「また右腕を失っちまったな、ルーナス」
クレマンの分離、氷壁の崩壊、そして右腕の切断を経てルーナスはもう限界のはずだ。いや、限界でなければ困る。何故なら俺はもう視界がぼやけるほどに体力と魔量が枯渇しているからだ。
「…………」
俺の煽りを受けたルーナスは反撃に出るわけでも言い返すでもなく不気味に静止している。何を考えているのかさっぱり分からない。その間にパウルはルーナスの足元に落ちている魔剣ディザールを粘着糸で手元へと引っ張り、黒く染まった魔剣ディザールを握って聖剣アスカロンへと戻す。
ルーナスは無抵抗で聖剣を奪還させてしまうほどに限界なのだろう、と安堵の気持ちが膨らみ始めた直後、ルーナスは突如体をガタガタと震わせる。続けてルーナスは砕けるほどに歯を食いしばり俺を睨みつけると
「認めない! 認めない! 私が勝つ……僕が勝つ! 泥を啜ってでも……自らを喰らおうとも!」
一人称すら変わるほどに錯乱して叫び、あろうことか地面に落ちている自身の右腕を犬のように四つん這いで食べ始めた。残った左手で拾い上げてから食べるのではなく、わざわざ痛々しい右腕の切断面を地に付けて貪る光景は狂気以外の何物でもない。これが各地の石碑を解読していた知恵ある者の姿だとは思えない。
驚きと不快感で満ちた表情でルーナスを見つめていたクレマンは何かに気付いたのかハッとした顔になり、慌てて聖剣を構える。
「マズいぞ……ルーナスは自分の腕を食べて魔量と体力を回復しようとしている。急いで止めるぞ、ゲオルグ、パウル!」
ルーナスを止めるべき俺たち3人は一斉に走り出す。しかし、あと10歩ほどで攻撃が届く位置に達した時、俺の体は強い眩暈を起こして無様に前方へ倒れてしまう。
「ゲオルグ!」
「ゲオ兄!」
2人は俺を気遣って後ろを向く、その行動がマズかった。一瞬とは視線が外れたことを好機とみたルーナスは腕を咥えたまま左手から強烈な魔力を纏う氷柱をクレマンに放つ。
揺れる視界を気合で止めた俺は
「やらせるか! ライフリンク!」
クレマンに向けて即座にライフリンクを発動する。俺の体に激痛が走り、視界が暗くなり――――
「…………」
「…………」
「……はっ! クレマン、パウル?」
数秒か、それとも数十秒か? 時間はハッキリと分からないが今、俺は確実に気を失っていた。
俺は慌てて周囲を見渡す。すると右斜め前には血だらけになって倒れているパウル、そして左斜め前にはクレマン相手に馬乗りになって殴り続けるルーナスの姿があった。
俺が気を失ったからライフリンクが切れてしまったんだ。このままでは本当にクレマンが死んでしまう。あと少しだけでいい……耐えてくれ、俺の体!
「ライフリンク!」
俺がスキルを発動すると同時にルーナスの拳撃によるダメージが俺の肉体を襲う。だが、激痛に襲われようが肉体を損傷しようが関係ない。走るんだ! そして加速を乗せたゼロ・トラストで決めてみせる。
殴った感触でクレマンにダメージが蓄積されなくなったことに気が付いたルーナスは血走った目と噛み砕いてギザギザになった歯をこちらに向けて
「何度も、何度も邪魔をするなァァァッ! 死にたいならお前から殺してやるぞゲオルグッ!」
理性の消え失せた咆哮で左の拳を放つ。
俺の聖剣による突きとルーナスの左拳は吸い寄せられる。ボロボロになった俺の体から発せられるパワーで押し勝てるのだろうか? 0.1秒にも満たない接近の最中、俺の心に不安が溢れる。
きっとルーナスもパワーで勝てると思っていただろう。しかし、この時、奴も俺も気づいてはいなかった――――潰れたルーナスの左目……死角から迫る、もう1つの攻撃、ラグナロクに。
意識外から飛んできた雷撃を左肩に受けたルーナスは体を白く発光させて
「うがぁッッ!」
うめき声をあげて、一瞬だけ硬直する。今、放たれたラグナロクはこれまでに比べて威力も弱く、硬直時間も瞬きの如く短い。だが、戦いにおけるタイミング、特に正面衝突は僅かにタイミングや位置がズレるだけで威力が下がるものだ。
ルーナスより僅かに早くラグナロクの発動に気が付いた俺はパウルを信じて攻撃動作を続行する。そして今出せる最高速度、最高効率の一点突きをルーナスの左拳に解き放つ。
「ゼロ・トラストッッ!」
俺のありったけを込めた技はタイミングの優位を以て、ルーナスの手の骨と肉を砕く。声すらあげることなく真後ろへ大きく吹き飛んだルーナスは地面に背中と血塗れた左拳をつける。
「うぅ……ハァハァ……クソッ! まだだ、絶対に負けてなるものか。お前たちに勝って外の世界へ行くんだ……全ての頂点に立つんだ……」
震えの止まらない足でルーナスはなお立ち上がる。だが、もう奴に何ができる? 今の衝突で全てが決したんだ。俺が幕を引いてやる。
俺はゆっくりとルーナスに歩み寄る。最後は俺の最強技『
「グフッ! かはぁっ!」
俺の口から夥しい量の血が溢れ出し、聖剣を地面に落としてしまったのだ。もう、とっくに限界はきていたんだ。あと一振りすることができれば……いや、今の状態では一撃喰らわせたところでトドメには……。
俺の状態に気付いたルーナスは逆転の目が見えたことで声を震わせながら笑う。
「アハッ、アハハハッッ! 最後の最後で燃料切れとはね。勝利の女神は私に微笑んだようだ。君たち三勇者を殺した後、体を回復させてからゆっくりとブレイブ・トライアングルを制圧させてもらおう」
「…………」
「どうした、ゲオルグ? もう言い返す気力すら残っていないのかい?」
勝ちを確信していたであろうルーナスが少しだけ恐れの表情を含めて俺へ問いかける。黙って静止している相手ほど不気味な者はいないものだ、無理もない。
俺が黙ってしまったのにはもちろん理由がある。何故ならここにきて手足に力が戻ってきたからだ。
俺は地面に落とした聖剣バルムンクを拾い、再び頭上に掲げる。その様子を見たルーナスは顎を震わせ、声を引きつらせる。
「どうしてまだ剣を拾える? どうしてまた剣を構えられる? 君の……お前の限界はどこにある? 答えろ、ゲオルグッッ!」
「とっくに限界は迎えていたさ。体力と魔量が枯渇した影響で視界がぼやけて、足元の聖剣すらまともに見えなくなっていた。途中まではな」
「途中まで……だと?」
「ああ、急に少しだけ体が楽になって目も見えだしたんだ。そこで俺は気が付いた、そして見えるようになった目で遠くを見つめることで答え合わせをしたんだ」
「……遠くを見つめて……まさか!」
大慌てで俺の後方、そして周囲を見渡したルーナスは魔王にそぐわない悲観的な表情を浮かべる。
奴は気付いたのだ。クレマンが体内から飛び出し、半球状の氷壁が崩壊したことで周辺にいる全ての戦士たちがこちらを向いていること、そして多くの人間が俺の体にエナジーヒールを送っていることを。
エナジーヒールは元々エネルギー効率の悪い魔術だ。加えて今みたいに距離が離れていればほとんど効果は0に近く、飛翔するエネルギーは花粉のごとく視認することすら難しい小ささとなる。それでも今、この瞬間は三国から集まった大勢の人間が全方位からエナジーヒールと声援を俺に送っている。
「勇者ゲオルグは我々マナ・カルドロンの難民を受け入れてくれた。だからこそ今、恩返しの時だ!」
「私たちの魔量を全て勇者ゲオルグに届けるのよ。それがゴレガード王子を守ることに、クレマン様を守ることに繋がるのだから!」
「ゲオルグさんは俺たちシーワイル領の誇りであり象徴だ! ここで背中を押さずして、いつ押すんだよ!」
俺の体に僅かな魔量と体力、そして膨大な精神力が満ちてくるのを感じる。
「悪いなルーナス。みんなの力でお前を倒させてもらう」
「くっ……。少し回復したからと言ってどうだって言うのさ。この一撃を耐え、私はブレイブ・トライアングルを掌握してみせる!」
認めたくはないが回復した今のパワーでも奴を一撃で倒せる確証はない。
それでもやるしかない……俺は戦いを終わらせるべく
驚き後ろを振り向くと、そこには倒れたまま聖剣を握り、こちらに微笑むパウルとクレマンの姿があった。
「ゲオ兄の最後の一振りにオイラとジャス兄の力も乗せてくれ」
「ゲオルグ、お前にだけ良い格好はさせないぞ。僕の体力と魔量、そしてラグナロクとバルムンク……三聖剣の力でルーナスを解放してやってくれ」
この土壇場で這いずって聖剣を掴み、俺を助けてくれるとは。やはり、こいつらは最高の仲間だ。
「お前たち……そうだな、ありがとよ。じゃあ終わらせてくるぜ」
民衆と三勇者の力を込めた聖剣バルムンクは満身創痍とは思えない程に凄まじい光を放つ。一方、バルムンクを見つめることで眼球を白光に染めたルーナスは唇に食い込ませていた歯の力を緩めると全てを悟り、静かに微笑む。
「悔しいけど私の負けだね。あの世で君たち勇者が来るのを待っているよ」
「……ああ、またな」
俺は渾身の力で聖剣の柄を握りしめる。そして
「いくぜ! トライアングル・ソードッッ!!!」
垂直に振り下ろされた極太の白光は大地に巨大な亀裂を作った直後、まるで間欠泉のごとく亀裂から稲妻を噴出する。持ち手に響く振動はかつてないほど強く、聖剣を手放さないように堪えるのに必死だ。
視覚・聴覚が狂いそうなほどの発光と轟音が収まった後、そこにルーナスの体は跡形も残っていなかった。それでも俺は見た気がする、トライアングル・ソードが当たる直前、アイツが安らかな笑顔を浮かべていたのを。
「全部……終わったんだな」
肉体の限界と緊張から解放されたことで俺の体は糸が切れた人形のように両膝を崩す。そのまま顔を地面に叩きつけることになるかと思ったが、寸でのところで俺の左腕をクレマンが、右腕をパウルが支えてくれて倒れる事はなかった。
クレマンはハグに近い形で俺の体を支えたまま
「本当に……本当にありがとう、ゲオルグ……」
声と肩を震わせて礼を伝える。きっとクレマンは泣き顔を見られたくないから抱き着く形で俺の体を支えたのではないかと思う。だって俺の左肩にぽつぽつと涙が落ちているから。
パウルも同じく涙目になって「やったな、ゲオ兄」と俺を称えてくれた。そして遠くから駆けつけてきている民衆を指差すと吹き出すように笑う。
「オイラたち、これから皆に揉みくちゃにされるんだろうな。傷口が開かないように気を付けないと。特にゲオ兄は気を付けろよ」
「フッ、嬉しい悲鳴ってやつだな。さあ、三勇者の凱旋だ。笑顔で胸張っていこうぜ」
1番ボロボロの癖に強がって立ち上がった俺は駆け寄ってきている民衆に笑顔で手を振った。
地平線に並ぶ彼らの顔は逆光ではないというのに、よく見えない。きっと涙で視界が滲んでしまっているからだろう。
このボヤけた景色を俺は一生忘れないだろう。勇者として1番の宝物なのだから。