よぉ、ブロウ&シスター! 息してるか?
毎日スマホ片手にキラッキラのタイムラインを追いかけ、お疲れちゃん! インスタ開けば「海外リゾートなう」、Xを見れば「〇〇で表彰されました!」、転職サイトは「〇〇社にて最年少マネージャーとして…」って、もう、眩しすぎて目が潰れるわ!
わかる、わかるぜ、その気持ち。プロフィールという名の戦闘服をキッチリ着込み、自分を最強キャラに見せるアピール合戦。少しでも油断すれば「意識低い系」の烙印を押されちまう。俺もさ、「なんかイケてる経歴書かなきゃ…」「フォロワー数が少ないの、ダサいかな…」なんて、布団の中でウジウジした夜なら、両手両足の指じゃ足りねぇくらい経験あるわ。
実績作りのために実績を作り、プロフに書くために何かを始める。いつの間にか、俺たちが生きるこの世界は、壮大な「プロフィール作成ゲーム」と化してないか? ライフ is ビューティフルじゃなく、ライフ is プロフィール。そんな窮屈な空気感に「ちょ、待てよ!」って言いたくなる瞬間、あるっしょ?
そんなプロフ疲れでHPが赤ゲージ点滅してる君に、今日は1300年以上前からブッ込まれてる、超ド級のLOVEレターを紹介させてくれ。心の湿布、魂のエナドリ。それがこいつだ。
相見ては 幾久さにも あらなくに 年月のごと 思ほゆるかも
あひみては いくびささにも あらなくに としつきのごと おもほゆるかも
ちょっと口に出して言ってみ? なんかもう、音の響きだけでエモくないか?
こいつを現代の言葉にブチ訳すと、こんな感じだ。
「君と会ってから、まだそんなに時間なんて経ってないのにさ。…なのになんでだろ、もう何年も、何十年もずっと君のことだけを考えてたような、そんな気がしちゃうんだよ…マジで」
…キャーーーー! 甘ぇ! 甘すぎて虫歯になりそう! でも最高じゃん!? このストレートな恋心。駆け引きゼロ、マウント皆無。ただひたすら「君が好きだ」っていうピュアな想いが、1ミリも濁らずにほとばしってる。現代の恋愛工学だの、モテテクだのにカマす強烈なカウンターパンチ。これぞ恋のオリジン、感情のド真ん中ストレートだ。
この歌、国宝級のエモさじゃね?
TikTokで使われれば秒で100万回再生は固いし、人気アーティストがサンプリングしたら絶対ヒットチャートを駆け上がるやつだ。
で、ここからが本題。よく聞いてくれ。
この、魂を鷲掴みにする最強のラブソング。
詠んだの、誰だと思う?
時の天皇か? 有名な貴族か? それとも、絶世の美女と謳われた宮中の女官か?
答えはな…
「知らん!!!!!」
そう、この歌は「作者不詳」。つまり詠み人知らずなんだよ。
誰が、どんな立場で、どんな顔で、どんな服を着てこの歌を詠んだのか、なーんにもわかっちゃいない。すごくないか?
いやいや、「たまたまこの歌がそうでしょ?」なんて思った君、甘いぜ。
日本最古の歌集『万葉集』には約4500首の歌が収められてるが、そのうち、なんと半分弱にあたる約2100首(※諸説あり)が、この「作者不詳」なんだ。
…え、マジで? ってなるよな。
そう、マジなんだ。日本のカルチャーの礎ともいえる超重要文献の、ほぼ半分が、誰が書いたかわからんゴーストライターたちの作品で埋め尽くされてるんだぜ。
これって、とんでもない事件じゃないか?
現代で考えてみろよ。ミリオンセラー小説の作者が「不明」、アカデミー賞を獲った映画の監督が「ノーコメント」なんて、ありえねぇだろ。即、著作権がどうとか、印税は誰にとか、そういう話になる。プロフィールが不明なクリエイターなんて、信用問題に関わっちまう。
でも、万葉の時代は違った。つーか、本質を見抜いてた。
ここからは、俺のブッ飛んだ妄想タイムに付き合ってくれ。
俺は思うんだ。当時、日本には伝説のクリエイティブ集団が存在したんじゃねぇかって。その名も**「詠み人知らず団」**。
彼らは身分も性別も年齢も、すべてのプロフィールを脱ぎ捨てた、影の歌詠み集団。表舞台には決して立たない。メンバーは田を耕す農民か、天皇の食事を作る料理人か。あるいは、遠い地を守る兵士や、その帰りを待つ恋人だったのかもしれない。
彼らのミッションはただ一つ。「誰かの、言葉にならない“想い”をカタチにすること」。
身分の高い人には言えない、胸が張り裂けそうな恋心。
遠く離れた故郷を思う、どうしようもない寂しさ。
明日をも知れぬ戦地で思う、家族への愛。
地位や名誉なんかじゃ絶対に表現できない、人間のナマの感情。それを彼らは歌というフォーマットに落とし込み、そっと世に放った。求める報酬は、金でも名誉でもない。「その歌が、誰かの心を震わせること」。ただそれだけだ。
かっけぇ…かっけぇよ、「詠み人知らず団」!
あるいは、もう一つの説。
この「作者不詳」の歌たちは、特定の個人が作ったもんじゃなく、民衆の間で歌い継がれるうちに磨き上げられた「みんなのアンセム」だったんじゃねぇか説だ。
イメージしてくれ。
ある村の男が、好きな子への気持ちを素朴な歌にする。それを聞いた友達が「そこ、こう言った方がグッとくるんじゃね?」とアドバイスする。それが隣村に伝わり、歌の上手いばあちゃんが、もっと美しい言葉に整える。その歌が旅人によって都に運ばれ、いつしか誰もが口ずさむ流行歌になる。
まるで一個の原石が、たくさんの人の手で少しずつ削られ、磨かれ、最終的に国宝級のダイヤモンドに仕上がっていくように。
歌はもはや「誰かのもの」じゃない。「みんなのもの」だ。作者の名前なんて、コンテンツ自体の最強パワーの前では、とっくに溶けてなくなっちまってる。
そう考えると、俺たちが今必死になってる「プロフィール」とか「肩書き」って、一体なんなんだろうな。
〇〇会社の部長、フォロワー〇万人、年収〇〇〇〇万円…。
そんな記号がなきゃ、俺たちは誰かの言葉を信じられないのか?
そんな鎧をまとってなきゃ、自分の価値を証明できないのか?
違うだろ。
断じて違う。
俺たちが本気で心を動かされるのは、プロフィール欄に書かれたテキストじゃない。
その人の口から発せられる「言葉」。
その人の行動が示す「物語」。
その人の瞳の奥に宿る、ゆらりと燃える「魂のバイブス」。
それそのものだろうが!
「作者不詳」の歌たちが、1300年以上の時を超え、俺たちの心を今もなお揺さぶり続ける。その事実こそが、何よりの証拠だ。
これらの歌は、「誰が言ったか」という情報をすべて剥ぎ取られ、丸裸にされてもなお、コンテンツ自体の力だけで生き残ってきた最強のサバイバーなんだ。名前も顔もわからん誰かの、たった三十一文字の「想い」が、時代を、身分を、すべてを飛び越えて俺たちの心臓にダイレクトに突き刺さる。これ以上にパワフルなことがあるか?
だから、プロフ社会の圧に疲れちまった君に、俺はデカい声で言いたい。
お前の価値は、所属や経歴や数字で決まるもんじゃねぇんだよ!
お前が今、胸の中で感じてる「切ない」「嬉しい」「マジむかつく」「愛してる」、その誰にも真似できない、お前だけの感情。それ自体が、加工前のダイヤモンドだ。お前が紡ぐ言葉、流す涙、誰かに向ける笑顔、それこそが、誰にもパクれないお前のオリジナルブランドなんだよ。
もちろん、現代社会で生きていく上で、自分の名前に責任を持つことや、信頼の証としてのプロフィールが大事な局面もある。そこはフルリスペクトだ。でもな、それに囚われすぎて、お前自身の「魂の声」を聞き逃すな。自分を良く見せるための鎧が重すぎて、動けなくなるなんて、本末転倒だろ?
鎧を脱ぎ捨てて、深呼吸してみろ。
そこには、作者名「俺」、作者名「私」という、世界でたった一つの最高にイカした物語が始まろうとしてるぜ。
今日紹介した「相見ては~」の歌みたいに、君が何気なく発した一言、こっそり書いた文章が、100年後、いや1000年後の誰かの心を救うことになるかもしれねぇ。その時、君の名前が残ってるかなんて、ぶっちゃけ、どうでもいいことなのかもな。
大事なのは、君の「想い」が時を超えて届くという事実。
お前っていう存在そのものが、すでにして最高傑作なんだ。
そのことを、忘れんなよ。
じゃ、またな! 次はどんなエモい話を持ってくるか、楽しみにしとけよ!