よう、お前ら!元気してるか? 今日は巷でよぉ〜く耳にする、あのクソつまんねぇ枕詞、「あってはならない」について、俺様がガツンと言わせてもらうぜ! まぁ聞けや。
政治家か、役人か、自治体のエラいさんか知らねぇが、何かヘマやらかしたり、問題がドカンと起きた時に決まって口にするだろ? 「かかる事態は、誠に遺かんであり、あってはならないことであります」ってな。…おいおい、待て待て。その「あってはならない」って何なんだよ? あぁん?
まるで他人事みてぇに言うんじゃねぇよ! それ、誰のせいで、どうしてそうなったんだ? そこを語れや! その言葉には、血も涙も、当事者としての「俺がケツ拭くぜ!」みてぇな気概が、1ミリも感じられねぇ! まるで「いやぁ、なんか勝手に起きちゃったんですよねぇ、困るなぁ」みたいな、薄っぺらい責任逃れの響きしかしねぇじゃねぇか! ふざけんじゃねぇぞ!
俺たち一般市民はな、日々の生活の中で、嬉しいことも悲しいことも、腹立つことも山ほど経験してんだ。理不尽なことだってある。それでも、そいつと向き合って、何とか乗り越えようと必死こいてんだよ。てめぇらの「あってはならない」は、その俺たちのリアルな感情や現実から、あまりにもかけ離れてる。まるで高みの見物、安全地帯からのコメントだ。
「あってはならない」なんて言葉で思考停止してんじゃねぇ! それは思考の放棄、責任の放棄、未来への展望の放棄だ! 「起こっちまったもんは仕方ねぇ。で、どうすんだ? 次どうするんだ?」 そこだろうが、一番大事なのは! なのに、「あってはならない」の一言で全部チャラにしようとしてる? そんな甘っちょろいことで世の中が回ると思ってんのか? 舐めんなよ!
ここで一つ、古代のリアルな叫びを聞かせてやる。俺たちの魂の故郷、万葉集からだ。
千葉の野の 児手柏の ほほまれど あやに愛しみ 置きて誰が来ぬ
ちばのぬの このてかしはの ほほまれど あやにかなしみ おきてたがきぬ
千葉の野にある児手柏が人々にかわいがられるように、私の愛しい妻も故郷で大切にされているだろうけれど……ああ、それでもたまらなく愛おしい。私がこうして遠くに来てしまって、あの娘を誰が見守ってくれるだろうか。
詠んだのは、大田部足人(おおたべのたりひと)。天平勝宝7年、西暦で言えば755年。防人(さきもり)として、遠く九州の守りについていた男の歌だ。
どうだ? このストレートな感情! 自分の意志とは裏腹に、国の命令で家族と引き裂かれた男の、切なくて、やるせない、それでいてめちゃくちゃ深い愛情と心配が、ド直球で伝わってくるだろうが!
この足人って男は、「妻を置いてくるなんて、あってはならない!」なんて、カビの生えたような他人行儀なことは言わねぇんだよ。現実に引き裂かれた辛さ、故郷に残してきた妻への狂おしいほどの愛しさ(「あやに愛しみ」!)、そして、自分がいない間に誰が彼女を守るのかという、具体的で切実な不安(「置きて誰が来ぬ」!)。この感情の爆発! これがリアルだ! これが人間だ!
彼の言葉には、「あってはならない」みたいな薄っぺらいフィルターは無い。あるのは、剥き出しの心、逃げも隠れもできない現実への直面、そして、どうしようもない状況の中で溢れ出る、人間としての本物の感情だ。
さて、ひるがえって現代の「エラいさん」たちの「あってはならない」。どう思うよ?
足人の歌と比べてみろ。足人の言葉には血が通ってる。体温がある。彼の不安や愛情は、1200年以上経った今でも、俺たちの胸を打つ。なぜか? 嘘がないからだ。自分の感情に正直だからだ。責任を(たとえどうしようもない状況に対するものであっても)感じているからだ。
一方、「あってはならない」には何がある? あるのは体裁、保身、マニュアル通りの反応、感情の欠如。まるで心を殺したアンドロイドが喋ってるみてぇだ。もしくは、問題を直視できず、思考停止してるだけの腑抜け野郎か。
問題が起きた時、人々が求めてるのは、「あってはならない」なんていう無機質な念仏じゃねぇんだよ。
「俺の、我々の、監督不行き届きだった。責任はここにある。申し訳ない!」
「具体的に、ここが間違っていた。こう改善する!」
「被害に遭われた方々の気持ちを思うと、言葉もない。全力でサポートする!」
そういう、当事者としての熱量、責任感、具体的なアクションプラン、そして何より、人間としての共感だろうが!
「あってはならない」なんて言葉は、問題を矮小化し、責任の所在を曖昧にし、再発防止への本気度を疑わせる、最悪のフレーズだ。思考停止を招き、組織の自浄作用を奪う、毒みてぇなもんだ。そんな言葉が蔓延る社会は、どんどん不健全になっていくぜ。
千葉の野に児手柏を思い、遠い地で不安に震えた足人の心。彼は、愛する人を守れないかもしれないという、具体的で個人的な「あってはならない」事態に直面していた。しかし、彼はそれを、空虚な常套句ではなく、魂からの叫びとして表現した。その正直さ、その切実さこそ、俺たちが学ぶべきものじゃねぇのか?
俺は別に、政治家やリーダーに完璧超人になれって言ってるんじゃねぇ。間違うこともあるだろう。失敗することもあるだろう。人間だもの。
だが、その時にどういう態度を取るか、どういう言葉を選ぶか、それがそいつの器、そいつの本気度を示すんだよ。
「あってはならない」なんていう、中身カラッポの言葉で誤魔化すな! 逃げるな! 思考停止すんな!
もっと自分の言葉で語れや! 失敗したなら、原因と責任を明確にしろ! 再発防止策を具体的に示せ! そして何より、傷ついた人、困っている人に、人間として寄り添う言葉と態度を見せろ!
万葉の時代から、人は喜び、悲しみ、愛し、悩み、そして間違いながら生きてきたんだ。そのリアルな感情、その剥き出しの魂こそが、時代を超えて響く力を持ってる。足人の歌がそれを証明してるだろうが。
だからよ、お前ら、リーダー気取りの連中が「あってはならない」なんて言い出したら、こう言ってやれ。
「で? あんたはどうすんだよ? その空っぽの言葉で、何が変わるんだよ?」ってな。
俺たちは、もっとタフで、もっと正直で、もっと血の通った言葉を求めてる。表層的な体裁なんて蹴っ飛ばして、本音でぶつかり合えるコミュニケーションを求めてるんだよ。
「あってはならない」なんていう思考停止ワードは、今すぐゴミ箱にブチ込め! 代わりに、足人のように、たとえそれが辛くても、現実と向き合い、自分の心を正直に表現する言葉を持とうぜ! 言葉には魂を込めろ! 情熱を燃やせ!
それができねぇような奴は、リーダーの座からとっとと降りやがれ! 俺たちは、そんな腑抜けに未来を託すわけにはいかねぇんだよ!
分かったか!? 今日から「あってはならない」撲滅運動開始だ! いいな! オラオラでいくぜ! アゲアゲで変えてこうぜ! 世の中をな!