日南はもぞりと少し身動きをしてから語る。
「実は昨日から、そうしたイメージが頭から離れないんだ」
怪訝そうな顔をして渡は日南の前まで来る。
「今の作者は僕だったはずですが?」
「それは分かってる。でも、どうしても頭に浮かんじゃうんだよ。もっとも、西園寺と小説の構想について話すなんて、ありえないことなんだけど」
はっとしたのは東風谷だ。
「いや、今の西園寺は編集者です。作家の相談に乗るのは普通では?」
日南は目を丸くした。
「は? 編集者?」
「すみません、設定を変えさせてもらいました」
悪びれることなく渡が言い、日南隆二は開いた口がふさがらなくなってしまった。
「何で、そんな……」
「その方が都合がよかったからですよ」
しれっと言う彼に日南は困惑した。
「いやいやいや、さすがにそれは違うよ。勝手に設定を変えたら、それはもう二次創作とかいうレベルじゃない」
すると渡がストローから口を離して言い返す。
「ですが、権利をくれたじゃないですか」
「そうだけど、勝手に設定を変えるのはダメだ。俺だけでなく作品そのものへの
「大げさな」
と、渡は嫌悪感をにじませてソファへ腰を下ろす。
「そんなことより、計画の話を進めましょう」
「そんなことって……! 言っておくけどな、西園寺も俺の一部なんだぞ!?」
と、日南は立ち上がり、渡は「はあ?」と不機嫌な顔をする。
「日南梓は自己投影しまくった存在だけど、西園寺にも自分の一部をちぎって与えてたんだ。弱い部分やダサいところとか、そういうのを担ってたのが西園寺なんだ」
渡は冷めた目で日南を見る。
日南もまた怒りをあらわに渡を見据える。
二人の間の空気が険悪になりかけたところで、東風谷が口を出した。
「ああ、本当だ。日南さんの言う通り、小説の構想を練ってるみたいだ」
二人はほぼ同時に東風谷を見た。
東風谷がにこりと笑い、誰にともなく問いかける。
「やっぱり原作者の想像に帰属するってことなのかな?」
険悪な空気は一瞬にして
言葉に詰まる渡と反対に、日南はほっと胸を撫で下ろした。そしてひらめく。
「そうだ、物語を考える物語にするのはどうだろう?」
彼らの部屋を出た日南は、一坂の元を訪れていた。
以前に来た時と違って室内は片付いていたが、玄関先に大きなスーツケースが置かれていた。
「やっぱり、戻っちゃうんですか?」
たずねた日南へ一坂はごまかすような、ぎこちない笑みを浮かべる。
「ええ。家族にも、戻ってこいと言われちゃいました」
「そっか」
室内へ入り、日南が床へ鞄を置いたところで一坂は言う。
「近いうちに、辞表を出しに行こうと思ってます」
そっとベッドの上に腰かけて、彼女はうつむいた。
床に座った日南は迷ったが、頼れるのも彼女しかいないと思い直す。
「あの、もう少しだけ待ってもらえませんか?」
「え?」
「実は一坂さんに頼みたいことがあるんです」
彼女が小さく首をかしげ、日南は思いきって彼女の隣へ移動した。
「一坂さん、昔、絵を描いてたんですよね? 一枚だけでいいので、描いてもらえませんか?」
一坂はわずかに頬を引きつらせた。
「えっと、何を言ってるんですか? 『創造禁止法』に違反しちゃうじゃないですか」
「もちろん分かってます。でも、どうしても絵が欲しいんです」
日南の真剣な表情に、一坂は何か勘づいたようだ。
「……あの、前から気になってました。日南さんは、いったい何をしようとしているんですか?」
ついにこの時が来てしまった。日南は息を深く吸い込み、吐き出してから、彼女の目をまっすぐに見つめた。
「一坂さんの物語を取り戻そうとしています」
「私、の?」
「ええ。やっぱり、消したらいけなかったんです。だって一坂さん、大事に思っていたんでしょう? 蛹ヶ丘魔法学校のこと」
一坂の目がじわりとうるむ。
「でも、そんなこと……」
「できるんですよ。記憶の核を取り戻せれば、物語は再生させられる。そのためには、パラサイトドリーマーである一坂さんの協力が必要なんです」
戸惑い、顔をそらす一坂を日南はじっと見守った。
「私が、パラサイトドリーマー?」
「ええ、千葉くんがそう言っていました。想像力の豊かな人だからこそ、ありえないことが起こせるんです」
すると彼女がまた勘のさえた質問をする。
「もしかして、千葉さんも協力してるんですか?」
「ええ、してます。彼にも取り戻したい記憶の核があるんです」
「……そう、ですか」
そうつぶやくと、おもむろに一坂は顔を上げて日南を見た。
「それで、絵が欲しいと言うのは?」
日南はすぐにデバイスを操作し、キャラクター設定をまとめたテキストデータを表示させた。
「計画に必要なんです。描いてもらいたいのはこの二人で、向かい合って話をしているイメージです」
「あれ……日南って」
と、彼女が気づき、日南は言った。
「はい。俺の書いていた小説『理不尽探偵』の主人公と、その助手です」
照れくさくなる日南だったが、一坂は興味を持ったらしく、声の調子を明るくさせた。
「理不尽探偵、って言うんですね。おもしろそう」
「先に言っておきますが、口癖が理不尽だ、っていうだけですよ」
自嘲する日南だが一坂は言った。
「それでもおもしろそうです。もしかして、また書くつもりなんですか?」
無邪気に聞かれた日南は、曖昧に微笑んだ。
一人きりで仕事をするのにもすっかり慣れてきた。データ入力は自動で進んでいくため、人間がやる仕事は目視での最終チェックのみだ。
今日ものんびりと過ごしていると、唐突に扉が開いた。
振り向いた日南は思いがけずぎょっとしてしまう。
こちらへ歩み寄ってきたのは、虚構世界管理部の川辺部長だった。後ろには総務部の相田部長の姿もあり、いったい何事かと緊張してしまう。
「日南隆二くんだね」
川辺が落ち着きのある低い声でたずね、日南は背筋を正して答えた。
「はい、そうです」
「ここのところ、一人で仕事をしているそうだが、問題なくやれているらしいな」
「ええ。自動化プログラムのおかげで、どうにか」
と、日南は相田部長を見る。元はと言えば長尾の指示で組んだプログラムだが、正式に導入してもらえたのはついこの前だ。そのことで何か言われるのではないかと不安になった。
しかし、次に川辺が言ったのは別のことだった。
「君は業務課の千葉くんと親しいらしいじゃないか」
「あ、はい。彼には二週間も世話になったので、その間にすっかり意気投合しまして」
日南は多少戸惑いつつも、無難な返事を返す。
「彼が今週から有給を取得しているんだが、何か聞いていないか?」
「へ?」
自分でも驚くほど、気の抜けた声を出してしまった。