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材料編   6

 午後――。

 イオルクは、トーマスに一枚の大きめの紙を貰う。地図ぐらいの大きさのその紙には、近日中に切り揃える、家の至る部分の材木の寸法が記されていた。

 初めて見る家の設計図を見ながら、イオルクは感嘆の声をあげる。

「家って、色んな材木のパーツで出来ているんだな」

 設計図を見ると大小さまざまな材木の構成により、家が組みあがっていくのが想像できた。外から見ただけでは分からない材木の組み合わせ、連結による歪みを防止するためのはめ込みや補強方法は、まるで立体のパズルのようだった。

「驚いたかい?」

「うん。壁や天井の中には、職人しか知らない技術が盛り沢山なんだね」

 イオルクが設計図からトーマスへと顔を向けて訊ねる。

「でも、トーマスさんって鍛冶屋ですよね? ここまでくると、もう大工の領分だと思うんだけど?」

 トーマスは笑みを浮かべながら、右手の掌を返して答える。

「うちは小さな村だからね。出来そうな大工仕事は鍛冶屋が纏めてやっちゃうだけさ」

「そういうもんなんですか」

「大工仕事には鍛冶に応用できる技術がたくさんあるんだ。この経験は鍛冶仕事で後々活かされてくる。さあ、さしがねの使い方から始めよう」

 そう言ってトーマスは縁側の廊下にあった大工道具の入った箱を引っ張り出し、箱の中からさしがねを取り出した。

 鍛冶仕事の前段階として始める大工仕事。初日のイオルクの仕事場は、昼食をした縁側だった。

 イオルクは先ほどは気にしていなかった縁側を注意深く見てみる。

 すると、ここは外での作業場も含めているようで、縁側の廊下の奥には大工道具以外にも作りかけのパーツなどが目に付いた。

(あの握り手のようなものは……鍋の取っ手かな?)

 完成品と選り分けられた箱から覗く丸みと滑り止めの彫り細工をしてある木片を見て、イオルクはそのように感じた。

(トーマスさんは色んなことを手広くやってるんだな)

 村の鍛冶屋はモノづくりに関しては何でも屋のような位置づけなのかもしれない。

 今度は縁側から庭へと目を向ける。雨除けの小さく突き出た屋根の下には木くずを掃除するほうきと塵取りがあり、取り切れなかった木くずが庭に少し残ってる。

(まあ、木くずは自然に帰るしね)

 そんな細かいところまでは気にしなくてよいと割り切る。自分も最後まで塵一つ取り残さず掃除をする自信はない。

 キョロキョロと周囲を見回していたイオルクが落ち着くと、トーマスから仕事の説明が始まった。

 まず説明されたのは材木の大きさを切り揃える簡単な工程についてだった。桟積みされた生木から余計な水分が飛んだあと、どういった道具を使って切り揃えていくか、というものだ。

 イオルクはそのトーマスの説明を聞きながらメモを取り、一つの材木の大きさに揃えるまでの方法を教えてもらった。

 そして、トーマスが一通りの流れを教えると、初歩の初歩とも言える作業である、板を切り揃えて紙やすりで長方形に整える作業をするようにと、イオルクは命じられた。

「そんなことでいいの?」

「最初だからね」

 トーマスはそう言うと、イオルクを残して自分の仕事場へ戻って行った。

 イオルクはコリコリと額を指で掻く。

「まあ、やってみるか。材木は、どれを使ってもいいって言ってたっけ」

 残されたイオルクは桟積みした材木とは違う板切れをを材木置き場から適当に見つけだして縁側に置き、大工道具の入った箱も同じように縁側に置いた。

「よし! 始めよう!」

 イオルクはメモを見ながら指定された板へ切り揃えようと、作業に取り掛かり始めた。


 …


 縁側は直ぐに散らかり始めた。メモの中には木を切るための鋸ややすり掛けをする紙やすりの使用法以外に前段階となる切り揃える板の目印の書き方も書かれていたからだ。

 イオルクはさしがねや鉛筆なども箱から取り出して縁側に並べ、板切れに切り揃える目印をつけ始める。線を真っ直ぐに引くためにさしがねを板切れに当て、直角に板が切り出せるように角度を確認しながら板切れに切り揃えるための線を慎重に引いた。

「なるほどね……こうやって市販されていた板は切り揃えていたのか」

 自分でやって、初めて今まで当たり前のように買っていたものが自分以外の誰かの努力のお陰で手に入れていたことが分かる。その知らない誰かは、イオルクが騎士としての技術を手に入れるために費やした時間の分だけ材木を扱う技術に時間を費やしていたのだ。

(そうなんだよな。色んな技術をみんながそれぞれ持っているから、俺達は協力し合って助け合って成り立っているんだよな)

 左足のブーツを脱ぎ、縁側に板切れを置いて左足で固定し、イオルクは鋸を手に取った。

「鋸も使うためのコツがあるんだろうな。色々試してみるか」

 鋸を使ったことがないというわけではないが、人より体力と力がある騎士という職業に甘んじて力任せにしてきたことも多い。しかし、本職の大工は騎士のように体力や力があるわけでもないのに同じことができる。

 つまり、正しい使い方をしていれば、無駄な体力や力を使わずに扱うことが出来るのだ。

(そういうところを意識して身につけなければいけない)

 イオルクは板切れに鋸を当てると、ゆっくりと鋸を引き始めた。


 …


 ケニーは縁側で作業をするイオルクを暫く見ていたが、イオルクは、うんうん唸りながらさしがねを木材に何度も当て直しては鋸で切るのを繰り返しているだけだった。

(そんなに当て直さなくても、一気に鋸で切っちゃえばいいのに)

 その繰り返される姿を見るのに飽きると、ケニーは縁側から家の中を通って父親の居る鍛冶場へと歩いていく。

 鍛冶場に近づくと鉄を叩く甲高い音が徐々に大きくなっていった。

 ケニーが鍛冶場を覗き込むと、トーマスの目の前では火炉(ほど)と呼ばれる窯で火が燃え盛っていた。

 トーマスは年季の入った椅子に座り、金敷(かなしき)と呼ばれる鉄の台の上で熱せられた鉄を入れ槌というトンカチで力強く叩いていた。

 そのトーマスの背中にケニーが話し掛ける。

「お父さん。イオルクのこと、放っといていいの?」

「ああ」

「直に教えてあげないの?」

「誰でも出来ることだからね」

「そうなんだ」

 トーマスは叩いていた鉄を巨大なペンチのような鍛冶屋はしで掴み、火炉に入れ直す。

 そして、ケニーに振り返って話の続きをする。

「まあ、誰にでも出来る分、イオルクのしていることは根気が要るんだけどね」

「こんき?」

 ケニーが分からなそうに小首を傾げると、トーマスは補足を入れる。

「詰まらなくてもやり続ける我慢強さのことだよ」

「ふ~ん……」

「基礎の基礎だ。面白い物じゃない」

「詰まらないの?」

 トーマスは頷く。

「だから、この作業をすることでイオルクの本当の姿勢が見える。鍛冶屋という仕事を本気に取り組みたいのか? 直ぐに飽きてしまうような性格なのか? 基礎を疎かにして手を抜くのか? ……なんてことがね」

「厳しいんだね」

「そうだよ。どんな仕事も厳しいんだ」

 ありふれた父子の会話のようだったが、この会話にはトーマスの確かめたかったことが全部含まれていた。

 イオルクのことを知らないからこそ、イオルクという人間が、どういう人間なのかを知りたくもあり、また、イオルクがどれだけの気持ちを持って鍛冶屋になりたいということも知りたかったのである。

「じゃあ、イオルクは基礎が詰まらないからって、逃げ出すかもしれないの?」

「そういうこともあるだろうね」

「逃げたら、どうするの?」

「逃げてもいいんだよ」

「え?」

 ケニーはパチクリと目をしぱたいた。

「人には向き不向きがあるし、イオルクにとっては騎士が本当の天職かもしれない。彼の話では城に勤めるような騎士だったんだからね」

 トーマスは、イオルクが剣で木を切り倒した時、あそこまでの修練を積むのにどれだけの努力をしたのだろうと思っていた。鍛冶技術というものを覚えるより、騎士としての技術を高める方がイオルクの将来のためになるかもしれないとも真剣に考えた。

 だからこその見極めとして、今、初歩の初歩とも言える作業をやらせている。

 しかし、そんな真剣な考えをしているトーマスとは別に、今の話でケニーの興味はイオルクが騎士だったという話ことの方に移った。

「ねぇ、お父さん。わたし、思うんだけど……イオルクって騎士をクビになっちゃったんじゃないの? だから、鍛冶屋になろうとしてるんじゃない?」

「え?」

 突然言われた娘からの言葉に、トーマスの仕事をする動きが止まった。

 暫し考えが追いつかなかったが、直に考えが追いつくと改めて答える。

「そんなことは……ないと思うよ。ほら、強い武器に興味があるって言ってたじゃないか」

 ケニーは顎に指を当てると、ポツリと呟く。

「そうなのかな? イオルクの性格って騎士に合ってない気がするのよねぇ。あとで、聞いてみようかな?」

「……あんまり、人の過去を聞くのは良くないと思うよ」

「何で?」

「そういうことは、まだ分からないか」

 トーマスは苦笑いを浮かべる。

「さあ、今日も友達と遊ぶんじゃないのか?」

「あ! そうだった!」

 ケニーが踵を返して走って行くのを見て、トーマスは笑いながら娘を見送り、再び熱せられた鉄を鍛冶屋はしで火炉から取り出した。


 …


 夕方――。

 遊びを終えて帰って来たケニーが庭を覗くと、イオルクは、ひたすらに縁側で紙やすりを掛けていた。遊びへ行く前にやっていた板切れの切り揃えは終わっているようだが、随分とゆっくり作業をしているように感じた。

 ケニーは帰宅の挨拶を掛けようと思ったが、板作りに没頭するイオルクに声を掛けるのはどこか悪いことのような気がして、そっと踵を返す。

 しかし、ちゃんと背中に声が掛けられた。

「おかえり」

「ただいま……。気付いてたんだ」

 イオルクはふーっと板の上に溜まったおが屑を吹き飛ばすと、穏やかな声で言う。

「気付いてたよ。誰も居ないから足音がよく聞こえるんだ」

「お父さんは集中してると音なんて聞こえないって言うよ」

「俺は集中してても聞こえるタイプなんだよ」

「いい加減なこと言ってない?」

 イオルクは嘘とも本当とも取れない顔でニコリと微笑んだ。

(この人の笑顔って子供みたい……)

 子供のケニーが、そう感じる笑顔だった。

 イオルクはやすり掛けをしていた板を置くと、ケニーを正面にして座り直す。

「まあ、俺のことはいいけど、トーマスさんの言っていたことっていうのは興味あるね」

「何のこと?」

「集中してると音なんて聞こえないって話」

「そのことか」

 ケニーは溜息交じりに答えた。

「鍛冶仕事をしているお父さんに声を掛けても聞こえてない時があるの。食事の用意ができた時とかに呼ぶでしょ?」

「ああ、呼ぶね」

「時々返事がなくて手が止まらない時があるの。『何で?』って聞いたら、集中してたからって言ってたわ」

「なるほど」

 イオルクは腕を組む。

(確かに言われてみれば、思い当たることもある。基礎練習の繰り返しの時は、同じ動作をすることに没頭することがある。だけど、模擬戦や戦場ではそういう風になることはないなぁ。周りが見えてないと、斬り掛かられても気づかないし)

 イオルクは首を捻る。

(騎士と鍛冶屋の違いかな? 何か、とても大事なことのような気がする)

 と、そんな考えも束の間。

 ケニーが身を乗り出すようにイオルクに話し掛けてきた。

「ねぇ、聞いていい?」

「いいよ」

 イオルクは腕組みを解き、ゆったりとした姿勢で両足に両手を乗せる。

「イオルクって騎士をクビになったの?」

「どうしたの? 突然?」

 ケニーは午後になってトーマスに注意されたことなど忘れてしまったのか、好奇心が勝ってしまったのか、止められていたイオルクのプライベートに関して質問をしてしまっていた。

「何となく気になったの。こんな小さな村の鍛冶屋に弟子入りするなんて、普通ないもん。しかも、イオルクは騎士だったんでしょ?」

「ああ、そういうことね」

 イオルクは直ぐに理解した。前職と今就こうとしている職に差がありすぎるので、前の職場で何かをやらかしたと思ったのだろう、と。

 イオルクはいつもの緩い顔で肯定する。

「そうだよ。クビになった」

「やっぱり……あ!」

「ん?」

 ケニーは聞いてしまったあとで、トーマスの注意を思い出した。

 困った顔をしたまま、上目遣いで訊ねる。

「……聞かれて嫌だった?」

「嫌じゃないけど……どうしたの?」

「お父さんが、あまり人の過去を聞くのは良くないって」

 ばつの悪そうな顔をしたケニーを見て、イオルクは軽く笑って見せた。

「気にしてないよ」

「本当?」

「ああ、本当」

 ケニーはほっと胸をなでおろした。

「あれ? でも、そうすると、何でお父さんは注意したんだろう?」

「普通の人はクビになると落ち込むからね。人に言われて落ち込んで、落ち込んだ原因を思い出して二度落ち込むんだよ」

「そっか……。でも、イオルクは落ち込んでるように見えないよ?」

「俺は、あまり気にならないからね。クビになった原因も知ってるし、それが悪いことじゃないこともね」

 ケニーの眉が寄り、難しい顔になる。

「よく分かんない」

「そうだろうな。俺がこの話をすると、皆、俺を馬鹿扱いするから」

「イオルクは馬鹿なの?」

「俺は、自分の意思で起こした行動に信念があるけどね。周りには価値観が違う人も居るみたい」

 イオルクの答えが具体性に欠けるため、ケニーの顔はより難しい顔になってしまった。

 その結果、ケニーから出たのが次の一言だった。

「イオルクは、やっぱり変な人ね」

 イオルクは声を出して笑った。

 イオルクが笑っていると、そこに仕事を終えたトーマスが姿を現わした。

「仲良く何を話しているんだい?」

「俺がクビになった話」

 トーマスは勢いよく吹くと慌ててケニーに駆け寄り、大きな声で訊ねる。

「ケニー、聞いちゃいけないって言ったのに聞いたのかい⁉」

「うん。でも、悪いことだって分かったよ」

(どうしよう……)

 申し訳なさそうにトーマスがイオルクを見ると、イオルクはさっきと変わらずに笑っている。

(謝罪は後にしよう。まず、ケニーに言い聞かせないと)

 トーマスがケニーの頭に右手を乗せる。

「いいかい? さっきも言ったけど、クビになったかなんて聞いちゃダメだ」

「聞かれた方はいい気がしないからだよね。イオルクが教えてくれた」

「……そうか。反省するんだぞ」

 ケニーはコックリと頷いたが、直ぐにトーマスに言い返す。

「でも、イオルクは気にしないんだって。イオルクって、やっぱり変よ」

 トーマスは苦笑いを浮かべると、『何と言っていいか』と複雑そうな表情でイオルクを見る。

 イオルクは可笑しそうに笑いながら答えた。

「もう少し大人にならないと分からない話だと思いますよ。俺の方から、それとなく注意を入れたんで、穏便に済ませてください」

 トーマスは申し訳ないと頭を下げると、話を変えるために咳ばらいを一つ入れた。

「ところで、イオルクの成果は?」

「七枚造って、三枚失敗で四枚成功」

 イオルクが縁側に成果の板を並べると、トーマスは一枚ずつ眺め、イオルクの造った七枚の板をまとめて手に取った。

 今度は、それを一枚ずつ確認しながら感想を述べる。

「成功したのは問題ないね。失敗したのは微妙にずれているのか」

「はい。真っ直ぐ切るのに失敗したり、鑢を掛け過ぎたり」

「切った時点で失敗したのにも、最後まで鑢掛けまでしたのかい?」

「練習だからね。失敗しても最後までやる。そして、原因を突き止める。武器の稽古と同じだね」

 そうイオルクが答えると、トーマスは嬉しそうに微笑む。

「イオルクは、いい弟子になりそうだ」

「そう? でも、作業が遅くて」

「初めはいいんだよ。間違った手順で数をこなしても仕方がないからね」

「それもそうだね」

 と、ここまで笑顔を絶やさなかったイオルクが、真剣みのある顔へと変わる。

「トーマスさん、少し聞いていいかな?」

「何でも聞いていいよ」

 イオルクは頭を右手で掻いたあと、肩眉を歪めて声を発する。

「今一、俺自身も分かってないんだけど、ケニーに言われたことが引っかかってるんです」

「ケニーに?」

 トーマスがケニーを見て訊ねる。

「何か、特別なことでも言ったのかい?」

 ケニーは小首を傾げ、直ぐに首を振る。

「思い当たらない。わたし、何か言ったっけ?」

 ケニーの視線がイオルクに向くと、イオルクは右手の人差し指を立てた。

「集中してると音なんて聞こえない……ってヤツだよ」

「ああ、そのこと」

 ケニーはトーマスに振り返る。

「イオルクはね、集中してもお父さんみたいにならないの。お父さんが言ってた『声を掛けても気づかなかった』とか『周りのことが目に入らなくなる』って言ってた、あれ」

「仕事に没頭している時のことかな?」

「たぶん、それ」

 トーマスは不思議そうにイオルクを見る。

「イオルクの場合、違うのかい?」

「はい」

 トーマスは板の束を縁側に置き、腕組みをする。

「ボクも興味があるな。どういう風に違うのか、詳しく話して貰えるかな?」

 イオルクは頷く。

「目の前の対象に集中していないわけではないんですけど、俺の場合、同時に周りに対しても集中力が高まるんです」

 トーマスは首を傾げる。

「何で、手元のこと以外に周りを気にするの?」

 イオルクはガシガシと頭を掻く。

「え~と……簡単に言うと、警戒してるんです」

「は? 何に?」

「外敵に」

 トーマスは言っていることが丸っきり分からず、難しい顔になる。

「一体、こんな山奥の村の何が外敵になるっていうんだい?」

「そこは分からないんですけど」

 トーマスがガクッと肩を落とした。

「あのねぇ……」

 イオルクは慌てて両手を振る。

「り、理由はあるんです!」

「本当に?」

「本当です!」

 イオルクは、もう一度頭に手を当ててから話し出した。

「俺、騎士だったんで、常日頃から周囲を警戒していないと命に関わっていたんです。敵の不意打ちだったり、野営している時は夜襲だったり……。だから、集中力が高まると目の前のことの方が大部分であっても、何割かは周囲の警戒に振り分けるのが当たり前になっているんです」

 トーマスが右手で顎を撫でる。

「それは職業柄だね……」

「そう思います。だけど、ケニーの話を聞く限り、トーマスさんの集中力の使い方と俺の集中力の使い方っていうのは別物のような気がするんです。それで、何が違うんだろうと思って質問しました」

「なるほど」

 トーマスは大きく息を吐き、イオルクを見た。

「たぶん……というか、ボクら職人とは集中力の使い方が全然違うね」

「やっぱり」

「イオルクの話をざっくりと理解したうえで例をあげるけど、イオルクが目の前の敵と戦っていることに七割、周囲の警戒に三割の割合で集中力を振り分けているとしたら、ボクら職人はやりたいことだけに十割で集中力を振り分けている」

「つまり、トーマスさんと比べると、俺は三割も集中力が欠けてるってことですか?」

「あくまで、例だけどね」

 イオルクは失敗した板を取り、それを見ながら話す。

「そのせいなのかな? 紙やすりで鑢掛けをするだけなのに失敗するなんて」

 紙やすりを掛け過ぎて僅かに凹んでしまった、板。この時、周囲に割いていた集中力を目の前の板へ向けていれば、失敗しなかったかもしれない。

 そう思うと、イオルクは自分が鍛冶屋になる上で致命的な欠陥を抱えているように感じた。

「トーマスさんの使っている集中の使い方を覚えないといけないけど、どういう風にすればいいんだろう?」

 悩み出したイオルクに、トーマスが話し掛ける。

「そんなに難しく考えないで、集中している対象を変えればいいんじゃないかな?」

「ん?」

 イオルクがトーマスへと顔を向けた。

「イオルクが騎士の集中力を発揮する時、一番大事なのは何だい?」

「そんなの、体を動かす自分に決まっているじゃないですか」

「うん、そうだね。それは、どうして?」

「どうしてって……体を動かさないと剣は振れないですから」

「うん。そして、成果が返るのは自分だよね?」

「はあ……」

 イオルクは分からないまま返事を返し、頭の中は疑問符でいっぱいになっていた。

「じゃあ、置き換えてみようか」

「?」

「職人として集中力を発揮する時、一番大事なのは何だい?」

「それも自分でしょう? 自分で体を動かすんですから」

 トーマスは首を振る。

「それじゃあ、正解の半分だ」

「半分?」

 トーマスは頷く。

「じゃあ、騎士が戦場での勝利を戦果――つまり成果とするなら、職人の成果っていうのは何だろう?」

「それは……あ!」

 ここでイオルクは気が付いた。

 経験を積み、技術が蓄積されるのは騎士も職人も変わりはない。だが、成果が決定的に違うのだ。

 騎士の成果は勝ち負けや功績などの戦果であり、残るとしたら歴史の一ページや記録になる。

 一方の職人の成果は物として残り、壊れない限り成果物として残り続けるのである。

「そうか……成果――成果物があるかないかだ」

「うん、それが正解だ。だから、こう言い換えられないかな? イオルクの経験してきた騎士……これは見えない敵が周りに居るが故、外に集中力を広げなければいけなかった。そして、これは成果を出すために大きな一括りとして考えないといけない。一方のボクら職人は目の前の物だけでいい。一括りにしなくていい。だから、集中するのは一点でいいんだ」

 イオルクは失敗した板を見ながら溢す。

「一点……作り出すものだけに集中すればいい。作り出したものが成果」

「だから、アドバイスを一つあげよう」

 イオルクがトーマスを見ると、トーマスは笑みを浮かべながら答えた。

「イオルク、作り出すものに拘りを持つんだ」

「拘り?」

「そうだ。完成形をイメージして、それに近づけるためにどうすればいいか、ひたすらに考えるんだ。そうすれば、職人の集中力は身に付けられるはずだ」

「職人の集中力……」

「拘りを持つと、色んなことが気になってくる。君は鑢掛けをしている時、板を離して遠くから見て確認したりしたかい? 力の入れ具合を変えて試してみたかい? 気になったことをそのままにしていなかったかい?」

「…………」

 言われてみれば、『鋸で切り揃える』『紙やすりを掛ける』という行為を漠然としていた気がする。剣を振っている時に比べ、頭の中での試行錯誤が少なかった気がする。

「……拘りか」

 失敗した板を見て、イオルクは完成形を思い浮かべる。

 理想は真っ直ぐに鋸で切り揃え、鑢掛けは粗を取り除くためだけの軽いものだけで終わらせることができるもの。もし、鑢掛けの分だけ予定より木を厚めに鋸で切るなら、鑢掛けの力加減も完成に近づけるほど、弱くしていく工夫が必要になる。

 完成に至る方法だけでも二通りも思い浮かんだ。

 今日の自分の仕事なりを思い返し、イオルクは答える。

「トーマスさん、俺は拘りがないままに仕事をしていたと思う。言われたことを繰り返せば、身に付いていくものだと思っていた。だけど、作るものに拘りがなければ、作りたいものなんてできっこない」

「職人は、そこに魂を込めるんだと思うよ」

「あ。それ、武器屋なんかでよく聞いた」

 トーマスは笑みを浮かべながら頷いた。

「そういうことだ。拘りを持ち続ければ、職人としての集中力は必ず身につけられる。さあ、今日はお終いだ」

 そうトーマスに言われ、イオルクは大きく息を吐き出すと伸びをした。

「板に鑢掛けをしただけなのに疲れた」

 トーマスは庭の一角を指差しながらタオルをイオルクに渡す。

「井戸で顔を洗うといい」

「ありがとうございます」

 イオルクがタオルを持って井戸へと歩いていくと、ケニーはトーマスの居る縁側から家にあがってトーマスに振り返る。

「わたしはお父さんしか見ていないから気にならなかったけど、ぜんぜん違うお仕事をしている人がお父さんと同じことをしようとすると、こんなにも見方や考えが変わるのね」

「本当だね。イオルクの身体には前の職業の習性がしっかりと染み込んでいるようだ」

「うん、わたしもそう思った。じゃあ、直ぐに夕飯作るね」

 ケニーが家の奥へと姿を消すと、残されたトーマスは、イオルクが造った板をじっくり確認する。

「ああは言ったけど、丁寧な仕事だ。失敗した板も進んで鑢掛けもしていたし、仕事に対して意欲的だ」

 トーマスは右手を頭に当てる。

「あの性格からは想像できないな。こんなに真面目に作業をするなんて。朝に訪ねて来た時に初めて見たのはケニーの足の下だったし、言葉遣いが何処か変で、時々、丁寧な言葉遣いが見え隠れする。彼は一体、どういうことをしてきた人なんだろう? 今度、聞いてみようかな?」

 と、そこでトーマスは自嘲めいた照れ笑いを浮かべて、添えていた頭にある右手で頭を掻いた。

「……ダメだな。これじゃ、ケニーのことを言えない」

 トーマスは板を縁側の隅に成功したものと失敗したもので分けて置き、家の奥へと娘を手伝いに姿を消した。

 ちなみにトーマスが気になった言葉遣いに関しては『最初は敬語→見習いで平民の言葉遣い→城で矯正→現在、入り乱れて使い分けが変になっている』という訳の分からない状態が、後日、判明するのであった。


 …


 一方、庭の井戸まで来たイオルクは、井戸を眺めていた。

 庭の片隅にある井戸には小さな屋根がついており、代々使われていたであろう井戸の屋根はところどころ剥げ、模様のように見える苔は年季が見て取れた。

「余裕があれば、これも造りかえたいところだね」

 柱の滑車に繋がる紐付きの桶を井戸に落とし、滑車を引いて井戸から桶を引き上げる。

 イオルクは汲み上げた水で顔を洗い、タオルを桶の中で水に浸し、上着を脱ぐと体を拭く。

「夕方までみっちりだったな……。作業効率が上がれば、騎士の方の基礎修業をする時間を確保できるのかな?」

 ひとしきり考えてみるが、時間を半々に分けて使うのは出来なさそうだった。

「夜に父さんの本を見ながら武器の稽古をして、寝る前にジェム兄さんの本とイチさんの本を読んでたら寝る時間がなくなっちゃうよ」

 イオルクは大きく息を吐くと、もう一度、タオルを桶の水に浸してからきつく絞り、顔と上半身の水けを拭った。

「どう考えても時間が足りない。ジェム兄さん、イチさん、ごめん……読むページ減らすわ」

 イオルクは合掌してから桶の水を捨て、上着を着直すと鍛冶屋父子の家に向かった。


 …


 縁側でブーツを脱いでから家の中に入ると、奥に進むにつれていい匂いがしてきた。

 台所に入り、トーマスとケニーの背中に話し掛ける。

「水被って、スッキリしました」

 トーマスが振り返ってイオルクに言う。

「先に座ってて」

「はい」

 イオルクは台所のテーブルに一人で席に着き、トーマスとケニーの後ろ姿に目を向ける。すると、お世話になっている自分が、先に席に着くのはどうかと思えてきた。

「えっと、俺も何か手伝おうか?」

「邪魔になるからいい!」

 小さな台所は調理場も狭く、小さな窯が一つあるだけ。体の大きなイオルクが並んで立てば、それだけで何もできそうにない。

(静かにしていよう)

 イオルクは大人しく夕飯の支度を待ちながら、黙って父子の後ろ姿を見続ける。

 その楽しそうに料理をする姿が、ふいに自分のことを思い出させた。

(何か懐かしい……)

 ついこの前までやっていた、父・ランバートとの手合わせがイオルクの中に蘇る。

 一緒に料理をするような和やかなものをしたことはないが、手合わせは子供の頃からしていた。

(あれは楽しかったな。小さい頃は褒められるのが嬉しくて。でっかくなったら、本気で相手してくれるのが嬉しかった。俺の家は騎士の家系だから、手合わせの思い出ばっかりだ。トーマスさん達――普通の家の人達は、こういう思い出を作っていくんだな)

 自分以外の父子のやり取りを見て、イオルクは幸せな気分になっていた。

(俺、老けたのかな?)

 そう思いながらイオルクが苦笑いを浮かべていると、料理が運ばれてきた。

 すると、ケニーがスープの入った鍋をテーブルに置いて、イオルクに一言いい放った。

「イオルク……気持ち悪い」

「俺の笑顔になんてことを言うんだ……」

「イオルクって渋い苦笑いを浮かべるより、子供みたいな笑顔の方がいいよ」

「子供に言われるとは……」

 トーマスが残りの料理を運びながら付け加える。

「ボクも屈託のない笑顔がいいね」

「この親子は……まったく」

 ここに来てから、何かとやられることが多い。しかし、イオルクは不満を口にしたが、懐かしさも感じていた。

 気の許しあえた仲間同士の他愛のない話。それを心の何処かで、またしたかったと思っていたからだった。


 …


 食事の準備が終わり、全員が席に着くと、初日とは思えない打ち解け方で食事は始まった。

「「「いただきます」」」

 食事のメニューは、パンとケニーの特性スープと付け合わせのサラダ。騎士の家で出ていたボリュームに比べると量はかなり少ない。

 これが普通の人の一食分だと理解し、早速、イオルクはスープを啜る。

「美味い……。う~ま~い~ぞ~~っ‼」

 イオルクは両腕を上げて叫んだ。

 そんなイオルクを見て、ケニーは笑いながらスープを啜る。

「大げさね」

「いや、本当に美味しいよ。俺、城で王様とも会食したことあるから嘘じゃない」

 イオルクの会話の中に『王様』という言葉が出て来た瞬間、トーマスは驚いて口にしていたスープが変なところに入って咳き込んだ。

「ゴホ……! ゴホ……! 王様って……イオルクは、ただの騎士じゃなかったのか⁉」

「あれ? 俺のこと、言いませんでしたっけ?」

「聞いてないよ」

 ケニーが手をあげる。

「わたしが聞いたよ」

「そうだ。ケニーに話したんだ」

 トーマスは話の流れからして、今朝の自分が関わる前のことだろうと思う。

 しかし、あの時、自分の娘はイオルクを踏みつけている状態で、イオルクとケニーが何の会話をしていたというのだろうか? それも一国の王と、どう関わるのか?

 予想がつかないトーマスは、娘のケニーに訊ねる。

「何の話をしてたんだい?」

 ケニーは食事を止め、スープを啜っていた木製のサジを口元に当てて思い出しながら答える。

「う~ん、とね。イオルクは、ノース・ドラゴンヘッドのお姫様の親衛隊だったんだって」

「え……? 何だって⁉」

 トーマスは立ち上がり、大きな声でイオルクに訊ねる。

「イオルク! 君、クビになったって言ってたよね⁉ 一体、何をしたんだ⁉」

 そう問われたイオルクは右手を頭に当て、いつもの緩い笑みを浮かべながら答えた。

「暗殺者をやっつける時に、王様を踏み台にしたらクビになっちゃった。あはは」

「…………」

 トーマスは呆れて口が閉まらなくなり、ケニーは、ただ首を傾げている。

 イオルクは笑っているが、トーマスの反応が正常なのだ。普通の人からすれば、一国の姫の親衛隊は選ばれた者にしかなれないという印象があり、階級のある騎士の中でも特別な役職という認識だ。トーマスがイオルクを部隊に組み込まれた数多い騎士の中の一人と誤解させたのは、やはり会った時に皮の鎧を着用していたからだろう。

 そういう認識もあり、ただでさえ、特別な騎士だと知られた直後に『王様を足蹴にした』と言われれば、トーマスでなくても普通の大人は驚くのである。

 やや混乱気味のトーマスの隣でケニーは父の顔をしばらく見ていたが、何か言おうとしては考えがまとまらずに口を閉じてしまうトーマスを見て、小さく息を吐いた。

 ケニーは、イオルクに顔を向けて話の中で分からなかった言葉を訊ねた。

「ねぇ、さっきの話に出ていた『あんさつしゃ』って、何?」

 イオルクがトーマスからケニーへと顔の向きを変えて答える。

「お姫様を殺そうとした悪い人のことだよ」

「それをやっつけたの?」

「倒すまではいかなかったけど、暗殺は阻止したよ」

「凄いじゃない」

 イオルクは笑って見せたが、脳裏では、あの日の出来事を思い出してゾッとするイメージも流れていた。今でこそ笑っていられるが、もし、あの未知なる武器の切れ味が自分を含めて周囲の人に猛威を振るっていたら、どれだけの犠牲者が出ていたことか……と。

 イオルクは怖がらせる必要はないと、自分が感じた脅威や恐怖に関しては口を噤むことにした。

 その気配りのせいか、ケニーはおとぎ話の物語の続きを聞くようにイオルクに質問を続ける。

「でも、何で、いいことしてクビになっちゃったの?」

「暗殺を止めたといっても、塔に潜んでいた暗殺者に向かう途中で、王様を踏み台にして足蹴にしたからね」

 イオルクは右手で自分を表し、左手で塔を表しながら王様を踏んで塔に辿り着いた様子をケニーに見せた。

「でも、王様ってお姫様のお父さんなんでしょ?」

「そうだよ」

「だったら、子供を助けるために踏み台にして足蹴にしたなら、王様だって怒らないんじゃないの?」

 イオルクは頷いた。

「うん、王様は怒らなかったし、お礼の言葉を貰ったよ。俺をクビにしたのは議会の人達と、俺」

「イオルクも?」

 ケニーの顔に疑問符が浮かぶと、イオルクは『しまった』と思った。

(これは王様達や一部の人しか知らないことで、全部話すと説明が面倒臭くなる話だった)

 イオルクは両手を目の前で振り、ノース・ドラゴンヘッドの人達に伝えた真実ではない話をすることにした。

「間違い! 議会の人達だけだった!」

「何か、妙な間違い方ね?」

「よ、よくあることだよ!」

 繕ったイオルクの誤魔化し笑いは、かなりギクシャクしていた。

 しかし、普段の緩い顔に張り付いている笑みに違いがあると分かっても、それがどのように違うのかまでは分かり難い笑みだった。

(イオルクになら、よくあることかも?)

 何より、たった一日という短い付き合いでも、イオルクが変わり者であるという認識が刷り込まれたケニーには、ただの言い間違い程度に思えた。

 だからこそ、ケニーはイオルクのしたこと、王様がお礼を言ったこと、議会の人間が取った行動を素直に感じたまま口にした。

「何か変だね。みんな、家族が居るんだから何が一番大事かなんて分かると思うのに」

 地位、権力、階級、身分……見えない格差は、そこら中に溢れている。それが必要なのも分かっている。国をまとめる王がいなければ国は成り立たないし、その王を誰も尊敬しなければ秩序は保たれない。力を持つ人間には、それ相応の役割と責任が生じる。

(王様が国を纏めてくれている偉い人だというのは理解できても、俺には、あの場面で命を優先できない貴族の考えというのは理解できなかったな)

 イオルクは頷きながら答えた。

「俺も、ケニーと同じ考えだよ」

 イオルクとケニーの会話が止まってから少し間が空き、トーマスが我に返った。

 トーマスは椅子から立ち上がると、イオルクに詰め寄るように顔を近づける。

「ボクには想像つかないんだけど、何で、王様を足蹴にしたんだ⁉ そんなことしなくても良かったんじゃないか⁉」

 イオルクは勢いに押されるように椅子の奥まで腰を押し付け、遮るように両手をトーマスの前に広げる。

 子供との話は簡単に終わったが、大人との話はそうはいかないらしい。

「いや、ほら、えっと……さっき説明した通り、塔に暗殺者が居たので仕方なく」

「それにしたって、塔の階段から上るなり弓矢で狙撃するなり、やり方はあるだろう⁉」

 イオルクは何度目かの誤魔化し笑いを浮かべる。

「あははは……弓を使うのはありか。咄嗟のことで思い付きもしなかったな~」

「……あのねぇ」

 項垂れたトーマスに対し、イオルクは笑みを浮かべながら答える。

「まあ、時間を掛ければ王様を足蹴にしない方法も思いついたかもしれないけど、手持ちの武器はロングダガーだけだったから。それに守るお姫様はとても努力家で、王様を踏みつけにして罰を受けてでも、命を懸けてでも守りたくなるようないい子なんですよ。だから、危ないと思った時には体が動いていたんです」

 トーマスは近づけていた顔をゆっくりと離し、イオルクに訊ねる。

「それで自分のことは後回しにして、お姫様を助けたっていうのか? 君……よくおかしいって言われないか?」

「言われますね。出会った人間全員に」

(そうか。そういう男なのか……)

 トーマスには妙な納得感があった。貴族のはずのイオルクと妙に話が合い、貴族の考えなど平民には分からないと思っていたはずが、どこか受け入れられる。

(イオルクは貴族としては異端なんだ。まるで平民の感覚のままの騎士がお姫様を守っていたような感覚がある。守る対象の好き嫌いで王様を足蹴にするなんて、貴族なら絶対にあり得ない。……何で、ノース・ドラゴンヘッドのお姫様はイオルクを側に置いたんだろう?)

 そこにはトーマスの考えの及ばない事情と事実が隠されているが、その謎が解けることは一生ないだろう。

 一方のケニーは、うんうんと頷いている。

「イオルク、偉い!」

 そう言い切ったケニーを見て、トーマスは椅子に腰を下ろして同意する。

「そうだね……。ボクも偉いと思うよ。権力に負けずに行動を起こせるというのは」

「権力は関係ないよ。俺、トーマスさんやケニーが危ない目にあったら、相手が誰でも遠慮なくボコりますから」

(コイツ、危ない奴なんじゃないのか?)

 トーマスは、今更ながら不安に思う。少しは分かってきたと思ったが、まだまだ見えていないところがイオルクにはあるように感じた。はっきり言って、掴みどころがない。

 イオルクは止めていた食事を再開し、一口スープを啜る。

「まあ、俺のことはいいじゃないですか。俺は、俺のしたことなんかよりも、ケニーのスープの味付けの方が凄いと思いますよ」

「本当?」

 イオルクは頷きながら指で丸を作る。

「ケニーの味付け、俺好み♪」

 ケニーは嬉しそうに笑みを浮かべ、トーマスにも笑みを向けた。

「うん、ボクもケニーの料理が毎日を食べられて幸せだと思う」

 ケニーは頬を染めながらも、嬉しそうにスープに使ったスパイスや野菜を刻むコツなどを話し始めた。


 その後も食事は、皆が本当に楽しい時間に感じた。

 特にケニーの会話は、いつもより明らかに多かった。普段、大人と子供で話の合わないこともあるトーマスと違い、イオルクはケニーとの話が合うからだ。話しているケニーもそうだが、娘の笑顔を見れるトーマスも楽しかった。

 だが、トーマスは妙な感じがした。鬼ごっこ、かくれんぼ、缶蹴り、etc……と、ケニーからあがる話題全てにイオルクは対応している。お堅いイメージの騎士団。その親衛隊に居たイオルクは気高い騎士のはずなのに、そのイオルクが自分の幼い娘と一緒に遊びの話をしている。それも楽しそうに遊びのコツや体験談を交えて……。

 さっき、ある程度は異端の騎士であることを理解したが、これはまた別の疑問な気がする。

 トーマスは額を押さえる。

「イオルク……何で騎士だった君が、そんなにケニーと話が合うんだい?」

 イオルクは自分を指差しながら答える。

「俺、親衛隊より見習いの期間の方が長いんです。見習いの連中は若い奴らも多いんで」

「答えになってない……」

 思い出し笑いをしながらイオルクは付け加える。

「見習いは自由な時間も多くて、その時に時間つぶしに遊ぶことがあるんです」

「ああ、それで若い奴らも多いにつながるんだね。年齢が近くて、一緒に遊んだっていう風に」

「はい。凄いですよ。卓越した騎士達の真剣な鬼ごっこや缶蹴りは。あれは、もう遊びじゃなくて戦争ですね」

「何で騎士が子供の遊びをしているんだ……」

「俺が体力訓練と称して提案しました」

 トーマスがガクッと右肩を落とした。

 提案したのは、正確にはイオルクとクロトルという親友であるが、そこは省いている。

「ボクは、君という人間がますます分からなくなってきたよ……」

 両肩を落としたトーマスの反応にイオルクは笑い、一人早く食事を終えて立ち上がる。

「ごちそうさま。後片付けは、どうすればいいですか?」

 その問い掛けには、ケニーが答えた。

「わたしが洗うから、台所に下げといて」

「何か悪いな。やっかいになってるのに食事は作って貰って、食器まで洗って貰うなんて。手伝おうか?」

 ケニーは首を振る。

「いいの。それがわたしの仕事だから。お父さんは鍛冶屋のお仕事をして、わたしは家の家事をするの」

 イオルクはチョコチョコと右手の人差し指で頬を掻く。

「新参者の俺は、どうしたらいい?」

「早く仕事を覚えて、お父さんのお手伝いを出来るようになること」

「ケニーは、しっかり者だな」

 イオルクは純粋に驚き、ケニーは『えっへん!』と胸を張った。

「じゃあ、食器だけ片付けるね」

 食べ終わった食器を台所に片すと、イオルクは『ごちそうさま』ともう一度言い、割り当てて貰った部屋へと姿を消した。

 残されたケニーが可笑しそうに笑いながらトーマスに言う。

「イオルクって、面白いね」

「ボクは複雑な気分だ」

「わたしは、弟が出来たみたいだな」

(弟か……。あんなに大きいのに……)

 トーマスとケニーは食事を終えるのに、もう少し時間を掛けた。


 …


 割り当てられた自分の部屋へとイオルクは入る。

 昼間はじっくり見なかったが、部屋は小ざっぱりとしながらも女性ものの鏡台や衣装棚が残っていた。

 イオルクは右手で頭を掻きながら亡くなったトーマスの奥さんの部屋であることを思い出し、なるべく置いてあるものには手を触れないようにしようと思った。幸い自分の持ち物は大きいリュックサック一つに納まっている。ここから物を出し入れすれば、部屋を不用意に触らずに済む。

 イオルクはベッドの脇に置いてあるリュックサックからランバートに貰った本を取り出し、月明かりの入る窓際でしおりの挟まるページを開いて確認する。

「今日は……大剣か」

 さすがにこのままでは見難いと辺りを見回し、鏡台に乗っている小さなランプを見つける。

「マッチは……」

 マッチ箱はランプのすぐ横に置いてあった。

 ランプを手に取って軽く揺すると中の油が揺れる感触が手に伝わる。

「油は残ってる、と」

 ランプのカバーを右に回すとカバーは簡単に外れ、芯が露になった。カバーとランプの本体を鏡台に置き、マッチを擦り、ランプの芯にマッチの火を近づけると、チロチロと頼りげなく火が灯った。

「芯の油が乾いてたかな?」

 暫く様子を見ているとランプの頼りげなかった火は徐々に大きくなり、柔らかな火が灯ったところで安定した。

「よしっと」

 イオルクはランプのカバーを付けて左に回して締め直し、ランプを持って再びリュックサックの側に戻ると、リュックサックの中から長めの紐を取り出した。

 そして、立て掛けてあった鞘に納めたままの自分の剣の柄と鞘を紐でグルグルと固定し、剣と鞘がぶれないかを確認するために一振りする。

「大剣としては少し重さと長さが足りないけど、これで代用の準備はいいな」

 ランプを左手に持ち、鞘付きの剣を右手に持ち、右脇にはブラドナーの武器の扱いが載っている本を挟み、イオルクは部屋を出て廊下を通ると縁側へ出た。

「縁側にブーツを置きっぱなしで、玄関に下げるのを忘れてたな」

 縁側にランプと本を置き、右手で剣を肩に担ぐように置きながら呟く。

「もう一足、靴を買わないとダメかな? たぶん、庭もよく使うようになるよね」

 この村に靴は売っているだろうか、と少しばかり頭を悩ませる。

「う~ん……」

 やがて頭の片隅には、靴は自作するのかもしれないと思い浮かぶ。

「その時はその時だな。後でトーマスさんに聞いてみよう」

 肩に担いでいた剣の柄と鞘の先端にそれぞれ手を置き、イオルクは体を延ばすように伸びをする。

 その後、軽く屈伸や体を捻り、体に違和感がないことを確認すると、剣を両手持ちで構えた。

「さて、共通の動きから確認していくか」

 基礎の修練が始まる。剣を縦に振り下ろして自分の振り切った状態を確認し、右に薙ぎ払い、左に薙ぎ払い、一振りごとに自分の状態を確認する。

 そして、時々、本を見て確認しては、剣を振ることを繰り返す。

「よし。鈍ってないな」

 続いて斜めからの振り下ろしに移行する。同じ様に状態を確認したあと、斬り上げに移行する。

 大きく息を吐き、今の自分自身の動きと体に返る反動を頭の中で反芻する。

「イメージにズレなし。体に返る手応えも変わらない。ここからは――」

 同じ動作の繰り返しを順番に行う。長い時間を掛けれない分、短時間で負荷を集中させて筋力の衰えを防ぐ。

 鞘付きの剣のため、風切り音が大きい。音が大きいということは空気抵抗も大きいということでもある。

「この剣速を維持すれば、大剣を振り回してるのと同じぐらいか? といことは、この音が低くなった時が、基礎が疎かになった時というわけだな」

 基礎訓練の線引きをすると、イオルクは三十回で次の動作へ移行するように鞘付きの剣を振り続けた。

 ローテンションを何周繰り返したのか。振る回数と順番に次の動作へ移行することだけが頭の中で埋め尽くされ始めた頃、体のあちこちで疲れを感じ始め、筋肉が強張り始めた。

(ここからだ! 疲れてきた時にこそ、今の自分の状態の悪いところが見えてくる!)

 振り下ろし、右払い、左払い、斜め右の振り下ろし、斜め左の振り下ろし、逆手順の斬り上げ……。

 これ以上は腕が上がらないと判断したところで、イオルクは鞘付きの剣を杖のように地面に突き立てた。

「……ハア……ハア……斬り上げ……しんどい……ここを使う筋肉が……弱ってるのか……」

 小さく細かく息を吐いて呼吸を整え、痺れに似た疲労が抜け切る前にイオルクは動き出した。

「理由は分からんが、この状態で剣を振る方が筋力が上がるんだよな!」

 騎士の家で育ったイオルクには体を強化する経験が備わっている。無茶や無理を繰り返せば、体は壊れてしまうが、疲労の一歩先にある限界と思う先には、まだ先があるのを知っている。

 普通の人間なら止まるところ。その我慢の先を超えた時、体はより強力な体に作り変える。それが辛いことと分かっていても、体が応えてくれる見返りを知っていれば、強くなることを目的とする人間は体と共に負荷を共有する。

 イオルクは斬り上げの動作を重点的に続け、基礎のイメージと自分の動作を意識して振り続ける。途中、僅かに挟んだ休憩時間で本を確認しては自分の基礎が間違っていないかをイメージと比較し、修練は納得いくまで続けられた。

 それから一時間ほどして修練は終わりを迎える。

 縁側で腰を下ろして空を仰ぎ、イオルクは荒い息のまま呟いた

「……こ、これだけ偏って振れば……明日は筋肉痛になっているだろうな……」

 呼吸を整えつつ、大きな深呼吸を何回か入れて、イオルクの荒い息遣いはようやく落ち着き出した。

「……というか、城に居た時よりも、確実に修練期間が短くなってる。模擬戦もできないし、ここで出来るのは基礎の繰り返しだけだ」

 イオルクは大きく息を吐くと立ち上がり、ストレッチをしながら現在の状態を分析する。

「砂漠越えを優先して修練の時間を減らしてたから筋力はかなり落ちてると思ったけど、今、確認した感じだと、筋力はそんなに落ちないみたいだ。重りと定期的に動かすのが効いてるのかな?」

 両腰に手を当て、首を傾けるとゴキンと骨が鳴った。

「……問題はスタミナだな。こればっかりは走り回らないと心肺機能が落ちるよな。材木だけ造ってたら極端に低下するよな」

 イオルクは腕を組み、どうすれば、スタミナを落とさないで鍛冶修行できるかと、悩む。

 そして、出した結論は……。

「無理だな。なるべく落とさないように心がけるしかない。ケニーに頼んで、俺も明日から遊びに混ぜて貰うか。心配機能は走り回るのが基本だ」

 ガシガシと頭を掻くとブーツを脱いで縁側に上がり、左手にランプを持ち、鞘付きの剣と本は右手で乱雑に抱えた。

 イオルクは頭の中でスケジュールを立てながら台所へと歩き出す。

 トーマスとの修行をケニーとの遊びに少し振り分け、夜は自主訓練と読書。スタミナの低下はケニーとの遊びで緩やかに落ちるように気をつけ、鍛冶修行後に旅を続けて元に戻すことにした。

「これぐらいしか思いつかん。……ケニーからの了承は貰えるかな?」

 考えながら歩いていると台所へと辿り着いた。

 イオルクがトーマスとケニーに明日からの自分のスケジュールを伝えると、トーマスもケニーも快く了承してくれた。

 付け加えるなら、ケニーはイオルクを弟分とすることで了承したので上機嫌だった。

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