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第41話 氷炎鬼




 俺とクレマンは互いに聖剣を構え、呼吸が聞こえそうなほどに静まり、距離をはかっている。先に動くのはどちらか……10秒、20秒と静寂が流れる中、最初に動いたのはクレマンだった。


 クレマンは疾走の勢いを乗せた薙ぎ払いを俺の右肩目掛けて繰り出す。それなりに速い剣速だが避けられないレベルではない。俺は膝を曲げて余裕をもって薙ぎ払いを躱した……かに思えたがクレマンの攻撃は剣だけではなかった。


 奴は薙ぎ払いの遠心力を利用すると言わんばかりに右足を軸にして回転し、左足で蹴りを放ってきた。反応の遅れた俺は脇腹へまともに蹴りをもらう。


「うぐっ!」


 堪らず呻き声をあげてよろけた俺をクレマンは見逃さなかった。奴はそのまま畳みかけるように剣と拳と蹴りのコンビネーションを放ち続ける。上手く体重と勢いを乗せた打撃は俺の体に鈍い痛みを蓄積させる。それに防いでも防いでも即座に次の攻撃が飛んできやがる……見事なものだ。


 俺はクレマンの異様に無駄のない素早い連撃を分析する為に手足に注目する。そこで俺は気が付いた。よくよく見ると奴の肩や太腿には竜巻に似た小さな風を纏っており、手足の突き出しと戻りを加速させていたのだ。加えて軸足の足裏もネジのように風を回転させることで体全体の捩じりも強化している。


 足裏の風によってできた鋭い地面の削れが風魔術の練度を物語っている。クレマンの言っていた猛特訓は本物だったようだ。


 とはいえ恐れる程のものではない。ジニアの時と同様耐えられない打撃力ではないからだ。聖剣の1撃だけをまともにもらわないようにし、他の打撃は喰らってしまう覚悟で奴の体を掴んで動けないようにすれば俺の勝ちは確実だろう。


 だが、どうせなら俺も修行の成果ぐらいは見せておきたい。ここは1つ新技の実戦投入といこう。俺は集中力の全てを触覚と聴覚に委ねる為に両目を閉じた。目に見える打撃と風に惑わされないようにして攻撃を防ぐ為だ。


「ゲオルグ……お前、何をしている? 目を瞑るなんて勝負を捨てるつもりか?」


 今の俺にクレマンの表情は見えないが明らかに困惑しているのが声色と空気振動で分かる。


「驚かせてすまない、これが修行の末に身に付けた技の1つだ。遠慮せずに攻撃してくれ」


「……そうか、それが以前目を瞑ってコインを指で突いていた特訓の答えか。ならば遠慮せず斬らせてもらおう」


 そう告げたクレマンが俺に向かって走り出し、聖剣を振りかぶる音が聞こえる。しかし、奴の言葉とモーションはフェイクだということに俺はいち早く気が付いた。何故なら聴覚と触覚がクレマンの左足から繰り出されようとしている蹴りを教えてくれるからだ。


 俺は最小限の動作で自身の右足を前に出し、クレマンの左膝の前で止めてみせた。ストッパーの如く蹴りが加速する前に動作を止められたクレマンは


「……っっ!」


 声にならない声を漏らす。クレマンからすれば動きを先読みされたような感覚かもしれない。その後も俺は高速感知によってクレマンの肩、肘、膝、手首、あらゆるポイントで始動を止め続けた。


 攻撃が一切当たらず痺れを切らしたクレマンは大きく後ろに下がり俺は一旦目を開く。するとクレマンは聖剣グラムに強烈な風の魔力を練り始めた。


「近接攻撃を止められてしまうなら防ぎようのない物量をぶつけてやる! サークル・テンペストッ!」


 聖剣による魔力増大と渾身の叫びによって放たれたのは俺の周囲を埋め尽くす大量の風刃だった。風の範囲はざっと見ても直径だけで300歩ぶんはある。とてもじゃないが範囲外には逃れられない。


 クレマンは大汗を掻きながらも勝ちを信じた笑みを浮かべて叫ぶ。


「風の円陣よ、切り刻めぇっ!」


 叫びと共に無数の風刃が一点に集結する。周囲の岩はズタズタに刻まれ、巻き上がった土煙は少し先の景色すら映すことを許さない。


 凄まじい威力と数を誇るサークル・テンペストは俺の体に大ダメージを与える――――ことはなかった。風の刃が動き出す寸前に俺は拳で地面に穴を開けて避難していたからだ。穴に入る直前に少し腕と肩に切り傷がついたものの全く問題はない。


 離れた位置で息切れするクレマンには悪いが穴から出て無事な姿を見せることにしよう。俺は勢いよく穴から飛び出すとクレマンは握りこんでいた指を力無く開いて聖剣を落とし、大きく肩を落とす。


「効いてない? ちくしょう……ちくしょう……僕はやっぱり、ゲオルグには勝てないのか……」


 目の前には諦めてしまっているクレマンの姿があった。奴の心は完全に折れてしまったのだろうか? いや、勇者クレマンはそこまでヤワな奴じゃない。胸ぐらを掴んだ時とは違う叱咤の怒りが俺の中で巻き起こる。


「戦いを放棄するな、剣を握れ! 勇者が諦めるな! お前は俺の仲間でありライバルなんだぞ!」


「仲間? ライバル? 本気で言っているのか? 考え方も性格も強さも全然違う僕たちが?」


「お前が勇者の心を捨てさえしなければな」


「勇者の心……」


 確かめるように呟いたクレマンは聖剣グラムを拾い、再び両手で握り構える。


「ああ、それでいい。まだ俺の攻撃を撃ち込んじゃいないからな。今から俺はクレマンの胸を目掛けて全力の1撃を放つ。死にたくなければ全力で防御しろ、いいな?」


 俺の問いかけに対してクレマンは生唾を飲み込みつつも力強く頷く。戦闘開始前とは違って良い面構えだ。俺の新技を撃ち込むに値する男の顔だ。


 俺は目を瞑り、爺ちゃんとの修行を思い出す。爺ちゃんは修行中いつも『怒っている時の肉体変化に慣れること』そして『怒りに満ちている自分を客観的に捉えられるようにすること』が大事だと言っていた。


 今のクレマンに対して怒りはないが、黒陽こくようとの戦いで怒っていた鬼のような自分を思い返すことはできる。


 あの時の体の感覚を再現する為に心の炎を燃やし、それと同時に自分の心を分離して理性的・客観的に見つめる氷のような心を共存させる。それが爺ちゃんの命名した戦闘形態『氷炎鬼ひょうえんき』だ。


 俺の体にルーナスと戦った時よりも遥かに強く燃費の悪い魔力が漲り、筋肉が暴れたいと言わんばかりに脈動する。


 心技体のうち心と体は完成した。あとは技だけだ。俺は大きく深呼吸してから姿勢を低くし、右拳を水平に弓を引くかのごとく後方へ動かす。


 2人の間に再び静寂が流れる――――俺は開眼と共に地面を蹴り、鋭く握りしめ、魔力を一点に込めた拳を寸分の角度の狂いもなく真っすぐに撃ち込みながら呟く。


「ゼロ・ナックル!」


 俺の右拳が微塵の無駄もなく水平の軌跡を描く。一方、クレマンは右手で剣の柄を握り、左手で剣の先端を支えるように抑え、横一文字の堅固な防御姿勢をみせた。刀身と衝突した俺の拳には一瞬だけ強い負荷が掛かかり――――


「なっ!」


 クレマンの短い感嘆の声と共に聖剣グラムは砕け散り、その衝撃でクレマンの体は吹き飛び近くの岩壁へと叩きつけられた。


 背中を打ちつけたクレマンはなんとか意識を保っているものの立ち上がる気力はなさそうだ。とはいえ怪我はないようでよかった。


 砕けた聖剣グラムの刀身も淡い光を放ちながらジワジワと自動修復している。自己再生能力があると聞いてはいたものの実際に刀身が砕けたところを見たことはないから修復してくれて一安心だ。


 俺は岩壁に寄りかかって座っているクレマンに手を差し伸べる。


「大丈夫か? 立てそうなら肩を貸すぞ?」


 俺が差し出した手をクレマンは一瞬握ろうとしたが、すぐに引っこめると弱々しい声で尋ねる。


「嫌いな相手でも勝ち誇ったりせずにすぐ手を差し伸べて心配する……そんなところがゲオルグの強さなんだろうな。戦士としても施政者としても、そして勇者としても完敗だ。僕はもう器じゃないと諦めがついたよ。気を遣ってライバルだなんて言ってくれてありがとな」


「気を遣う? 俺の言葉は全部本心だ、勝手に決めつけるな。俺は本気でライバルであり仲間だと思ってる。それに……」


「それに? なんだ?」


 言葉を詰まらせた俺はクレマンの才能について考えていた。三聖剣祭さんせいけんさいでは全然相手にならなかったクレマンがここまで成長していたことに驚いたからだ。それにクレマンはまだ21歳で俺より7歳も若い。人生を修行に費やしてきた俺としては認めたくはないがクレマンは将来的に――――


「いつか、クレマンは俺を超える強さを手に入れると思ってる。俺の勘だからあてにならないかもしれないがな。真っ当に小細工せず、寄り道もせず勇者道を進めば、お前は全てに於いて俺を上回れるよ。だから器じゃないなんて2度と言うな」


「…………」


 クレマンは沈黙しているものの差し出した俺の手を握り、足を震わせながら立ち上がった。そして一際強い光を宿した目で俺を見つめる。


「今日は初めてゲオルグが本気で怒った顔、そして心底悲しそうな顔を見た気がするな。今になってやっと気が付いた、前からゲオルグは僕のことを認めてくれていたんだな」


「フッ、気付くのが遅ぇよ、馬鹿野郎」


 気が付けば俺は笑っていた。クレマン相手に苦笑い以外で初めて笑った気がする。そんな俺に呼応するようにクレマンも笑っていた。その笑顔は年齢よりも幼く見えて、屈託がない。


「邪魔したなゲオルグ。僕は宿に帰って今日の事を深く考えてみる事にする。じゃあな」


 そう告げるとクレマンはふらつく体に鞭を打ち、護衛を抱えて去っていった。


 クレマンの姿が視界に映らなくなるまで見届けたところで離れていたアイリスが駆け寄ってくる。


「お疲れさまでした、ゲオルグさん。良いやりとりを……いえ、良い戦いを見させて頂きました」


「俺が詰めよった場面、クレマンと護衛が自白した場面、激しい戦闘……記事に書ける内容は色々あるだろうな」


「そうですね、まぁ書くつもりはありませんけど」


「どうしてだ? 真実を追求するのが記者の仕事だろ?」


「記者の定義はその通りです。ですが、今の私はプライベートですから。たまたま私の知り合いクレマンさんと友人ゲオルグさんが喧嘩をしていて視界に映っただけですから。友達同士の喧嘩なんて記事にしませんよ」


 これがアイリスの流儀なのだろう。その後もアイリスは『これから先のクレマンさんは大丈夫だと思います』と記者の勘を口にして将来の期待を語っていた。多くの人間を見てきた彼女の言葉なら信じられるだろう。まぁ仮にアイリスが信じなかったとしても俺はクレマンを信じているが。


 岩場を離れてアイリスと別れた俺は夜になっていたこともありギルドに戻り、サッと飯と風呂を済ませてから自分の部屋へと入り、早めに眠りについた。







 翌朝、ギルドのテーブルで朝食を済ませた俺は朝の散歩をしようと外に出ると1人の青年が俺を見て駆け寄ってきた。青年は配達員の制服を着ており俺に手紙を差し出す。


「ゲオルグ様、あなた宛てに差出人不明の手紙が来ていましたよ」


「差出人不明? そうか、じゃあ中を確認してみるよ」


 俺は少し緊張しながら封筒の中にある手紙を取り出した。その手紙にはたった一言シンプルに『真っ当にお前を超えてみせる』と書かれていた。


「フッ、誰が書いたか丸わかりだな。全く……名前ぐらい書いておけよ」


 2重の意味で笑いが込み上げてきた俺は手紙を懐にしまった。ある意味、人生で最も大事な手紙かもしれない。母さんの作った懐中時計と一緒に大事に保管しておこう。


 そして、いつの日かもっとクレマンと仲良くなれた時はクレマン用に預かっている懐中時計を渡すことにしよう。





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