日南梓はテーブルに頬杖をつき、近くの棚を何気なく見やった。
「推理における論理にも言えるが、読者の理解を越えるようなもんをぶっこまれると台無しになっちまうんだよな」
「現代日本を舞台にしているはずなのに、急にオカルトが出てきたりとかな」
と、西園寺が言い、日南は思わず吹き出した。
「お前の好きなオカルトじゃねぇか。合わなかったやつがあんのか?」
「うん、冷めちゃって放り投げたのがあるよ」
西園寺は苦笑し、ため息をつく。
「いい作品を書くのって、本当に難しいもんなんだよな」
「おいおい、編集者のお前が言うなよ。それは作家であるオレの台詞だろ」
「だって、つくづく難しいなと思ってさ」
ふと日南は頬杖をやめて友人の顔をまっすぐに見た。
「なぁ、オレたちの物語ってどんなだったんだろうな?」
察した西園寺は視線を下ろす。
「うーん、たぶん俺が助手だよな」
「ああ、それでオレが『理不尽探偵』」
「口癖が理不尽だ、だもんな」
日南のことをよく分かっている西園寺に言われると、少し自分が
「作者はもしかしたら、世の中の不公平や理不尽に嫌気が差してたのかもな」
「現実主義で
「読んでみたいな、オレたちの物語」
自分が主人公だと分かっているからこそ、日南はそう思った。
西園寺もうなずき、つかの間、二人は作者へ思いを馳せた。
「あれから一週間経ったけど、全然音沙汰ないよ。やっぱり無理だったんじゃないか?」
床に布団を敷きながら、東風谷は言った。
ソファに寝転んだ渡は天井に視線をやったまま返す。
「まだ一週間だろ? もう少し待ってみないと分からないよ」
「……そうだな」
枕を布団へ落とすように置き、東風谷はあくびを漏らす。
「それじゃあ、おやすみ」
「ああ」
部屋の電気を消してから、東風谷は布団へ横になった。
渡はしばらく目を開けたまま、じっと宙をにらみ続けた。
千葉の部屋で情報を共有し、推理を進めるのがいつものことになっていた。
集めた資料をまず千葉が読み上げる。
「嵯峨野
次に日南も別の資料を声に出して読む。
「川辺
「頼成
「相田
日南の視線を受けて千葉は返す。
「怪しいのは川辺部長と頼成部長ですね。局長に関しては何とも言えませんが、なんとなく容疑者ではないような気がします」
「うん、俺もそう思う。動機から考えて怪しいのは、やっぱり川辺部長かな」
「自分の仕事を邪魔されることに腹を立てて、といったところでしょう」
「けど、被害者との接点が分からない」
日南と千葉はほぼ同時に息をついた。それぞれに口を閉じて考え込み、ふと日南は言う。
「そういえば、千葉くんに話しておきたいことがあるんだ」
視線を上げて千葉はたずねる。
「何ですか?」
「その……一坂さんのこと、なんだけど」
まだ言葉が整理しきれていないまま、日南はぽつりぽつりと語り始める。
「彼女がずっと休んでいるのは知ってるだろう? もしかしたらその原因、彼女の大事にしていた物語を消したからかもしれないんだ」
千葉がはっと息を呑む。
「彼女は喪失感があるって言ってた。心の中に穴が空いたみたいに、虚しいんだって」
「……」
「それで気力がなくなってしまって、最近はベッドから出るのも難しくて……仕事を辞めて、家族のところに戻ることを本気で考えてる」
「そんなに、ひどいんですか」
「うん。一度部屋に行ったけど、一坂さん、本当に辛そうでさ……見てられなかった」
一つ息をついてから日南は千葉を見る。
「でも、消されても記憶の核は残ってるんだろう? 俺、それを見つけたいんだ」
千葉が険しい顔をする。
「ノウム核は量子ですよ。見つけられるわけないじゃないですか」
「無理なのは分かってる。それでも、彼女の物語を取り戻したいんだ」
日南がそう言いきると、察しのいい千葉は目を見開き、苦々しい顔になった。
「それは、つまり……」
「ごめん、千葉くん」
日南はその場で頭を下げた。自分勝手なのは分かっていた。
重苦しい沈黙が二人の間を漂い、やがて千葉が落ち着いた口調で問いかける。
「北野響の事件について調べているのは、ただの正義感からですか? それとも、他に理由があるんですか?」
おそるおそる頭を上げて、日南隆二は真剣な表情を返す。
「彼らが知りたがっているんだ。誰が彼女を殺したのか、俺が見つけて教えないといけないんだ」
「……そうですか」
千葉はいつになく困ったような顔をして、じっとテーブルの一点を見つめていた。
言葉を尽くして理解を得ようかと考える日南だが、千葉は馬鹿ではない。彼が自分で答えを出すまで待つのがいい。
しかし、千葉は言った。
「すみません、考える時間をください」
「……分かった」
日南は立ち上がり、隣の席に置いた鞄を肩にかけた。
「結論が出たら連絡して」
と、彼に声をかけてから玄関へ向かう。
扉を開けて廊下へ出ると、すっかり外は暗くなっていた。部屋の中の冷たく重たい空気とは正反対の湿度と熱が、日南の肌にまとわりついて、無意識のうちにため息が出た。