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第19話

 一晩中考えても答えが出ず、千葉は田村を誘って一区へ来ていた。

 気分転換したかっただけでなく、ここしばらく恋人のことをほったらかしにしていた自覚があったためだ。

 久しぶりに二人きりになれたことが嬉しいのか、田村は終始、機嫌がよさそうだった。

 人気の蕎麦屋でランチをしている最中、田村が千葉へたずねた。

「で、あいつと何やってんだ?」

 千葉は内心の動揺を押し隠して答える。

「北野響について調べてるんだ」

「何で?」

 いつもなら目を見てくることはないのに、田村はよほど気になるのか、千葉をじっと見つめた。

 ざる蕎麦を食べながら千葉は冷静に説明する。

「土屋さんが彼女と知り合いだったらしいが、虚構世界の彼女は知らなかっただろう? あれが虚構の住人であることは以前から分かっていたが、どうも腑に落ちなくてな」

「それで?」

「日南さんは北野響と名乗る人物と、一度だけ接触している。しかし、彼女が事故で死んだことを知って、どういうことなのか気になったらしい。だから僕も一緒に調べているという、ただそれだけのことだ」

「嘘だ」

 即座に否定されて千葉はドキッとした。

「何でだよ、本当だって」

 と、千葉は隠そうとするが、田村はかき揚げをかじって言う。

「だったらオレの目、見て話せよ」

 無意識に千葉は視線をそらしていたらしい。自分にそんな弱点があったとは気づかず、千葉は口を閉じた。

 しかし日南が終幕管理局を裏切って「幕開け人」の側にいることを、話すわけにはいかない。今行っている調査が「幕開け人」の求めているものだと伝えれば、千葉もまた裏切り者になってしまう。

「ごめん。少なくとも、お前に迷惑がかからないようにしたいとは思ってる」

「意味分かんねぇ」

 短く返す田村の言葉に、千葉は再び「ごめん」と小さく繰り返した。

 千葉は黙って蕎麦をすすり、田村も無言でかき揚げをさくさくと食べ進めていく。

 先ほどまでの楽しい雰囲気は消え去り、代わりに重苦しい空気が居座った。


 ショッピングモールを出て駅へ向かっていると、前方の車道に高級車が停まっているのを見つけた。

「なぁ、航太」

 田村が何か言いかけると同時に、車から見知った顔が降りてくる。土屋だ。

 思わず足を止めた千葉を見て、田村もその視線の先を追う。

「あれ、土屋さんじゃん」

 車内にいる誰かと何か言葉をかわしてから、土屋がどこかへと歩き出す。幸いにも千葉たちに気づく様子はなく、横の道へと入っていった。

「あの車、何だ?」

 ふと疑問に思った千葉へ田村が即答する。

「局長じゃね? たしか土屋さん、局長の姪だっただろ」

「局長の姪……」

 そういえば以前にそうした話を聞いた覚えがある。すっかり失念していた千葉だったが、思考は高速回転を始めていた。

「どうした?」

 怪訝そうに首をかしげる田村にかまわず、千葉は額に片手をやって考え込む。いや、もう考えずとも答えは見えていた。

 すぐ横を高級車が走り去り、千葉は顔を上げて言う。

「ごめん、楓。すぐ日南さんに会わないと」

「は?」

「本当にごめん。今日は楽しかった」

 言いながら千葉は駅へ向かって駆け出した。

 残された田村は一人、その場に立ち尽くす。去り行く千葉の背中を目で追いながら、ぽつりと独り言のようにつぶやいた。

「何なんだよ……」

 どうして千葉が日南へ会いに行ってしまったのか、理由が分からない田村はただ表情を不快にゆがめた。


 図書室へ向かおうとして廊下へ出ると、ユイが大の字になって仰向けに寝そべっていた。

「何してんだ、お前」

 また妙なことを始めたなと思い、日南梓は呆れ顔で見下ろす。

 ユイは予想通り短く答えた。

「死体ごっこ」

 すると向かいの廊下から西園寺が現れた。

 その手にロープがあることに気づき、日南は西園寺へ問う。

「何してんだ、お前」

 西園寺は悪戯いたずらを見つかってしまった子どものように笑うと、ロープをユイの体に沿うようにして置いていく。

「はい、できた」

 西園寺の言葉でユイが起き上がり、ロープの外へ出る。そして嬉しそうに声を上げた。

「殺人現場の完成だ!」

「付き合ってられん」

 と、日南はロープを踏んで図書室へ向かった。

「ちょっと、遺体を踏まないでよ!」

「勘弁してくれよ、日南」

 何故か西園寺にまで文句を言われたが、日南は振り返らなかった。まったく、お人好しにもほどがある。


「犯人、分かりました」

 部屋に入るなり、真剣な表情で千葉が告げた。

 日南隆二はびっくりして聞き返す。

「分かったって、本当に?」

「ええ。まだ推測の域を出ませんが、被害者とのつながりもあります」

「ちょっと待って、落ち着こう」

 言いながら日南は冷蔵庫から缶ビールを取り出そうとしてやめた。簡易キッチンへ移り、グラスに水を入れてごくごくと飲む。落ち着いていないのは日南の方だった。

「それで?」

 あらためて千葉に水の入ったグラスを出してやり、日南は椅子へ腰かける。

 千葉は床に座ってからはっきりと言った。

「業務課六組C班の班長、土屋美織です」

「えっ、それって千葉くんの……」

「はい、先輩です」

 千葉がグラスに口をつけて半分ほど飲み干す。冷静に見えた彼も緊張していたらしい。

「どういうことなのか説明して」

「はい」

 日南へ返事をしながらも、千葉は数秒の間を置いた。

「まず、土屋さんは北野響と知り合いでした。以前、同じ劇団に所属していたとのことです。次に犯行当日、彼女はお酒を飲みに行っています。おそらく三区の繁華街でしょう。そして彼女は『幕引き人』です。北野響がやろうとしていることを知り、犯行に及んだと考えられます」

「そこまではいいとして、どうして彼女がやったことを終幕管理局は握りつぶしたの?」

「局長の姪だからです」

 日南は思わず息を呑んだ。盲点だった。

「僕もすっかり失念していました」

 と、千葉がため息まじりに言う。

「きっと局長は彼女に頼まれて、事件に関する記憶を消去したんです。そう考えれば不思議ではありません」

「たしかに……でも、証拠は?」

「現時点ではありません。ですが、可能性を高めることならできます」

「何をするんだ?」

「彼女へたずねるんです。どの店へ飲みに行くことが多いのか。答えの中に犯行現場と近い店があれば、それだけでいいんです」

 千葉の言いたいことは理解した日南だが、ふと考えた。

「待って、その人の番号知ってるか?」

「ええ、もちろん」

「デジタルレシート、残ってないかな」

 今度は千葉が息を呑み、デバイスを起動させて土屋の連絡先を表示させた。

 画面を日南にも見える角度に調整しながら、千葉は眉間にしわを寄せて問う。

「先に聞きますけど、日南さん、ハッキングできるんですか?」

「昔にね、ちょっとやったことがある」

「今と昔では違うのでは?」

「いや、できるよ。コネクトビーコンの脆弱性を突けば、番号だけで相手のデバイスに潜り込めるんだ」

 にやりと笑い、日南は自分のデバイスを操作し始めた。

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