古文なんて退屈?――その幻想、ブチ●す!
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オイ、お前ら! 万葉集って聞いて、どうせアレだろ? 「なんか古臭ぇ和歌集?」「教科書の眠てぇヤツ?」――ハッ! 寝言は寝て言え! そんな色褪せたフィルター越しにしか見れねぇヤツは、人生の半分以上、損してるぜ、マジで。
俺たちが今からブチ上げるのは、約1300年前の日本、奈良時代のど真ん中で詠まれた、一首の「ヤベェ」歌だ。教科書が教えるような「しっとり」「雅やか」なんてもんじゃねぇ。もっと生々しく、もっと強烈で、現代のファンタジーにも匹敵するような、魂のエネルギーが渦巻いてるシロモノなんだよ!
紹介しよう。これが今回の主役、大伴家持(おおとものやかもち)がブチかました、アツすぎる一首だ!
ひさかたの 雨は降りしけ 思ふ子が やどに今夜は 明かして行かむ
ひさかたの あめはふりしけ おもふこが やどにこよひは あかしてゆかむ
解説:
ひさかたの - 天とか光とか、そういう壮大なモンにかかる枕詞だ。ここでは「天よ!」って感じだな。
あめはふりしけ - 雨よ、もっと激しく降れ! 命令形だぜ、ここポイントな。
おもふこが - 俺が想ってるアイツ、大事なヤツがよぉ…
やどにこよひは - その家(やど)で、今夜は!
あかしてゆかむ - 夜が明けるまでずっと! 徹夜で過ごしてやるぜ!
宴会の席で詠まれたってんだから、表向きは「雨降ってるし、朝までいさせて♡」みたいに見えるかもしれねぇ。だがな、そんなヤワな解釈で終わらせるほど、家持の魂は安っぽくねぇんだよ! これはな、「オラオラ、雨よもっと降れや! 俺はこの『推し』の家で、朝まで絶対帰らねぇからな!」っていう、超絶強気な「意志」の表明なんだよ! ある種の「呪文」、いや、「宣言」だ!
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なぜこれが「ファンタジー」なのか?古代の言霊(ことだま)パワー、舐めんなよ!
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ファンタジーって何だ? 剣と魔法? ドラゴン? 異世界転生? まあ、そういう要素もアツい。だが、本質はそこじゃねぇ! ファンタジーの核にあるのは、「不可能を可能にする意志の力」、「常識をブチ破る情熱」、そして「言葉が持つ、世界を変えるほどのパワー」だろ?
考えてみろ。ファンタジーの主人公たちは、どうやって逆境を覆す? 強い「想い」で魔法を放ち、固い「誓い」で仲間を鼓舞し、「運命なんてクソ喰らえ!」と己の道を切り拓く。そこには常に、言葉にならないほどの、いや、むしろ言葉にするからこそ強まる「エネルギー」があるはずだ。
家持の歌も、まさにそれだ!
*天への「命令」!- 環境操作系スキルかよ!?
「雨よ、降りしけ!」――これは単なる願望じゃねぇ。天候に直接「もっとやれ!」って働きかけてるんだぜ? ファンタジーで言えば、天候を操る魔法使いか、自分の都合の良い状況を作り出すために世界に干渉する勇者みたいなもんだろ。「俺がここにいたいんだから、雨よ、もっと都合よく降ってくれ!」――この強引さ、この自己中心的なまでのエネルギー! 最高じゃねぇか!
*「想ふ子」へのクソデカ感情 - 対象は誰だ?関係ねぇ、このパッションが全てだ!
「思ふ子」が誰なのか、古文のセンセイ方は色々議論してる。恋人か、親友か、宴の主(あるじ)への社交辞令か。――んなこたぁどうだっていい! 大事なのは、「俺はこの人のそばにいたい!」「絶対に離れたくない!」っていう、シンプルかつ猛烈な「執着」にも似た感情エネルギーだ。この一点突破の情熱は、ファンタジーにおける「守りたいもののために覚醒する主人公」や「目的のためなら手段を選ばないダークヒーロー」に通じる、根源的なパワーなんだよ。
*「明かして行かむ」 - 夜明けまで止まらねぇ、決意表明の最終奥義!
「朝までコース、確定な!」――この一言に、どれだけの決意が込められてると思う? 周囲の目? 明日の予定? そんなモンは知ったこっちゃねぇ! 「今、この瞬間、俺はここにいることを選ぶ! そして、それを貫き通す!」――これは、未来への強烈なコミットメントだ。ファンタジーで、主人公が決戦前に「俺は勝つ!」と宣言したり、仲間と「必ず生きて帰る!」と誓い合う、あのシーンと同じ種類のアツさ、魂の叫びなんだよ! これはもはや、「夜明けまで帰宅しない」という事象を、言葉の力で「確定」させる、因果律操作系の言霊(ことだま)と言っても過言じゃねぇ!
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宴席という名の「戦場」? - 貴族社会のリアルファンタジー
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この歌が詠まれた背景も、ファンタジー的な想像力を掻き立てるぜ。
舞台は、安積親王(あさかしんのう)っていう皇族をもてなす、藤原八束(ふじわらのやつか)っていうエリート貴族の家での宴会だ。家持は、親王付きの役人(内舎人:うどねり)として参加してる。
当時の都(歌の背景的には、恭仁京(くにきょう)あたりらしい)の貴族社会ってのは、現代から見れば、ある意味「異世界」だ。そこには、華やかな表の顔とは裏腹に、ドロドロした権力闘争、複雑な人間関係、一言一句が命取りになりかねない、緊張感あふれる「ルール」が存在した。
そんな中で開かれる宴会は、単なる飲み会じゃねぇ。情報交換の場であり、社交という名の「勢力争い」の場であり、時に本音と建前が火花を散らす「心理戦」の舞台でもあったはずだ。
その「戦場」で、家持はこの歌を詠んだ。場の空気を一変させるためか? 特定の誰かに強いメッセージを送るためか? あるいは、込み上げてくる感情を、もはや抑えきれなかったのか?
想像してみろ。居並ぶ貴族たちの前で、家持がこの歌を叩きつける。
「雨よ、もっと降れ! 俺はこの『推し』(それが誰であれ)のそばを離れねぇ! 朝までな!」
場の空気は、一瞬凍りついたかもしれない。あるいは、逆にドッと沸いたかもしれない。「こいつ、マジか!?」と。
どちらにせよ、この歌は、その場の「現実」に強烈なインパクトを与えたはずだ。それはまるで、ファンタジーの世界で、詠唱された呪文が物理的な効果を発揮したり、英雄の演説が兵士たちの士気を極限まで高めるのと、構造的には同じじゃねぇか?
言葉一つで、場の雰囲気を支配し、自分の意志を叩きつけ、周囲を巻き込んでいく。これぞ、ファンタジーにおける「カリスマ」や「リーダーシップ」、または「トリックスター」的なキャラクターが持つパワーそのものだ!
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家持、お前…実は転生者か何かか!?
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大伴家持っていう男、マジで面白い。万葉集の編纂に関わったとも言われる超重要人物で、繊細な恋の歌から、雄大な自然を詠んだ歌、そして今回みたいなブッ飛んだエネルギーの歌まで、作風の幅がハンパねぇ。
彼の人生も、順風満帆とは言えなかった。政治の荒波に揉まれ、地方に左遷されたりもしてる。そういう経験が、彼の言葉に深みと、時にどうしようもない現実に対する「反逆」のようなエネルギーを与えたのかもしれない。
この「ひさかたの」の歌に見る、周囲の状況(雨)を逆手に取り、自分の強い欲求(朝までいたい)を肯定し、それを高らかに宣言する姿勢。これは、現代のファンタジー、とくに「なろう系」や「異世界もの」の主人公たちが持つ、「逆境を自分の都合の良いように解釈し、ポジティブ(?)なエネルギーに変えて突き進む」メンタリティと、驚くほどシンクロするんだよ。
家持、お前、もしかして1300年前に異世界から転生してきたか、あるいは未来(つまり現代)からタイムスリップした魂の持ち主だったんじゃねぇのか? だから、こんな時代を超えて俺たちの心にブッ刺さる、パワフルな言葉を遺せたんだろ?――なんて妄想も、ファンタジー好きなら、ちょっとワクワクしちゃうだろ?
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現代に活かせ!「ひさかたの」流、最強メンタル術
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この歌から、俺たちが学べることは山ほどある。何かを成し遂げたい、自分の想いを貫きたい、そんな「アゲていきたい」ヤツらは、マジで参考にすべきだぜ。
*状況を言い訳にするな!逆手にとれ!
「雨だから仕方ない」じゃねぇ。「雨よ、もっと降れ! だから俺はここにいる!」だ。逆境や不都合な状況を、自分の目的達成のための「追い風」に変える発想。これ、人生のあらゆる場面で使える最強スキルだろ。
*欲しいものは「欲しい!」と叫べ!言葉に魂を込めろ!
グダグダ悩むな。ウジウジ考えるな。「~したいなぁ」じゃ弱ぇ。「~してやる!」「~になる!」って、腹の底から叫べ。言葉には力が宿る。自分の本気の想いが乗った言葉は、現実を動かすトリガーになる。ファンタジーの呪文詠唱と同じだと思え。
*「今、ここ」を全力で肯定しろ!未来への覚悟を決めろ!
過去の後悔も、未来への不安も、一旦横に置け。「今、俺はこれをやる!」と決めたら、その選択を全力で肯定し、コミットしろ。「朝までいる」と決めた家持のように、腹を括った人間のエネルギーは、周りをも巻き込む。
ファンタジーの世界で、勇者が魔王に立ち向かう時、魔法使いが禁断の呪文を唱える時、彼らは迷わない。自分の意志と覚悟を、言葉と行動に乗せて、全力でぶつける。家持のこの一首には、それと同じ種類の、ピュアで、強烈で、どこまでも自分勝手で、だからこそ魅力的な「魂の原動力」が詰まっているんだ。
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古典よ、蘇れ!ファンタジーの魂を宿して!
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どうだ? 万葉集、大伴家持、ちょっと見る目が変わったんじゃねぇか?
ひさかたの 雨は降りしけ 思ふ子が やどに今夜は 明かして行かむ
この一首は、単なる古代の歌じゃねぇ。それは、1300年の時を超えて、俺たちの心に直接「語りかけ」、俺たちの内に眠る「ファンタジー的な魂」を揺さぶり、奮い立たせる、生きた「言霊」なんだ。
退屈な古文の授業なんて忘れろ。眠たい解説書は燃やしちまえ。
古典の中に眠る、こういう生々しい感情、ほとばしるエネルギー、常識破りのパワーを、自分たちの感性で、現代の視点で、それこそファンタジーを読むようなワクワク感で「再発見」していく。それこそが、古典と最高にアツく付き合う方法じゃねぇか?
お前らが今、夢中になってるファンタジーのルーツは、意外とこんな、日本の古代にまで繋がってるのかもしれないぜ?
さあ、この歌のエネルギーを浴びて、お前ら自身の「物語」を、もっと「オラオラアゲアゲ」で進めていこうじゃねぇか! 夜明けまで、いや、その先まで、止まるんじゃねぇぞ! 自分だけの最強ファンタジーを、始めろ!