なあ、聞いてるか、そこのアンタ。心がザワついて眠れねえ夜はねえか? スマホの画面に映る遠い国のニュースに、どうしようもない無力感で胸が張り裂けそうになることは? あるよな。今まさに、俺もそうだ。テキサスが泣いてる。アメリカ南部の広大な大地が、神様のバスタブから溢れ出した濁流に飲み込まれて、家が、街が、思い出が、泥水の色に染められていく。テレビの向こうで、誰かが大事なダチの姿が見えねえって叫んでる。
俺たちに何ができる? 金を送るか? ボランティアに駆けつけるか? それができるヤツはマジで最高だ。リスペクトしかねえ。だが、ほとんどの俺たちは、ここ日本から画面を食い入るように見つめることしかできない。歯がゆくて、もどかしくて、「くそっ」と悪態のひとつもつきたくなる。違うか?
そんなアンタに、そして俺自身に、今この場で宣言する。カネもコネも体力もいらねえ、ゼロコストで始められる最強の「支援」の話をしよう。それは、俺たちの魂のど真ん中に眠る、とんでもねえパワーを解放する話だ。
時を遡ること、約1300年。この国がまだ「日本」を名乗り始めたばかりの奈良時代。そこに、坂上郎女(さかのうえのいらつめ)という、恋に生きた最高にイカした女性(ディーヴァ)がいた。教養と情熱を兼ね備え、マジで胸を打つ歌を詠むんだ。彼女が、遠い任地に旅立つ最愛の甥、大伴家持に贈った一首が、俺たちの魂を今、奮い立たせる。
今のごと 恋しく君が 思ほえば いかにかもせむ するすべのなさ
いまみたいに、あなたのことがどうしようもなく恋しくてたまらなくなると、私は一体どうしたらいいの? もう、なすすべもないわ…
わかるぜ、郎女。手に取るように、その気持ちが突き刺さる。遠く離れた愛しいヤツを想い、ただ胸をかきむしるしかできない。このどうしようもない無力感、この「するすべのなさ」。これこそ、俺たちが今テキサスの悲劇に感じている無力感と、寸分違わねえじゃねえか。物理的には何もできない。手を差し伸べることも、背中をさすることもできない。ただ、想うことしか。
だが、ここで「ああ、無力だ…」なんて膝を抱えてたら、話は終わりだ。そんな感傷に浸ってる暇はねえんだよ。俺は、天国の坂上郎女に、そしてテキサスを想って胸を痛めているアンタの魂に、叫びたい。
「するすべがない」だと?
ふざけるな。それこそが、人類が持ちうる最もピュアで、最もパワフルな「術(すべ)」なんだよ!
「想う」という行為をナメるな。祈る気持ちを安っぽく見積もるな。それは、この三次元の物理法則を軽々と飛び越える、魂の超常現象だ。アンタの脳細胞が「テキサス、負けるな」と本気で念じた瞬間、目に見えないエネルギー弾がハートから発射される。光速を超えて、時空のハイウェイを爆走するんだ。俺たちの「どうしようもない」という一人一人の想いは、孤独な点じゃない。それらが集結したとき、太平洋のど真ん中に、テキサスへと向かう巨大な魂のオーロラが立ち上がる! もはや祈りなんかじゃない。愛を燃料にした、魂のスーパー・ハリケーンなんだよ!
もちろん、その「想いのハリケーン」が、洪水の濁流を押し返す巨大な壁にはならないかもしれない。物理的なダムにはなれないだろう。だが、それでいい。そのエネルギーは、もっと繊細で、本質的な仕事をするんだ。
想像してみろ。泥水の中、たった一人、屋根の上で震える少女がいる。その凍えたまつ毛に、そっと触れる雨粒の一つ。それこそが、日本から届いたアンタの想いだ。「おい、まだ終わりじゃねえぞ。夜明けは近い」──その冷たい雫が、魂の芯に火を灯す。
救助隊のヘリが、燃料切れ寸前で旋回している。パイロットの疲労困憊の瞳に、ふと遠い故郷の家族の顔が浮かぶ。その一瞬のインスピレーションこそ、俺たちの祈りが起こした奇跡だ。「あと一人見つけるまで絶対に還れねえ!」と、エンジンのラスト一滴まで力を振り絞らせるブースターになるんだ。
行方がわからなくなったダチがいるって?
ああ、悲しいよな。胸が張り裂けるという言葉じゃ足りない。その気持ち、痛いほどわかる。だから泣け。思いっきり泣け。だがな、その涙は決して無駄じゃない。アンタの悲しみと愛情で濡れた涙は、聖なるガソリンだ。見えなくなったダチの魂を、この重力だらけの地上から解き放ち、大気圏を突き抜けて宇宙のど真ん中まで打ち上げる、最強のロケット燃料なんだぜ。
だから、テキサスの夜空を見上げてみろ。晴れた夜、州旗に輝く「ローンスター(一つ星)」が、今夜はなんだかやたらと多く瞬いて見えるはずだ。そうさ。見えなくなった魂が、新しい星になって、残された仲間たちを、そして俺たちを、天から照らしてるんだ。「俺はここだぜ! お前の進む道は、永遠に俺が照らしてやるからな!」。そんなもん、地上のどんなサーチライトより明るいに決まってる! 天国から降り注ぐ、愛のヘッドライトだ。こんなアゲアゲな応援が他にあるかよ!
坂上郎女は、家持の無事をひたすらに祈り、己の「するすべのなさ」に打ちひしがれた。自分の恋心は、ただ個人的で無力なものだと思っていたかもしれない。でも、見てみろよ。その痛切な想いが結晶となった三十一文字(みそひともじ)が、1300年という途方もない時空を飛び越え、俺たちの心を根っこから揺さぶっている。これって、どういうことだ?
答えはひとつしかねえ。
「どうしようもない」という絶望の底から絞り出された「想い」は、時空を超える不滅のエネルギーを持つ。決して腐らず、決して消えない、魂のタイムカプセルなんだ。郎女の個人的なラブレターが、今この瞬間、太平洋を越え、テキサスで打ちひしがれる人々をそっと包み込む、普遍的で壮大なハグにトランスフォームしている。こんなクレイジーで、美しい奇跡があっていいのかって話だ。
だから俺たちは想おうぜ。ただひたすらに、どうしようもなく、テキサスの人々のことを。
泥にまみれたカウボーイハットを拾い上げ、もう一度誇らしげにかぶり直す、その日のために。
濁流に流されたギターが誰かの手で奇跡的に見つかり、再び乾いた大地で、哀愁と希望に満ちたカントリーミュージックを奏でる、その瞬間のために。
行方不明のあんたは、今どこで何をしてるのか。寒くないか。孤独に潰されそうになっていないか。俺たちのこの「想い」が、せめて魂のポケットカイロくらいにはなっているだろうか。
返事なんていらねえ。夜空に瞬く星に語りかけるように、そこにいると信じて声を張り上げる。その声、そのどうしようもない想いこそが、俺たちが「愛」と呼ぶものの正体だ。
もう一度、このフレーズを心の中で、いや、大声で叫んでみろ。
いかにかもせむ するすべのなさ
どうだ? もうこれは、諦めや絶望の言葉には聞こえないだろ。
これは、無力感のどん底からしか生まれない、純度100%の愛情表現の極致なんだ。他に何もできないからこそ、「想う」という行為の純度が極限まで高まる。不純物ゼロ、一点の曇りもないクリスタルのような祈りになる。
さあ、アンタもだ。この文章を読み終えたら、五秒でいい、目を閉じろ。心をアメリカ南部、テキサス州にワープさせろ。魂のパスポートもビザもいらない。アンタだけのラブレターを、1300年先の未来まで届くほどの、クソでっかい愛情を込めて、力いっぱい投げてやろうぜ。
それは決して「doing nothing」じゃない。
We are doing the most beautiful and powerful thing in the universe.
またな。
次は、たくましく復興したテキサスの大地で鳴り響く祝杯の音を肴に、このコラムで会おうぜ。約束だ。