翌朝――。
普段の起床時間に合わせて体内時計がイオルクを起こしに掛かる。
イオルクはぼんやりとした頭で上半身を起こすと、右手を額に持っていった。
「うぇ~……頭が痛い……」
今まで感じたことのないタイプの頭痛。風邪などを引いて体調が悪い時のような気怠さはないのに、妙にズキンと頭に響く。
「……血の巡りが悪いのか?」
肩を回し、腕を頭の上まで伸ばし、大きく息を吸って吐くと、体が起きて活性化が始まる。
それと同時に頭も働き始める。
「何で、こんなに体が鈍ってるんだっけ?」
頭の覚醒と共に頭痛が引き始めると周囲を伺い、イオルクの頭は疑問符を浮かべながら傾いた。
「ここ、何処だ? 見覚えのない部屋だ」
小ざっぱりとした自分の部屋とは違い、幾つかの装飾品が見て取れ、壁には大きな絵画も掛かっている。ベッドの下を見れば、カーペットの色もまるで違う。
「そもそもベッドに入った記憶がない……」
足に掛かるシーツと布団は、まるで新品のようだった。目を凝らせば、カバーやシーツには細かい刺繍が入り、どこぞの高級ホテルのような印象を受ける。
眉間に皺をよせ、イオルクは、もう少し記憶を遡る。
「確か、昨日は面倒くさい審議会があって、そのあと……また呼び出しがあって、王様と王妃様とユニス様と夕食をして……そのあと、何があったっけ?」
夕食を食べ終わった辺りから記憶がない。
イオルクはベッドに腰掛ける形で座り直すと、ベッドの脇の台に飾られる壷を手に取る。
「何てデタラメに高そうな壷なんだ。こんなに金の装飾とかいるか?」
分からないことに対する代償行動。イオルクは現実逃避をしながら、壺の中を覗く。
「すげぇな。どうやって研磨かけるんだよ? こんな中まで」
自分でも何をしているのかを分からないまま、良いものか悪いものかも分からないまま、壺の中を覗いて『何か、妙に白いな』『異様に研磨されてツルツルになってるな』と、イオルクは現実逃避を続ける。
しかし、そんなことをしていても記憶が途切れている理由は思い出せず、虚しく五分が過ぎた。
そして、現実逃避進行中の最中に扉が開き、誰かがイオルクに声を掛けた。
「壷に興味があるのかね?」
「いや全然。寧ろ、こんなに金かけたら壷として使えないことの検討を――って……ん?」
イオルクが振り返る。
「…………」
イオルクの視線の先では、王が和やかな表情で手を振っていた。
「王様が……何故?」
「ここは王族の客間だからな」
「道理で、見たことのないものが所彼処に……」
とりあえず、自分がどこに居るかだけ分かったイオルクは、壷を元の位置に戻して現実逃避をやめた。
咳払いが一つ響き、王がイオルクに話し掛ける。
「昨日の話なのだが……」
「ああ、はい。どうぞ」
イオルクはベッドの上で正座をして、王に向き直った。
王は和やかな表情から真剣な表情に変え、威厳のある声でイオルクに問う。
「本当に国外追放を望むのか?」
「王様……」
イオルクは王の問いに答えるような真剣な表情を返し、それに対して、王はイオルクの次の言葉を待つ。
イオルクが言葉を発する。
「何で、俺が言おうとしたことを知っているんですか?」
「……は?」
予想もしない答えに、王はガクッと肩を落とした。
「王ならではの能力ってヤツですか⁉ 俺が言おうとしたことを言い当てましたよね⁉ まさか人の思考を読み取ることが出来るとは!」
「違う!」
…
客間から王の声が響き、ユニスと王妃は寝室で顔を見合わす。
「珍しいわね。王様が朝から声を張るなんて」
「流石は、イオルク。相手が誰だろうとペースを崩さない」
…
客間でイオルクは首を傾げ、王は息を切らしていた。
「確かにこの男なら、あの悪戯好きのユニスを満足させられるわけだ……」
「何を勝手に納得しているんですか?」
疲れた目を向け、王はイオルクに確認を取る。
「お前、記憶がないな?」
「はい。夕食終わった辺りから」
(よりにもよって、一番肝心なところを忘れているのか……)
仕方なしに王が昨夜の出来事を説明する。
「お前は、夕食の後に酔った勢いで自分の心意を叫んだのだ」
「酔った勢い?」
イオルクは腕を組み、いつ酔ったのかと頭を捻る。
(う~ん……。何か、妙な味のする飲み物を飲んだ気がするけど、あれのどれかがお酒だったのかな?)
テーブルの上にあるものを適当に飲み食いしていたイオルクは、どの位置に酒が置いてあったかなど覚えていなかった。
(でも、そんなことあるか? 俺が未成年だって知っているんだから、王様だって手の届かないところにお酒は置いとくよな?)
そのまさかで、王と王妃はイオルクが未成年であることに気付かず、イオルクの手の届くところに酒が置かれてしまったのである。
「その様子だと、気づかずに飲んでしまったようだな」
イオルクは頭に右手を当てて誤魔化すように笑う。
「そうみたいです」
「まあ、記憶がないなら、そういうことにしておくか」
「はい?」
「いや、何でもない」
イオルクが未成年と気づかず、王自身がイオルクに酒を勧めていたとは言えない。王は、イオルクに勘違いさせたままにしておくことにした。
イオルクが間の抜けた顔で、王に訊ねる。
「そうなると、俺は記憶がないだけで、王様に国外追放にして欲しいって頼んでいたんですね?」
「その通りだ」
「じゃあ、王様に読心術はないんですか?」
「……あるわけなかろう」
「あははは……」
イオルクは笑って誤魔化している。
王は溜息を吐くと、改めてイオルクに訊ねる。
「国外追放の話は本気だったのだな?」
「はい」
「何故、そこまでのことを望むのだ? しかも、君が望んだ年数は十年という、とても長い年月だ」
そう、罰としては厳罰に分類される重いものなのである。それを自分に科すというのは、理解できるものではない。それにイオルク自身が踏み台にしたことが悪いことだとは認めていないのは、昨晩の食事の時に言っていたことだ。
――それなのに、何故、自分を罰する必要がるのか?
王は、酔っていないイオルクの口から話を聞きたかった。
一拍置いて、イオルクは話し出した。
「理由は、二つあります」
「二つ?」
イオルクは頷く。
「一つ目は、この国が好きなこと」
「ん?」
王は、昨日と言っていることが違う気がした。
しかし、酔って語ったイオルクの言葉を拾い集めると分かってきた。
(昨日、イオルクは周りの人々が好きだと語っていた。ユニスに始まり、同僚、王である私と王妃、そして、家族……すべて纏めて、この国が好きだと言っているということか)
そのために要らぬ混乱を招かず、王を中心に一致団結してノース・ドラゴンヘッドを立て直さなければいけない。今回の暗殺事件で踏み台にした、しない、という些細なことで足並みが揃わずに対応が遅れることが問題だと言っていることになる。
(しかし、それだけで十年の国外追放というのは、罪が大き過ぎる気がする)
王には、まだイオルクの真意がすべて見えていない気がした。
その王の前で、何故かイオルクが満面の笑みを浮かべる。
「二つ目、世界を旅したいから」
「?」
昨日の食事会では聞けなかった、答え。罰とは反対の望みが、イオルクの口から出た。
「俺、ロングダガーを切り裂かれてから、武器に興味が出てきました。世界中を回って、武器を見て回ろうと思って――あ、出来れば造りたいとも思ってます」
王はパチクリと目をしぱたいた。
「では、国外追放の十年というのは……」
「俺が世界を回りたい年数です。そうすれば、誰も困らないでしょう?」
そう言い切ったイオルクは、ニッと王に笑って見せた。
王はクククと笑い出すと、やがて大声で笑い出す。
(この若者は、本当に何ということを考えるのだ。自分の思いに忠実というか、何というか……)
その王の笑い声に、ユニスと王妃が客間に姿を現わした。
「どうしたのですか?」
王妃の問い掛けに、王は笑い過ぎて出た涙を拭って答える。
「いや……。今、全ての謎が解けてな」
「謎?」
「イオルクの国外追放を了承しようと思ったところだ」
「お父様! 何故ですか⁉」
声を上げたユニスに、王は右手を返して答える。
「イオルクの言っていた罰は、実は罰であって罰ではなかったのだよ」
「はい?」
「イオルクは世界旅行をしたいのだそうだ。つまり、旅行をしている期間を国外追放にしてくれと頼んでいたのだ」
「えーっ⁉」
ユニスと王妃が驚いている。
しかし、イオルクは自宅謹慎を休暇と考えるような少年である。こういう流れは、ある意味自然なことなのかもしれない。
「いい案でしょう? 誰も損なく丸く収まって」
ユニスは暫し呆然としていたが、直に怒り出す。
「ダメよ! イオルクは、わたしの側に居ないと!」
「大丈夫ですよ。隊長とイチさんが居ますし」
「そうじゃない! そうじゃないの! イオルクは、わたしと居るのが嫌なの⁉」
そう言われると、イオルクは笑いながら答えた。
「今のユニス様じゃ、嫌ですね」
ユニスはショックを受けて押し黙ったが、また直ぐに声を大にして訊ねる。
「どうして⁉」
「毎日会うよりも、時間を置いて会う方が楽しいからですよ」
「~~~っ⁉ どういう理由なの⁉」
「分かりませんか?」
「分からないわ!」
イオルクは腕を組み、少しだけ考えると口を開いた。
「じゃあ、試してみましょうか」
「え?」
「十年後に会えば分かります。十年の間に何が変わったかを、お互い確認するのが、どれだけ楽しいか」
ユニスは呆然として王と王妃に振り返るが、王と王妃は困ったように苦笑いを浮かべるだけだった。
ユニスはイオルクに振り返り、小さな声で訊ねる。
「……本当に、十年後に分かりますか?」
「はい」
イオルクは微笑んでいる。その笑みは、ユニスなら分かってくれると語っていた。
そんな顔を向けられては認めざるを得ない。ユニスにとって、イオルクに信頼されることは尊いことだから。
「……信じます」
「ありがとう、ユニス様」
イオルクは背筋を伸ばすと、王と王妃とユニスに深く頭を下げる。
「俺は、これで帰ります。辞令を含めて、全て王様にお任せします」
「ああ、分かった」
イオルクは正座をやめ、ベッドの下に置いてあった靴を履いて王達へ顔を向ける。そして、右手の人差し指を口に持っていく。
「俺の国外追放の本当の理由は秘密に」
王が笑みを湛えて答える。
「そうだな。国を荒らさないためにも」
「はい。それに俺達だけの秘密というのも面白いでしょう?」
そこで見せたイオルクの笑みに、向けられた皆が笑顔になる。
「そうだな」
「はい」
「そうね」
最後にもう一度頭を下げて、イオルクは客間を出て行った。
残された王の口から自然と言葉が出てきた。
「不思議な男だな」
「本当に」
「だから、選んだのよ」
王達も客間を出て朝の支度へと向かい、長い食事会はようやく終わりを迎えた。
…
ブラドナー家――。
イオルクが城を出て自宅に辿り着いたのは、太陽がすっかりと上がった頃だった。
イオルクの朝帰りに、ブラドナー家は騒然としていた。その中でも、セリアは気が気でないというように興奮していた。
「一体、何があったの⁉」
「一泊させて貰いました」
「どうして⁉」
「俺が酔い潰れて」
その言葉に家族全員が蒼白になる。城の侍女からの報告と明らかに違う。王は最後に飲酒の話をイオルクに口止めし忘れていた。
今度はランバートが質問する。
「お前の罰は、どうなった?」
「王様の好意で俺が決めることになりました」
家族の者達は安堵の息を吐き、そのイオルクの答えにフレイザーが提案する。
「では、王様の恥にならないような罰を皆で考えましょう」
「もう決めて来ちゃいましたよ」
「何っ⁉」
その勝手な行動に、普段は穏便なジェムがイオルクの襟首を掴む。
「何と言ってきたのだ⁉」
「ジェム兄さん、服に皺がついちゃいますよ」
「いいから!」
「十年間の国外追放にして貰いました。えへへ……」
「「「「何ーっ⁉」」」」
イオルクを除く家族の声が一致団結した。
「何を考えているのだ!」
「そうだ! お前は、それほどの罰を受ける必要はないだろう!」
「王様のやさしさを無駄にして!」
「何故、家族に相談しないのだ!」
いつもの緩い顔を張り付けたまま、イオルクは右手で頭を掻きながら首を傾げる。
「そんなに変ですか?」
フレイザーが額を右手で押さえる。
「イオルク……お前は自分のしたことに罰が必要だと思うのか?」
「正直、要らないと思いますよ」
「ならば、何故、自ら重い罰を受ける!」
イオルクは、また頭を掻く。
(あ~……これは、そのまま正直に言ったら面倒ごとになるパターンだ)
少し考えると、イオルクは王に話した秘密にしなくていい方の理由に付け加えて答えることにした。出来るだけ硬い表情を作って。
「審議会で、俺の行為は問題視されました。ほとんどの人は、俺が悪いと言ってます。だから、俺が罰を受けないと、王様が反対意見を言ったことになってしまいます。今は暗殺者の侵入を許す、緩い体制を立て直す大事な時期です。王様と家臣の間に皹が入るのは良くありません。俺はこの国が好きだし、家族の皆が好きです。だから、俺はブラドナー家の人間として罰を受けることにしました」
いつもと違う三男坊の言葉に、家族は押し黙ってしまう。イオルクは、ちゃんとブラドナー家の人間として誇りと責任を持っていたのだ……と。
セリアがイオルクを抱きしめる。
「そんなことまで考えてくれて……。いつのまにか立派になっていたのね」
「馬鹿のままですよ」
ランバートがイオルクに話し掛ける。
「本当にいいのか?」
「自分で決めたことですから」
フレイザーとジェムは押し黙ったままだった。
だから、イオルクから声を掛けた。
「父さんと母さんをお願いします」
イオルクは母を強く抱きしめると、自分の部屋に行ってしまった。
フレイザーは奥歯を噛み締め、ジェムは父と母を気遣った。
そして、その日の夕方、イオルクに対する罰が発表された。