当初の予定通り、イオルクの大工修業はトーマスの家の修繕を兼ねて行われる。
とはいえ、いきなり初心者同然のイオルクをトーマスと同じ大工として扱えるわけはない。
そこで、トーマスは段階を踏むことにした。
この段階分けは失敗することを前提に考えられており、大まかに分けると次の通りだ。
まず家を修繕するうえで一番大きな材木造りから始め、失敗したものは、その材木から一回り小さい材木を造り直す。そして、更に失敗したら、その一回り小さなものを……と、成功するまで失敗を繰り返し、造り直せなくなったものは、火炉を燃やす燃料として使用する。
材木分けを家のパーツに割り当てると、柱造り(梁なども含める)→家具造り(扉、箪笥、ベッド、机、椅子など)→日用品造り(箱、料理道具、筆記用具、髪留めなど)の順に家を修繕していくことを予定している。
また、トーマスは、イオルクが習得する技術についても考えていた。
一番大きな家の柱造りでは、木材を切るために印を付けるさしがねと鉛筆の使い方、墨で印をつける墨壷と筆の使い方の習得を始めに覚えさせる(印をつける方法を二種類用意したのは材料によっては、印が目立たないことがあることを想定しての使い分けのため)。この材木造りでは材木の大きさを揃える鋸の使い方、木目を平らにする鉋の使い方、木材に穴をあけたり溝を掘ったりするのに用いる鑿の使い方を学ばせる。
そして、家具造り以降からは教え方を一段階丁寧にする予定だ。
鍛冶屋に必要な加工技術は家具造りから本格的に利用できるものが多くなる。小刀やナイフでの成形、装飾。鑿、彫刻刀での彫り、鑢掛けなどを徹底し、鍛冶仕事にも活かさせるのだ。
ちなみにトーマスは、これらが大工修行で完全にイオルクに身につくとは思っていない。それはイオルクが素人だからというわけではなく、極めるということに終わりがないからである。トーマスの下で習得できるのは、本当に基礎の基礎でしかないのだ。
創意工夫して熟練した鍛冶職人になるには村で作れる程度のものだけでは足りない。この村では手に入らない加工技術や材料が、世界には満ち溢れている。
イオルクが鍛冶屋として大成するとしたら、この村を離れた遠い未来になることを理解して、トーマスは基礎の習得を考えていた。
…
トーマスの家の庭先――。
その基礎技術を習得するイオルクは大工仕事を覚えるため、庭先を仕事場にして精を出していた。
庭の左側には柱の材木を造るために自作した作業台が置かれ、縁側には家を建てる設計図が広がる。設計図の隣りにはさしがね、鉛筆、墨壺、筆が並び、大工道具も専用の箱に納まっていた。これらは整理整頓されてピシッと置かれていた。
少し神経質に物が並べられている感じがするが、これには理由があった。庭先を借りているとはいえ、そこは業者の専用施設でもなければ広場でもない。あくまで個人の庭だからである。
トーマスの家の庭が資材置き場も兼ねているとはいえ、大商人が取引するような立地面積を有しているわけではない。村の一般の家よりも庭が二回り広い程度だ。庭の真ん中に無造作に作業台を置いて柱を作ろうものなら資材置き場から材木をを運ぶ動線が消えて、使い難い作業場に変貌してしまう。
そのため、整理整頓と物の配置は最初から注意すべきポイントにあがっていた。
イオルクは頭に手を当てながら思い返す。
「実家に居た時は、随分と好き勝手やってたんだな」
実家のブラドナー家は模擬戦ができるほどの広い庭があり、武器庫まで完備されている。玄関から大通りに出るまでにはジェムの菜園まであった。
「生まれる前からあった武器庫も、いつも整理されてたっけ」
自分がいかに恵まれた環境にいたかが、よく分かる。
しかし、そこに戻りたいとは言えない。貴族ではない、ただの人としての自由を求めたのはイオルク自身だ。出来ることは自分でやるというのも憧れた自由に含まれる。
「この経験も、いつか自分の仕事場を手にした時に役立つ。効率のいい仕事は整理整頓された無駄のない仕事場からだ」
そう呟き、鉛筆で印をつけた材木を自作した作業台の真ん中に置き直し、材木と台を切らないように調整する。
「よし」
イオルクは縁側の大工道具を入れた箱から鋸を取り出し、材木に記された線に鋸を当てて鋸を引き始める。
たった一人で試行錯誤できる、小さいながらも自由な環境。
イオルクは気づかなかったが、この環境は凄く恵まれたものだった。初心者のイオルクがいきなり本番の作業を経験できるなど、本来はあり得ないことなのだ。もし、村ではなく賃金が絡む町の大工に弟子入りをしていれば、親方からいきなり大工仕事をするような指示は出ない。厳しい修行を終えて、ある程度使い物になってからしか仕事は割り当てられない。そればかりか、兄弟子や同じ立場の仲間と仕事の取り合をする可能性もある。
つまり、村に専任の大工がいないというデメリットが、逆にイオルクに機会を与えてくれたのである。
鋸を引きながら、イオルクは昨日のアドバイスを呟く。
「拘りを持って、線の上を真っすぐに」
初日と違い、リズムも一定で手に返る感触にも同じ手応えが返ってくる。今切っている、家の柱になる材木をトーマスのアドバイス通りに完成形を意識して拘りを以て鋸を引く。
(いい感じだ。昨日よりも集中できているのが分かる)
台の上を少しずつ滑らすように材木が移動していく。やがて縦に割ったように材木は二つに分かれた。
イオルクは鋸を作業台の上に置いて、切った材木の上から下に目を這わせる。
「いいね。線の上を真っすぐだ。……でも」
切った断面を手で撫でると、凸凹しているのが分かる。
切った材木を裏返し、イオルクは大きく溜息を吐いた。
「裏が真っすぐな線じゃなくて歪んでる……」
表の線は確かに真っすぐに切れていた。しかし、裏にひっくり返して見ればところどころで線をはみ出しているのが分かる。
「板みたいに厚みのないものは歪まないけど、柱みたいに厚いものは、まだ上手く切れないんだ」
イオルクは腕を組む。
「剣だったら一刀両断で真っすぐなのに、道具が違うだけで、こんなにも扱いに差があるのか」
よく考えれば、剣は厚く壊れない頑丈なもの。それに対し鋸は薄く力任せに切るものではない。何度も引きながら切り進め、僅かな力加減が引いた細かい刃に僅かずつ影響を及ぼす。剣のように一回で正確無比に振りきるものではなく、鋸は一回引くだけで何回も刃を当てているのだ。
イオルクは顎に右手を当てる。
「つまりだ……引いてるうちにどこかでブレてるってことだ。となると、鋸を引いてるうちに腕が右か左に傾いているってことだよな。……これって、俺の武器を使う癖が影響しているのか?」
頭の中では、更なる思考が始まる。
(武器の持ち替えと同じだ。近距離、中距離、遠距離用の武器を持ち替えて使うように、大工道具も持ち替えたときに使い方を切り替えないといけない)
イオルクは作業台の上に置いた鋸を右手に取り、目の前まで持ってきて眺める。
(こいつは今まで使ってきた武器にない使い方だから武器の使い方の流用が利かない。ゆっくり武器を敵に当てて戦うなんてしないからな。……溝を掘る鑿なんかは、武器の使い方を流用できそうなんだが)
左手で頭を掻きながら新しい技術の習得を改めて思う。
「やっぱり、職人の集中力の習得が必要だ。これを早めに習得しないと大工技術を覚える時間に差が出る」
縁側に戻り、イオルクは大工道具を入れた箱に鋸を戻す。
代わりに鉋を取り出して、右手に取った。
「柱の凸凹は鑢で調整もできるだろうけど、失敗は失敗。ここまでだ。……それに一通り大工道具の使い方を体験しておきたいからな」
イオルクは失敗していない面を上に材木を転がし、鉋をあてがう。
「まずは、このままの刃の長さで鉋を使ってみるか」
イオルクは鉋を引き始めた。
初日の板づくりと同じ。失敗しても、最後まで続ける。
試行錯誤の柱造りは、休みなしで午前中いっぱい続けられた。
…
小さな足音が縁側へ向かう廊下に響き、足音が止まると同時に声が響く。
「イオルク! お昼だよ!」
その声が耳に届く前に、イオルクは額に手を置いていた。
「また呼ばれる前に気づいちゃったよ」
その零れた声を聞いたケニーが庭にいるイオルクの背中に話し掛ける。
「昨日言ってた、集中力のこと気にしてんの?」
イオルクは頷いた。
「今、一番大事なことだと思ってる」
「ふ~ん……そんなことより!」
(そんなことって……まあ、ケニーにしてみれば、そんなことか)
イオルクが腰に右手を置きながらケニーに振り返ると、元気な声が降ってくる。
「今日、お昼が終わったら遊ぶのに付き合ってくれるんだよね!」
「ああ、もちろん。騎士としての体力を落としたくないから、しっかり頼むよ」
その答えを聞き、ケニーはニッと笑って見せる。
「じゃあ、早くご飯食べよう!」
「そんなに慌てなくてもいいんじゃないか?」
「日が暮れる時間が決まっているんだから、早く行った方が長く遊べるでしょ!」
「ああ、なるほど」
(こういう考えは、子供の頃の俺にもあった)
イオルクはケニーのいる縁側に戻ると簡単に大工道具を片付け、縁側に上がった。
「じゃあ、行こうか」
「うん! 急いで!」
ケニーに手を引かれ、イオルクは駆け足で台所へと向かった。
…
村の広場――。
昼食が終わり、その日は午後にケニーが村の子供たちにイオルクを紹介した。
村の子供達は全部で七人。女の子が四人で男の子が三人。年齢はバラバラに見える。
「今日から遊びに加えてもらうから、よろしく」
紹介されたイオルクは十六歳で一番年上になり、大人に比べれば年齢は遥かに子供達に近い。
しかし……だ。騎士の家系に生まれたイオルクの体躯はこの村の大人の誰よりも大きく、子供達には僅かばかりの恐怖を与えた。
子供達の中で一番大きい男の子が、そっとケニーに声を掛ける。
「お、おい、ケニー……」
「なに?」
「こんなでかい奴が、本当に遊びに加わるのか? 大人じゃないの?」
「まあ、うちのお父さんより力持ちだし、背も高いけど、いろんな遊びを知ってるよ」
「そうなのか?」
男の子とケニーがコソコソと話しているうちに、他の子の笑い声が聞こえてきた。
「すげー……」
そう感嘆の息を漏らした男の子の前で、イオルクが右肩に男の子を乗せ、左肩に女の子を乗せて歩いていた。
「次、わたしもして!」
「おれも!」
「じゃあ、一人ずつ一番高いところを眺められるように肩車をして村を一周だ!」
イオルクが笑いながら答えると子供たちの歓声が上がり、会話をしていたケニーと男の子が走り出した。
「ずるいぞ、お前ら!」
「イオルクは、わたしが連れてきたんだからね!」
イオルクは笑いながら言う。
「ゆっくり、じゃんけんで決めな。村一周で十分ぐらいだから」
そう言うと、イオルクは左肩の女の子を下ろして、右肩の男の子を両肩に担ぎ直した。
「それじゃ、行くぞ!」
イオルクが走り出すと、またワッ!と声が上がった。
イオルクは子供たちの心を掴み、初日の遊びはひたすらに村を走り回ることになった。
…
再びトーマスの家の庭先――。
予定していた一時間が過ぎ、イオルクは両肩を回しながらトーマスの庭の仕事場に戻ってきた。
「やっぱり子供は疲れ知らずだな」
全員を肩車し終わったあと、『もう一回!』とせがまれたことを思い出し、イオルクはフッと息を吐きだして笑った。
「今度からは皆で出来る遊びがいいな」
そう独り言ちて縁側まで歩き、大工道具を引っ張り出しながら午前中の作業の続きを思い出す。
「鉋掛けして柱までは作ったから、今度はこの失敗した柱から新しい材木を作るか」
柱より小さな家具の材料を切り揃える算段に入る。柱として切り揃えに失敗した材木から家具のパーツに変えることができる箇所を探すため、イオルクはトーマスが書き起こしてくれた家の設計図と注文のメモへ目を向ける。
「必然的に柱より細長いものを作ることになるよな。う~ん……パーツの組み合わせを考えると、柱だけじゃなくて面の広いものも欲しくなってくるな。失敗した柱から作れるパーツを造ったら、今度は広い面のものを作ろう。次に造るのは壁にあてがう板を作るか」
失敗することを前提にした言葉だが、これは仕方がないかもしれない。家具作りに必要なパーツは柱の失敗した材木からだけでは成り立たたず、初めの作業の方が、失敗が多いことは当然だからだ。
イオルクは難しい顔で頭を傾けながら考える。
(基礎のいくつかは経験を経ないと理解できないものもある。そして、理解できないから誤った理解で失敗をする。試行錯誤の上に造り方を覚えるまでは失敗の繰り返しだから、随分と家具作りに必要な材木が集まりそうだ。……失敗が多そうだから、今のうちに、もう一本木を切り倒しておいた方がいいかな? まあ、それはもう少し様子を見てからでもいいか)
思考に一区切りつけ、イオルクは設計図から必要なパーツを選び、失敗した柱を縦に四分割して家具に必要なパーツを作ることにした。
「よし! 午後の作業を始めるか!」
さしがねを使って目印を付け、午前中に鋸を引く時に失敗した裏面の歪みを思い出す。
(今度は腕を引く角度と裏面も意識して鋸を引かないとな)
作業台に失敗した柱を置き、目印の線に合わせて鋸を当てる。
そして、鋸を引き始めて直ぐのことだった。
「ん?」
手元が大きく見えた気がしたのと同時に、周りの景色がどうでもいいように意識に入らなくなった。
午前中とは違う感覚と認識にイオルクは手を止める。
「……集中が深くなっている?」
そんな馬鹿な、と思った。
間に昼食を挟み、子供達と遊んだだけだ。それだけのことで午後の作業に影響を齎すなど考えられない。
「多分、勘違いだ」
鋸を引くのを再開するが、新しく得た感覚は変わらなかった。間違いなく手元がくっきりとし、周囲に対する意識が薄くなっている。
「一体、何が起きたんだ? 午前中よりも集中できている」
集中力が上がることはいいことだが、原因も分からずに成長するのはどこか気持ちが悪かった。
イオルクは雑念を振り払うように首を振る。
「原因があるなら、自ずと分かってくるはずだ」
自身に起きた変化に戸惑いながらも、イオルクは今の感覚を忘れないように鋸を引き続けた。
…
子供達との遊びを取り入れて三日後――。
トーマスはイオルクの様子を見るため、鍛冶場の火炉に火を入れる前に縁側に顔を出した。
初日のようにあれこれ聞かれるかと思っていたが、イオルクは縁側に腰を下ろして考え事をしているようだった。
(何か、壁に当たったのかな? でも、イオルクが聞かずに考えているのは意味があることなんだよな)
数日のうちに分かってきたことがある。
イオルクは気になったことは、何でも聞く傾向にある。そのほとんどは、必ず知っておかなければいけないことに直結し、後々効率に関わってくることだった。
まるで大工仕事の流れを知っているようだったのでトーマスが尋ねると、騎士としての修練期間で一番大事な基礎の大切さを学んだことを活かして自分なりに大事なことを意識しているとイオルクは答えた。
(一度、何かの技術を習得するというのは、新しい技術を習得する時に必要なものの本質を見分けられるのかもしれない)
初めてにしては教える手間が少ないことと決して楽しいとは言えない基礎の基礎を丁寧に行うイオルクを見てきて、この三日間でトーマスはイオルクをただの初心者とは思えなくなっていた。
だからこそ、イオルクが聞かずに考えるのには意味があるのだろうと思うようになった。
(それに……今、彼はボクに気づいていない)
騎士としての集中力を発揮していたなら気づかれていた距離にトーマスは立っていた。
(最初の頃は向こうから声を掛けてきたのに、今は違う。それに日に何回か、恐ろしく集中力が高まるようになった)
トーマスは静かに振り返る。
「彼はいい職人になるかもしれない」
そう呟くと、トーマスは自分の仕事場である鍛冶場へと向かった。
…
一方のイオルクは求めていた職人の集中力を発揮していることに気づかず、ここ数日のことを考えていた。
(どうも、職人としての集中力が上がっているのはケニー達と遊んでいることが原因みたいだ)
初日に感じた午前と午後の実の入り方の違い。手元の見え方の変化。それ以降も顕著に集中力が上昇したと思われる現象が何回か見受けられた。そして、その集中力の上昇は『子供達と遊んでから』という条件があると確証した。
イオルクはガシガシと右手で頭を掻き、そのまま頭に右手を置く。
「でも、何でケニー達と遊ぶと集中力が上がるんだ? 遊びが大工仕事に反映されることなんてないよな?」
初日に肩車をして村を一周。二日目は全員で遊べるようにと鬼ごっこをした。三日目はハンデを持たされて缶蹴り。四日目は更にハンデを増やされた缶蹴り。
イオルクは額に右手を置く。
「変わったことはしてないし、強いてあげるなら俺の遊びのハンデが日に日に強化されていくことぐらいだ。絶対に大工仕事に活かせる技術が培われたとは思えない」
そうなると、何が原因で集中力が増しているのか?
「もしかして、もっと違う理由なのか?」
イオルクは腕を組む。
(俺の騎士としての集中力が弱まったということか? だから、職人としての集中力が上がった? いや、夜の騎士の基礎をした感じじゃ集中力を欠いている感覚はない。はて? そもそも騎士の集中力が高まるのはどうしてだっけ?)
今まで当たり前のように使っていた騎士としての集中力の出どころが分からなくなるぐらいに、イオルクの頭は混乱していた。
(う~ん……夜の武器の修練は今まで通りの集中力が出ているから騎士の集中力が鈍ってるわけじゃないんだよなぁ)
大きく息を吐きだし、己の騎士の集中力が鈍っていないかを確かめる。
自分が騎士であることを強く認識すると、それだけで周りの視野が広くなって気配を感じ取れる。さっきまで聞こえていなかったトーマスの鍛冶仕事の鉄をたたく音が聞こえ、それとなく気配も感じられる。相手が殺気や敵意を出していれば、より一層気配を感じられるはずだ。
「慣れもあるんだろうけど、騎士の方の集中力は簡単に切り替えができるんだよな。周囲を警戒するのは戦場じゃ常識だし――」
イオルクが固まり、目が大きく見開く。
「戦場で警戒するのは常識……警戒心だ!」
イオルクは勢いよく立ち上がった。
「そうだよ! 警戒心だよ! 村の中で――ケニー達と遊ぶことで村の中が安全だって認識したから警戒心が下がったんだよ!」
イオルクは額に右手を当てる。
「待て待て……そうすると、この場所が安全だって認識できさえすれば、騎士の集中力と職人の集中力を切り替えられるんじゃないか?」
体力低下を防ぐために始めた子供達との遊びだったが、これを続けることで職人としての集中力を手に入れるのに役立つかもしれない。
「そりゃそうだよ。あんな小さい子供だけが遊んでいる場所が安全でないわけないし、一緒に遊べばこの村が安全なのも肌で感じられるってもんだ」
もう少し一般人の立場で考えてみる。
そもそもだ。商人や職人などは安全でもないところで店を開いたり物を売ったりはしない。イオルクのしていた騎士という職業が率先して戦場に向かっていたから警戒というものが必要になるのであって、一般人は危険の伴う場所に進んで足を突っ込まない。今居る村は盗賊に襲われているわけでもドラゴンレッグからの侵略を受けているわけでもない。どこにでもある平和な村なのである。
「……職業病ってやつかな。ははは……」
乾いた笑みを浮かべ、イオルクは大きく溜息を吐いた。
「要するに、俺が普通の人の暮らしを理解できてないから騎士と職人を切り替えられないってことか」
普通の人の生活とは、どういうものなのか?
騎士として生きてきた少年には、普通というものがまだ理解できていない。
「まさか自由に生きるために、普通の人達の生活を理解しないといけないとは……」
騎士の国ノース・ドラゴンヘッドとはよく言ったものだと、イオルクは思った。心身ともにギチギチに騎士としての常識を刻み込んでくれている。どっぷりと浸かってしみ込んだ騎士としての常識や習性は、簡単に拭い落とせるものではなさそうだった。
イオルクは晴れた顔で両腰に手を当てる。
「とはいえ、原因は分かった。俺は、この村で普通の人というものを学ばなければならない」
イオルクはクスリと笑う。
「まさか遊ぶことが重要課題になるとは思わなかった。――さて、すっきりしたところで、今日の仕事を始めるかな」
問題と疑問を自己完結すると、イオルクは右肩を回した。
トーマスの家の庭で、家具作りの音が響き出す。
…
次の日――。
イオルクがトーマスの家を訪れてから五日が過ぎたことになる。
昨日まで気が付かなかった、騎士と一般人の常識の捉え方の違い。常に危険に身を置いていた騎士と違い、村での暮らしは安全が保障されて周囲の警戒に集中力を割かなくていいという常識。
そして、この常識の理解が深まれば、職人の集中力を扱う手助けになる。実際、この三日だけでも職人の集中力が高まり、大工仕事の失敗は格段に減っていった。
それでも、身に沁みついた騎士としての集中力と職人としての集中力の切り替えは、直ぐに身につくものではない。昨日の夜に騎士としての修練に重きを傾けたところ、翌日の大工仕事に僅かばかり騎士側の集中力に引きずられる感覚が残っていた。
そんな日々を送る中、本日も子供達がケニーとイオルクを一緒に迎えに来た。
慌てて食べ終わった昼食の食器を片したケニーとイオルクが玄関に向かって走り出す。
「お父さん、いってくるね」
「トーマスさん、いってきます」
「いってらっしゃい」
取り残されたトーマスの目には、駆け出す二人の姿が奇妙な光景に映った。ケニーよりも大きなイオルクが、違和感なく子供達の中に紛れている。
「当たり前のようにイオルクはケニーと遊びに行くようになったけど、子供と遊ぶなんて飽きないのかな? あの歳って大人でもないし子供でもないから、そんなに気にならないのかな?」
日々の仕事に影響が出ていないから文句も言えないが、一体、何をしているのだろうか? と、トーマスは不思議な気分だった。
しかし、それも仕方がないのかもしれない。まさか、イオルクが体力強化の他に集中力を切り替えるための修練も兼ねて真剣に遊んでいるなどと知る由もないのだから。
…
村の広場――。
本日の遊びは、『缶蹴り・対イオルクルール付き』だった。
ルールは基本の缶蹴りと変わらない。百数える間に隠れ、鬼は見つけたら缶を触りながら『○○みっけ』と捕まえる。全員捕まったら鬼の勝ち。鬼が見つけに行っている間に缶を蹴られたら鬼の負けになり、捕まった者は解放される。
そして、ここからが特別ルールになる。イオルクと子供達では体格や運動性能に大きな差があるため、鬼は全てイオルクがする。更に捕まった者、先着三人がイオルクにぶら下がるというペナルティが追加されている。
日々凶悪になっていくルールは、そろそろ最終形態か。
イオルクはどんよりとした目で、追加ルールを決めたケニーを見る。
「このルール変えないか?」
「これは命令よ」
「ケニー……お前は何処の女王様だ」
普通の缶蹴りではあまりにイオルクが勝ち続けるので、追加ルールの発案者のケニーは子分という立場を盾にルールを設けたのである。
(この前までは捕まえた子の一回復活ルールだったのに……)
溜息を吐きつつも素直にルールに従い、イオルクは缶を右足で踏んで目を瞑ると数を数え始めた。
それと同時に子供達が村のあちこちへと散っていく。
「――九十九、百……」
イオルクが目を開けると、目の前に人形を抱いている女の子が居た。この子は最初見ているだけの子だったのだが、今は缶蹴りに参加している。
だが、いつも鬼であるイオルクの前に立っているのである。
では、何故、役にも立たない捕まる子が居るのか?
「おんぶ」
「…………」
最初からハンデとして重りに使うためだった。これは今回の特別ルールに限ったことではない。
「君さ……毎回、飽きないか?」
女の子は無言で頷き、両手を広げるだけである。
イオルクは仕方なしに屈むと、背中に女の子が張り付いた。
「アイツら、汚いことしやがって……」
それでも背負った女の子は走るぐらいなら邪魔にならない重さで問題はない。
問題は、ここからなのだ。
「あのガキ共を捕まえる順番を考えないとな。でかいのから捕まえると動けなくなるから、小さい奴から捕まえないと身動きができなくなる」
そう、子供達の数は全部で七人と多くないが、体重が問題なのだ。ケニーを含めて、女の子は四人。この子達は軽い方に入る。問題は男の子三人だ。大柄の子が二人居て、残った一人も今背負っている女の子よりもかなり重いのだ。
「先に女の子から捕まえないといけない。……何で、ガキの行動パターン全てを頭に入れて、捕まえなきゃならないんだよ」
イオルクは見習い騎士の時に、体を鍛えるために全員が一人を背負って缶蹴りをしていたことをケニーに話したのは失敗だったと後悔していた。
子供ゆえに思いついた発想は、見習いの時以上に悪質極まりないなものだった。
「ケニーは会った時から強気な正確をしていたんだから、予想しておくべきだった。ユニス様以上に遠慮がない」
重さなら初日に運んだ材木の方が遥かに重いが、材木は動かない分だけバランスも取れるし、物としての担ぎ方も自分の意志で決めることが出来る。
しかし、子供はそうはいかない。落ち着きなく忙しなく動くのでバランスを取るのも一苦労なうえ、変な持ち方をすれば怪我をさせることになる。
(見習いの連中は背負われる意味を分かってるから楽だったよな)
そんなことを思いながらイオルクは村の広場を見回す。
村は大きくなく缶蹴りをする広場も大きくない。隠れる場所も多くはない。それに相手は子供だ。上手く隠れたつもりでも、じっとしていられなかったりする。
(少しずるいけど、騎士の集中力で気配を探るか)
イオルクはフッと息を吐きだすと、周囲に警戒心を広げて耳を澄まして集中力を切り替える。
「家の影、樽の裏、茂み……この三ヶ所に気配――物音がする。問題は何処に軽い奴が隠れているかだな」
騎士としての集中力を解き、三ヶ所の候補からイオルクは樽に目を付ける。樽のある場所は三ヶ所の候補で隠れるスペースが一番小さい。つまり、女の子が隠れている可能性が高い。
「家の影と茂みに気をつけながら……!」
イオルクは缶から離れて樽の置いてある場所へと走ると、樽の裏を覗き込んだ。
「何で、お前がそこに居るんだよ!」
樽の裏にははみ出しそうな体を必死に堪えて、一番大きい男の子が居た。
仕方なしに缶まで戻ると缶を右足で踏みつけ、男の子の名前を告げる。
男の子がイオルクの側まで歩いて来ると、イオルクは男の子に向かって言う。
「お前、前からしがみ付け」
「肩車がいいんだけどな」
「バランスが取れないから却下だ」
「仕方ねぇな」
男の子がイオルクに前からしがみ付いた。
しかし、途中でずり落ちそうになる。
「もう、これだけで無理だろう……」
イオルクは男の子に自分の首の後ろに手を回させ、しっかりと落ちないようにさせる。
「ちょっと待った!」
新たに増えた重りのせいで、前にバランスが崩れた。
イオルクは背を反らすように意識して中心に重さが来るように体幹を調整すると、歩きながら缶の近くで他の子供達を探す。
(あと、家の影とあっちの茂みに気配があったんだっけ? 手っ取り早く見つけちまうか)
しかし、これ以上の重りの追加で男の子は避けなければならない。最後に増やす重りとなる子供は軽い女の子でなくてはならない。
慎重にいかなければと考えるイオルクに、しがみつく男の子が話し掛ける。
「なあ、イオルク」
「ん?」
「お前、ケニーに行動パターンを読まれ始めてるぞ」
「は?」
「オレ、あそこで見つかるようにケニーに指示されたんだ」
イオルクは周囲を見回していた顔を下に向け、ぶら下がる男の子に聞き返す。
「本当か?」
「うん、この缶蹴りはケニーとイオルクの頭脳勝負でもあるんだってさ」
イオルクは眉間に皺を寄せる。
「ケニーの奴、末恐ろしいな……。じゃあ、最初に後ろの子を見つけさせたのは何なんだ?」
男の子はイオルクにおんぶされている女の子に目を向ける。
「そいつは参加したがらないからな。でも、イオルクがおんぶしてるのを羨ましそうにしてたから、ケニーが気を利かせたんだ。それに一番軽いからハンデだって」
「ほほう……ハンデを貰っていたのは俺だったのか」
イオルクはニヤリと笑う。
(ガキのくせに生意気なことを……これは手を抜けないな!)
イオルクは女の子と男の子を身に纏って走り出した。
…
十五分後――。
イオルクは撃沈していた。ケニーに漢気のようなものを感じたのは勘違いだったと悟った。軽かろうが重かろうが、子供三人を担いで勝負になるわけがない。背中に一人、前に一人、小脇に一人を抱えて走っているのた。
イオルクは息を切らせながら言う。
「ケニーさん、無理です……。子供三人はバランスが悪くてまともに走れない……」
缶の上に右足を置いたケニーが缶をゆっくりと倒しながら答える。
「バランス取るために増やせばいいの?」
「お前は悪魔か……」
ケニーを含め、子供達は可笑しそうに笑っている。
「でも、三人抱えて走れるのは凄いと思うよ」
「凄いかもしれないけど、こんな状態で勢い着いたら小回り利かないじゃんか……。ちょこまか動く、お前らを避けながら缶まで戻れないっつーの……。こんな勝ちの分かる勝負なんて面白いか?」
イオルクの質問に、ケニーは自信満々に答える。
「ええ」
「あのなぁ……」
無邪気な回答に、イオルクはがっくりと頭を落とした。
「別に勝ち負けは、どうでもいいの」
「……何で?」
イオルクが顔を上げると、ケニーが三つ編みを揺らして右手の人差し指を可愛らしく立てる。
「だって、これはイオルクに乗る遊びだもん♪」
「…………」
ようやく分かった。缶蹴りは、どうでも良かったのだ。子供達は、走るイオルクに乗って遊んでたのだ。
「ふざけやがって……それならそうと言えよぉ」
イオルクは小脇に抱える男の子を下ろし、前にぶら下がる男の子を下ろし、背中に張り付く女の子を下ろしながら溜息を吐いた。
「だって、嫌じゃない?」
そう言って、どこか申し訳ないような顔でケニーは聞いてきた。
イオルクは大きく息を吐きだし、親指を立てる。
「子供が遠慮するな! 一時間内だったら、何でもしてやるよ!」
イオルクの答えに子供達に歓声があがると、全員がイオルクの後ろに回って背中にしがみ付いた。
「待て待て待て待て!」
イオルクの背中に一気に子供七人分の体重が圧し掛かかると、イオルクは前のめりになり足を踏ん張った。
「こ……このッ!」
腰を九〇度に曲げたままイオルクがゆっくり落ちかけた腰を押し上げる。
「じゃあ、行って!」
声のする背中の方へ目を向けると、ケニーの指さす右手が見えた。
一歩踏み出すと子供達の声が響く。
「暴れるな! バランスが取れない!」
「大丈夫よ!」
何が大丈夫なのか分からないまま、イオルクはそれから五歩進んだ。
しかし、それが限界だった。
「さすがに全員は……無理!」
地面に大の字に倒れたイオルクの背中で子供達は大きな声で笑っていた。
元騎士だった少年は村の人々の日常を知りつつ、職人の集中力を獲得しつつあった。
そして、子供達の間から村の住人として徐々に認識されていくのであった。