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第22話

 日南梓は図書室で一人、椅子に座って本を読んでいた。

 扉の開く音がして意識を外へ向ける。控えめな足音が近づいてきて、向かいの椅子をそっと引いた。

「日南さんに聞いてほしいことがあるの」

 やってきたのは北野だった。腰を下ろし、日南を見る。

 それまで読んでいたページにしおりを挟み、日南は本を閉じた。

「何だ?」

 と、彼女を見る。

 北野は何も言わずににこりと笑って、視線を近くの本棚へ向けた。

「……わたしを殺した犯人、分かったんだって」

 はっとして日南は無意識に姿勢を正す。

「土屋美織、『幕引き人』の彼女だった。だからあの時、あの人はあんなに怒ってたんだね。自分で殺したはずの人間がいるんだもの、不快になって当然だよ」

 日南は小さな声で「そうか」と、相槌を打つしかなかった。

「でも、彼女は終幕管理局の局長の姪でね、その時の記憶を消してもらったらしいんだ。だから警察も事故として処理して、それで終わり」

「捕まえることはできねぇのか?」

「無理だよ。彼女がわたしを殺した事実は消されちゃったし、一度隠蔽されたことを告発する誰かがいないと、どうしようもない。けど、告発してくれる人がいても、消された事実を取り戻さなきゃ……」

 北野の声がか細くなり、日南は空をにらんだ。

「理不尽だ」

 殺人を隠蔽するなんて許せない。事実を消去してうやむやにして、何食わぬ顔で犯人が生きているのかと思うと反吐へどが出る。

 北野はテーブルへうなだれ、遠い目をしてつぶやいた。

「理不尽だよ、本当に」


 地球産の焼鮭に冷奴、ほうれん草のおひたしと沢庵、そして炊きたての白米が食卓に並んでいた。

「いただきます」

 田村が目をキラキラと輝かせながら食事を始め、向かいで千葉も「いただきます」と、箸を取る。

 満足気に食べ進める彼の様子に少し安堵しながら、千葉はぽつりと言う。

「楓に言わなきゃいけないことがある」

「え、何だよ」

 もぐもぐと咀嚼しつつ田村が返し、千葉は冷奴へ醤油をかける。

「土屋さんは殺人犯だった」

「は?」

 田村は呆然として千葉を見つめた。その目には困惑と疑念が浮かんでいる。

 千葉は重々しく息をつき、彼の視線を正面から受け止めながら告げた。

「去年の大雨の日、北野響は車に轢かれて死亡した。でも実際は、土屋さんが彼女を車道に飛び出させたんだ」

 田村の動きがついに停止する。

「……いや、何言ってんの」

 と、田村は苦笑いをしたが、千葉は真剣な表情で続ける。

「北野響を轢いた車の運転手が、走り去る人影を目撃しているんだ。さらに土屋さんは当日、酒を飲みに行ったと自分で言っていた。ハッキングして入手したデジタルレシートには、一人分とは思えない注文内容が記載されていた」

「はあ? だからって、でも、警察は」

「ああ、事故として処理した。何故なら土屋さんは局長の姪だ。北野響といたという事実、彼女を殺したという事実は局長に頼んで消去したんだ」

「消した……?」

「隠蔽したんだよ。彼女ならやりそうだと思わないか?」

 田村は戸惑い、視線を泳がせた。

「さらに言うなら、蛹ヶ丘魔法学校での一件だ。あの時の土屋さんの、偽物の北野響に対する態度。犯人であると考えれば納得できる」

 そっと箸を置いて田村は千葉を見る。

「航太の言うことが本当だとして、それでどうするんだよ。オレたちには何もできることなんてないじゃねぇか」

 千葉は首を振った。

「いや、できることはある。消された些事記憶の核を取り戻して、世間に告発するんだ。そして土屋さんにはきちんと罪を償ってもらう」

「取り戻すって、どうやって?」

「パラサイトドリーマーの力を使うんだ」

 田村には思い当たる知識があったようだ。はっと息を呑み、反論を試みた。

「でもよ、あれはまだ分からないことが多いじゃねぇか。想像力がいくら豊かでも、核を取り戻すなんて無理だ。量子だろ?」

「ああ、記憶の核は目に見えない。でも、量子なんだ」

 千葉は落ち着いて自説を披露する。

「パラサイトドリーマーと記憶の核との間に量子もつれの関係を作り出せれば、離れたところにあるそれを手に入れることができる」

 田村は愕然とした様子でつぶやいた。

「まさか、量子テレポーテーション……?」

「ああ、それだ。不可能ではないと僕は考えている」

 だんだんとうつむいていった田村だが、急にがたっと席を立った。

「でも無理だって! っていうか、何考えてるんだよ!?」

 千葉は動揺することなく、冷静に返す。

「土屋さんを告発する。現状、それができるのは僕しかいないんだ」

「何で!? 同僚だろ!? 仲間だろ!?」

「でも殺人犯だ。野放しにはしておけない」

「何で……っ、それじゃあ裏切るってことじゃねぇか!」

 口に出してからはっとして、田村は力なく椅子へ腰を落とす。どうやら千葉の真意を完全に理解したらしい。

「そんな……」

「すまない、楓。お前に迷惑はかけないつもりだったが、ちゃんと話さないと納得しないだろうと思ってな」

「それなら、航太は……」

「いや、『幕引き人』をやめるつもりはないよ。代わりに、二週間ほど有給を取ろうと思っている」

「有給?」

「最悪の結末を迎えることになるかもしれないが、僕は僕にしかできないことをやりたいんだ。楓とはしばらく離れることになるけど、必ず戻るから待っていてくれ」

「……分かった」

 田村がうなずき、千葉は安堵した。田村が賢い男で助かった。

「食べよう」

「うん」

 いまだ気まずい空気は残っているものの、二人は落ち着いて食事の続きを始めた。


「また牛乳パックが置いてある……」

 キッチン脇のゴミ袋に捨てられた五百ミリリットル入りの紙パックを見て、日南隆二はつぶやいた。

 すると隣室から声がする。

「どうかしましたか?」

 と、渡が顔を出し、日南は何気なく言ってみた。

「ああ、紅茶が好きだって言うわりに、全然飲んでないなと思ってさ」

 理解したのか、渡はうなずいて返す。

「紅茶とお菓子と物語が好きなのは姉さん……いえ、智乃も、なんです」

「どういうこと?」

 日南が隣の部屋へ入ると、渡が横に並びながら説明する。

「二人とも紅茶を飲みながらお菓子を食べて、物語の話をするのが好きでした。最初に言い出したのは智乃で、姉さんはそれを真似していたんです」

「そうだったのか」

「日南さんと初めて会った時、僕は姉さんに寄せていたのでそう言ったまでで、僕が好きなのは牛乳です」

「ミルクティーというわけでもなく?」

「ええ、たまには飲みますけどね」

 にこりと渡が笑い、日南は納得してソファへ座った。

「もう一つ、聞いてもいいかな?」

「ええ、どうぞ」

 と、渡がいつものように隣へ腰を下ろす。

 日南はパソコンデスクにいる東風谷の様子をちらりとうかがってから、渡へたずねた。

「その、智乃さんとはどういう関係だったの?」

 東風谷がこちらを振り返り、渡は答えに迷うように顎を引いた。日南から目をそらして返す。

「幼馴染で、僕の片想いでした」

「……そっか」

 日南は多少の気まずさを感じて視線を下げた。

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