YO!巷じゃ政治家のセンセー方も、イケメン俳優Aと清純派女優Bも、どういうワケかスキャンダラスなLOVEで世間を騒がせちゃってる今日この頃、みんな息してる? マッチングアプリじゃ「今日のランチ相手募集♡」みたいなノリで恋人探し、自治体まで婚活イベント開催しちゃって、もうさ、なんて言えばいいの? 全体的に軽くない? 軽すぎない? 人の心、真心、そういったマジで大事なもんが、指の隙間からサラサラこぼれ落ちてる感、ハンパなくない?
「いやいや、時代の流れっしょw」とか「それが令和スタイルなんでw」とか言っちゃう? ちょっと待った!それ、本気で言ってる? ねえ、これマジでヤバいって。このままじゃ、気づいた時にはもう取り返しつかないレベルで、心のインフラ崩壊しちまってるかもしんない。いや、とっくに進行形で、崖っぷちギリを攻めてるエンタメか!ってくらいスリリングな状況なんじゃない?
そんなモヤモヤMAXな現代社会に、1300年前のガチ勢からのメッセージ、投下しちゃっていいっすか? 万葉集って知ってる? 古典とかダルいとか思うっしょ? NONONO! あれ、当時の人々の生々しい感情のタイムカプセル。特にね、中臣宅守(なかとみのやかもり)パイセンのこの歌、心して喰らってみて。
天地の 神なきものに あらばこそ 我が思ふ妹に 逢はず死にせめ
あめつちの かみなきものに あらばこそ あがもふいもに あはずしにせめ
現代語に超訳するとこんな感じ?
「この世に神様なんて存在しねーってんなら話は別だけどよぉ! もしマジで神様いるんなら、俺が愛するあの子に会えずに死ぬとか、ありえねぇから! 神様いるなら絶対会わせてくれんだろJK!」
いや、JKは余計か。でも、魂の叫び度はこんな熱量。
これ、宅守パイセンが愛する狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)と引き裂かれて、流罪(島流し的なヤツね)になった時に詠んだ歌。会えない辛さ、それでも絶対に再会を諦めない、神様にだってケンカ売るくらいのド直球な愛情表現、シビれない?
「天地の神なきものにあらばこそ」って、もう条件設定が宇宙規模。
「もしこの世界に神様なんて存在しなかったとしたら、その時は、愛するお前に会えずに死ぬかもしれねえわ…(諦め)」っていう、究極のifよ。
裏を返せば、「いやいや、天地には神様いるっしょ!絶対いる!だから俺が愛するあの子に会えないまま死ぬなんて、そんな理不尽なバグ、この神様ワールドで起こるワケないんだわ!絶対会える!神様頼んだぞマジで!」っていう、神様への絶対的信頼と、愛する人への揺るぎない想いがダダ漏れ。神様をダシにしてでも「俺はお前を諦めねぇ!」って宣言してんの。パッションの化身かよ。
考えてみてよ。現代でさ、LINEの返信がちょっと遅いだけで「え、もしかして脈なし…?オワタ\(^o^)/」とかメンタル豆腐になりがちな我々じゃん?(自戒を込めて) マッチングアプリで100イイネもらっても、そのうち何人と本気で「この人に会えなきゃ死ぬ!」って思う? 「この人とのご縁、神様案件!」って本気で祈る?
宅守パイセンの時代、連絡手段なんて手紙くらいしかない。それもちゃんと届くかどうかもわからん。次にいつ会えるかなんて、ガチで神頼み。そんな状況で、この熱量。これ、ただの恋心じゃなくて、魂レベルの渇望。「我が思ふ妹(いも)」=「俺がマジで愛してるお前」に会うためなら、神様の存在まで持ち出して自分の運命こじ開けようとしてんの。気合いの入り方がレベチ。
何が言いたいかっていうとさ、昔の人が偉いとか、そういう単純な話じゃなくて。この宅守パイセンの歌には、現代の私たちがどこかに置き忘れてきちゃった「真心」の原液みたいなもんが詰まってる気がするんだよね。
今って、情報過多で選択肢も無限。恋愛だって、アプリ開けばいくらでも「候補者」が見つかる。それはそれで便利だし、出会いの形としては全然アリ。でも、その手軽さが、逆に一人一人への「想いの重み」を希釈しちゃってない? 「ダメなら次」「もっといい人いるかも」って、無限ガチャ回してるうちに、本当に大切な「たった一人」を見極めるセンサーが鈍ってない?
不倫騒動だってそうよ。「バレなきゃいい」とか「刺激が欲しい」とか、その手のノリの裏にあるのって、結局、相手への、そして自分自身の「真心」の欠如じゃね? 相手の心を土足で踏みにじる行為だってことに、想像力が及んでない。パートナーを「モノ」みたいに扱って、自分の欲求を満たすための「パーツ」としか見てないから、平気で裏切れる。
政治家だって、国民からの信頼=「真心」で成り立ってる仕事なのに、それを私利私欲でドブに捨てるって、どういう神経してんの? もうね、全体的に「真心」のデフレが深刻。供給不足で市場価値爆上がりしてるはずなのに、みんなその存在価値に気づいてないっていう、ねじれ現象。
宅守パイセンは、流罪っていう絶望的な状況でも、愛する人を「神懸かり的なレベルで」信じて、想い続けた。その想いの強さが、この歌を生んだわけ。もし宅守パイセンが現代にいて、マッチングアプリで恋人を探してたら… 多分、プロフに「天地の神なきものにあらばこそ…(以下略)」とか書いて、秒で運営から注意受けるか、逆に「何この人、激アツ!」って一部のコア層にブッ刺さるかの二択だと思う。(後者であれと願う!)
「いや、そんな重いの無理だしw」って思った?
うん、わかる。わかるけど、ちょっとだけ想像してみて。
もし、自分が誰かに、宅守パイセンレベルの熱量で「お前に会えなきゃマジで意味ない」って思われたら? キュンです、じゃ済まないでしょ? 魂、震えちゃうでしょ? ズキューンってなるでしょ?
もちろん、ストーカー的な重さとは違うよ? 宅守パイセンのこれは、相手へのリスペクトと、自分自身の感情への絶対的な「誠実さ」があるから美しいの。
自分の心に嘘がない。だから強い。だから響く。
今の時代、「真心」とか「誠実さ」とか言うと、「え、なんか青臭くない?」とか「意識高い系(笑)」とか、ちょっと茶化される風潮、あるじゃん? でもね、そういうのを笑ってるうちは、本物の関係性なんて築けないんじゃないかな。上っ面だけの付き合いで、心が満たされることなんて、マジでないから。
そろそろ、この「真心」枯渇スパイラルから抜け出さない?
別に、宅守パイセンみたいに「逢えなきゃ死ぬ!」とまでは言わなくてもいい。ただ、目の前の人に対して、自分の心に対して、もう少しだけ「ガチ」になってみてもいいんじゃない?
SNSの「いいね!」の数より、一人の人間からの信頼。
マッチングアプリの「スワイプ」の効率より、心と心が通じ合う瞬間の奇跡。
そういう「当たり前だけど忘れがちな、でもマジで尊い何か」を、もう一回、自分の中にインストールし直す時が来てる気がするんだ。
じゃないと、本当に気づいた時には、世界から「真心」っていう概念そのものが消えてて、誰も愛し方を知らない、愛され方も知らない、みたいなディストピアがリアルになっちゃうかもよ? 大げさ? いや、そうでもないって。じわじわ来てるこの崩壊の足音、みんな薄々感じてるっしょ? ドドドドド…って地響き、聞こえてる?
中臣宅守パイセンが、1300年の時を超えて、現代の私たちに投げかけてる問い。それは、「お前ら、本気で生きてるか? 本気で誰かを想ってるか?」ってことなのかもしれない。
その問いに、胸張って「YES!」って答えられる自分でありたいじゃん?
だから、とりま、自分の心の中にある「真心」の種、探してみて。ちっちゃくてもいいから、水やりして、育ててみようぜ。
きっと、世界がちょっとだけ、色鮮やかに見えるようになるはずだから。
マジで。
…なんて、熱く語っちゃったけど、どうよ?
宅守パイセンのパッション、少しは届いた?
次回は、また別の角度から、万葉人のヤバすぎる(褒め言葉)LOVEの世界、深掘りしちゃうかもね!乞うご期待!じゃね!