時刻は夜――。
イオルクは、予定より一日多い四日目に砂漠を抜けた。目的地も予定より随分と北にずれてしまっているが、砂漠を滅茶苦茶に走り回ったイオルクには分からないことだった。
だが、何はともあれ、砂漠は抜けることが出来た。あとは町を見つけられれば何とかなる。
羽織っていた外套のフードを取りながら、イオルクは呟く。
「全ての大陸が交じり合う、流通の商業大陸ドラゴンチェストに入ったのは間違いないんだろうけど……砂漠を抜けて何処に出たんだ?」
地面の色が細かい砂の黄色から茶色の土の地面に変わったところで、イオルクは地図を開く。
月明かりの下で十分な光源を得て地図を見回すが、何を目印にどこへ向かへばいいのか、まったく分からない。
「困ったな……。地図で分からないなら、別のものに頼るしかないか」
イオルクは静かに目を閉じた。
目を閉じると夜の静けさが辺りを包み、音にだけ集中するようになる。
しかし、遠くから町の賑わいのざわめきが聞こえるわけでもなく、人が歩く足音も聞こえない。風が通り抜けても風を遮るような音もなく、そのまま風が吹き流れる音しか聞こえない。
「……人の往来のまったくないところに出たみたいだな」
音からでは何も情報を得られないと諦め、イオルクは目を開ける。
目を閉じていた分だけ暗闇に慣れ、さっきよりも月明かりの下で地面がよく見える。
「よく見たら、俺の足跡しかないじゃないか。これじゃ、他の人の足跡を辿ることもできないな」
幾分か遠くまで見えるようになった目で、今度は視覚を頼りに情報を得ようとコンパスを取り出し、北を確認して向き直る。
もう一度地図を見ながら目印になるものを探して、ゆっくりと右から左に目を動かす。
すると、夜の闇の中で照らし続ける星を遮るものがある。
「地平線を不自然に遮る巨大なもの……山だ!」
地図を確認して砂漠を越えた近くにある山を探す。
「山、山、山、山……お? これは運がいいかもしれない」
砂漠を出た付近にある山は一つしかない。山を基準にして地図を確認すると、予想していた到着地点よりも北に位置していた。
イオルクは、ようやく自分の進路が北にずれたことが分かった。
「それにしても、地図ではほんのちょっとのズレのように見えても、その場所に辿り着くと、ぜんぜん人が居ないところだったりするんだな」
イオルクは頭を掻きながら、改めて世界というものの大きさを実感する。縮尺を小さくした地図には要所要所の国や村の記載しかなく、目的以外のところがどうなっているのかは分からないのである。
「旅をするんなら、目的地までのもう少し縮尺の大きい地図を使うべきかもな。世界地図での旅は無謀かな?」
しかし、一拍置いてイオルクは考えを改める。
「いや、地図は正しいんだから、地図の目的地向かって余計なことをしないで進めばいいんだよ。砂漠で走り回るとかしないで」
大きな溜息を吐き、イオルクは『今度から気を付けよう』と呟きながら、地図で目的地になるかもしれない山の周辺を確認する。
「え~と……あ、山の中に村がある。近くに行けば道もあるし、ここなら迷わないはずだ。地図に描いてある経路に戻るためにも、次の目的地はここだな」
地図とコンパスをリュックサックに仕舞うと、イオルクは右手を突き上げる。
「よし! 行こう!」
イオルクは目的の山に向かって歩き出した。
…
星を遮る陰に向かって歩き進めると、やがて景色は深い緑が増え始める。土だけだった地面に雑草が増え、視界を遮る木々の葉も多くなる。
「真っ当な道じゃないから、人の歩かないここは草が伸び放題だ」
歩き進めるにつれ、草木は増え、伸び……。
「あれ? 何か体中に纏わりつくような?」
草木は伸び過ぎて、イオルクを覆い隠し始めた。
「ちょっと! いくら何でも伸び過ぎだろう!」
草を縫って歩くというよりも、草の海を泳いで渡るように辺り一面がイオルクよりも背の高い草だらけになった。
「ああ、もう! 鬱陶しい!」
鬱葱と茂る草を掻き分け、イオルクは目的の山に向かって道なき道を一直線に歩き続ける。
途中、このただ直進するだけの方法で合っているのか疑問に思いながらも、他に実行する手段も思い浮かばずに突き進む。
そして、山までもう少しというところで、ズボッ!と開けた場所に出た。
「な、何だ、ここは?」
頭や外套に葉っぱを張り付かせながら、イオルクはキョロキョロと左右を見る。
細長い剥き出しの土、僅かに残る荷車を引いた轍(わだち)の後や人の足跡。間違いなく人の往来がある場所だった。
「おお! 遂に道に出た!」
遠くを見れば、道は分かれることなく真っ直ぐに続いていて迷うこともない。
イオルクは急いでリュックサックから地図とコンパスを取り出す。
「一直線に山へ向かっているわけじゃないけど、人が通った道だ。信頼性は格段に上がる」
そもそもイオルクの辿り着いた砂漠の出口から目的の山へ向かうルートがないのは、そこに道を切り開く必要性がないからだ。そして、ここに道があるのは、人の住む場所と場所とを繋ぐ必要性があるからに他ならない。
「さて、山へ向かうならこっちだな」
緩やかな傾斜のある方へ向きなり、イオルクは目的の山を目指す。
「ただ、問題は、ここから地図に載っている山の中の村までの距離がよく分からないってことだな」
そう。月明かりがあり、星を遮る物体が山であると判断できても、昼間と違って山の高さや傾斜が判断できないのである。
「とはいえ、ここまで来たんだから突き進むのみ」
イオルクは夜の山道を進む。
最初は変わり映えのない少し傾斜があるぐらいに感じていたが、山の麓に入り、完全な登りに入ったと思ったところから山道の風景が変わった。
傾斜がきつくなり、大きな石が目に付きだした。
「距離的にはこっちが近いと思ったけど、傾斜を考えるんなら遠くても平地にある町へ向かうべきだったかもしれない……」
山ではなく反対の下る道を行っていれば……と浮気心を出しながら、イオルクは人の手で石を組んだと思われる大岩を回避する階段を進む。
そして、また土の道に戻った山道を更に登り続けること三十分。
イオルクは遂に目的の山中の村を発見した。
「着いた~っ!」
遠くから見える村の影は丸太を突き刺して塀として囲ってあることが分かり、丸太よりも高い家や煙突の影が所々見えた。広さで言えば、ノース・ドラゴンヘッドの王都の一角ぐらいしかない小さな村だ。
道なりに走り、イオルクは喜び勇んで村に近づいたが、村の前でぴったりと足が止まった。到着した村の門は、しっかりと閉められていたのである。
目の前の木製の厚い門は内側からしか開かない仕組みで、こちらから手を掛けるところが見当たらない。外敵から守るための造りになっているようで、これでは村に入ることが出来なかった。
「……盗賊も居るんだし、当然か」
イオルクが夜空を仰ぐと、空は少し色を薄め、東の方が白み始めていた。
「もう直ぐ朝だな」
朝まではもう少し、待ち時間も長くはない。イオルクはリュックサックと剣を下ろしてフードを被ると、木製の厚い門の前に座り込み、門に体を預けて静かに寝息を立て始めた。
…
翌朝――。
村人の一人が朝の散歩のために村を巡回する。この村人は朝の仕事の前に村を一周するのが日課になっており、村を一周するぐらいが朝の散歩をするには丁度良い時間だと日ごろから思っていた。
新鮮な朝の空気を吸い込んで体中に酸素が行き渡るのを感じながらの、気持ちのいい朝の散歩は、やがて村の門へと差し掛かる。
そこで村人は木製の厚い門が不自然に内側に押されているのに気が付いた。
「ん? 何だ? いつも、あんな不自然な閉まり方をしていないのに……門が壊れたのかな?」
村人は村の門まで近づき、そっと門の隙間から外を覗くと、門に凭れるイオルクを見つけた。
(よく見えないな。そこにあるのはリュックサックかな? じゃあ、その奥に居るのは――)
村人の視線が地面に置かれたリュックサックから上へと向かい、イオルクの顔まで上がった。
すると、突然、イオルクの顔が村人に向いた。
「うわっ!」
村人は大きな声を出して一歩退いて驚くと、イオルクがあくびの混じった声で呟いた。
「何だ……人か」
見習い時代に野宿した経験もあり、イオルクは敵を警戒して夜を明かすことを任務でこなしている。その経験から、イオルクは村人の視線に気付いて顔を向けたため、村人を驚かせてしまったのだった。
一方の村人は、まだ心臓が早鐘を打ち続けている状態であったが、状況の確認をしなくてはと、冷静になることを努めてイオルクに近づく。
「あ、あんた、こんなところで何をしてるんだ?」
イオルクは外套のフードを取って立ち上がる。
「砂漠を抜けたら夜だったんだ。で、近くの村を探してここまで来たんだけど、着いたら門が閉まってて……」
「それで?」
「仕方なく、ここで外套を羽織ったまま夜を明かしたんだ」
「……そうか」
事情を聴いても、まだ村に入れていいものか、村人には判断がつかなかった。村に住む人間を訪ねて来た親戚や知人というわけでもなさそうだし、何故、国境の砂漠からこんな辺鄙な山奥を訪ねるのか、行動が怪しすぎた。
すべてはイオルクの取った行動のせいで目的地が大きくずれたのが原因なのだが……。
「入れてくれない?」
「ダメダメ! 盗賊かもしれない!」
村人は不審者認定が解けないイオルクを簡単に村へ入れるわけにはいかず、強い口調で拒否した。
しかし、イオルクにとっては砂漠を抜けてドラゴンチェストに入った後の行動を決める情報を仕入れないといけない重要な場所である。諦めて、またもと来た道を引き返すわけにもいかない。
「え~と、どうすれば中に入ることを許してくれるのかな?」
「何か身分を証明できるものは持ってないのか?」
イオルクは頭を擦りながら答える。
「ハンターの登録証ぐらいしかないんだけど……それでいい?」
「ああ、それで問題ないよ」
イオルクがリュックサックから登録証を取り出して門の隙間から手渡すと、村人はそれを確認する。
「うん、ハンターなら大丈夫そうだな。この登録証も本物だ。どうぞ」
村人はイオルクに登録証を返して内側から門の錠を外すと、門を開いてイオルクを迎え入れてくれた。
「ありがとう」
イオルクは伸びをしてから門を潜って村に入ると、村人に訊ねる。
「早速で悪いんだけど、宿屋はどこにあるかな?」
「この村にはないよ」
「……え? じゃあ、食事が出来るところとかは?」
「それも生憎……」
「じゃあ、ハンターの営業所は?」
「あるわけがない」
イオルクの顔が青くなる。
「それじゃあ、村に入っても休憩できないじゃないか」
「そうなるな。ここは旅人が立ち寄るような村じゃないし、大きな町でもないからハンターの営業所もない。さっき、あんたを入れなかったのも、常駐する騎士やハンターが居ないからだよ。村は外敵からの侵入を防ぐために、夜になると門を閉めて鍵を掛けるんだ」
「外敵の侵入? それって、さっき言ってた盗賊のこと?」
「畑を荒らす動物もだな。熊なんかが入ってきたら大騒ぎだ」
「…………」
この村は自給自足で生計を立て、必要最低限のものしかないらしい。よくよく辺りを見れば、簡素な家が立ち並ぶだけで店らしきものは一軒もない。目に付くものと言えば、畑や家畜小屋ばかりである。
イオルクは困り顔で頭を掻く。
「……これじゃあ、鍛冶屋も期待できないかな」
そうぼやいたイオルクの言葉に、村人から予想外の言葉が返る。
「それならあるよ」
「本当?」
「ああ、本当さ。ハンター業に使う武器でも壊れたのかい?」
「いや、弟子入りさせて貰おうと思って」
村人は声をあげて笑い出す。
「ここの鍛冶屋は弟子なんて雇えるほど大きくないよ。こんな小さな村にあるんだからね」
「そうなんだ。でも、案内してくれない?」
「ああ、構わないよ」
村人はイオルクを引き連れて散歩の続きをしながら、鍛冶屋へ向かって歩き出す。小さな村の鍛冶屋は入り口の門から遠くない場所にあり、ものの数分で辿り着いた。
「ここだよ」
「指差して貰うだけでもいいぐらいに近かったね」
「でも、見た目だけじゃ普通の家と変わらないから、分からないだろう?」
「確かに」
件の鍛冶屋は、一見すると普通の家と見分けがつかない佇まいだった。違いをあげるならば、他の家と違い、家の一角が石造りになっていることぐらいだ。
(火を使うから、燃えない石で鍛冶場が組まれているんだろうな)
イオルクは何となく家の造りから予想して、鍛冶屋の家を眺めた。
そのイオルクに村人が軽く手をあげる。
「じゃあ、散歩の続きがあるから」
「ありがとう」
村人は案内が終わると、イオルクを置いて散歩の続きをするために去って行った。
…
残されたイオルクは『どうしたもんか?』と腕を組む。
「まあ、ここで待ってても仕方ないし、訪ねてみるか」
そう言うと、イオルクは村の鍛冶屋の玄関先へ回り、簡素な作りの扉を叩いた。
朝早く……。人の迷惑など考えずに……。
「留守か? そんなわけないよな」
さっきの村人は朝の散歩が日課のため、たまたま早く出くわしただけで、本来ならまだ起きている人間もほとんど居ない朝の時間だ。畑仕事をする人だって、まだ起きるには早い時間帯である。
しかし、イオルクはお構いなしに、また扉を叩く。叩いて叩いて叩きまくる。
その迷惑極まりないイオルクに、勢いよく扉が開いてグーが炸裂した。
「こんなに朝早く、何なのよ!」
イオルクを殴りつけたのは、ノース・ドラゴンヘッドのお姫様であるユニスよりも大分背が低い女の子だった。黒に近い茶髪を後ろで左右に分けて三つ編みにして、青い目をしている。起きた――いや、起こされたばかりのため、格好は寝巻き姿である。
ついでに言えば、目が思いっきり怒っている。
そんな状況なのに常時平常運転のこの男は、片膝を突いて小さな女の子の右手を両手で握って言う。
「おお、あなたが鍛冶屋ですか」
女の子のキックが、イオルクの顔面に炸裂した。
「違うわよ!」
「やっぱり?」
「あんた、何なのよ⁉」
顔面にキックされた右足が減り込んだまま、イオルクは答える。
「俺は出来ることなら鍛冶屋になりたい人なので、是非、鍛冶屋で働きたい」
「冷やかしてんの?」
「マジです」
女の子は右足を引いて地面につけると、不機嫌そうに腕を組んで半身になる。
「どうしようかしら?」
「君、鍛冶屋の人じゃないよね? さっき、違うって言ってただろう?」
「ゴマ擦っておいて損はないわよ。わたし、ここの子だから」
「こんな生意気なガキが居るのかよ」
女の子のグーが、イオルクに炸裂した。
「美少女に向かって、何てことを言うのよ!」
「この世界には気の強い女しか居ないのか? 俺は、お淑やかな女の子に会ったことがない……」
イオルクの言葉に、女の子はフンと鼻を鳴らす。
「あんたなんか、弟子にしてあげないんだから!」
「え? それは困る!」
イオルクは笑いながら、今度は諌めに掛かる。
「機嫌を直してよ。美少女かどうかは分からないけど、お姫様になれることは保障するから」
「お姫様……? ど、どうして⁉」
イオルクの話に女の子が喰いついた。
この女の子は、お姫様に憧れを持っているようだった。
「君が俺の知ってる、お姫様にそっくりだから(問答無用でグーを入れるところとか)。素質ありと見た」
「どこのお姫様?」
「ノース・ドラゴンヘッド」
「…………」
女の子はぽーっとして、お姫様になった自分を想像している。
しかし、イオルクの締まりのない顔を見て、ハッとする。
「何で、あんたみたいな緩い人が、お姫様のことを知ってるのよ! 怪しいわよ!」
「俺、ユニス様の親衛隊に居たから」
「嘘?」
「本当」
イオルクはリュックサックから返却するのを忘れて持ち歩いている城の許可証を取り出して見せる。
そこに記載されている本物っぽい達筆な字とノース・ドラゴンヘッドを表す紋章を見て、女の子は驚いて言葉を失った。
「…………」
数分の間、女の子が固まっていると、その後ろでゴソゴソと音がした。
現れたのは、ここの鍛冶屋の主人だった。
「何を騒いでいるんだい?」
「お父さん! 変な人が来たの!」
「変な人?」
前髪を切り揃えた黒に近い茶髪に青い目の優しそうな青年は、イオルクよりも拳一つか二つ分背が低く、女の子と同じく寝巻き姿だった。
若い鍛冶屋の主人は、イオルクに目を向ける。
「何か御用ですか?」
イオルクは頭に手を当てて緩い笑みを浮かべる。
「いや~、どうも初めまして。是非、弟子にして貰いたくて、ここに来ました」
「……それが娘と騒いでいたことと、何の関係が?」
「娘さんに弟子入りの交渉をしていただけです」
(何で、娘に……)
若い鍛冶屋の主人は娘に顔を向けながら、イオルクを指差す。
「……変な人だな」
「そうでしょ? でも、お城に勤めてたのよ」
若い鍛冶屋の主人は訳の分からない珍客に、額を押さえて混乱する。
そんな若い鍛冶屋の主人にイオルクが勢いよく頭を下げる。
「そういう訳で……是非!」
「いや、全然分かんないよ……。何が、そういう訳なのか……」
女の子が若い鍛冶屋の主人の寝間着を引っ張って言う。
「お父さん、ダメよ! こんな変な人!」
イオルクは地面に頭をつけ、肘を90度に曲げて女の子に頼み込む。
「そこを何とか! お嬢さん!」
「ダメったら、ダメ!」
「お願いします!」
何故か、若い鍛冶屋の主人を無視して女の子に土下座をするイオルク。
無視されている若い鍛冶屋の主人は、娘の態度とイオルクの態度を見て、更に混乱する。
「と、兎に角、家に……。話は、そこで聞きますから」
「本当?」
イオルクは立ち上がると、若い鍛冶屋の主人の右手を両手で握る。
「話が分かる人で助かった」
「まだ弟子にするって言ってないからね……」
この日、妙な旅人が山の小さな村を訪れ、村にある小さな鍛冶屋を訪ねた。
訪れたのも偶然なら、立ち寄ったのも偶然。行き当たりばったりの無計画な行動。ここがイオルクの鍛冶屋の修業の出発点になる……のだろうか?