大工仕事に従事すること、半年(村を訪れて九ヶ月)――。
トーマスとイオルクによる家の修繕のお陰で、築数十年の村の家々は耐久性が上がり、村は生まれ変わった。中には一部建て替えをして、見た目が大分変った家もある。
この他にもイオルクはケニーの友達である子供達の要望もできるだけ聞いて、生木が乾き材木として使えるまでの間を利用して色んなものを作った。ケニーと同じように机とベッドを要望する子もいれば、自分用のタンスと収納が欲しいというおしゃれな子も居た。
ちなみに要望があがったのは子供達だけでなく大人達の要望も……であった。木製の食器づくりをしたり、農工器具の柄の付け替えなどを行った。これらの作業は結果的には鍛冶仕事に必要な木の材料を加工する技術の習得にもつながり、鍛冶仕事をする前に十分に経験を詰むに至った。
そして、この際だからと村人総出で塀や柵の修繕も行い、すべての修繕が終わった日には村で宴を催した。綺麗になった村を誰もが喜び、また何十年とこの地に住めることに涙する者もいた。
こうして思いもよらずに始まった村の修繕だったが、イオルクは何かを作り上げて、皆と喜びを共有するという初めての経験をすることができて良かったと思った。
騎士として戦って、守り抜いて、お礼を言われるのとは違い、自分の作ったものの成果が残り、それが生活の一部になって残り続ける喜びは、今までとは一味違う感動をイオルクの胸に刻み付けた。
しかし、そんな日々が続いても変わらないことがあった。体力を落とさないための子供達との遊び、騎士としての腕を落とさないための夜の修練をイオルクは怠らなかった。
どんなに違うことに従事することになっても、騎士としての本質をなくすことは決してなかったということだ。
イオルクは騎士でありながら新たな可能性を積み重ねていた。
…
村の人達の依頼を全て終わらせ、村にいつも通りの静かな時間が流れ始めた頃――。
イオルクの大工としての腕前は一人前の一歩手前まで成長していた。
しかし、今日からは庭が仕事場ではない。トーマスの家の中で一番広い場所――鍛冶場で鍛冶修行を行うことになる。
朝食を終えて鍛冶場へ向かう途中でイオルクは呟く。
「これで暫く大工仕事をすることはないだろうな。もしかしたら、もう使わない技術かも」
その呟きにトーマスが答える。
「きっと、自分で鍛冶場を持つ時に役に立つよ」
「本職の大工に頼まないで、自分で家を建てるんですか?」
トーマスは笑う。
「それもそうだね。本職の大工に頼まないで家を建てるというのもおかしな話だ。ただ、ボクが知っている限りの大工仕事をイオルクは出来るようになったから、そんなことを思ってしまったよ」
そのような会話をしているうちにトーマスとイオルクは鍛冶場へと辿り着く。
鍛冶場は木造ではなく石造りになっていた。火を使用するため、ここだけは燃えない石造りで造られていた。
「さあ、どうぞ」
扉のない入り口を抜け、通された鍛冶場にイオルクは足を踏み入れる。
鍛冶場を見ただけでイオルクは感激の涙をほろりと流した。
「長かった……。ここまで来るのに、本当に長かった……」
「感動も一入(ひとしお)だね」
九ヶ月もの間お預けを喰らっていた分、イオルクの目には、この場所が特別なものに見えた。
「これが鍛冶場か」
鍛冶職人が一人しか居ないトーマスの鍛冶場は、イオルクが住んでいたノース・ドラゴンヘッドの王都の鍛冶屋よりも小さいものだろう。それでも一通りの鍛冶道具が揃っているここは、今まで作業していた庭と大差がないほどの広さがある。
直ぐに目に入ったのは金属を溶かす溶鉱炉、溶鉱炉の側にある熱した金属を掴む鍛冶屋はし、掴んだ金属を叩く入れ槌、そして、ひときわ目に付くのは鉄を加熱する火炉(ほど)と金属を叩きつける台である金敷(かなしき)だ。
イオルクの視線の動きに合わせるように、トーマスは説明を始める。
「イオルクがやりたい武器造りは、簡単に言うと鉄鉱石なんかを溶鉱炉で溶かして使える金属に精製して、その精製した金属を火炉で熱して、熱した金属を金敷の上で入れ槌を使って叩くものだ。それらを行うのにこれらが必要になる」
イオルクは感慨深げに鍛冶場をもう一度見回す。
そして、感慨の興奮が徐々に落ち着いていくと、本来の自分の目的が頭を過ぎる。
(俺は、ここで鍛冶屋の技術を身につけて世界を旅しようと思っている。……だけど、鍛冶技術を習得してここを旅立つ時、これらを全部用意して持ち歩きながらの旅なんてできるのか?)
鍛冶場に備え付けられた数々の道具……どう考えても鍛冶道具を全部持っての旅などできない。
(どうすればいいんだろう? 武器なら剣、ダガー、ロングダガーで事足りるんだけど)
旅に持っていくものを厳選するにしても情報が不足している。道具の使い方も用途も分からなければ、旅の持ち物として最低限必要な道具を選ぶことも出来ない。
自分だけで考えても答えは出ないと、イオルクは今まで聞いた説明の内容を思い出しつつ、トーマスに質問してみることにした。
まず、この場にない材料についてだ。
「トーマスさん、ここで金属を精製するって言ってましたけど、精製された金属なんかは売ってないんですか?」
「売ってるよ」
「……え? 売ってるの?」
思わぬ回答に、イオルクは首を傾げる。
「じゃあ、何でわざわざここで精製する必要があるんだ?」
その疑問を聞いて、トーマスは笑みを浮かべながらイオルクに訊ねる。
「イオルクは精製をどういうものだと思っているんだい?」
「それは……鉱石の大きさが足りないから何個か同じ鉱石を溶鉱炉に放り込んでドロドロに溶かして一つにして必要な量を確保するためじゃないんですか?」
「それもあるけど、一番は精製により不純物を取り除くことを目的にしているんだ」
「不純物?」
トーマスは腰に左手を置く。
「例えばの話だ。鉄鉱石を熱して叩くことは可能だけど、誰もいきなりそんなことはしない。それは鉄鉱石の中に鉄以外のもの――砂利なんかが混ざっていることもあるからだ。想像してごらん。イオルクの使う剣に鉄以外の砂利が入っていることを」
この例えは、すごく分かり易かった。
振るう剣に砂粒が入っているということは、そこは鉄同士がくっ付いていないということだ。使い続ければ、そこから欠損が亀裂となり、剣は折れてしまうだろう。
「なるほど」
「だから、精製の際に金属の比重や溶ける温度を利用して不純物と純粋な金属をできるだけ分離させるんだ。溶け方によって不純物が下に沈殿する場合は先に不純物を抜いて純粋な金属を取り出し、逆に不純物が上澄みに残るようなら先に抜いた金属を使用するんだ」
「そうやって金属を精製してるんですね。でも、精製されたものが売ってるんなら、何でそれを買わないんですか?」
トーマスは右手の掌を返して答える。
「理由は二つ。一つは人の手を介している以上、同じ工程をするにしても人件費が発生する。その人件費を掛けずに安くするためだ。もう一つの理由は、その材料が信頼性に劣るから」
「信頼性?」
トーマスは頷く。
「自分でやれば、いつも通りの工程をしているから精製の良し悪しは分かるけど、他人が精製したものが、本当に手抜きせずに精製したものかは分からないからだ。もちろん、値段を付けて売っている以上、精製の失敗したものを売ってはいないだろうけど、ボクは自分の精製したものでしか商品を造りたくないね」
「鍛冶仕事は材料から拘ってるんですね」
「木材は木の成長に任せるしかないけど、鉱石は溶かして使うからひと手間掛かるんだ」
(これは大変そうだ……)
大工仕事と違い、材料を加工する前の材料を用意するところから手が掛かる。
鍛冶仕事が始まる前の説明の段階で、イオルクは多大な苦労を予想した。
(精製する技術は一朝一夕で身につくとは思えない。しっかりと腰を落ち着かせて身につけないといけない。……そして、旅をするなら材料の精製は絶対にできない。溶鉱炉がいる。旅の間は精製技術以外を伸ばすことしか出来ないな。精製技術に関しては自分の鍛冶場を持ってからかな?)
とはいえ、精製された金属が売っているなら、旅をする上で精製された金属を手に入れられることは分かった。旅をしながらの金属の精製はしなくてよさそうだ。
「ちなみになんですけど、精製された金属はどこで売っているんですか?」
「ドラゴンチェストの大きな鍛冶屋で売っていたはずだ。多分、他の国でも鍛冶屋を訪ねれば置いてあるんじゃないかな」
イオルクは安堵の息を吐く。
(あとは火炉と金敷か)
早速、イオルクは火炉と金敷を指さす。
「あの~……これって持ち歩けますかね?」
それを見た瞬間、トーマスは右手を振った。
「いやいやいやいや……無理だよ。火炉は風を送る鞴(ふいご)も組み込まれてるし――一体、何を考えているんだい?」
イオルクは右手を頭に持っていきながら言う。
「旅をしながらの武器造りって……無理かなって思って?」
「……旅? ああ、そういうことか。世界中を旅するんだったね、イオルクは」
トーマスは納得したような顔になると、一つの案を提示するために口を開く。
「簡易的でもいいなら、こんなのはどうかな?」
トーマスは右手を腰に当て、左手を軽くあげる。
「例えば、焚き火なんかをするだろう?」
「はい」
「それに一工夫加える。風の通り道や炭を加えて、暖を取る時よりも熱を多く発生させる。しかし、当然ながら火炉ほどの熱は得られない。そこで金属の質を落として低い熱でも溶け易い金属を使用することで火炉を使わない」
「そんなことが可能なんですか?」
「あくまで旅の途中での鍛冶修行としてだよ。一般的には鉄が広く使われる。随分と昔には鉄よりも強度の劣る銅が主流だった時代もあったらしいけど、火炉の改良により高い熱量を生み出せるようになってからは、鉄が主流だ。つまり、鉄を使う前の文明を遡っていくと始めの方は性能の悪い火炉でも溶ける金属を使用していた歴史に辿り着くということだ。錫、鉛なんかは焚火の熱で溶けるはずだよ。まあ、ここら辺は採掘量によって値段が変動するから、立ち寄った店で直接聞いてみるといいだろう」
「採掘量によって相場が変わるんですか……分かりました。立ち寄った店で調べてみます」
(旅に出たら鍛冶屋で材料の金属も積極的に覗いて勉強しないといけないな。本屋によれば、鉱石辞典みたいなものも売ってるかな?)
これで火炉は旅に持っていかなくてもいいことが分かった。
しかし、旅の最中に持ち歩く金属は一考しなくてはならない。そもそもの話、鍛冶仕事で手に入れる鉱石は使用の用途によって種類を選ぶところから考えないといけない。
イオルクは顎の下に右手を当てる。
(鉄や銅なんかの武器や防具は、よく戦場で見かけてたけど、他の金属ってあまり見かけなかった気がする。貴族のバカ息子当たりの装飾には金や銀が使われていたけど……)
鉱石の種類について考え始め、自分の世界に没頭しそうになっているイオルクにトーマスが話し掛ける。
「さて、旅をする上で火炉を持ち歩かなくていいということは理解できたかな?」
イオルクは我に返り、慌てて返事を返す。
「は、はい」
「金属の精製と火炉の扱い方に関しては仕事をしながらじっくり教えよう。何事も一気に教えることはできないから、今はイオルクの気になっていることから答えていこうか」
イオルクは頷きながら返事を返す。
「よろしくお願いします」
トーマスは咳ばらいを一つ入れ、説明を続ける。
「次は金敷だったね。さすがにこれがないと金属は叩けない。これだけは持ち歩かないと旅の途中で金属を叩くことは出来ないだろうね」
「金属を直に地面に置いて叩くなんて出来ないですからね」
イオルクは鍛冶場にある金敷に視線を向けた。
視線の先の金敷は、まな板ほどの平らの面と丸みを帯びた角のようなものが土台にくっ付いているような形をしていた。
「トーマスさん、平らな面はそこに金属を置いて叩くんだろうけど、その丸みのある突起は何に使うんですか?」
トーマスは金敷の角のような部分を撫でながら答える。
「ここで曲げ加工をするんだ。曲面を利用する」
「ああ、なるほど」
イオルクの頭には武器を造ることが前提にあったため、自然と薄い刃物を造ることを想像して金属を叩くのは平らな面だとばかり思い込んでいた。しかし、武器や防具にはしなやかな曲がりを必要とする箇所もあったことに気づく。
「それで金敷には、こんな角みたいな形をしたのがくっ付いているのか。――ところで、ここにある金敷は、どれぐらいの重さがあるんですか?」
「持ってみたら?」
トーマスは二歩ほど後ろに下がり、右手の掌を返して持ち上げることを勧める。
「じゃあ、ちょっと失礼して」
イオルクはパチンと両手を合わせて肩を回すと金敷に近づいた。両足を肩より広く開いて腰を落とし、平らな面の下と角のような突起に両手をそれぞれ掛けてしっかりと掴む。
「いくぞ!」
屈んだ足を踏ん張り、背筋をそらして全身の力を使って上へと引っ張り上げる。
しかし――
「そんな……動かない?」
――簡単に持ち上がると思っていた金敷が少しも持ち上がらない。
イオルクは全身に力を込めて金敷を力一杯引っ張り上げる。
「っ!」
体が軋み、力を入れた両腕がブルブルと震える。
「ビクとも……しないっ!」
一体、どれだけの重さがあるのだろうか。力自慢のイオルクが持ち上げようとしても、一向に金敷は地面から離れようとしなかった。
「ぎぎぎ……っ! う、嘘だろう⁉ これ、どうやって持ってきたんだ⁉」
やがて引っ張る指に限界がきてイオルクは金敷から手を離し、息を切らしながら信じられないものを見るように金敷を見た。
その驚くイオルクの様子を見て、トーマスは笑いながら言う。
「ははは……当たり前さ。目に見えているのは氷山の一角。本体は地面に埋まって固定されているんだよ」
「へ?」
「いくらイオルクが力持ちでも、鉄の塊を捻じ切ることはできないだろう?」
「そ、そういうことか……」
肩から力が抜け、イオルクはその場にしゃがみ込んだ。そして、しゃがみ込んだ姿勢で地面を叩くと土の下の奥に重く硬い何かが土を伝わる衝撃を遮断するような感触があった。
「金属を入れ槌で打っても台座が動かないように、金敷はしっかりと固定されているんだ。これは自分の鍛冶場に設置するしかない。でも、持ち歩けるような小型の金敷もあるから安心していい。だけど、小型の金敷はあくまで代用品だ。叩く力に制限が掛かる。イオルクほどの力持ちが小型の金敷の上で思いっきり金属を叩いたら、地面に反発して金敷が弾んでしまうから使用は気を付けないといけない。持ち歩くにしても制限があることを忘れないで。あと、小型と言っても重さは相当あるから荷物に入れるなら覚悟しないといけないよ」
トーマスの話が終わると、イオルクは静かな笑みを浮かべる。
普段よりもゆっくりと出る言葉には感謝の念が込められる。
「トーマスさん」
「何だい?」
「ちゃんと、俺が出て行くのを前提で話してくれるんですね」
トーマスは静かに頷いた。
「……ああ、君はこの村に立ち寄っただけだからね。いつまでも引き止められない。これを教えてしまったら、君が居なくなるのが本当に残念だよ。村の家々の修繕もしてくれて、ケニーも村の人達もとても喜んでいた」
この九ヶ月での大工仕事で二人は師弟となり、しかっりとした信頼関係を築いていた。そして、一緒にした仕事の中で、トーマスはイオルクの中に職人として技術を身につける覚悟を感じ取っていた。
だからこそ、いずれ旅立ってしまうとしても、しっかりと自分の技術をイオルクに伝えなくてはいけないと、トーマスは思っていた。
「旅をしながら鍛冶屋をするのは、とても大変なことだ。でも、イオルクならきっと成し遂げられると思う。さあ、次はボクの鍛冶仕事について話そう」
イオルクは立ち上がって背筋を伸ばすと、深く頭を下げる。
「よろしくお願いします」
少し横道にそれた鍛冶道具に対する事前説明が終わり、話はようやくトーマスの鍛冶仕事についての説明へ移ることになった。