー書いてるって言うんだから、本当にびっくりしたなぁ」
笑う西園寺にむすっとして見せて、日南は言い返す。
「フィクションにはフィクションの楽しみ方があるんだよ。現実を持ち込んだらいけねぇの」
「でもリアリティラインは重要だよな」
「ああ、それが難しいところでもある」