人というのは、おかしな生き物である。
イオルクの『十年の国外追放』が発表された時、誰よりも一番動揺したのは審議会に参加した者達だった。彼らはイオルクへの罰を望んだはずなのに、いざ罰が発表されると、罰の重さに慌てふためいたのだ。
王に『罰が重すぎるのではないのですか?』と進言する者もあったが、『そなた達が望んだものであろう』と返されては何も言えなくなってしまった。
何故なら、彼らは罰を与える権限を持ちながら、それを放棄して王に任せたのだ。文句を言えようもない。
また、この罰は別の効果も生み出していた。王に逆らうとどうなるか、というのが改めて示されたことだ。もう少し詳しくいうと、食事会の時にイオルクの言っていた『王様を中心に騎士団を立て直さなければいけない』という行動を王がした時、絶対的な効力を発揮するということである。
つまり、王に罰を与えることを押し付けたがために、その罰の恐ろしさというものが改めて示され、尚且つ、自分達が王への忠誠を示すためにした行為が、新たに事を始めようとする王に逆らえない権限を与えてしまったということになる。
もう後の祭り。イオルクの罰は執行され、決定は覆らない。
…
三日後、出発の日――。
ブラドナー家の屋敷の前で、イオルクはいつもの皮の鎧に大きなリュックサックを背負っていた。
リュックサックには見習いで派遣された時に身についた知識を利用して、旅の荷物には着替えなど必要最低限のものしか入れていない。旅のものではないものとしては、ジェムの部屋から拝借した武器に関する本と、あの日に切断されたロングダガーが入っている。かなり余裕のある大きなリュックサックは、これからの旅で一杯になっていく予定だ。
家族が見送る中、旅立つイオルクにランバートが一冊の本を手渡す。
「これを持って行きなさい」
本の表紙にはブラドナー家の家紋がついており、一目で一族秘伝のものだと分かった。
イオルクは慌てて本を押し返す。
「受け取れないよ。これは家から出しちゃいけないものでしょう」
「大丈夫だ。中を見てみろ」
困り顔で本を受け取ると、イオルクは本を流し読みする。
すると、困り顔だった表情が徐々に晴れていく。
「これ、秘伝のものじゃない……各武器の基礎だけを纏めたものだ」
「もう付きっきりで教えてあげることは出来ないからな。日々努力を怠らず、戻って来るまでに、自分に相応しい武器を決めておきなさい」
「そうします」
イオルクは本をリュックサックの奥に仕舞い込んだ。
イオルクが仕舞い終わるのを見て、二人の兄が前に出る。
「私達からだ」
フレイザーとジェムが布に包まれた武器をイオルクに手渡した。
布に包まれた武器は、二つ。右手のものは剣で、左手のものは短剣であることが、見た目で分かった。
「開けてもいいですか?」
「ああ」
イオルクは左手の短剣を右の脇に挟み、右手の武器の布を取っていく。しっかりとした鞘に収まった剣を抜くと、一般的な剣よりも硬度の高い鋼の剣が姿を現した。
「旅には危険がつきものだ。それぐらいのリーチのあるものを携帯するべきだ」
「ありがとう、フレイザー兄さん」
イオルクは鞘から延びる革製のバンドをベルトに通し、左の腰の脇に鋼の剣を装備した。
続いて脇に挟んだままの短剣を左手に取り、布を外していく。姿を現したのは切れ味よりも頑丈さを意識した、分厚いダガーだった。
「前のロングダガーは切断されてしまったからな。防御力の高いものにしてみた」
「ありがとう、ジェム兄さん」
(確か皮の鎧の後ろに、まだ何本か短剣類を固定するベルトが残っていたはずだ)
腰の後ろに新たなダガーと残ったロングダガーを寝かすように上下に並んでベルトで固定し、イオルクは右手を回せばロングダガーの柄、左手を回せばダガーの柄が取れるようにそれぞれの柄を左右逆にして装備した。
そして、改めて剣とダガーを抜いて姿見を確認すると、イオルクは感嘆の声を漏らす。
「凄い武器ですね。鋼を使った武器なんて、俺、初めてかも」
「特注だ。城の鍛冶屋に無理を言って造って貰った」
「道理で」
(きっと、正規の騎士は自分用に武器を造って貰うんだろうなぁ……)
見習い時代は支給されたものを使い、城にあがってからはランバートから手渡されたロングダガーを使い、今までイオルクは自分で武器を買ったことがないことを思い出していた。
(まあ、さっさと極める武器を決めなかった、俺が一番悪いんだけどね)
イオルクは誤魔化すように苦笑いを浮かべながら、剣とダガーを鞘に戻した。
「イオルク……」
そんなイオルクをセリアは心配そうに見詰めていた。
家を出れば、今度会うのは十年後になる。それでなくても家を出るには、あまりに若い年齢。一人のお供も連れずに国を出すのは、貴族の母であるセリアには不安しかなかった。いくら身長や体格が大人より大きくても、セリアにとってはいつまでも子供なのである。
しかし、そんな心配もよそにイオルクがセリアに右手を差し出した。
「?」
(握手でもしたいのかしら?)
友人同士の別れでもないのに、握手というのはどうにも変な気がした。
セリアがどう反応していいか迷っていると、イオルクがぶっきら棒に言う。
「母さんも、何かください」
「……は?」
親の心配どこへやら。父や兄から貰ったのだから、母にも何かをくれとイオルクはせびっていた。
自然とセリアの拳は握り込まれ、青筋が浮かぶ。
(この子は……! 人が心配しているというのに、どうしてこう……いつもいつも!)
セリアのグーが、イオルクに炸裂した。
「馬鹿! 何で、貴方はいつもそうなのですか!」
ランバート、フレイザー、ジェムは呆れて溜息を吐いている。
(最後まで怒らせたな)
(何故、静かに見送らせてくれないのか)
(国外追放されるって意味を分かっているのかな?)
旅立つ日までいつも通りの日常の光景が流れてしまうと、どうにも今日が大切な日ということを忘れてしまいそうになる。
その殴られたイオルクはというと、笑いながら母を抱きしめてポンポンと背中を叩いて『そんなに怒んないでよ』と、これまたいつも通りにしている。
イオルクはセリアを離すと、腰に右手を当てて告げる。
「じゃあ、いってきますね」
イオルクはニッと笑うと、家族に軽く右手を振って歩き出した。
玄関から門へと遠ざかっていくイオルクを見ながら、フレイザーは不機嫌そうに呟いた。
「どうして、あんなに楽しそうなのか?」
眉をハの字にしてジェムが答える。
「よく分からないですね。しかし、いざ家を出る姿を見せられると、それも当然のように思えますよ」
ジェムの言葉が、何となく皆を納得させる。城の中で堅苦しそうにしていたイオルクには、騎士という枠組みは狭かったのかもしれない。
イオルクは振り返らずに、ブラドナーの家を旅立った。
…
ブラドナー家の屋敷が見えなくなり、イオルクは旅の始まりとなる国境の門へと……歩き出さなかった。国境の門とは違う方向へと歩き出す。
そこは王都の街の裏道にあたり、武器屋や道具屋など、騎士ではない冒険者や旅人が利用する通りに続いていた。そのせいか、立ち並ぶ店々には厳つい男達が屯(たむろ)していた。
イオルクは、その中でもひと際屈強な男達が屯する店へと入って行く。商品を売るわけでもなく店先も薄汚れているそこは、これからの旅で必要な資格を得る場所だった。
店の奥のカウンターまで行き、そのままカウンターに片肘を突くと、椅子に座る店の主人にイオルクは笑顔で話し掛ける。
「おじさん、ハンターの登録がしたいんだ」
イオルクの話し掛けた店の主人は、とても商店の店主という印象ではなかった。年歳は四十半ばを過ぎていそうだが、胸や腕回りの厚みが一般人のそれではない。
店の主人の野太い声が響く。
「坊主、腕に自信はあるのか?」
「もちろん」
そう答えたイオルクを値踏みするように上から下まで見て、店の主人は訊ねる。
「いい身なりだが、何でまた?」
イオルクは肩肘をついていない左手を返して答える。
「一人旅をしなくちゃいけなくなってね。ハンターになれば、途中で出くわすモンスターなんかを買い取ってくれるんだよね?」
「モンスターだけじゃない。札付きの悪党にも懸賞金を出すぜ。生死を問わずな」
イオルクは笑顔で左をパタパタ振って頷く。
「了解了解、情報通りだ。確かA~Fランクがあるんだよね?」
「そうだ」
「詳細を教えてくれない?」
「は? 詳細って……」
この店が何のためにあるのか、普通の冒険者や旅人だったら、それなりに調べて訪れるものだ。それなのに目の前の少年は簡単にしか調べてこなかったような口ぶりだった。
店の主人が呆れて聞き返す。
「お前、金になることしか知らないのかよ? ハンターのランクは一種のステータスなんだぜ?」
イオルクは笑って誤魔化しながら言う。
「温室育ちの馬鹿な凡々なんだから、大目に見てよ」
「自分で言うかよ? 仕方ねぇな」
店の主人はガシガシと右手で頭を掻くと、そのまま右手の人差し指を立てる。
「いいか? ハンターにランクがあるのは危険な仕事だからだ。命に関わるから弱い奴にはやらせられん。
ランクF…ハンターになれる最低限の強さ。モンスターを売買できる権利が与えられる。
ランクE…ハンターとして、そこそこ。
ランクD…ハンターとしてまあまあ――」
「ちょっと待った」
イオルクが両手を突き出して止めた。
「何だ?」
「何か、凄くいい加減なんだけど」
「F~Dは、モンスターの売買権利が目的なんだ。それでもランクを分けているのは、ハンターを雇う時の基準だ。雇う時の値段も違うからな」
「へ~」
「じゃあ、説明に戻るぞ。
ランクC…更に賞金首との戦闘の権利が与えられる。ハンターとして一端だな」
「へ~」
説明を再開したものの生返事のような返事しか返さないイオルクに、今度は店の主人が説明を止めて突っ掛かる。
「お前、ちゃんと聞いてんのか?」
「聞いてるよ。F~Dはどうでもよくって、Cからが重要なんでしょう?」
店の主人が溜息を吐く。
「お前、本当に分かってるのか? ハンターにとっては、ランクCこそ登竜門なんだ。ここへ至るのは大変なんだぞ?」
「賞金首は凶悪犯だもんね」
「そうだ」
「大丈夫。俺の認識とズレてない」
(本当に……本当に分かっているのか? 何か、えらい変な奴が来ちまったな。とんでもない勘違い野郎な気がする)
店の主人が疑いの目を浮かべる中、イオルクは質問する。
「で、ランクBとランクAは?」
「ここじゃなれねーよ」
「何で?」
「AとBはエリートだ。審査する時はランクAとBのハンターとの手合わせが必要だからだ」
「手合わせ? つまり、ここには居ないんだ」
「まあな。つーか、滅多にお目に掛かれない。ほとんどが予約制だ」
「予約って……」
「ランクAとBになると雇う金が半端じゃないんだ。雇われている間は雇い主との契約中だから、契約期間内に勝手な行動は取れない」
「ああ、そういうことね。ちなみに、ランクAとBに支払われる額って、どれぐらいなの?」
「城に勤める騎士ぐらいだよ」
イオルクは腕を組んで頭を捻る。
(鋼鉄の騎士の上級者ぐらいかな? それより下なら、わんさか居るし)
更にイオルクは見たこともないランクAとBのハンターを想像する。
(騎士にならずに手に入れた力か……)
直ぐに頭に浮かんだのは、ユニスを襲った最初の暗殺者だった。鋼鉄の騎士ふたりを剣技で圧倒する強さは、一般的な傭兵の域を超えていた。
(たぶん、あれぐらいがランクAとBのハンターの強さだろう。とはいえ、あの暗殺者はハンターではないだろうな。雇われるような顔の割れているハンターなんかを暗殺者には使わないはずだ)
何となくでランクAとBのハンターの強さを頭に入れ、イオルクは本題について店の主人にお願いする。
「まあ、今はハンターの登録が先だな。ランクCで登録してくれる?」
そう簡単に言ったイオルクに対し、店の主人が額に右手を置いて項垂れる。
「お前な……。いきなり現われた奴を、どうやってランクCだって登録すんだよ? それに手順ってものがあるんだよ」
「手順? どうすればいいの?」
「まず、これ」
「うん?」
店の主人が紙とペンを取り出し、紙に書かれた必要事項を書く欄を右手の人差し指でコツコツと叩く。
「お前さんのことを書かんと、どうにもならんだろ」
「登録だもんね」
イオルクはペンを手に取ると、カウンターで登録に必要な事項を書き始める。
「名前……性別……年齢……と。ん? タイプ?」
イオルクが店の主人に顔を向けて訊ねる。
「何これ?」
「職業だよ。魔法使いとか剣士とか斥候とか、色々あんだろう?」
「ああ……俺、何だろう?」
「知るか。馬鹿なのか、お前?」
「多分」
「…………」
主人は大きな溜息を吐くと、イオルクの腰を指差した。
「腰に剣を下げてんだろう」
「他にも色々使えるけど……まあ、剣士でいいか」
(何なんだ、コイツ?)
あまりに珍妙な客に、店の主人は『コイツ、ハンターにして大丈夫なのか?』と、始終、疑いの目をイオルクへ向ける。
そんな視線を気にすことなく、イオルクは書き終え、紙とペンを主人に返す。
「で、どうすれば、ランクCになれるの?」
店の主人は紙とペンを受け取りながら、言葉を返す。
「お前、本当にランクCのハンターになる気なのか?」
「もちろん」
「まったく……。言葉で説明すんのも面倒くさい。ほら、相手してやるよ」
店の主人は椅子から腰を上げ、『付いて来い』と店の外を指差す。
「おじさんが相手するの?」
「不服か?」
「怪我させても困るし、手加減してあげるよ」
「舐めるのもいい加減にしろよ」
店の主人は紙とペンをカウンターに置き、側に立て掛けてある使い込まれた古びた鞘に納まる剣を手に取った。そして、イオルクを促して店の外へと歩き出す。
店の主人が表に出て来ると、それだけで周りのゴロツキ達が場を空け始めた。店の主人の腕前はゴロツキ達に広く知られているようで、店の前で新たなハンターの腕が試されるのも分かっているようだった。
故に、店の主人の後に続いて出て来た締まりのない顔のイオルクが姿を現わすと、ゴロツキ達は複雑な表情になった。
『マスター、コイツが相手なのか?』
「ランクCになりたいんだとよ」
『強そうに見えないんだがな』
「俺もだ。夢見がちな馬鹿なんだろう」
そう店の主人が切って捨てると、ゴロツキ達は大声で笑い出した。
『そりゃあいい!』
『マスター、遊んでやれ!』
店の前はちょっとした騒ぎになり、行きかう冒険者や旅人が足を止めて人だかりが出来ていた。
(こういう雰囲気……いいな)
イオルクは笑みを浮かべていた。
小さなことを面白おかしく大げさにする。見習い時代、酒の飲める年齢の者は酒を飲みながら仲間をあおり、喧嘩になる一歩手前の力比べをすることもしょっちゅうだった。
(力が拮抗している時は賭け事もしていたな)
イオルクは軽く声に出して笑い、雰囲気を楽しみながら腰の剣を鞘ごと外して店の主人に言う。
「さあ、始めよう」
「コイツ……! 何処までも、ふざけやがって!」
主人が怒りに任せて鞘から剣を引き抜き、鞘を投げ捨てる。構えはやや右斜めの前傾姿勢で独特なもの。
(袈裟斬りが得意なのかな?)
予想通りに斜め右下に剣が振り下ろされると、イオルクは一歩引いて躱す。
しかし、それだけでは終わらない。店の主人の持ち手が変わり、イオルクが引いた分だけ踏み込んで斬り上げる。
(逆袈裟……これも斜めだ)
イオルクの頭に垂直二等辺三角形が浮かぶ。最短を結ぶなら縦か横が最短だ。にも拘わらず、店の主人の攻撃は最短ではない斜めで切り結ばれる。
(この人もまた、正規の訓練をしてきていない人だ)
右斜めの前傾姿勢は、得意な切り方を徹底的に伸ばしてきたためだろう。自然と威力とスピードを高めるために構えが変わったのだ。
(こういうタイプは攻撃に力を多く振り分けている。ならば斬り上げた分の威力とスピードに振り分けた力を相殺して次の攻撃に移るには、それを止める力が必要な分だけ僅かに遅れる)
店の主人の剣が振り上がった瞬間、イオルクは二歩分横にずれて踏み込んだ。そして、店の主人が剣の軌道を変えるために僅かな体重移動に費やした時間を見計らったように、イオルクは斬り上げを躱すのと同時に鞘の切っ先を店の主人の喉元に突きつけた。
「ぐ……!」
そこから先、店の主人は動けなかった。前に動けば、喉元に鞘の切っ先が触れてしまう。かといって後ろに下がるにしても、振り上げた体勢から素早いバックステップは踏めない。
「これで、ランクCだね」
一振りで騒ぎが沈静化するとイオルクは鞘付きの剣を下ろし、元の腰のベルトに固定し直す。
「お、お前、一体……何者なんだ?」
イオルクは笑みを浮かべながら自分を指差す。
「俺、この前まで城で働いてた騎士」
「な⁉ クソッ!」
店の主人は舌打ちをすると、ゴロツキ達の間を掻き分けて店の奥へと入って行った。
イオルクはチョコチョコと右の頬を掻く。
「怒らせちゃったかな?」
『そうじゃねーよ』
「うん?」
観戦していたゴロツキの一人がイオルクに話し掛けた。
『マスターは手続きをしに戻ったんだよ。お前さんは強さを示したからな。口は悪いが、仕事はきっちりする人だ』
「そうなんだ」
『待たせると、また怒鳴られるぞ』
「それは嫌だな」
イオルクはゴロツキに片手を上げてお礼をして店の奥へと歩き出すと、ゴロツキがイオルクの背中に向かって叫ぶ。
『もっと派手にやりあえよな! 盛り上がんねーぞ!』
イオルクは振り返って、腰の剣を叩く。
「今日、下ろし立てなんだよ! 初日から傷つけたくなかったの!」
『はあ? それを理由にああいう戦い方をしたのかよ? ノース・ドラゴンヘッドの騎士は質が高いわけだぜ、ホント』
そうゴロツキがぼやく。
「まず正規の騎士は、こんなところになんて来ないけどね」
そのぼやきに対してイオルクは誰にも聞こえないように零すと、店の奥へと小走りで向かった。
…
店の中では店の主人が登録の準備を進めており、手元の登録書に店側で必要な記載を書き込みながら文句を言った。
「からかいやがって」
「だから、俺、ランクCだって言ったじゃん」
「お前の緩い顔から想像できるかよ。ただの貴族の凡々だと思うわ」
「はは……。城の中でも、そんな扱いだったよ」
店の主人は登録書を書き終え、今度はカードのようなものに書き込みを始める。
「で、他に何か知りたいことはあるのか?」
そう聞かれ、イオルクは指を立てる。
「ちょっとした疑問なんだけど」
「ああん?」
「モンスターって、どうやって売るの?」
「そこから教えんのかよ……と思ったが、お前、この前まで騎士だったからハンターのことなんか頭に入れる必要なかったんだよな」
「うん」
店の主人は溜息を吐くと、律義に説明を始める。
「捕まえたモンスターや盗賊を町にあるハンターの営業所に突き出しても問題ないが、モンスターにしろ盗賊にしろ、倒したのを運んでたら大変だろう?」
「確かに。道半ばのところで盗賊を捕まえて、そいつらと仲良く次の町に行くのは面倒だ」
「そこで、コイツを使う。ほら」
店の主人は、小さな筒のようなものをイオルクに放り投げた。
イオルクは放り投げた筒を右手で掴むと、初めて見る道具に目を向けた。
「これは?」
店の主人は、筒のお尻に垂れ下がる紐を指差す。
「空に向かって、その紐を引っ張って打つと信号弾が上がる。そうすると、でっけぇ鳥が飛んで来るから、そいつが近くのハンターの買い取り所にモンスターでも盗賊でも運んでくれる」
「便利だね。そんな鳥がいるんだ。その鳥が運んだものを買取り所の人が勝手に売ってくれるの?」
「盗賊の類はな。売って困るモンスターは、狩ったモンスターに『非売品』の紙を貼り付けとけ。そうすりゃあ、確保しといてくれる。ただし、腐ったりしたら処分されるからな」
「モンスターも勝手に売っぱらって貰えばいいじゃん」
「それでもいいんだが、砂漠に居る甲殻系のモンスターは道具として使えるから、固定の値段しかつかない買取り所よりも纏め買いしてくれる業者に流す奴もいるんだ。中には道具として自分で加工する変わり種もいるがな」
「利用方法にも色々あるんだね」
「まあな。お前、馬鹿そうだから、これも持っていけ。あと、登録証も出来たぞ」
店の主人は、イオルクに本と一緒に登録証を投げた。
筒をカウンターに置き、イオルクは本と登録証を右手と左手でそれぞれ掴んだ。
「何これ?」
「そっちのカードが登録証。そっちの本は、ハンターのマニュアルだ」
「マニュアルなんてあるんだ」
イオルクはマニュアルを流し読もうとしたが、そこで手を止める。
マニュアルは表紙こそしっかりとしたものだったが、本としての厚さはなく、時間を掛けずとも読み切れそうだった。
(これは宿屋にでも寄った時に読むか)
イオルクは今受け取った小筒と登録証とマニュアルをリュックサックに入れて、リュックサックを背負い直す。
「手続きって、これだけだよね? これでランクCのハンターになれたんだよね?」
「ああ」
「色々と、ありがとう。じゃあ」
イオルクは片手をあげると、店の外へと歩き出した。
「台風みたいな奴だったな」
店の主人はイオルクが去ると椅子に座り、煙草をふかした。
…
寄り道のハンター登録のあと、イオルクは王都を抜けるための唯一の入り口である国境の門へと向かう。見納めになる王都の街並みを目に焼き付けながら、イオルクは黙々と歩き続ける。
やがて国境の門へと辿り着くと、そこには城で過ごした面々が揃っていた。
ユニス、ティーナ、イチに、イオルクは手を振る。
「どうしたんですか?」
ティーナが怒鳴りつけるように言う。
「どうしたじゃない! 家を訪ねれば、とっくに出発してしまったというではないか! 慌てて来たのだ!」
イオルクは頭に右手を当てて謝る。
「わざわざ悪いですね」
「未だに信じられないのだ……。王様があのような御触れを出すなど……」
ティーナの表情には、何もできなかった悔しさが滲み出ていた。
それを見たイオルクは頭に持っていた右手で頭をガシガシと掻き、ティーナを左手で指差しながらユニスに訊ねる。
「もしかして、三日も経っているのに何も言ってないんですか?」
「ええ」
「そうですか……」
イオルクは右手を下ろし、ティーナとイチに話し掛ける。
「隊長、イチさん、王様は好きで御触れを出したんじゃないんですよ」
「……どういうことだ?」
ティーナもイチも疑問符を浮かべている。
「俺が、そうするように頼んだんです」
「「な⁉」」
ティーナとイチのグーが、イオルクに炸裂した。
「何でだ!」
「どうして、そうなるのです!」
殴られたイオルクを見て、ユニスは笑っている。
イオルクは殴られた頭を擦りながら、ユニスに言う。
「ユニス様、こうなることを知ってて言わなかったでしょう?」
「ふふ……」
「まったく」
(ユニス様の悪戯癖は相変わらずだな)
イオルクは溜息を吐く。
「二人は、あとでユニス様に詳細を聞いてください。旅立つ前に死にたくないですから」
「何故、姫様に?」
「ユニス様は、とっくに俺が国外追放になった理由を知ってますよ」
「「!」」
ティーナとイチの強い視線がユニスに突き刺さった。
「は、話すから睨まないでよ……」
笑って誤魔化しながら一歩二歩と後退るユニスを見て、イオルクは助け舟を出す形でティーナに話し掛ける。
「見送りに来てくれたんですよね?」
「あ、ああ、そうだった。これで、お前の顔を見るのも最後になるかもしれないからな」
「悪い冗談を……」
イオルクは引き攣った笑みを浮かべる。
そのイオルクを見て、フンと鼻を鳴らしてティーナは言う。
「そんなことより、手を出せ」
「手?」
何も分からないままイオルクが右手を差し出すと、ティーナはイオルクの右手を取り、重り入りの手甲に何やら紋章のようなものをペンで描き始めた。
「いきなり何をしてんですか?」
「姫様の親衛隊のマークを描いている。本格的に組織することになった」
「へ~」
ユニスが補足する。
「イオルクの最後のお願いだからね」
「言ったっけ?」
「覚えてないかもね」
イオルクの記憶は酒を飲んで酔っ払ったことで吹っ飛び、その重要性を語ったのは王達しか知らない。
どこで話したか記憶のないイオルクが、イチに訊ねる。
「イチさん、俺が言ったの覚えてます?」
「姫様と二人の時に言ったのでないですか? 少なくとも、そんな話が出ればティーナ殿も私も忘れません」
「ですよね。はて? そうすると、いつ言ったんだ?」
疑問符を浮かべて首を傾げているイオルクを見て、ユニスはクスクスと笑っている。
そして、そうこうしているうちにティーナが親衛隊のマークを描き終え、ペンにキャップをした。
「最近開発された、濡れても落ちないインクを使用している。多少のことでは色落ちしないはずだ」
「へ~」
親衛隊のマークは、どことなくノース・ドラゴンヘッドの国旗に似ていた。王の親衛隊のマークに王を表すデザインが組み込まれているように、この図柄のどこかにはユニスを表すものが組み込まれているのだろう。
(どれがユニス様を表すかは分からないけど、いいデザインだな)
ティーナの描いた親衛隊のマークを見ながら、イオルクは微笑む。
「そうだ。記念にユニス様とイチさんも、俺の重りにさっきのマークを書いてくださいよ」
イチが一歩前に出ると、懐からティーナと同じペンを取り出す。
「いいですね。我々のことを忘れて欲しくありませんから」
イオルクが両足の重りを外している間に、イチが左手の重りに親衛隊のマークを描き始める。
続いてユニスがティーナからペンを受け取り、イオルクが外した両足の重り入りの具足に親衛隊のマークを描く。
イチとユニスが親衛隊のマークを描き終えると、イオルクは親衛隊のマークの入った手甲と具足を装備し直し、笑みを浮かべて言う。
「これで俺は、新たに組織されるユニス様の親衛隊の第一号ですね」
「そして、いきなり永久欠番か?」
「そうなりますね」
イオルクは両手両足の重りに描かれたマークを確認して、クスリと笑った。
「やっぱり」
「どうした?」
「隊長は一番絵心がないから、一つだけ不良品みたいです」
ティーナのグーが、イオルクに炸裂した。
「さっさと行ってしまえ!」
「……はい」
イオルクがふらついた足取りで回れ右をして歩き出すと、イチが慌てて静止を掛ける。
「ちょっと、まだ行かないでください!」
「うん?」
足を止めてイオルクが振り向くと、イチが小箱を差し出した。
「路銀の足しにしてください」
イチの手の中にある小箱は真新しく、今まで見たことのないものだった。
「これ、一緒に仕事をしている時にも見たことがないんだけど、もしかして、わざわざ用意してくれたの?」
「旅には必要なものと思いまして」
イオルクは確認の意味を含めて小箱を指差して訊ねる。
「貰っていいの?」
「はい」
「高価なものなら受け取れないけど……」
「高いものではありません。この国で取れる薬草を粉末にしたものです。乾燥させてから粉にしたので長持ちします。旅の役に立ててください」
「薬草か……」
イチは差し出した小箱とは別の、年季の入った小箱を懐から取り出す。
「同じものです。現地収集で手に入るものを常に持ち歩いています。傷や怪我は魔法で何とかなりますが、病気や毒に関しては薬しか効きませんからね」
イオルクはチョコチョコと右の頬を掻く。
「俺は魔法を使えないから、怪我した時にも役に立ちそうだ」
「ちゃんと血止めの薬草も入っていますよ」
「ありがとう。値の張るものでもないってことだから、気兼ねなく受け取れるよ」
イチから受け取った小箱を見ると、小箱はしっかりと密閉する蓋にスライド式の錠が掛かっていた。
錠をスライドさせて蓋を取ると、中には小分けされた薬草の粉末が薬草名の張り紙と一緒に収められていた。
「旅をするなら覚えておいた方がいいですよ。その土地でしか取れないものは、余所の土地では高く売れることがあるということを。旅の途中で、その小箱を充実させて、別の土地で売ってみてください」
「そうしてみるよ」
「ついでに、これもどうぞ」
イチは少し厚めの本を差し出した。
イオルクは疑問符を浮かべて、本を手に取る。
「何? この本?」
「薬草や食べられる草の本です。採取する薬草が分からなければ、小箱を充実させられませんからね。重宝しますよ」
「あ、ああ、そっちも重要だね。ありがとう」
(何で、出発前の荷物に本ばっかり増えるんだろう?)
ランバートから基本武器の使い方の本、ハンター登録の際にマニュアルの本、そして、今、植物関係の本と三冊目だ。
(旅立つ時って、本が増えるもんなのか?)
どういうわけか、行く先々で本が増えていく。
イオルクは小箱と本をリュックサックに入れ、いつも通り『まあ、いいか』と呟き、リュックサックを背負い直して門を見上げた。
(この門を出たら、十年帰れないのか……)
ノース・ドラゴンヘッドとサウス・ドラゴンヘッドの境界にある門は同盟国であるため、堅牢なものではなく、商人や旅人も行き来する扉のない石造りのアーチ状のものだ。
今見上げている門は、ノース・ドラゴンヘッドの国名が刻まれている。そして、門をくぐり、反対側にはサウス・ドラゴンヘッドと刻まれているはずだ。
――イオルクの世界を回る旅が始まろうとしていた。
強い騎士を目指していたイオルクの目標は暗殺事件を切っ掛けに強い武器を求めるものへと変わる――いや、強い武器を求めることも加わった。
戦場に派遣される以外で初めて歩む世界に、イオルクの胸が高鳴っていく。
ゆっくり振り返ると、イオルクはユニス達に満面の笑みを見せる。
「では、いってきます!」
イオルクは、ユニス達に見送られながら王都を旅立った。
―――――序章 完