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番外編・少年達の約束 2

 一時間後……。

 最前線のイオルクとクロトルの仲間を守る戦いは終わりを迎えようとしていた。最前線で散った仲間達も集まり、仲間が増えれば出来ることも多くなるからだ。

 クロトルとイオルクは確かに突出した力を持っているが、その二人に及ばなくても優秀な者や経験値の高い者が見習いの中には居る。その者達がクロトルとイオルクから指揮を代わり、再び二人が遊撃部隊の役割に戻れば、余裕のできた見習い達にも連携や連帯といった行動が生まれ、危なっかしい行き当たりばったりの行動を取らなくてよくなる。

 また、今だ抵抗を続けているものの、殲滅戦に移行した今、ノース・ドラゴンヘッドとドラゴンレッグの戦が終わるのにも時間が掛からない見通しだ。

 イオルクが切れ味の落ちた剣を投げ捨て、持ち主の居なくなった槍を拾う。

「ここを抜ければ、本体に合流できるはずだ」

 クロトルは手に持つダガーを敵騎士の喉元に投げつけると、同じく持ち主の居なくなった地面に転がる短剣を拾い上げた。

「とはいえ、まだドラゴンレッグの騎士の士気は落ちないな」

 クロトルの視線に合わせてイオルクも視線を同じ方へ向ける。

 もう勝負が決まった戦のはずなのに、ドラゴンレッグの騎士達は戦いを止めない。戦い始めた時と変わらず、進行を続けようとする。

 クロトルが溜息交じりに言う。

「最後まで戦い抜く姿勢は認めるけど、コイツらは本当にオレ達と同じ思考を持った人間なのかと思う時があるよな」

 イオルクは頷く。

「状況が確定しても、一人も逃げ出さないっていうのは人間らしくないよな。盗賊なんかは自分の命と利益を天秤に掛けて、少し悪い状況でも撤退するのに」

 手に持つ短剣を空中に回して投げ、落ちてくる短剣を捕まえてを繰り返しながら、クロトルが言う。

「いつか、この疑問にも答えが出るのかね? こんな無意味な戦の繰り返しに、一体、どんな理由があるのか」

 クロトルは、どこか遠い場所を見ていた。この戦場から続く先の更に先、陸続きに辿って行った先に繋がるドラゴンレッグという国へと……。

(世界中を回れば、いつか疑問の答えに辿り着くのだろうか?)

 戦うためだけに派遣されて世界を知るのではなく、いつか自分の足で歩く世界を想像し、クロトルは軽く笑う。

(寄り道はいけないな。オレは、イオルクと一緒に目指してなりたいものがあるのに)

 クロトルは空中に投げた短剣を捕まえると、気合いの入り直した顔でイオルクに振り返る。

「さあ、行こう」

「ああ」

 イオルクはクロトルの横に並び立ち、ノース・ドラゴンヘッドの本隊への合流を阻む、最後のドラゴンレッグの隊列へと目を向ける。

 誰よりも走った少年達の体は大きな傷はなくても擦り傷やかすり傷が多く刻まれ、疲労による体の重さと筋肉痛が、常時、脳へと限界が近いことを知らせ続けていた。

 それでも気力を振り絞り、少年達は駆け出していく。

 やることは変わらない。今まで通りにコンビネーションで片方が突き進み、片方が援護し、背中を合わせて息をつく。右から左に流れる川を縦に横断するようにドラゴンレッグの騎士達の隊列が乱れ、見習い達は二人の少年に導かれるようにゆっくりと本隊への合流場所へ近づいていく。


 ――そして、その異変は突然、前触れもなく訪れた。


 先導するイオルクが先に戦場にぽっかりと空いた隙間のような場所に辿り着いた時、息をつくイオルクの後ろに、いつも感じるものがなかったのである。

「…………」

 最初、イオルクはその異変に気付かなかった。そこにあるのが当たり前すぎて、少し待てばいつも感じる勢いよくぶつかる感触が背中に広がると思っていた。

 しかし、いつまで経ってもクロトルの背中が自分の背中に当たらない。

「……何で?」

 イオルクの視線が、自分が走って来た方向へとゆっくり移る。

 そこには地面に膝を突いて倒れようとするクロトルの姿があった。

「クロトル!」

 気付き、叫ぶと同時にイオルクはクロトルに向かって走り出していた。

 しかし、すぐそこまでのクロトルへの道をふさぐようにドラゴンレッグの騎士がイオルクの前に立ち塞がる。その騎士達は、本当ならクロトルが倒して動けなくなっているはずの者達だった。

「邪魔をするな‼」

 槍を振れない敵騎士との近過ぎる距離でイオルクが振るったのは、槍を持たない己の左拳だった。傷つくことも厭わず、力任せにフルファイスの兜の上から殴り飛ばした敵騎士の首はゴキン!という骨が外れたのか、砕けたのか、分からない音を響かせてあり得ない方向に向いて飛んだ。

 イオルクは、ただクロトルのところまで行くことを考え、何人の敵を殴り倒したかも分からないまま動き続けた。

 そして、クロトルのもとに辿り着くとクロトルの上半身が地面に倒れ伏す前にクロトルを抱き支え、イオルクは叫んだ。

「クロトル! クロトル!」

 クロトルは脂汗を浮かべ、イオルクの腕の中で苦笑いを浮かべた。

「悪い……ドジった……。左の腹をやられた……」

 どんな時にも予想できないことがある。戦場でなくても他愛のない日常の中でも……。

 今回は戦場で折れて飛んだ、誰のものとも知れない剣身がクロトルの皮の鎧と左の脇腹を貫いた。

「ドジじゃない! 折れて飛んで来た剣なんて、誰だって避けられない!」

「……じゃあ、運だな」

 そう自嘲めいた笑みを浮かべたクロトルの左の脇腹からは、折れた剣を伝って血が滴っていた。

 それを見たイオルクは奥歯を噛み締める。

「抜いたら血が噴き出すかもしれない……! 医療班のところまで戻るぞ!」

「こんな最前線から戻れるかよ……」

「俺が背負う!」

「オレを背負ってウロウロしてたらイオルクが殺されちまうぜ……」

「死なない!」

「だけど――」

「死なせない‼」

 イオルクはクロトルを地面に座らせると、右手で槍を強く握り無言で立ち上がった。

 ここは戦場のど真ん中。足を止めた僅かな時間で、イオルクとクロトルの周りには敵騎士が集まり始めていた。

「っ‼」

 何かを押し殺すようにイオルクの目が見開き、槍が轟音を伴って旋回する。一回、二回……槍の旋回は止まらない。

(状況が変わった! 後続が辿り着く前に、ここを会話できるような場所に変えておかなければ!)

 槍は敵騎士の鎧の隙間を狙うが、全ての刃がそこに向かうわけではなかった。動く人間にピンポイントで狙った場所へ当てるには予測が必要になり、その全てが当たるわけではないからだ。

(クロトルのように早い攻撃ができれば、予想通りの軌道で当てることもできるが、俺にはまだクロトルほどの連撃を使う技術がない!)

 それならばと、イオルクが込めるのは力だ。たとえ、鎧の隙間を狙えずに鎧に槍の刃が当たっても、敵騎士の体勢を崩し、体幹を揺らすように槍を振り切る。これにより敵騎士が体の立て直しをしている間に、別の敵騎士を旋回させた槍で仕留めるのである。

「おおおぉぉぉ!」

 イオルクは視界に見える敵騎士が消えるまで槍を全力で振るい続けた。


 …


 見習いの仲間達が追いついた頃――。

 地面に座るクロトルと肩を上下させるイオルクの周りで動く者は誰も居なかった。

(本当は、こんなに力がある奴なんだよな……)

 クロトルは重症を負った体でイオルクの戦いぶりを見て、自分のことを慕う親友は自分の実力に気付いていないような気がした。

(いつもは無意識に周りへ合わせて戦っていたんだろうな……)

 そのイオルクは追いついた仲間へと駆け寄っていた。

「これからクロトルを連れて、医療班のところに戻る!」

『戻るって……』

 見習いの指揮を任されていた同期の騎士が、視線の先を見て息を飲む。

 いつも見習い達を支えていたクロトルが、左の脇腹を押えていたのだ。

『クロトル……怪我を』

 そこで言葉を止め、同期の騎士だけではなく他の見習いの騎士達も言葉を止めてしまった。

 そんな中、一刻を争うと理解していたイオルクが声を張り上げた。

「これから二班に分ける!」

『イオルク?』

 イオルクは戦場を見回し、瞬時に戦場の流れとこれからの動向を予測すると、同期の騎士に告げる。

「見習いの隊の一班は戦力の高い者を多く入れ、私達がやっていた誘導と露払いを行って貰う!」

 イオルクは、本隊へと続く先を指差す。

「大きな戦闘はない! 普段通りの実力を発揮すれば本隊へ合流できる!」

『あ、ああ』

 年下のイオルクの指示に、同期の騎士は勢いに飲まれるように肯定の返事を返していた。

「これから班分けをする!」

 同期の騎士の了承を確認すると、イオルクは見習い達の側に近づき、一班と二班を分け始めた。

 そのイオルクの様変わりした様子を見て、クロトルは見習いの修練場で初めて会ったばかりのイオルクを思い出していた。

(はは……。また貴族の口調に戻ってらぁ……)

 クロトルはイオルクの声と見習い達の声に集中するように、空を見上げて目を閉じる。

(久々に聞いたな……。イオルクの、あの言い方……)

 ブラドナー家で刻み込まれた、イオルクの騎士然とした口調。出会った時、声の高さと言動が合わずに不思議に思ったのを覚えている。

(それも仕方なかったんだよな……。アイツは声変わりもしてなかったんだから……)

 クロトルの耳に、当時と変わらない声の高さでイオルクが指示を出しているのが聞こえる。口調と共に態度も変わり、これからの行動を説明しているようだった。

 その必死さが伝わったのか、クロトルの耳には見習い達の足音がバタバタとしていたものからキビキビと動く足音に変わっていくのが分かった。

「二班は経験の浅い者を中心に組んだ! 絶対に無理をせず、一斑の指示通りに動いて、生きて本隊に辿りつくことを考えよ!」

『了解!』

 見習いの仲間から返事が返り、一斑、二班に隊列を組み直しが終わる。

 そこでイオルクは頭を勢いよく下げた。

「勝手な行動をして、すまない! 私は、これからクロトルを背負って、後方の医療班まで戻る! 後を任せて、皆から離れる!」

 さっきまで指揮を執っていた者から出た身勝手な言葉。隊を離れて勝手な行動をするのは軍紀に違反する行動であり、本来、仲間から非難を浴びても仕方がないことだった。

 しかし、ここには、それを責める者は居ない。


 ――何故、イオルクが昔のような口調や態度に戻ってしまったのか?

 ――何を優先するために時間を節約しようとして必死に動いたのか?


 それを分かっていない仲間はいない。

 頭を下げ続けるイオルクにゆっくりと同期の見習い騎士の数人が近づき、イオルクの肩や背中を叩いた。

『気にするな!』

『ここまで生き残れたのは、クロトルとイオルクのお陰だ!』

『クロトルを頼んだぞ!』

『あとは任せろ!』

「みんな……」

 顔を上げると、イオルクはくしゃくしゃの顔で感謝の言葉を述べた。

「……ありがとう」

 イオルクは目元を拭い、地面に座ったクロトルに背を向ける。

「クロトル、背中に」

 クロトルは閉じていた目をゆっくりと開き、イオルクの背を見続けたあと、同期の見習い達に目を向ける。

「最後まで戦えなくて悪い……」

『今は自分の体だけを考えるんだ』

「ああ……」

 クロトルがゆっくりとイオルクの背から肩に手を回すと、イオルクはクロトルの脇腹に刺さる剣身に触らないようにクロトルを背負った。

『イオルク! クロトルを頼んだぞ!』

 イオルクは頷き、今まで進んできた方向へと向きを変える。

「クロトル! しっかりと掴まれ!」

「ああ……」

 イオルクは最前線の戦場から後方の医療班のところへ向けて走り出した。


 …


 本来なら武器も持たず、最前線から人を背負って走るなら狙い討ちされてもおかしくない。

 しかし、ドラゴンレッグの騎士は去る者には興味がないのか、殲滅戦へと移行した正規の騎士を重要視してイオルク達を無視していた。

 しかし、いくら真っ直ぐに走ればいいとはいえ、日の出ている時間の半分は戦場を駆け回っており、今いるイオルク達の場所から後方の医療班まではかなりの距離があった。

 なるべく揺らさないように走るイオルクの背中で、クロトルが力なくイオルクに話し掛ける。

「さっき、貴族の言葉遣いに戻ってたから、初めて会った時のイオルクを思い出したよ……」

「時々、戻っちゃうんだ。それにみんながクロトルの怪我を見て硬直してたから、貴族の言葉遣いの方が反応するかと思って」

「分かるよ……。オレ達、平民出の見習いは少なからず地位や権力、身分といったものに屈服させられた経験があるからな……」

「俺は、そんな貴族より、クロトル達と仲間で居る方がいいけどな」

 イオルクの背中で、クロトルは微笑む。

「イオルクは変わってるよ……」

「上辺だけじゃない絆が欲しいんだ。平民ばかりの見習いの中で、俺を無視しないで仲間に入れてくれた優しさ。年齢も気にしない強さ。名前じゃなくて、個を見て判断する正直さ。一緒に何かをすると楽しい自由さ。――俺は、クロトルや見習いの仲間達と一緒がいい」

 クロトルが再び微笑む。

「本当に変わってるよ……。だけど、そのお陰でオレは貴族に背負われてるんだから、人生ってのは分かんないことだらけだな……」

「立場が逆なら背負ってくれるんだろう?」

「ダチだからな……」

 それから十分ほど走り、イオルクは戦場のほぼ真ん中で辺りを見回す。

 遠くから大人数の声が響き、まだ沢山の騎士達が交戦中であるのが分かるものの、本隊から離れたこの場所では、ドラゴンレッグの騎士もノース・ドラゴンヘッドの騎士の姿も見えない。

 イオルクは平らな地面に腰を落とし、背中のクロトルをゆっくりと下ろす。

「少し場所が開けている。ここなら薬草を使える」

「そうか……」

 イオルクは背中の皮の鎧の一部から盾と一緒に外套を外し、それをクロトルの頭の後ろに当てがってクロトルを横にする。

 そして、いざ皮の鎧を外そうとして、イオルクの手が止まった。

「クロトル……この出血量――」

「薬草ぐらいじゃ焼け石に水だろうな……。魔法で一気に塞いで貰わないと……」

 折れた剣身は予想以上に深く刺さり、薬草を傷口に当てて包帯を巻くぐらいでは応急処置にしかならなそうだった。

(それでも、今できる最善をするんだ)

 イオルクはクロトルの皮の鎧に手を掛ける。

「少しでも出血を抑えるために皮の鎧だけ脱がす」

「ああ……」

「少し我慢してくれ」

 イオルクがクロトルの皮の鎧を固定する鎧に付属するベルトを外し、ゆっくりと皮の鎧を外す。

「――っ!」

 クロトルは痛みで声を漏らすと、大きく息を吐く。

「キツイな……」

「剣の上から出血箇所に薬草を盛って包帯を巻くからな」

 イオルクは腰の後ろの道具入れから血止めの薬草と包帯を取り出して応急処置を始める。

 しかし、剣身の周りに盛った薬草と巻いた包帯は直ぐに血を滲ませた。

(これで、さっきよりもマシな状態なのか……。薬草が効いてくれば医療班に辿り着くまでの出血は減るだろうけど、魔法で治療して貰うのが最優先だ)

 クロトルの怪我の具合を見て時間との勝負だと判断すると、イオルクは立ち上がる。

「急ごう。一秒でも早い治療が必要だ」

 イオルクはクロトルをゆっくりと上半身だけ起こし、外套と盾を皮の鎧に戻し、治療道具の一式を腰の後ろの道具入れへと乱暴に突っ込む。

 腰を落としてイオルクが背を向けると、クロトルがゆっくりとイオルクにおぶさった。

「悪いな……」

「ダチだからな」

 クロトルの言った言葉をイオルクが繰り返すと、二人は笑みを浮かべた。

「さあ、急ぐぞ」

 イオルクはクロトルを背負って、再び走り出した。


 …


 医療班のところまで、もう少しの距離の場所――。

 クロトルがイオルクに話し掛ける。

「皆を守るって約束を覚えてるか……?」

「ああ」

「オレ達、無茶してるよな……」

「後悔するより、いいんじゃないか? それに立派な騎士は仲間を見捨てたりはしない」

「そうだな……。騎士なら守らないとな……」

 そこでクロトルは暫く会話を止め、憧れを込めた言葉で会話を再開する。

「やっぱり、なるならイオルクの親父や兄貴達みたいな立派な騎士がいいよな……」

「父さんや兄さん達みたいな騎士か……。うん、俺も尊敬している父さんや兄さんみたいな騎士になりたい」

「それはきっと、この無茶の先に繋がってるよな……」

「ああ、繋がってる。俺とクロトルは、あの馬鹿な上官から戦場で皆を守れる騎士になって、父さんや兄さん達みたいな騎士になるんだ」

「家族にも心配かけないでな……」

「約束の追加だ。皆も家族も守って、目指す騎士になろう」

「ああ、イオルクとなれたら楽しいだろうな……」

「そうだな。俺達の部隊だけ、頭が悪そうだけど」

「はは……、っ! 傷に響くから笑わせんなよ……」

「悪い」

 笑いによる痛みを堪えたあと、クロトルはイオルクの背中に体を押し付ける。

「少し寒い……。イオルクの背中が温かく感じる……」

(クロトル、出血のせいで体温が下がって……)

 イオルクは俯くと、無理に声を張る。

「俺が娼館のアリスちゃんだったら良かったのにな!」

「そんときゃ、首に回してる手が胸に向かって揉みしだいてる……」

「やるなよ。そっちの趣味はないからな?」

「男の固い胸になんて興味ねぇよ……。だけど――」

 イオルクは視線だけクロトルに向ける。

「――ダチの背中っていうのは悪くないもんだな……」

「……そうか」

 クロトルを背負って走るイオルクの視線の先に、医療班のテントが見え始めた。


 …


 医療班のテント――。

 戦線の後方に位置する医療班のテントに辿り着くと、イオルクは直ぐに中に入って叫んだ。

「緊急の重症者が居る! 魔法使いは直ぐに傷口を塞いでくれ!」

 テントの中には、他にも怪我をした騎士達が沢山居た。

 見る限り重傷者の治療は終わり、軽傷者が治療の順番待ちをしているだけのようだった。

(良かった。これならクロトルの治療が優先されるはずだ)

 イオルクは空いているベッドを探してテントの奥へと移動し、空いてるベッドを見つけてクロトルを背から下ろす。

「横よりも仰向けの方がいいよな?」

「ああ……。だけど、剣の刺さってない方の、腰の裏に何か置いて貰っていいか……」

「分かった」

 クロトルをゆっくりと寝かせながら、イオルクは側にあった綺麗なタオルを二回折って、剣が喰い込まない角度で右腰の下に当てる。

「これで大丈夫か? 痛くないか?」

「ああ……。変に腹に力を入れなくてもよくなった……」

「じゃあ、そのままベッドに体重を預けて。ゆっくりな」

 クロトルがベッドに寝て大きく息を吐き出したのを見て、イオルクは安堵の息を吐いた。

 イオルクはテント内を見回し、疑問符を浮かべる。

「さっき魔法使いを呼んだのに……」

 時間を掛けてクロトルをベッドに寝かせたので、とっくに回復魔法を使える魔法使いが来てもいいはずだった。

 一刻を争うのに、テントに居るはずの魔法使いが中々姿を現わさない状況にイオルクは苛立つ。

「早くしてくれ! さっき魔法使いを呼んだはずだろう!」

 イオルクの怒鳴り声はテント中に響き渡った。

 そして、イオルクの呼び掛けに返ってきたのは、一番聞きたくない、よく知っている声だった。

「何を騒いでいる。 ん? 何故、貴様がこんなところに居るのだ? 貴様は最前線で戦っていたはずだろう?」

 声のした方にイオルクが目を向けると、そこに居たのはイオルクとクロトルを最前線に送り込んだ鋼鉄の鎧を着けた上官の男だった。

(何で、こんなところにあの馬鹿が居るんだ)

 心の中で舌を打ち、イオルクは苛立つ自分を抑え、冷静に勤めて言葉を返した。

「前線に戦いの流れは出来ました。俺達の役目は終わっています」

「それは貴様が判断することなのか?」

「…………」


 ――最前線でも戦いもせず、指揮も出さず、一体、そんな者に何の判断ができるのか?


(自分の役目を何一つ果たそうとしないくせに!)

 そう言ってやりたかったが、この上官の男にそんなことを言っても無駄なのは分かっていた。

(……ここで言い争っても時間を無駄にするだけだ。今は一刻を争う)

 イオルクは声を大にして上官の男に用件を伝える。

「その件に関しては、あとで弁明します! そんなことより、クロトルが重症なんです! 魔法使いに治療をするように指示をしてください!」

「今、魔法使いは使用中だ」

「使用……中?」

 イオルクの目に映るのは、上官の男の左膝に魔法を掛けている、医療用のテントに一人しか派遣されない魔法使いの姿だった。

 その魔法を掛けられている左膝に目に見える怪我は見えない。そもそも鋼鉄の鎧に守られている上官の男が大怪我などするわけがなかった。

「そんな軽傷は後にしてください! こっちは生きるか死ぬかの瀬戸際なんだ!」

 イオルクの抗議に上官の男は醜く顔を歪めて立ち上がると、イオルクを指差して怒鳴った。

「貴様、私を誰か知っていて言っているのか! 王の親戚にあたる者だぞ! そこいらに転がっている野良犬と一緒にするな!」

 ザワリと、イオルクの心が逆立った。

(……野良犬? クロトルのことを言ったのか?)

 必死に戦い、死にかけている者がここにはいる。命は同等で身分など関係ない。イオルクの胸の中に熱い何かが膨れ上がっていく。

 しかし、テントの中の騎士達は、それが分かっていても何も言えなかった。騎士には階級があり、貴族には身分があるからだ。

 それは貴族出身のイオルクも例外ではない。貴族の家の出身で、王の親戚の貴族という権力を理解している。

 故に、今、治療している魔法使いが、目の前の王の親戚の男に逆らって治療をすることはできないのも分かる。

(ダメだ……! コイツの許しがなければ、クロトルの治療は一向に行われない……!)

 奥歯を噛み締めて自分を押し殺し、イオルクは頭を下げる。

「……申し訳ありません。クロトル――見習いの仲間が死に掛けていたので感情的になりました」

 頭を下げるイオルクを見て、上官の男は腕を組んで荒い鼻息を吐いきながら歪んだ口を開く。

「貴様は、それで謝っているつもりなのか?」

「…………」

 イオルクは無言で膝を突き、両手を着けて頭を地面に擦りつける。

「クロトルの治療をしてください」

 上官の男はゆっくりとイオルクに近づくと、イオルクの頭に右足を乗せて踏みつけた。

「まずは謝罪の言葉が先だろう」

「…………」

 イオルクの頭で上官の右足が左右に動きながら押し付けられ、その度にゴリゴリと硬い地面がイオルクの額を摩り下ろすように擦った。

「申し訳ありませんでした! クロトルの治療をしてください! お願い致します!」

「最初から、そういう殊勝な態度で頼め! 馬鹿者が!」

 上官の男はイオルクの横っ面を蹴り上げた。

「私の治療が終わってからだ」

「……ありがとうございます」

 上官の男が踵を返すと、イオルクは、そのまま魔法使いに体を向けて頭を地面に擦り付けた。

「なるべく急いでください」

 そう言ってイオルクは立ち上がると、クロトルのところへと戻った。


 …


 クロトルは、しっかりとイオルクと上官の男のやり取りを聞いていた。胸の中には上官の男への怒りもあったが、自分のためにプライドを傷つけられたイオルクへの申し訳なさがあった。

 戻って来たイオルクに、クロトルは謝罪の言葉を口にする。

「オレのせいで、すまない……」

「謝るなよ」

 イオルクは笑って見せた。

「でも、額と頬から血が出てるぞ……」

「気にするほどじゃないよ。戦場じゃ、もっと大きな怪我もするから」

 イオルクは右腕で額と頬の血を拭ったあと、クロトルの包帯に手を掛ける。

「薬草を新しいものに替えよう。その間に魔法使いも来るはずだ」

 クロトルの腹に巻かれた包帯を外しながら、イオルクは心の中で感情を噛み殺していた。包帯は血に染まり、一秒でも早く治療をしなくてはいけないというのが分かっていた。

 クロトルが死んでしまうのではないかという焦り、包帯と薬草を替えることしか出来ない自分の無力さと悔しさが胸を締め付ける。

 それでもクロトルに心配を掛けまいと、包帯を替え終えたイオルクは笑い続けた。

「包帯と薬草を替えたよ」

「ありがとな……」

「ああ」

 クロトルが左手をあげる。

「クロトル?」

「握っててくれないか……? また寒くなってきた……」

 イオルクはベッドに備え付けてある毛布をクロトルに掛けると、クロトルの左手を両手で握る。

(手が冷たく……)

 落とそうとした視線を無理に上げ、イオルクは言う。

「少しはマシか?」

「ああ、安心する……。そして、思い出した……」

「何を?」

「初めて会った時のことだ……。騎士の名家の貴族のガキは背ばっかりデカくて、オレと同い年だと思って勘違いで声を掛けた……。自己紹介で握手をしたら、オレよりも二つも年下でやんの……」

「そうだったな」

 イオルクもクロトルと初めて会った時のことを思い出した。

「ガッチガチの敬語使って、『何だ、コイツ?』って思ったよ……」

「その時、初めて自分が異質だって気付いたよ。そして、クロトルや皆と同じがいいって思ったんだ」

「そうか……」

「知ってるか? 俺、クロトルに憧れて、言葉遣いを真似してたの?」

「……知ってたさ……。無理して『俺』って言おうとして、笑いを堪えるのが大変だったからな……」

「笑っても良かったのに」

「笑えないさ……。仲間であろうと努力する奴を笑いたくない……」

 クロトルの手を温め直すように、イオルクはクロトルの左手を握り直す。

「俺は、ちゃんとクロトルや見習いの皆の仲間かな?」

「オレが合格点をやるよ……」

「クロトルが、そう言ってくれるなら安心だ」

 イオルクは視線を上官の男の方に向ける。

(まだ終わらないのか……。さっきからクロトルの手が冷たいままなのに……)

 イオルクが視線をクロトルに戻すと、クロトルは懐かしむように話す。

「イオルク、お前と居たことが次々に思い浮かぶよ……。お前に武器の使い方を教えて貰ったこと……」

「クロトルは覚えるのが早かった。騎士の家の俺と違って、何の訓練も受けてないのに、直ぐに武器を使いこなした」

「最初の戦場は、お互い緊張しっぱなしだったな……」

「あの時、クロトルが居てくれなかったら、俺は一歩も動けなかった」

「オレもだ……。だけど、あの時、安心して任せられる親友の背中を見つけた……」

「それは今でも変わらない。俺が背中を預けられるのはクロトルだけだ」

「イオルクとなら、どんな戦場でも生き残れる気がしてたよ……」

 イオルクは首を振る。

「気じゃない。クロトルと俺なら、どんな戦場でも生き残れる。仲間を守っていけるはずだよ」

 クロトルは軽く笑う。

「そう思いたかったけど、現実は受け入れないとな……。戦場に出る度に、仲間は減っていく……」

「うん……。だけど、出来る限りのことはしたいよ」

「ああ、死なせたくない……」

「これからも守るんだろう? クロトルと俺で?」

「……イオルク……」

「何だ?」

「何で、お前、さっきから泣いてんだよ……」

 イオルクはクロトルの左手から右手を放すと、涙を拭う。

「クロトルが……昔の話ばかりするからだよ。もっと、先の話をしようよ」

「…………」

 クロトルは静かに目を閉じる。

「もう、オレの居る未来の話をしても無駄だからな……」

 イオルクは立ち上がって言う。

「何だよ、それ! 無駄なもんか! クロトルは死なない!」

 クロトルは首を振る。

「戦場で生き残るために色んな本を読んで知識を詰め込んだ……。逆に言えば、必ず死ぬ条件も分かるってことだ……」

 クロトルの目がゆっくりと開き、イオルクを真っ直ぐに見る。

「血を流し過ぎた……。魔法を使ってオレの傷を癒す体力が、オレには残ってないみたいだ……」

 イオルクは両手でクロトルの左手を握り直し、首を強く振る。

「嘘だ……」

「お前の家で、オレと一緒に読んだ本に書いてあっただろう……」

「嘘だ! 覚えてない!」

「それこそ嘘だ……」

「…………」

 イオルクは暫し言葉を止めたあと、問い掛ける。

「……どうして、嘘なんだよ?」

「オレのダチは、オレとの思い出を忘れてないよ……」

 そのクロトルの言葉に、イオルクは負けた。

 これからクロトルに死が訪れることを認めさせられ、クロトルの親友だから全てを忘れずに覚えていることも見抜かれた。

 イオルクは嗚咽しながらクロトルの左手を両手で握り締め、泣き崩れた。ここに弱い姿を見せたくない嫌いな上官が居ようと、他の負傷した騎士達が居ようと、誰が居ようと構わず泣き続けた。

 そのイオルクを見ながら、クロトルは満足していた。この場所には愛する家族も、会いたい人達も全員居ない。だけど、自分を想って泣いてくれる親友が居ただけで幸せに思えた。

 奪われてしまった未来、やりたいこと、後悔は沢山ある。だけど、それを帳消しにしてくれる親友が居たこと。その親友に信頼されていたことに心が満たされていた。

「イオルク……。オレは、お前がダチで良かった……。命を預けられる親友が居たことが、一生の宝だよ……」

 イオルクは自分の想いを強く伝えたいために、声を大にして叫ぶ。

「俺もクロトルがダチで良かった! 俺の背中を預けられるのがクロトルで良かった!」

「二人で守るっていう約束だったのに、ごめんな……」

「二人の約束は……二人の約束は絶対に守られる! どちらか一方でも最後まで果たせば、二人の約束は違えることはない! 謝ることなんて、何もないんだ!」

「……そうか……ありがとう……」

 クロトルは感謝の言葉を口にしながら短い生涯に幕を閉じた。

 イオルクとクロトルの過ごした期間は極めて短く、それでも親友になり、築き上げた気持ちに偽りはなかった。二人は人生においての、お互い初めての親友だった。

 クロトルの左手から握り返す力がなくなると、イオルクはクロトルの名前を叫び続けた。


 …


 動かなくなったクロトルに泣きつくイオルクに、声が掛けられる。

「その野良犬は死んだのか? だったら、処分しておくのだぞ」

「…………」

 投げ捨てられた言葉を咀嚼し、少しずつ言葉の意味が頭に入ってくると、イオルクはクロトルのために忘れていた感情を思い出して泣くのをやめた。

 胸の奥で次から次へと怒りによる熱い感情が生成され、両の拳を力一杯握り締め、力の入れ過ぎで体が震えていた。


 ――何故、クロトルは死ななければいけなかった?

  適切な処置が行なわれていれば死ななかったはずだった。

 ――何故、この馬鹿はクロトルを野良犬なんて呼ぶんだ?

  クロトルの想いも、クロトルの行動も、クロトルの価値も、一切理解しようとしないのに……!


(貴族、王の血筋、上官という身分……! 何もかもが、どうでもいい……! くだらない……! 自分の中に流れている貴族という血すら、汚らわしい……!)

 もう耐える必要はなかった。大事なものは失われてしまったあとで、あまりに遅過ぎる。

 イオルクは俯くと、ふらりと立ち上がった。

「何だ?」

 上官の男の問い掛けに、イオルクは右拳で答えた。

 物凄い音が響くと、テントの中は静まり返る。

 周りの人間は、殴られた人が宙を舞うのを初めて見たのだから当然かもしれない。

「俺の親友を馬鹿にする奴は許さない!」

 顎の骨を砕かれた上官の男は仰向けで地面に転がり、口から血を流して気絶していた。

 そして、まだ許せないイオルクは、この男を殺しても構わないと思い、気絶する上官の男にゆっくりと拳を握って近づいた。

「お前のせいで……! お前のくだらない見栄や自尊心のせいで……‼」

 イオルクが再び拳を振り上げた瞬間、その場に居た数人の騎士がイオルクを取り押さえに掛かった。

『もう寄せ!』

「コイツは、俺の……! 俺の大事な親友を……‼」

 イオルクは数人の騎士を引き摺りながら進み続ける。

『君は正しい! 親友の死を悲しみ、貶されたことを怒っている!』

「だったら、この馬鹿がした理不尽を許しちゃいけないのも分かっているはずだろう! コイツは、何度でも繰り返すに決まっている! 何度でも、仲間を犠牲にするに違いない!」

『それでも、やめるんだ!』

「クロトルが死んでしまったのに、何を我慢してやめるんだ!」

『君は、その親友のために頭を擦り付けて我慢したんだろう! それは何のためだったんだ!』

「……何の?」

 イオルクの足が止まる。

「そんなことは決まっている……。クロトルの命を救いたくて……」

 取り押さえる騎士が、イオルクに訴え掛ける。

『それだけじゃないはずだ! その親友の命だけじゃなくて、大切な何か――心差しみたいなものも守っていたんじゃないのか⁉』

「…………」

 そう言われ、イオルクは何も言えずに目を伏せると声を漏らす。

「う……うう……」

 イオルクとクロトルが守りたかったもの――純粋過ぎる少年達は清廉な騎士を目指していた。だから、あの時、唯一、クロトルを救えるかもしれない手段を取れなかった。

 クロトルの前でイオルクは魔法使いに暴力で訴えて治療を優先させるという卑怯な手段を取ることもできたが、クロトルと目指した憧れる騎士の姿を汚す行動は取れなかった。

 取り押さえる騎士が、イオルクの右肩に手を置く。

『今の一回で、君の親友に対する気持ちは証明された。これ以上は、その親友の何かを汚すことになる』

「……そんな言い方は……卑怯だ……。俺は――」

(自分の夢を汚しても構わないけど、クロトルのためなら……。これ以上、何も出来ない……)

 イオルクは、その場で蹲ると嗚咽して泣き出した。

 そして、親友のために上官を殴ったイオルクを周りの騎士達は責めることが出来なかった。騎士の掟、上官に服従する規則、絶対的な権力よりも親友を選べる純粋な少年を厳しく責めることが出来る者は居なかった。


 …


 その後、イオルクには謹慎処分が言い渡された。

 しかし、これは処分としては、あまりに軽いものだった。このあり得ない処分がまかり通った理由は、上官の男が今までしていたイオルクやクロトルに対する仕打ちが、世間の明るみに出るのを防ぐ情報操作をしたからであった。


 そして――。


「クロトル、約束は守るよ……。絶対に……」

 イオルクは親友の最後の約束を違えぬため、最前線に立ち続けた。



 ―――――番外編・少年達の約束 完

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