川辺は日南隆二の反応をどう捉えたのか、さらに問う。
「彼と何か、調べ回っていたそうじゃないか」
「あ、ああ……えーと、すみません」
どうやら怪しまれているようだと察して日南はまず謝った。それから事前に用意してあった言い訳を口にする。
「俺がコロニーへ来る前に、大雨の降った日があったことを知り、千葉くんからいろいろ話を聞いていただけです」
目付きを鋭くして川辺が問う。
「いろいろ、とは?」
「ですから、その……」
日南隆二は視線を泳がせないよう、気をつけながら答えた。
「降雨装置のことや、気象再現反対派のことなど、俺の知らないことを教えてもらっていたんです」
川辺がちらりと相田を見た。
彼らがどこまで情報を得ているのか、日南は探りを入れてみたくなったが耐える。万が一、墓穴を掘ったらおしまいだ。
「それだけか?」
「えーと……あっ、そうそう。千葉くんの有給についてですが、どうやら彼、研究者魂に火がついちゃったみたいですよ。たぶん、今はそれであちこち調べ回ってるんだと思います」
「降雨装置についてか?」
「さあ、具体的なことは聞いてません。研究者の名前を出されても、俺には分かりませんし」
と、ごまかすように笑って見せる。
川辺はじっと日南を見ており、別の質問を投げかけた。
「そういえば、君は最近、帰りが遅いそうじゃないか」
ドキッとして日南が唇を引き結ぶと、川辺は言った。
「他人の人生に口出しするつもりはないし、君が何をしているかも詮索しない。だが、何事もほどほどにしておきなさい」
そして川辺がくるりと背を向け、日南は思わず声をかけてしまった。
「あ、あのっ」
歩き出そうとしていた川辺が動きを止めて振り返る。
「俺のこと、監視とかしてないんですか?」
「監視? 何の話だ?」
「いや、だって……保護されてから、職員になったわけですし。ひそかに監視されてるんじゃないかって思ってたんですけど……」
視線をそらしながら日南が言うと、川辺は「ああ」と察した様子で再び体を向けた。
「ここだけの話だが、局長からは最初、そのように指示された。だが、一職員である君を監視するなど人権侵害だ。ましてやプライベートまで追うのは賛成できない」
日南は一時、川辺部長を容疑者として疑っていたことを後悔した。
「だから局長を説得して、監視はしないことにしたんだ。君がどこで何をしていようとも、問題が起きない限りは調べないし詮索もしない。安心しなさい」
川辺が小さく優しい笑みを浮かべ、日南は席を立って深々とお辞儀をした。
「ありがとうございます!」
自分を守ってくれていた人がいるなど、夢にも思わなかった。失礼な自分を恥じると同時に、日南は川辺への尊敬と憧れを覚えた。
嵯峨野は報告を受けて眉間を揉んだ。
「美織の考えすぎ、ということか」
「はい。あの件について調べている様子はありませんでした」
川辺がやや緊張した顔で言い、嵯峨野は思考を巡らせながら返す。
「だが、あの大雨の日について調べていたのだろう?」
「……ええ」
肯定する川辺の表情に影が差す。
嵯峨野は険しい顔のまま、自分自身へ言い聞かせるように言った。
「まあ、いいだろう。可能性がまったくないとは言えないが、どれだけ調べたところで何も分かるはずもない。あれは事故だったんだ」
隠蔽に関わったのは当事者を除いて嵯峨野と川辺だけであり、実際に消去した「幕引き人」にはくわしい事情を話していない。たとえ情報が漏れたとしても、今さら事件として捜査されることもないはずだ。
「それでは、今回の調査はこれで終わりにしてよろしいのですか?」
川辺の問いに嵯峨野は返した。
「ああ。それよりも『幕開け人』が現れたらすぐに対処できるよう、準備を整えておきなさい」
「承知いたしました」
と、川辺がはきはきと返し、嵯峨野は疲労感を覚えた。
困った姪に連絡をするのは後にして、まずは目の前にある仕事を片付けなければならない。
物置の奥からヤツグが引っ張り出してくれたのは、古い黒のノートパソコンだった。厚みがあって重量もそこそこある。
「使えるか分からんけど、何か書く道具っていうとそれくらいしかねぇな」
と、ヤツグが申し訳なさそうに笑い、日南梓は「十分だ」と、隣に並んだ西園寺へ目を向ける。
「これでどうにか書けるな」
「使えるならいいけど」
少し不安そうにする西園寺だが、日南は言った。
「使えなければ修理すりゃいい」
「できるのか?」
西園寺に問いかけられると、日南は何とも微妙な気分になる。
「……作者に出来てオレに出来ないことはない。たぶん」
そもそも作者に出来たかどうかも分からないが、北野の情報からしてパソコンにくわしい人物ではあるようだ。もしかしたら機械修理も出来たかもしれない。
ヤツグが棚から充電ケーブルを取り出して西園寺へ手渡した。
「充電はこれな。他にも必要なものあるか?」
「いや、とりあえず大丈夫だ」
「ありがとうございます、ヤツグさん」
「それで書くんだろ、物語。楽しみにしてるよ」
ヤツグの笑顔に勇気づけられ、日南は西園寺へ言った。
「さっそく使えるかどうか、試してみよう」
「ああ」
そうして歩き出した二人の、まるで青春時代を想起させるようなまぶしい背中を、ヤツグは目を細めて見送った。
コネクトビーコンの脆弱性はファームウェアにある。ごく一部の人間しか知らないバックドア、すなわち不正侵入するための入口があるのだ。
言い換えれば、それさえ知っていれば誰でも特定のデバイスへのハッキングが可能であり、位置情報を盗むことも簡単だった。
ごく限られた界隈では問題視されているが、未だ対策はされずに放置されていた。幸いなことに大きなトラブルが起こっていないからだ。
しかし、悪用する人間は必ず出てくる。
ワンルームの部屋で男は苦々しくつぶやいた。
「……またか」
自作の地図アプリに表示された黒い点は、いつも同じところで途切れる。電波が届かないのではなく、デバイスの電源が切られたということだ。
もう一つの赤い点を追跡すると、先ほどの黒い点とごく近いところで途切れた。おそらく二つの点は同じ場所にいる。すでにこれを二回ほど確認しており、今回を含めて三回になる。
どんな目的があってのことかは知れないが、男は無性に苛立って舌打ちをした。