「280……290……そうか、俺がグリーンベルに来てから、そろそろ300日になるのか」
朝の9時――――俺はギルドの中で帳簿に記された日付を見て呟き、感慨深くなっていた。気が付けば季節は冬になり、窓の外から見える雪の上では子供たちが雪玉を投げあってはしゃいでいる。
相変わらず俺もパウルも聖剣の紋章を完全に光らせられていないから勇者としての成長は遅いのかもしれない。一方でシーワイル領は目に見えて成長している。
人口は
まぁシーワイル領にはシーワイル領の強味がある。観光についてはのんびり考えていくとしよう。
俺は帳簿を棚に片付けてから仕事を始めようと席を立った。するとギルドの入口扉が開く音が聞こえて視線を向けると町長ヨゼフが困り顔で立っており俺に声をかける。
「ゲオルグ様、実は相談したいことがありまして。他の皆にも聞いておいて欲しい」
ヨゼフの言葉を受けてギルド内で雑談していたエミーリアたちが集まってきて机を囲む。ヨゼフは何故か周りをきょろきょろと見た後に小声で話し始める。
「実は怪しい奴らがまたグリーンベルに来ていまして。店を中心に色々な場所に足を運んではメモを取っているのです」
ヨゼフが『また』と言っているのはここ50日程ほどの間に10回ほど他国の見慣れない男たちが来ていたからだ。その男たちは観光や冒険者とも思えない、みすぼらしい服を着ているが全員がどこか真剣な表情をしていて人相が悪い。
俺の勘では盗賊の類だと思っている。実際に店によっては少量の盗難被害も出ている始末だ。だが、怪しい奴らが盗みをしている証拠を掴めているわけでもなく、逆に目立っている彼らは町民たちから総監視されているぶんアリバイが出来ている状況だ。疑わしきは罰せずという言葉もあるし冤罪だったら他国も絡む面倒くさい問題になるから詰め寄ることもできない。
正直、俺の頭では対策も打てないし真相も掴めそうにない。ここは頭の切れる仲間に知恵を借りた方が良さそうだ、提案しよう。
「俺が考えて対策を打つよりハンドフに知恵を借りた方がいいと思う。学校の授業が終わったらハンドフをギルドに呼ぼう」
皆から了承を得た俺はハンドフが学校での務めを終えるまで待ち続けた。そして午後になりギルドに呼んで事情を伝えると俺の予想通りハンドフは分析と対策を語り出す。
「う~ん、僕の予想だと怪しい奴らは囮とスパイ、2つの役割を持っていると思うよ。露骨に怪しい奴らが視線を集めれば他の人間には注意がいかなくなるからね。デカブツのゲオルグの隣を歩けば目立たなくなる理屈さ」
「さらっと俺を引き合いに出すな。だが、囮という説は有りそうだな。そう考えると囮の近くをうろついている普通の出で立ちをした観光客や冒険者の方に目を光らせないといけないかもな。じゃあ、もう1つのスパイっていうのはどういう理屈だ?」
「スパイって言い方は正しくないのかもしれない。多分、彼らは急成長しているグリーンベルを事細かに観察して情報を得ているのだと思うよ。店の並び、接客、商品、仕入れ、物価、あらゆる情報が経済競争の糧になるからね」
参考にしたいなら声を掛けて欲しいところだ……。とはいえ商品を盗まれている時点で仲良くするのは難しそうだ。本当に2国のどちらかから来た者たちなのだろうか? 疑わしく思えてくる。
「ゴレガードかマナ・カルドロンからきた奴らってことか。だが、奴らの身なりを見ても送り出されたスパイには思えないんだよなぁ。盗賊か浮浪者にしか見えないというか」
「甘いよ、ゲオルグ。むしろ盗賊や浮浪者を使うからこそ捕まえても依頼者の足取りがつかめないのさ。失う物がない彼らは安い報酬で大胆に悪行を働いてくれる。仮に捕まっても実行犯に肩書が無いから自国のイメージダウンになることもない。まぁ国からのスパイと決まったわけじゃないけどね」
「……だとしたら気分が悪いな。さっさと尻尾を掴んでやりたいところだ。何か策を考えなきゃな」
「それなら僕の考えた策があればいけるよ。パウル君と数人子供の手を借りられればね。今から行ってくるから気になるならゲオルグも離れた位置から眺めていればいいよ」
「フッ、相変わらず頼もしい頭脳だな。分かった、のんびり見学させてもらうよ」
俺は言葉に従いギルドの外でハンドフたちが出てくるのを待っていた。庭に出たハンドフはパウルに何か指示を送ると聖剣バルムンクを掲げたパウルが鴉にソックリな魔物フッケバインを3匹呼び寄せた。
フッケバインの姿形は鴉に似ているがサイズは2倍ほど大きく、ゴミや農作物を漁ったりはしない。目も記憶力も良いからカリーやパウルの指示を聞いてキビキビ働いてくれる頼もしい仲間だ。
そんなフッケバインを呼び寄せたハンドフは3人の子供たちの肩に乗ってフッケバインを乗せた。フッケバインは置物のように大人しくしている。
するとハンドフは子供たちを連れて直接、露店の近くにいる怪しい男の1人に声をかけはじめた。怪しい男は以前にも見たことがある奴で海藻のような長い髭と髪が特徴的な迫力のある見た目をした男だ。
ハンドフは両手を広げて歓迎のポーズを見せると自分が教師であることと子供たちと散歩していることを伝え、怪しい男が手に持っているメモを指差す。
「お! 旅の日記ですか、良いですねぇ。良ければ僕が町のことを詳しく案内しましょうか? 町が急成長を遂げた過程を教えて差し上げますよ」
「ん? そうか。ならばお言葉に甘えるとしよう」
「はい、お任せください。じゃあ僕はしばらく旅人さんに付きっきりになるから君たちは僕の目の届く範囲で遊ぶんだよ? いいね?」
――――ハーイ!
それからハンドフによる観光案内が始まり、子供たちはハンドフと怪しい男の周りをぐるぐると回って無邪気に遊んでいた。ざっと30分ぐらいだろうか。満足気にメモをとった男はハンドフに礼を言うと近くの宿屋へと入っていった。
ハンドフは子供たちからフッケバイン3匹を預かってからギルドの中に戻ると机の上に木彫り用の小さい丸太を沢山並べてから俺に作戦の真意を語り始める。
「ゲオルグに説明するとさっき僕が男を案内していた理由はメモを開かせて中を覗く為だったんだ。そしてメモを覗いて中身を僕たちに教えてくれるのが目の良い鳥さんたちだ。鳥さんたちには今からメモの中身をクチバシによる木彫りで教えてもらう。これで多分、スパイの思惑が分かると思う。もしアジト的な場所があれば、それも分かるかもね」
「だから警戒心さげるために子供たちに鳥を乗せて周りを走らせたのか! 凄いな……恐れ入ったよ」
「ふふ、ありがと。ちなみに僕が喋ったグリーンベル案内もデタラメを言っておいたから安心してね」
抜かりの無い恐ろしい男だ。俺が感心している間にも鳥たちは高速のクチバシ連打でメモの中身を再現している。鳥系の
魔物が木彫りを終えてメモの再現を確認してみると断片的ではあるが情報がにじみ出てきた。魔物の記憶力に感心しつつ俺は分かる範囲でメモの内容を読み上げる。
「グリーンベル・レモン……品種改良……水……魔石培養土……なるほど。ハンドフが説明した事柄を除き、まだ公表していない農業の情報をメモされているな。ここ数十日のスパイ活動集大成ってところか」
「こっちの木彫りはもっと面白いものが書いてるよ。成果物……情報……集結……××××西洞窟……多分、これは持ち帰った物や情報をアジトである洞窟に持ち帰っているんだ。ただ、問題は洞窟の名前が分からないことだね。暗号か民族文字か分からないけど僕たちが読めない文字だ」
まさか後一歩のところで詰まってしまうとは。物知りのハンドフでも分からないとなると他に知ってそうな人は医者のエノールさんかローゲン爺ちゃんぐらいだろうか。とりあえず確実に診療所にいるであろうエノールさんに話を聞きに行くとしよう。
俺はハンドフとパウルを連れて診療所へ向かい扉を開けると中にはエノールさんだけではなくローゲン爺ちゃんも来ていた、これは都合が良い。
俺は早速2人に謎の文字が刻まれた丸太を見せる。しかし、残念なことに2人でも洞窟の名前を解明する事はできなかった。中々上手くいかないものだなぁと落ち込んでいるとローゲン爺ちゃんがポンッと両手を叩く。
「ゲオルグよ、お前には確か記者の知り合いがいなかったか? 確かマナ・カルドロンの新聞社で働いているアイリスだったかのぅ?」
「ああ、いるぞ。最後に直接会ったのは聖剣を抜いた翌日まで遡るけど、今でも手紙でやりとりしたり新聞でも贔屓にしてもらっているよ。あ、そうか! 悪事を新聞で取り上げる彼女なら盗賊の秘密のやり取りを解読できるかもしれないな。仮にアイリスが知らなくても同じ新聞社の人に聞くなり、学問に長けたマナ・カルドロンの学者に聞いてもいいし」
「なら決まりじゃな。仕方ない、道中何があるか分からんからワシもついて行くとしよう、仕方ないからついていくだけじゃからな? 他に理由はないぞ、仕方ないからという理由以外……。エノールもどうじゃ?」
「この寒い季節にマナ・カルドロンまで移動するのは老骨に堪え……いや、待て、マナ・カルドロンか! 行くぞ、ワシは絶対に行くぞ! 一緒に連れて行けよ、ゲオルグ!」
何故か2人とも異様にマナ・カルドロンに行きたがっている……。特にローゲン爺ちゃんは必死だ。
「別に俺1人でも全然危なくないと思うけど、ついてきたいなら来ればいいさ。じゃあ明日行くとしよう。悪いけどパウルはお留守番たのんだぞ」
「えええぇぇ! サルキリに帰った時だってオイラ留守番だったじゃん! オイラも行きたい! 行きたい! 行きたーい!」
パウルまでこの始末だ。一応、悪人をなんとかしようとする旅なのだが分かっているのだろうか? エノールさんも「今のグリーンベルの防衛力ならパウル不在でも大丈夫じゃろ、連れて行ってやれ」とか言い出す始末だし、仕方ないから連れて言ってやるとしよう。
子供1人に老人2人という年齢が凸凹なパーティーとなってしまったが、まぁいいだろう。俺は明日の集合時間を伝えてから診療所を後にして自宅である洞窟へと戻る。
マナ・カルドロンはまだ1度も行ったことがないし、リーサ母さんの故郷でもあるから行くのが少し楽しみだ。