図書室へ行くと北野が本棚を見ていた。一つ一つ指をさしながら背表紙を確認しては、視線を上から下へと移動させている。
日南梓は近づきながら声をかけた。
「探し物か?」
北野が少しびくっと肩をすくめてから振り返る。
「ああ、うん。森絵都の『カラフル』がないか、探してるの」
「ヤツグに聞いたか?」
「うん。あるはずだって言うんだけど、どの棚にあるかは分からないって言われちゃって」
苦笑する北野へうなずき返し、日南は言う。
「じゃあ、オレも手伝おう」
「え、いいの?」
「どうせ暇だからな。奥の棚は見たか?」
「ううん、まだ見てない」
「分かった」
日南は部屋の奥へ移動し、まず壁にぴったりつけられている棚を見始めた。
「でも、北野が本を探すなんて意外だな」
いくつも並んだ背表紙に目を走らせながら日南が言うと、北野は答えた。
「智乃が小説家になりたいと思った、きっかけの本なの」
「ああ、お前の親友の……」
言いながら日南は二段目へと視線を下ろす。
室内がつかの間、静かになってから北野が言う。
「弟から聞いたんだけどね、もう一人仲間が増えたんだって。その人、智乃と同じで物語が好きなの。小説だけでなく、児童書や絵本も読むらしくて、何だか智乃を思い出しちゃった」
くすりと笑う彼女の声を聞きつつ、日南は三段目へと目をやる。
「しかもその人、弟と会った時に『カラフル』を読んでたの。それで仲間に入れることにしたみたい」
「そういうことか」
北野が本を探そうと思った理由もそこにあると理解し、日南は中腰になる。
「でも、それ以外の情報は教えてくれなかった。何をしてる人なのか、名前も聞かせてくれなかったなぁ。知らないわけじゃないはずなのに、何でだろう」
不満そうな声に日南は小さく苦笑を返す。
「何か理由があるんだろ、たぶん」
「そうなのかなぁ?」
日南はしゃがみこみ、五段目の棚を見ていく。カタカナ四文字のタイトルはそう多くないため、目立つはずだがなかなか見つからない。
すると北野が言った。
「あっ、あった!」
反射的に腰を上げて日南は彼女の元へと戻る。
「これ、この黄色い表紙……懐かしい……」
北野は手にした文庫本をぎゅっと胸に抱いた。
思ったよりも暇つぶしにならなかったと内心では思いつつ、日南は優しく声をかける。
「よかったな」
「うん。手伝ってくれてありがとう、日南さん」
北野がこちらを見上げながら微笑み、日南も軽く口角をつり上げた。
「あとでそれ、貸してくれ。オレも久しぶりに読みたい」
「分かった。読み終わったら貸すね」
そう言って北野は部屋の中央にあるテーブルへ向かい、静かに椅子を引いた。
月曜日の夜。ソファに並んで座りながら、日南隆二は言った。
「千葉くんは今日から有給に入ったよ。大学教授に連絡して、惑星インフィナムの最新情報を聞き出すって言ってた。それから量子接続できる術を探すんだって」
「その、量子なんたらっていうの、いまいち
と、渡は苦々しく返し、日南も首をかしげる。
「千葉くんの説明、聞いたところでピンとこなかったよな」
「まったく分かりません。そもそも、人間は量子じゃないでしょう? それをどうやってつなぐって言うんですか」
眉を寄せる渡へ日南が苦笑すると、パソコンを見たまま東風谷が口を挟んだ。
「分からないから探してるんだよ」
「それはそうだけど、それが理解できないって言ってるんだ」
渡が半ば呆れると、東風谷は笑ってごまかした。
東風谷はパソコン操作が得意らしく、長尾から手に入れた終幕管理局のパソコンシステムをコピーしたものを使っている。ただし、使いこなせるほどの技能は持っておらず、ずいぶんと苦労している様子だった。
「で、姉さんたちはどうしてる?」
渡が話題を変えると、東風谷は千葉からもらった変換表を見ながら返した。
「まだ留まってる」
「『幕引き人』は?」
「全然見つかる気配はないよ。もうしばらく静観していてよさそうだ」
「それならいいんだ」
ほっとしたように彼が息をつき、日南は横目に見ながら問いかける。
「で、俺たちはどうするの?」
「それを今日は話し合います」
渡は腰を上げるとまっすぐ向かいへ歩いていく。腰の位置ほどの高さがある棚の前に立ち、天板に置いていたファイルブックを手に取る。
そしてソファへ戻ってくると、それを日南へ差し出した。
「これまでに僕たちが考えた計画です。目を通してください」
受け取った日南はすぐに表紙を開き、収められた資料を見ていく。すべて手書きで書かれており、日南はどこか懐かしさを覚えた。
ファイルブックを閉じて、日南は渡に返した。
「君たちの目的は、アカシックレコードを破裂させることだったよな」
「ええ、そうです。でなければ、智乃の物語を取り戻せません」
「虚構世界で探したか?」
「とっくにやりましたよ。見つからないから、現実世界で取り戻さなくちゃいけないんです」
と、渡はソファの肘かけにファイルブックを置いた。
「じゃあ、聞くけど。どうしてアカシックレコードが破裂することで、取り戻せると考えたんだ? 何か根拠があるんだよな?」
日南の問いに答えたのは東風谷だった。
「はっきり言って根拠はありません。でも、破裂することで世界は混乱する。それに便乗して取り返すのが、もっとも安全ではないかと考えたんですよ」
「姉さんが破裂させようと考えたのも、結局のところ、終幕管理局への復讐なんです。世界を敵に回してでも、成し遂げたかったことなんです」
渡はそう言って顔をそらすと、小さく続けた。
「その後に世界がどうなるか、何も分からないというのに……」
室内がしんと静まり、日南はため息をもらした。
「自分勝手だな。ひどいエゴだ。けど、俺のやろうとしていることも同じで、その他の人たちのことなんて、ちっとも考えてやしないんだ」
黙って東風谷が苦笑し、渡は「それでも」と、立ち上がる。
「それでもやるしかないんです。僕たちはもう『幕開け人』として行動を開始してしまった。今さら後には引けません」
彼を見上げながら日南はうなずいた。
「そうだね。現時点では荒唐無稽な絵空事だけど、どうにかして方法を探すしかない」
「そういうことです。考えましょう。どうやってアカシックレコードを破裂させたらいいか、どうやって記憶の核を、物語を取り返すか」
真剣な渡へ東風谷が言う。
「唯一の希望は、千葉くんの話してた量子テレポーテーションだ。まだ確実ではないけど、俺は信じてもいいと思ってるよ」
「君たちの言う、強い願いの力で引き寄せるっていうのと、重なる部分があるもんな」
日南が苦笑し、渡は言い返した。
「僕たちは専門家じゃありません。そうとしか言えなかったんだから、しょうがないでしょう?」
「いいよ、分かってる。俺たちは俺たちで、やれることをやっていこう」
半ば呆れて返す日南を渡がむっとしてにらむが、すぐに東風谷が口を挟んだ。
「それじゃあ、今日の議題はアカシックレコードをどうやって破裂させるか、ですね」