「はじめまして。俺は……リーサの息子ゲオルグです。母親のことを調べたくて尋ねさせてもらいました」
俺は包み隠さず身分と目的を伝えた。10秒ほどの長い沈黙を経て返ってきたのは震えた声の敵意だった。
「リーサに……娘に子供なんていません。それにリーサは長年行方不明ですから恐らく生きていません。だから貴方の言うことも信用できません、帰ってください」
やはり声の主はリーサ母さんの母親……つまり俺と血の繋がった祖母のようだ。血の繋がった家族が生きていたのは嬉しいが彼女は頑なに扉を開けてくれない。母さんは俺を産んでから1度実家に戻っているから婆ちゃんは命を狙う輩がいることを知っていて警戒しているのだろう。
どうやったら中に入れてもらえるだろうか? 無理やり入る訳にもいかないし、ここは一旦退いた方がいいかもしれない。俺はパウルに帰ろうと手仕草を送る。しかし、パウルは首を横に振り耳打ちする。
「オッサンの母ちゃんにどんな過去があったのかオイラは知らないし敢えて聞かないようにしてきた。だけど亡くなっていることぐらいは知ってるぞ。この家の中にいる人がどんな人かは知らないがオッサンはめちゃくちゃ会いたいんだろ?」
「あ、ああ、その通りだが無理やりはよくない。だから一旦帰ろうと言っているんだ」
「分かってる。オイラはもう強要したりしない。学校生活とオッサンの説教から学んだからな。今からオイラがトライするのは信用してもらうための説得だ、見ていてくれ」
そう言うとパウルは再び扉をノックして元気な声で自己紹介を始めた。
「こんにちは、おばちゃん! オイラはゲオルグのオッサンと同じ半人前勇者でさ、今はシーワイル領で働いているんだ。扉を開けたくなかったら無理に開けなくていい。だけど、話だけでも聞いてくれないか?」
「……子供の声? それに2人とも勇者? 信じ難い……けど、子供が嘘をつくとも思えない。いいわ、聞くだけなら聞いてあげましょう」
「そうか、ありがとな! じゃあまずはオイラとゲオルグの出会いからだな。あれは
そこからパウルは長々とこれまでの軌跡を語り続けた。子供の説明だからまとまりもないし擬音だらけだったけど、熱量は高く、俺に対する感謝や尊敬の想いも込められていて正直少し恥ずかしい。
中にいる婆ちゃんは最初の方こそ無言で聞いていたけれど次第にパウルの言葉に相槌を打つようになっていた。声色から察するに俺以上に真剣に聞いていたと思う。
「――――って訳で今日に至る訳さ。オイラの話はどうだったおばちゃん? これでゲオルグのオッサンを信用できるようになっただろ?」
全てを語り終えたパウルは扉が閉まっているというのに胸を張り、したり顔をしている。そんなパウルの情熱が伝わったのか目の前の扉がゆっくりと開きだし、中から1人の老婆が現れた。
その老婆はリーサ母さんをそのまま少し小柄にして皺を増やして白髪になったような見た目をしている。前情報なしにいきなり会わせられても祖母だと確信するレベルだ。
婆ちゃんは俺の顔を見ると嬉しいのか悲しいのか分からないような顔で硬直した後、ポロポロと大粒の涙を流し始めて両手で顔を覆う。いきなり現れた孫の顔が見られて嬉しいのか、それとも俺が現れたことでリーサ母さんの死に確信を持ってしまって悲しいのか、答えはまだ分からない。
俺はリーサ母さん以外で初めて会う血縁者を前にしてどう動けばいいのか分からなくなっていた。母さんに対して実の母親だよな? と問い詰めた時だってすぐに黒曜が現れて、ろくに親子らしいやりとりを出来なかった。だから本当にどう動けばいいか分からない。
「あ、えーと、その、あの」
俺が馬鹿みたいに言葉を詰まらせているとパウルは俺の背中を勢いよく平手打ちして強引に婆ちゃんの前へと移動させた。パウルは無言で顎を動かしている。そうか、やっと取るべき行動が分かった。
「会えて嬉しいよ、婆ちゃん」
2つの意味で背中を押された俺は婆ちゃんを優しく抱きしめた。パウルとそう変わらない小さな体は震えており「私も……嬉しいわ」と囁くように気持ちを伝えてもらえた。
沢山泣いてようやく落ち着いた婆ちゃんは家の中に案内してくれて客間に俺とパウルを座らせてくれた。少し離席してお茶を持ってきてくれた婆ちゃんは目を腫らしたまま遂に名を名乗る。
「遅くなってごめんなさい。私の名前はスミル。婆ちゃんでもスミル婆ちゃんでも好きに呼んで。改めて貴方達に会えて嬉しいわ。ゲオルグちゃんがリーサを連れずに来ているということはつまり……そういうことよね?」
「はい……いや、うん、そうなんだ。母さんは俺が8歳の時に目の前で亡くなった。詳しく説明するからパウルも聞いといてくれ」
俺が母さんの最期について話すとスミル婆ちゃんは再び泣きだしてしまった。仕方がないこととはいえ辛い。だが、婆ちゃんも薄々覚悟はできていたようで涙をハンカチで拭いてから娘について語り出す。
「自爆にも似た魔術で我が子を救うなんてリーサらしいわね。元を辿ればボルトム王がリーサの妹レンデに対して強引に関係を迫り、それを庇う為にリーサが身代わりになったことから全てが始まったのだから。あ、こんな話を息子であるゲオルグちゃんの前で掘り返すものじゃないわね、ごめんなさい」
「いや、大丈夫だ。俺は父親から望まれずに生まれたことは分かってるし、生まれた後はリーサ母さんに愛されていたことも分かっているから。だけど、俺は母さんが亡くなる前後の話しか知らない。だからもし嫌じゃなければ母さんの昔話を聞かせて欲しい」
俺が問いかけると婆ちゃんは壁に掛けられている油絵に視線を向けた。その油絵には15歳ぐらいに見える母さんと若い頃の婆ちゃんとレンデ叔母さんが描かれていて3人ともよく似た見た目をしている。
パッと見れば写真かと見間違えてしまいそうなほどに美しく、高名な画家に描いてもらえたことが伺える。そんな油絵を見つめる婆ちゃんの目は暖かい。
「……リーサも妹のレンデも頭が良いという点以外はごく普通の優しい娘だったわ。レンデが生まれてすぐに夫が……ゲオルグちゃんのお爺ちゃんが病気で亡くなってしまったから私たちは3人で手を取り合って生きてきたわ。娘2人が人一倍勉強を頑張ったのも学院の教育費を免除してもらう為だったの」
「子供の頃から家族想いだったんだな」
「ええ、だけど努力家な点とボルトム王に好かれる容姿をしていたことが悲劇に繋がってしまったのだと思うわ。学院で主席になれば嫌でも偉い人間から認知されてしまうから。結果、ボルトム王に目を付けられてしまったの……」
「……母さんは俺を身籠ったあと安全に出産する為に1度実家に帰ってきた訳だよな? 婆ちゃんやレンデ叔母さんは大丈夫だったのか?」
「正直、当時は気の休まる時間がなかったわ。切羽詰まったリーサが突然我が家に帰ってきて『ここでゲオルグを生ませて欲しい』と言ってきた訳だから。表沙汰にならないよう私とレンデで必死になって隠し通したからね。だからゲオルグちゃんを秘境サルキリの孤児院に預けられた時は別れの寂しさ以上に孫を守れた安堵感が強かったわ」
「俺の事を必死に守ってくれてありがとう婆ちゃん。俺を産んでから母さんはどんな風に過ごしていたんだ?」
「ゲオルグちゃんを孤児院に預けた後、リーサは7年ほど姿を消してしまったわ。ボルトム王の刺客に狙われなくなるまでリーサを家に籠らせて守り切ればいいと私は考えていたのだけれど。リーサは私や妹に迷惑をかけ続けたくなかったのでしょうね」
実際に俺が8歳になった頃ですら母さんは命を狙われていたわけだから婆ちゃんたちを守るという意味では家を離れた選択は正解だったのだろう。
ただ1つ気になるのが7年間姿を消していたという事実だ。これは言い換えれば孤児院に俺を預けてから7年経って再び帰ってきていることになるからだ。
「迷惑をかけない為に長い期間姿を消したのは母さんらしいと思うが7年後に姿を現わしたのは何でだ?」
「色々と理由はあるのでしょうけど1番の理由は多分、ゲオルグちゃんを目の前にして母親だと打ち明けれない現実に精神が参っていたからだと思うわ。もしくは……近々自分が死ぬことを分かっていて最後に少しでも話そうと実家に戻ってきてくれたのかもしれないわ」
黒陽たちの捜索の目がどれほど厳しいものだったのかは分からないが婆ちゃんの言っていることは一理ある。母の家族愛を感じれば感じるほど悔しさばかりが湧いてくる。
離れたくないのに離れるしかない……こんな悲しい別れがあるだろうか? 長年、娘の生死が分からないまま生き続けてきた婆ちゃんの事を思うとなおさら胸が苦しい。
婆ちゃんには辛い話をさせてしまったけれど、母さんの事を深く知れてよかったと思う。これで一応目的は果たせたわけだが、このまま別れるのも正直寂しい。
やっと出会えた母以外の肉親なのだから少しぐらい我儘を言ってもいいのではないだろうか。俺が迷いつつも口を開こうとした、その時、婆ちゃんが一瞬早く提案してくれた。
「ゲオルグちゃん、パウルちゃん。よかったら泊っていかない? 解読とやらに時間がかかるのでしょ? それに私はまだまだ貴方達と話をしたいわ」
俺が今まさに言おうとしていた事だ。パウルと目を合わせて頷いた俺は自分でも恥ずかしくなるぐらい上擦った声で返事をしていた。
「うん! そうさせてもらうよ。俺もサルキリやシーワイル領での思い出をいっぱい話したいんだ」
「フフ、よかった。それじゃあ昔、リーサが使っていた部屋に案内するわね」
同じように声を弾ませた婆ちゃんについていき俺たちは2階の部屋へと足を踏み入れた。母さんが使っていたという部屋は広くて綺麗に掃除されているものの左奥の角の壁と床だけが色とりどりの塗料で汚れており、台に置かれたキャンパスが裏返して設置されている。
どんな絵が描かれているのか気になって裏側に回り確認すると俺は驚きのあまり言葉を失ってしまった。キャンバスに描かれた絵……それは写真と見間違えてしまいそうなほどに上手い人物画だった。そして人物画には2人の女性と1人の赤ちゃん、そして幼児期の俺が描かれているのだ。
部屋主であるリーサ母さんが描いたのは間違いないだろうし絵が異様に上手いのも驚きだ。素人目にもトップレベルの画力だと分かる。母さんが俺の事を想って絵を描いてくれたのは嬉しい限りだが、横の2人は一体誰なのだろうか? 婆ちゃんに聞いてみよう。
「婆ちゃん、この絵は何なんだ? 俺と母さんと知らない女性と赤ちゃんが描かれているが」
「この絵は絵の上手いリーサが描いた『叶わない夢』よ。隣の女性は学院時代の後輩であり親友でもあるクレアちゃんという子でね。逃亡生活をしていた関係で2人は手紙でしかやりとりが出来なくなってしまったの。互いの子を連れて4人で集まる……そんな些細な夢すら叶わない。だからせめて絵の中だけでも幸せを詰め込みたかったみたい」
「だから叶わない夢……か。だったらせめてクレアさんって人に絵を届けてやりたいな。何処にいるか知ってるか?」
「……クレアちゃんはもう亡くなっているわ。息子のクレマン君が赤ん坊の頃にね」
「なにッ! クレマンだと!」
あまりに驚いた俺は思わず大声を出してしまう。そのせいで婆ちゃんとパウルを少しびっくりさせてしまったようだ。俺は2人に謝った後、改めて絵を覗き込む。
確かによくよく見てみると母親のクレアさんはクレマンに似た金髪と品のある整った容姿をしている。クレマンには一応兄がいるけれど腹違いのはずだから母さんがクレアさんとクレマンだけを描いた理屈も通る。
俺がなんとか気持ちを落ち着けている間に婆ちゃんはキャンバスの近くにあるタンスからペンダント型の懐中時計を2つ取り出し、そのうちの1つを両手に持って小さな突起を回し始めた。
すると懐中時計の前半分がスライドして中からキャンバスをそのまま縮小させたような絵が出てきた、ロケットペンダントってやつだ。
「この懐中時計2つをゲオルグちゃんに渡しておくわ。もともとリーサは自分の分も含めて4つ用意していたらしいから。ボルトム王が亡くなってゲオルグちゃんの命が狙われる理由が無くなったらクレマンさんに渡してあげて。クレマンさんから見れば貴方は母親の親友の息子だし勇者仲間でもあるのだから喜んで受け取ってくれると思うわ」
「どちらかと言えば俺はクレマンから嫌われていると思うが分かった、預かっておくよ。しかし、母さんがまさかこんな素敵な物を作っていてくれたとはなぁ。もしかしたらキャンバスの方は婆ちゃんへのプレゼントだったのかもな」
「どうかしらね。あの子の事だから本当は全員にキャンバスを送りたかったのだろうとは思うわ。でも、大きい絵のプレゼントをクレアちゃんの家……ゴレガード城に送る訳にもいかないから小さい絵の入れられる懐中時計を用意したのだと思う」
婆ちゃんは自身へのプレゼントであることをやんわり否定しているけど俺はやっぱり婆ちゃんに贈りたかったのではないかと思う。
1階に飾ってあった婆ちゃんたち3人の絵も筆のタッチが似ているから恐らく母さんが描いたものだと思うし、完成しているキャンバスをわざわざ置いていったのも母さんが婆ちゃんに委ねたかったのではないかと思えるからだ。
とにかく懐中時計は俺が大切に預からせてもらおう。俺は再度婆ちゃんに礼を伝え、その後は3人で台所に戻って食事と会話を楽しんだ。出会ったばかりなのにずっと一緒にいたような心地よさを婆ちゃんに感じながら時間は駆け足で過ぎていく。