「大丈夫……じゃなさそうですね。お疲れさまでした、ゲオルグさん。お茶を持ってきたのでよかったら少しだけ2人で話しませんか?」
エミーリアは俺の顔を見ただけで大丈夫ではないと判断したようだ。どうやら目に見えるレベルで疲れているらしい。俺はエミーリアから茶の入った瓶を受け取り口にする。ほんのり温かい優しい味が体に沁みてくる。
「美味しいな、ありがとうエミーリア。そして気を遣わせてすまなかった。で、話ってなんだ?」
「話……というより励ましにきたと言うのが正解かもしれません。月並みな言葉しか言えませんが元気を出してください。慣れない尋問なんて誰がやっても苦しいものです。ましてやゲオルグさんなら尚の事」
「俺なら尚の事? どういうことだ?」
「サルキリに滞在している時にローゲンさんから小さい頃のゲオルグさんについて色々と聞いたのです。綺麗な池に魚を移してあげたら適応できなくて魚を死なせてしまい凄く落ち込んだ過去。飼い犬が魔物に襲われた時、怪我の処置が甘くて助けられなかった過去。そういった類の失敗が起きる度に孤児院の子供の中で誰よりも苦しんでいた、とても優しい子だったと」
「爺ちゃんめ……余計な昔話を……」
「だから私は思うのです。優しいゲオルグさんはあらゆることを自分の責任だと抱え込んでしまうタイプだと。同様にローゲンさんも『リーサ殿の件は本来ゲオルグに耐えられる痛みじゃないし、消えない傷なのかもしれない』と、言っていました」
エミーリアの言う通りだ。俺がサルキリから母さんを連れ出さなければ黒陽たちに襲われることはなかった。
子供だからそこまで考えられはしないし仕方がないと周りはフォローしてくれた。だけど母さんが死んだ事実は消えやしないし、俺がトリガーだった事実も消えやしない。だから俺は――――
「母さんが死んだあの時から……俺は壊れたまま生きている気がするよ。誰かの為に生きなければ許されないような感覚がずっと内側に存在している……とでも言えばいいのかな」
「ええ、幾らか気持ちは分かる気がします。人は誰しも過去という名の重荷を増やし続けて前進していますから。ゲオルグさんは荷物が重すぎるのでしょう。だから私が……私の責任で軽くしてあげます」
そう告げるとエミーリアは何故か俺の背中に手を添えて「そろそろですかね」と呟いた。何のことか分からず首を傾げていると俺の視界が突然ぼやけ始めて立っていられなくなり堪らず膝をついてしまった。
この感覚は貧血よりも眠気に近い。多分、さっきのお茶に眠り粉を混ぜられていたんだ。何故、俺を眠らせるのか問いかけたいが舌が上手く回らない。ますますぼやけてくる視界の先でエミーリアが困り顔の笑顔を浮かべる。
「ゲオルグさんは頑張り過ぎなのです。だから強制的に休んでもらい――――」
エミーリアの声が水中にいるかのように聞こえなくなってきた。そして俺の思考も働かなくなってきた。流石に抗うのは……無理……そうだ。
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何だか無性に喉が渇く。それに瞼も体も重い。そうだ、確か俺は――――
「エミーリアに眠らされたんだ……。エミーリアはどこだ?」
俺は跳ねるように上半身を起こし周りを見渡す。すると、俺はギルドの一室にあるベッドで寝ていたらしく窓の外は暗い。そして窓際の椅子にはエミーリアが申し訳なさそうな笑顔を浮かべていた。
「お目覚めですね、ゲオルグさん。有無を言わさず眠らせてしまってごめんなさい。体の方は大丈夫ですか?」
「いや、俺の事を気遣っての行動だから責めるつもりはない。むしろ心配をかけて俺も謝らなきゃいけないさ」
「ゲオルグさん……本当に優しい人ですね」
「もう、その話はやめにしよう。それよりもびっくりするぐらい疲れが取れていて感動だよ。恐らくかなり長い時間眠っていたんだろうな。あれからどれくらい時間が経った?」
「今はジニアを牢に入れてから2日後の夜8時です。丸1日以上眠っていたことになりますね。ちなみに今のジニアの様子は――――」
そこからエミーリアは眠っていた間のことを教えてくれた。どうやらジニアが新しい情報を話すことはなかったらしく、今も定期的に麻痺薬を与えて拘束してくれているらしい。
やはり俺が拷問するしかないのだろうか? どちらにしてもとりあえずジニアの様子を見ておきたい。尋問のために俺がベッドから立ち上がると同じタイミングで部屋の扉が勢いよく開いた。何かと思い視線を向けると廊下から慌てた様子のログラーが駆け寄ってきた。
「ゲオルグさん! 目覚めたのですね。大変です、ジニアが……ジニアが舌を噛み切って死んでしまいました!」
「なんだと? アイツが自ら死を? そんな馬鹿な……。ジニアの忠誠心は俺の予想を超えていたということか?」
「とにかく来てください! エミーリアさんが処置すれば、万に一つ助かるかもしれませんし!」
舌を噛み切った奴を救うことができるのかどうか分からないが、どちらにしてもすぐに現場へ行くべきだろう。急いでギルドを飛び出して牢屋に駆けつけた俺は目の前の鉄柵の奥に広がる光景をみて絶句する。
なんとジニアの姿が見当たらないのだ。ジニアが拘束されていた椅子の上に奴はおらず、床には血痕と千切れた舌が落ちている。そんな異様な光景を見てログラーは頭を抱えながら膝をついて震えている。
「ど、どうしてジニアの遺体が消えているのですか! 僕が離れた時には確かに椅子に座っていたのに!」
ログラーが錯乱するのも無理はない。遺体が消えているだけでも充分訳が分からない状況だが、更に気がかりなことがある。それは血痕と千切れた舌が薄い光を放ちながらゆっくりと体積・表面積を減らしているのだ。まるで空気の抜けていく風船だ。
俺は他に情報がないか周りを見渡す。すると牢屋の扉が開いているのが目に入った。
「教えてくれ、ログラー。お前はジニアの生死を確かめる為に1度牢屋の扉の鍵を開けたのか?」
「はい……触れられる距離まで近づいてはいけないと言われていたので5歩ほど離れた距離まで近づきました。そこで死んでいると思い慌てて外に出たのですが……」
「……扉を閉め忘れたという訳か」
「ご、ごめんなさい! 僕が不甲斐ないばかりにジニアを……」
外部の人間が見ればログラーがジニアを逃したと疑うかもしれないが本当に犯人ならこんな怪しまれるような立ち回りはしないだろう。それに俺はログラーを信用しているし、目の前で死んでいて気が動転する人の気持ちも分かるつもりだ。
「気にするなログラー。誰も責めないし、ログラーが怪しいとも思っていない。俺の方こそ、もっと多人数で監視するよう指示を出すべきだった、すまない」
「そんな、ゲオルグさんが謝らないでください。それより、これからどうしましょう。今からジニアを捜索しますか? 出血していますから、空を飛べると言ってもそこまで離れていないかもしれません」
「いや、多分厳しいだろうな。俺の予想だと多分、千切れた舌と出血はジニアの分身体のものだと思う。騒ぎを起こして扉を開けさせる為に死んだフリをしたんだろう。だから床に落ちている舌や血が徐々に消失しているんだろうな」
「あ! た、確かにジニアの分身は平原の戦いでも本物さながらに怪我をして出血していましたね。ですが、麻痺薬で弱っているジニアが分身体をまともに動かせるのでしょうか?」
ログラーの言う通りだ。俺の予想だと分身スキルも召喚魔術と同じように術者の状態が大きく反映されるはずだ。だから平原でジニアが気を失うと同時に分身が消えたのだと思う。
これらの情報から推察するに恐らくジニアは2日間で麻痺薬に対する抗体ができ、脱出する時には分身を軽く動かせる程度には回復していたのだと思う。
「多分、短期間で麻痺に慣れていったんだろうな。肉体構造がそもそも人間とは違うから薬の分量を調整したエミーリアやエノールさんが悪い訳じゃない。やはり俺が監視を増やすよう指示しておくべきだったんだ」
俺が後悔しているとエミーリアは首を激しく横に振って否定してくれている。だいぶ心配してくれているようだが実は俺はそこまで凹んではいない。人語を話す人間型の魔物でも肉体構造に大きく異なる点があることを学べただけでも収穫だと思えるからだ。
この情報は今後に活かしていくとしよう。そして今は僅かな可能性にかけてジニアを追いかけよう。
「とにかく今は外に出よう。地上だけじゃなく空の確認も忘れるな」
気を取り直して俺たちは牢屋のある建物を出て外を見渡す。すると意外にも早くジニアの姿が目に入った。いや、正確に言えばジニアがわざと手の届かない上空で俺たちに気付かれるのを待っている形なのだが。
俺と目が合ったジニアは打撃と麻痺薬でボロボロの状態にもかかわらず大声で強がる。
「いや~、中々刺激的な宿屋でしたよ。とはいえ監視の詰めが甘かったのでチャックアウトさせて頂きますね、勇者ゲオルグ」
「チェックアウト? 尻尾を巻いて逃げる……の間違いじゃないか? ルーナスの右腕として恥をさらしたくなければ降りてきたらどうだ?」
「フッ、そんな安い挑発には乗りませんよ。僕はまだ死ぬわけにはいきません、魔王様に夢を見させてもらっていませんからね。今回は顔見せだと思って別れましょう」
「顔見せ……か。ってことはそのうちもっと巨大な戦力をぶつけてくるって事だな?」
「ええ、約束します。なのでそちらも戦力を整えておくことです。シーワイル領だけではなく3国が手を取り合ってね。とは言っても難しいでしょうね。グリーンベルはともかく他2国のトップは頭が固いですから」
「……ぺらぺらとうるさい奴だな。逃げるならとっとと逃げろ」
「そうイライラしないでくださいよ、ただの事実なのですから。まぁ今日は大人しく帰るとしましょう。それでは皆さんごきげんよう」
頭からつま先まで嫌味たっぷりなジニアは弱々しい飛行で南西方向へと飛んでいった。南西のオルクス・シ―ジにアジトか住処があるのだろうか?
まぁ敵のアジト分析はそのうち進めていこう。今晩はジニアのことをみんなに報告して休むとしよう。
俺はギルドに戻って仲間たちに事の顛末を伝えた後、自宅である洞窟に戻って再び眠ることにした。明日か明後日くらいには他の町に行ったパウルとヨゼフも帰ってくるだろうし、その時に改めて今後のことについてじっくりと話し合う事にしよう。