グリーンベルを出発してから3日目の昼――――俺を含むグリーンベルの面々は渓谷の町と名高いトゥリモに足を踏み入れた。沢山の馬車を留めて、小高い丘の先端まで走っていった俺とエミーリアは眼下に広がる美しい景色に見惚れていた。
南へと下りていく大きな川によって作れた渓谷は東西に町を作り、何十もの吊り橋が架かっている。渓谷の壁面にはベランダの様な足場が幾つも作られていて人々が行き来していた。町も川も周囲の林も沼地も全てが雪に覆われており、太陽の光を反射してキラキラと白い光を放っていて美しい。
渓谷の壁面には穴を開けて住居として暮らしている者たちの姿も多くみられて、今までに見た事のない縦の賑わいが感じられる。動物で言えば鳥類やリスみたいで逞しさを感じる。
エミーリアは丘に満ちている大自然の空気を胸いっぱいに吸い込むと体をソワソワさせながら川を指差す。
「ゲオルグさん! あそこの川は季節によっては船に乗って川を下りつつ食事と景色を楽しめるらしいですよ。いわゆるクルーズってやつですね」
「ああ、俺も沢山勉強したから知ってるぞ。他にも蛍が綺麗だったり、渓谷を舞台にした劇場もあったりするらしいな。時間が余れば一緒に遊びに行きたいな」
「はい! 楽しみにしてますね! じゃあ、そろそろ丘を降りてトゥリモに入りましょうか。いや~、楽しみだなぁ」
興奮のあまりいつもの敬語が抜けたエミーリアと共に馬車に乗り込み、俺たち町おこしグループは町へと足を踏み入れた。近くで見るトゥリモの町は区画が整っていて、清掃も行き届いており居心地の良い場所ではあるが、空き家がとても多く目に入る。
確か40~50年ほど前は国境付近で小競り合いがあって前線の集落・基地として役割が強かったと聞いている。今よりも人口が多く、家屋が多かったらしい。逆に言えば余った家屋が多くあるから町おこしにはもってこいというわけだ。
俺たちは早速渓谷の西側にある西トゥリモ集会所へと向かい扉を開けた。するとそこにはトゥリモの町長である老年の女性を始めとした町の主要メンバーが集まっていた。
俺は町づくり計画のリーダーとして彼女たちと一通り挨拶を交わし、これからのことを話し合った。1時間ほど話し合って少し休憩しようということになり俺が席を立つと、そのタイミングで扉の開く音が聞こえた。視線を向けると立っていたのはアイリスとスミル婆ちゃんだった。
「おお! 2人とも早くも来てくれたのか! ありがとな!」
2人に会えて嬉しくなった俺が興奮しながら歩み寄るとアイリスの後ろに誰かいるのが見えた。俺は体を横に傾けて後ろにいる人の顔を確認する。
後ろに立っていたのはウェーブのかかった艶やかな薄紫色の長髪、長い睫毛、目元も頬も唇も赤系統のバッチリとしたメイクで決まった長身の女性だった。
いかにも夜の店のキャストっぽい見た目をしている。田舎育ちの俺には耐性の無い美しさだ。正直、ちょっとドキドキして言葉が出てこない。ここはアイリスに話を振ろう。
「あー、えー、そのアレだ。アイリス、こちらの女性は?」
「アハハ、美人さんだからって緊張し過ぎですよ。この娘はバッカスのラウンジで働いていたキャスト『メリッサ』です。バッカスでもトップクラスの稼ぎを得ていた子で私の友達なんです。ほら、メリッサ、挨拶して」
話を振られたメリッサは俺と目を合わせると足元を揃え、両手を丁寧に重ね、柔らかで深いお辞儀をしてから微笑む。
「はじめまして勇者ゲオルグ様。アイリスの言った通り私は夜の店でそれなりに成果をあげてきました。アイリスの友人でなおかつ勇者様ともなれば、より一層丁寧におもてなし致しますので、私が店を開いたあかつきには是非遊びに来てくださいね、ウフフ」
「あ、ああ、ご丁寧にどうも。それにしても流石メリッサは雰囲気があるなぁ。不覚にも魅入ってしまったよ。エミーリアもそう思……え?」
メリッサから目線を逸らす為に俺はエミーリアに話を振って顔を向けた瞬間、俺は言葉を詰まらせた。それはエミーリアが今までに見せた事のないジットリとした目で俺を睨んでいたからだ。
「へー、ゲオルグさんはメリッサさんみたいな人が好みなのですね。分かりやすく鼻の下が伸びていますよ。素敵な仲間が増えて良かったですね」
何故だろう、エミーリアの態度が刺々しい……。なんて言葉を返せばいいのか分からないからアイリスに助けを求めようとしたけれど彼女は彼女で困っている俺を見て笑っている、なんて奴だ!
そんな俺を見かねてか静観していたスミル婆ちゃんが俺の肩を軽く叩き、渋い表情で顔を横に振る。
「ゲオルグちゃん、あまりガールフレンドを不安にさせちゃ駄目よ?」
「ば、婆ちゃん! 俺とエミーリアは別にそういう関係じゃないぞ!」
「あらそう? 私はそうは思わなかったのだけれど。まぁいいわ、どっちにしても私はエミーリアさんと2人で話をしてみたいと思ったから向こうで話をしてくるわ。いいわよねエミーリアさん?」
「え? 私ですか? はい、もちろん大丈夫ですが。では少し席を外しますね、ゲオルグさん」
スミル婆ちゃんはやや強引にエミーリアを連れて離れていった。俺への助け舟てきな意味合いも多少はあったのだろうけどエミーリアから俺に関する話を聞きたいのが本音だろう。
さて一難あったもののようやく仕事の話ができそうだ。アイリスもニヤけ顔から一転して仕事の顔になり、俺に質問する。
「ではそろそろ町づくりの話に移りましょうか。まず最初にメリッサの仕事について話しましょう。3日前にゲオルグさんは『バッカスの内情に詳しい人材がいれば連れてきてほしい』と手紙を送ってきてくれましたよね? だから私はメリッサを連れてきたのですが、これはどういう狙いなのでしょうか?」
「大きな括りで言えばトゥリモの収益アップに貢献してもらう為だな。俺はトゥリモを娯楽の町にして多くの客を呼び込みバッカスを上回るつもりだ。メリッサの夜の蝶としての経験も存分に活きるはずだ」
「へ? もしかしてゲオルグさんはトゥリモをバッカスと同じ方向性の娯楽街に仕立て上げて対抗するつもりなんですか? だとしたら無茶ですよ。資金やキャストが圧倒的に足りません!」
「悪い、誤解を招く言い方をしてしまったな。厳密に言えばトゥリモが『バッカスに近い位置関係』であることを利用し、観光中心の娯楽町にするつもりなんだ。詳しくはこの計画書を見てくれ」
俺は
バッカスに集まる客たちは大きく分けて2タイプ存在する。1つは恋人や仲間たちと酒を飲んでワイワイ騒ぎたいタイプ。もう1つが好みのキャストと酒を飲みつつ恋人気分を味わいたいタイプだ。故にバッカスが活動的に動く時間帯はほとんどが夜になる。
バッカスの周辺はさほど観光地もないから夜間前後の時間帯は暇を持て余している旅人やリピーターが多い。
だから俺はバッカスに行く前、もしくは行った後に『遊んだり、観光したりできる場所』があればいいと考えた。
恋人や友達や仲間と一緒に昼はトゥリモを楽しみ夜にバッカスに行くパターンもあれば、バッカスのキャストたちと良い感じになった客が翌日の日中にデートスポットとしてトゥリモを訪れるパターンも作れるだろう。キャストと客の心理に詳しいメリッサがいれば尚の事有利だ。
元々、トゥリモは観光地として優れた場所だ。渓谷もそうだが少し南に足を延ばせばブレイブ・トライアングルにおいて数少ない安全な海だってある。流通経路として大事になる街道だってテンブロルを中心とした肉体派の
これまでの領地運営を通して俺たちは本当に大きくなった。繋がる絆も増えて、戦力的にも精神的にも強くなった。だからきっとトゥリモを最高の観光地に出来るはずだ。アイリスも納得してくれたようで計画書を読む顔は明るい。
「なるほど、昼の町から夜の街へ客を流し、その逆もあると。だから日月作戦と名付けたのですね。計画の大筋が分かりました。それと同時に私とホークさんたち元盗賊団が計画の肝となる理由も分かりました、つまり広報ですね。情報伝達力、土地勘、情報収集に優れた私と盗賊団の方々がマナ・カルドロンを中心に暗躍すると」
「そういうことだ。ちなみに新トゥリモの本格的なスタートは約70日後になる。それまでアイリス達はバッカスの情報を集めとトゥリモの告知を同時に進めて欲しい。よろしく頼む」
「分かりました、頑張りますね。あ、そうだ、ゲオルグさんはこの後どんな仕事をされるのですか? 取材がてら見学させてくださいよ」
「見学か、う~ん、基本的にギルドに籠って指示出しするだけだから見ていても面白くないと思うぞ。それに合間で爺ちゃんとの修行を挟むつもりだしな」
「指示出しと修行ですか……ちょっと地味なので止めておきますね、それじゃあまた!」
露骨に興味が無い態度を示したアイリスはメリッサと共に自分の仕事をするべく俺の前から去っていった。まぁ戦いに興味の無いアイリスが俺と爺ちゃんの修行を見てもさっぱりだろうしこれでいいだろう。
俺はスミル婆ちゃんを含む他の人たちと一通り話し終えると、それを見ていた爺ちゃんが声を掛けてきた。
「ゲオルグ、少し時間ができたようじゃな。早速、修行を始めるぞ。町の北側にある畑に行くぞ」
「畑? そんなところで修行をするのか? 爺ちゃんが言う事だから疑いはしないけどさ」
爺ちゃんに連れられた俺は何の変哲もない畑に到着する。爺ちゃんは「少し待っておれ」と告げると畑の周辺から大量の干し草を集めて自分の背より高い位置まで積み上げた。
「これが修行の第1ステップじゃ。ゲオルグよ、まずは可能な限り水平に真っすぐ干し草を殴るのじゃ、もちろん全力でな。その後、お前に足らない技と鍛錬方法を教える」
干し草を全力で殴る事に何の意味があるのかさっぱり分からない。だが、丁度いい機会だ、俺の腕力がどれほど成長をしたか見せてやる。俺は深く腰を落とし、縦に握り込んだ拳を干し草に叩きこむ。
すると山盛りの干し草は予想通り拳と風圧に押されて扇状に吹き飛んで舞い落ちた。その様子を見た爺ちゃんは小さく頷く。
「うむ、やはり体の使い方がなっておらんのう。どれ、ワシが手本を見せてやろう」
そう言うと爺ちゃんは再び干し草を山盛りに積んでから俺と同じように正拳突きの構えに移行する。爺ちゃんが精神集中すると不思議と周りの植物や小動物が止まっているような緊張が張り詰める。
「セイッ!」
静まり返った畑に爺ちゃんの掛け声が響き、拳が繰り出された。その拳は速度こそ俺より遅いものの動き出し、角度、体重移動、全てに無駄がない。だが、驚くべきポイントはそれだけじゃなかった。
なんと爺ちゃんに撃ち込まれた干し草は拳の当たった部分だけが水平に押し出されたのだ。結果、干し草は剣で斬られたかのように上下に分断され、時間差で風が発生して全てを吹き飛ばしてみせた。
まるでテーブルクロスを高速で引き抜いたかのようだ。厳密に言えば遅れて風が発生して干し草が飛んでいるから例としては正しくないのかもしれないが。爺ちゃんの正拳突きは俺とは明らかに違う、詳細を聞かずにはいられない。
「爺ちゃん! 今の技、どうやってやったんだ?」
「特別なことはしておらぬよ。単に真っすぐ正確に無駄な動きの無い突きを放っただけじゃ。ゲオルグの動きには無駄が多く、拳撃も真っすぐに見えて少し横殴り気味になっていた。体の捻りが悪い意味で回転を加えたわけじゃな。だから仮にワシとゲオルグが空中の小石に突きを放った場合、より遠くに飛んでいくのはワシになるわけじゃ」
「パワーで勝っていても力の伝導率が悪ければ宝の持ち腐れってことか。つまり今回の修行は合理的な体の使い方を学ぶって事だな?」
「それも修行の1つじゃな。お前にはもう1つやらなければならない修行がある。それは瞑想じゃ」
俺はてっきり体術に比べて劣っている魔力・魔術の修行を言い渡されるものだと思っていた。現状、俺は魔術だけで言えばパウルより劣っているし、たとえ魔術を戦闘に使わなかったとしても魔力を鍛えて全身に漲らせることで攻撃力、防御力共に上昇する効果があるからだ。
「瞑想? そんなことをして何の意味があるんだ?」
「その説明をする前にゲオルグに聞いておきたいことがある。お前は
「……恥ずかしい話、頭に血が昇っていたから能力が跳ね上がった自覚はあまりないな」
「少しでもあるならいい。お前にはあの時の力を制御できるように精神を鍛えてもらう。思えば20年前にリーサ殿が襲われた時もゲオルグは怒りによって限界を超えておった。いや、正しくは『本来なら出すことができる力』を無意識のうちにセーブしているという言うべきか。お前は良くも悪くも優しいからのぅ、力を出すことそのものを本能的に恐れているように見える」
俺が優しいかどうかはともかく力に幅があるのは事実だ。ならば自分を見つめ直す修行をするしかなさそうだ。
「分かった。じゃあ精神修行とやらを頑張ってみるよ。で、具体的にどういう修行メニューなんだ?」
「肉体的な修行メニューについては後々教えよう。精神修行については端的に言えば『怒っている時の肉体変化に慣れること』そして『怒りに満ちている自分を客観的に捉えられるようにする』トレーニングを行う。今までとは質が違う修行になる、覚悟をしておくのじゃな」
こうして爺ちゃんの修行とトゥリモの領地運営に精を出す生活が始まった。
領地運営に関しては各分野に優れた人材がいるおかげで俺が苦労する事はさほどなかったけれど、爺ちゃんの修行は本当に大変だった。思い出すだけで疲れるし、1日1日が長く感じる厳しいものだった。だけど修行のおかげで目に見えて強くなっていくのを感じる事が出来た。
そんな苦しくも充実した日々は気付けば90日も経とうとしていた。